隊商 第四日 その3/吟遊詩人の話/隊商 第「六」日
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いよいよ最終回です。
秘められた時の謎と人間の欲望を知った王子はどこへ……
~隊商 第四日 その3~
王子は、吟遊詩人に導かれて、ラクダに揺られながら何泊かの野営ののち、砂漠との境界地、ドホキサに着いた。
そこからは馬を駆って旅程を進めながら記憶を辿った。
もう吟遊詩人の案内は必要ではなかった。
三日ほどで見覚えのある王国へ到着した。
山麓にある城門は開かれており、衛兵はいなかった。城門の横の小道を、山頂の僧院へ向かって登って行った。すこし急な坂は、馬の息を荒くした。
修道院がそこにあった。人影も見られた。
回廊を抜けずに、そのまま聖堂の正面にある入り口からなかへ入った。
半円形のホールから重厚な扉を二つ押し開けて聖なる空間へと足を踏み入れた。洗礼盤は水鏡のように聖なる水を満々と湛えていたが、そこに自分の姿を映す勇気は、王子にはなかった。
「ルメトモン三世、ご帰還をお喜び申しあげます」
身廊を通り抜け、ステンドグラスの七色の光を浴びていると、遠く聖なる空間からの呼び声のように、荘厳な響きを持った声が聞こえてきた。
朗読台の置いてある至聖所には、聖櫃がそのまま置かれてあった。
蔓薔薇もいっそう美しく、芳醇な香りを放っていた。
「使命をはたされたようですな」
大僧正が、修道士とともに、僧服のローブを引きずりながら、静かな摺り足で王子と吟遊詩人に近づいてきた。
「わかりません」
王子の言葉は、正直な気持ちだった。
「この吟遊詩人が姫だったのです」
王子は、当然あなたがたは知っていたのであろう、という怒りにも似た視線を二人の修道士に送った。
「なんですと。妙な……いや、王子よ、それがあなたのご経験されたことなのですな」
大僧正は、もう一人の修道士の方を見た。
「姫は、ご帰還でございます。ありがとうございました。王もたいへんお喜びで、祝宴が張られてございます。奥方様もお元気で」
「姫は、母君を連れて帰って参ったのか」
「はい。さようで」
「どうやって……」
「時間が戻っただけなのだ。異国の王はこれからやって来るはず。スヌサの王子よ、あなたは、そのことをご存じだ。ぜひとも、姫の力になっていただきたい」
大僧正が懇願した。
「いいえ」
王子は、たった一言で断った。
「では、姫の夫となることは諦めてもらうほかないが」
「僧侶よ、あなたがたは、人生について、魂について、深く学んでおられる悟りの高い方々です。たかがスヌサのような小国の王子のこの私が、意見を申しあげる立場ではございませんが、私は学んだのです。
たとえ経過と結果を知っていようとも、二度同じことを繰り返し、そしてその結果を思いどおりに動かすことはできないということを。
……ああ、そうでしたか、僧侶よ、あなたがたが、私にそのような悟りの場を与えてくださったのですね。ありがたいことでございました。どうか、私を国に帰してください。
それが許されないのであるならば、この僧院でひっそりと暮らしましょう。力仕事でしたら、僧侶の方々には劣りませんよ」
王子は、笑顔を見せた。晴々とした微笑みだった。
「残念だ。ルメトモン三世よ、では、その大切なものをこちらへ」
大僧正が、王子からクリスタルの小瓶を受け取った。そしてそのとき、静かに、少しずつ下へ向かって流れていた砂の最後の一粒が、小瓶の中央のくびれの部分からぽとりと下の杯へ落ちた。
王子の目の前で、大僧正は若返った。もうひとりの修道士は、昨日今日家を出てきたばかりのような若い青年僧に戻っていた。二人とも、馬上槍試合のとき、ルメトモンが出会った、その人たちだった。
「さようなら」
―どうぞ名を聞かないでください
―どうぞ生まれを聞かないでください
―どうぞ魂を見せてください
―どうぞ名は語らないでください
―どうぞ私をおそばにおいてください
―どうぞあなたの勇気を見せてください
―どうぞ時を開いてください
―どうぞ心を開いてください
―どうぞ瞳を見せてください
―どうぞ名を聞かないでください
―どうぞ生まれを聞かないでください
―どうぞ魂を見せてください
―どうぞ名は語らないでください
―どうぞ私をおそばにおいてください
―どうぞあなたの勇気を見せてください
―どうぞ時を開いてください
―どうぞ心を開いてください
―どうぞ瞳を見せてください
―どうぞ…………
~吟遊詩人の話~
王子は、帰りぎわ、洗礼盤の横をどうしても通らなければなりませんでした。
さっさと通り過ぎればよかったのですが、聖なる水が、王子を呼んでいたのです。
洗礼盤を王子が覗き込みますと、その水の中にいるのは白髪の老人でした。
驚いて自分の顔を両の手で触ると、皺とざらついた肌の感触がしました。
手を見ると、やはりしわしわでひどく老いていました。とても剣を振り上げられそうな手ではありませんでした。
しかし、まだ馬を駆る力と技は残っていたようです。堅固な面持ちの城の陵堡と急勾配の斜面を埋めつくす薔薇の低木を背にして、王子は馬に鞭打ち、一目散に故郷を目指しました。王子の年老いた背には、薔薇の花の華麗な香りが漂っていました。
スヌサ国は、荒れ果てていました。王国の姿はありません。
王位を継承する者もない上に、勇猛果敢な他国の王の気まぐれによって攻め込まれ、迎撃の甲斐もなく、スヌサが陥落するのに大した時間はかかりませんでした。
これは有名な話ですが、またの機会にお話しすることといたしましょう。
王子は、再び砂漠への旅を決意しました。
あのオアシスの楽園ツァイトラウムへの入り口は、砂漠にしかないと思ったからです。
王子は何を考えていたのでしょうか。もし、ツァイトラウムが見つかったとして、どうするつもりだったのでしょうか。
私は王子に聞いたのです。
「もう一度、若さを取り戻したいおつもりかな」
「いいえ。そうではありません。若さもそして試されることも、厭いはしません。だた、私は、美しい姫にもう一度お会いして、若さのはかなさと、財宝への執着のむなしさを、私自身の声でお伝えしてさしあげたいと思っているのです」
「あなたの出会った姫は、時を徘徊する魔女だったのかもしれませんよ。そうだとすると、あなたがそのように姫の姿を追い求めることは、魔女の思うつぼにはまっていることになりはしませんか」
私は、砂漠の民の経験から、そのように言いました。
「……それでいいのです……さ、歌ってください吟遊詩人よ」
王子はそれきり口を噤み、私はそれから、二度と王子の声を聞くことはありませんでした。
私の話はこれでおわりです。
~隊商 第「六」日~
「昨夜の物語だが、そこは、ほんとうにツァイトラウムというところなのかね」
商人のひとりが尋ねた。
コーヒーがちょうどよい具合に沸き、ひげもじゃの男たちの喉と身体を温めた。
旅は順調に進んでいる。
「わかりません。……そうかもしれませんし……そうでないかもしれません」
ラハヌトは、大好きな濃いコーヒーを啜り、ゆっくりと喉へ流し込んで、深い味わいに堪能した。そしてそっと瞼を閉じ、ため息をついた。
「私がこうして旅の皆さんとお話しできているのも、この目のおかげです」
そういうと、ラハヌトは瞼を開け、瞳の奥で光っている黒い瞳を見せた。
「めしいたおかげで、私は、ひとりテントに取り残されたのですから。ほかの人々は、……どこかへ……消えてなくなってしまったようでしたから……」
ラハヌトは言葉を詰まらせた。
奇妙な出来事に驚いているのではなく、知り合いの者たちを失ってしまった悲しみと、隊長として自分の隊商を守りきれなかったことへの悔恨からであった。
「私は、心から砂漠を愛しているのです。ですから、こうして裕福な商人の方々に雇われて、語り部として旅をさせてもらっているのです」
だがラハヌトは、心の底で思った。
「旅の途中で、彼らを見つけることができるかもしれない、ルメトモン三世に出会ったように……」 と。
「さて、今夜は最後の夜です。ぜひとも私の話を聞いてくださいませんか」
七百頭のラクダを率いる隊商の隊長が、旅の間中手を拱いていたようだった。
まだ年若い青年だが、武勇伝を自慢したいのだろうか。
明日の夕方には、ドホキサへ到着し、一週間の旅が終わる。
吟遊詩人の物語はここで終わったのでしょうか?
最後まで旅にお付き合いくださり、ありがとうございました。
次回作は整い次第、発表させていただきます。
今しばらく、お待ちくださいませ。
どうぞお楽しみに!




