隊商 第四日 その1
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いよいよ佳境です。
隊商、王子、吟遊詩人の身に、何が起きるのでしょうか?
砂嵐は、一晩中テントをばたばたと揺さぶり、砂漠の商人たちの眠りを妨げていた。
翌朝、もうもうとした砂煙は、とうとうラハヌトの隊商の行く手を遮ることとなってしまった。
太陽が遮られているせいか、テントのなかは昼間だというのに、とても寒い。
「目算をあやまったとは思えんのだが」
ラハヌトがふとつぶやいた言葉が、男たちの耳に届いた。
「ラハヌト隊長、あなたが責任を感じることはありませんよ」
「時の砂が暴れているのですな」
人を怖がらせようとしてか、それとも自分が恐怖を感じてか、昨夜、寝物語をした商人頭が身震いをした。
ルメトモン王子は、心のなかで期待していた。これは、自分のために用意された旅にちがいない。砂で杯を満たすという課せられた使命を果し、吟遊詩人などというお荷物を下ろして、自由の身となって帰還できるかもしれない。
「商人のかたよ、昨晩お話しくださったオアシスの楽園は、ツァイトラウムという地ではないでしょうか。そのお亡くなりになったご友人の方は、そのように話されてはいなかったでしょうか」
王子の心には、確信があった。なぜなら、この商人頭は、もともと王子の話に関心を寄せており、何かヒントを与えようとしているのではないか、と思われたからだ。
「遠くに隊商の鈴の音がきこえる」
外の見回りと、風の様子を観察しに出ていたラハヌトが、テントへ戻って来た。
「こんな嵐のなかを進行しているのですか」
何でもいい。なにか突破口をもたらしてくれるものがやって来てくれるのなら、それは大歓迎だった。王子はそう思った。
やがて、リンリンという鈴の音が確かにはっきりと、次第に近くに聞こえてきた。
隊商の大きさはどのくらいだろうか。鈴の音はひとつやふたつではなさそうだ。
「こんな嵐のなか、盗賊ではあるまいな」
商人頭のひとりが心配そうにラハヌトの顔色を見ようと近寄る。
「……」
ラハヌトは首を横に振った。それは、盗賊ではないという意味なのか、盗賊だお手上げだという意味なのか、盗賊なのか商人なのか旅人なのかさっぱり分からないという意味なのか、あやふやな表現だった。
さすがのラハヌトにも、近づいて来る物音の気配も、砂漠の気持ちも、読み取れないほどの異様な状態である。
怪しい鈴の音が、ちょうどテントの前でぴたりと止まった。
コーヒーで身体を温めていた男たちの手がぎくりと止まり、息をひそめた。
風が砂を舞い上げるひゅうひゅうと唸る音のほかには、何か動きのある気配はない。
男たちは、何を恐れているとか、何を期待しているとか、何を見るかもしれないとか、何が始まるのかとか、そんなことを考えているわけではなかった。
牧童たちは肩をすぼめていた。商人頭のふたりは身を固くしながらも、右手は短剣の柄を握っていた。そして、ひとりの商人頭は王子の方へちらちらと視線を流すことも忘れていなかった。
ルメトモン三世は、暖をとっている焚き火の炎をじっと見つめていた。その横で、吟遊詩人はフードを目深に被り、瞼を閉じたまま、辺りの様子を全身で受け止めようとしているようだった。
ラハヌトはテントの出入口にぴったりと身体を寄せ、抜き身の短剣を右手に握っていた。
ほんの少しの動きも聞き逃さないといった張り詰めた緊張感を持って、隊長としての威厳と責任を背負っていた。
パチパチと燃える炎の音にかぶさるようにして、ガシャッと金属の音がした。
「甲冑か」
王子の背筋はぞっとして震えた。
それは、勇壮な出で立ちの騎士を象徴する聞き慣れた音だった。
「馬か……」
さらに、蹄の音が聞こえたようだった。
石畳を駆るような音だったので、空耳だったのかもしれない。
王子は、父王から譲り受けた神秘の剣を鞘から抜いて身構えた。
何者かが攻め込んでくる事態をはっきりと予想していたのだ。
何者なんだ。もしかすると黒い甲冑の騎士……いや……王子は思い出を払拭するように首を振り、瞳を閉じた。
「どなたかな」
ラハヌトは、できることなら何事も穏便に済ませたいと思っていた。このような嵐のなかで争うなど、砂漠の民として無謀な選択である。おそらく、相手もそう思っているに違いない。
しかし、この大きな隊商の隊長、幼少より砂漠を友として生きてきたラハヌトの考えは、今回ばかりは甘かった。
彼は、争うということのなんたるかを、実際の意味では知り得ていなかったのだ。
地の底から熱の塊が頭をもたげてくるかのような低い響きが、踏ん張っている足の下から腹の底へ登ってくる。
「私がいきましょう」
吟遊詩人の声を、テントのなかの男たちは初めて聞いた。
ざらざらとした、とても歌い手とは思えない声だった。
「まて」
ルメトモン王子は、吟遊詩人の身を庇った。
詩人は王子の水先案内人なのだ。今姿を消されては困る。
それに、ここにいる人たちは皆、商人だ。戦いの心得を自分ほどに持ち、そして訓練されているものはなかろう。
王子はいよいよ意を決して表へ出ようと一歩を踏み出した。
「まて」
今度は、王子をラハヌトが止めた。
「私はこの隊商の隊長だ。あなたたちは皆、私の懐のなかにある。私が行く」
ラハヌトが、そう言うが早いか引き止めようとする王子の腕を振り払って、テントの幕を開けた。
ざぁーっと音を立てながら、激しい砂が入り込んできた。
ラハヌトは砂煙のなかに視線を向け、かっとまなこを大きく見開いた。
しかし、それはほんの一瞬だった。
王子が見たときには、もうラハヌトの瞼はかたく閉じられていた。
ラハヌトはすぐさまテントの幕を降ろして中へ戻ってきたが、もう二度と瞼を開けることはなく、砂漠の民の鋭く見据えていた視線はどこかへ行ってしまっていた。
商人の男たちに言葉はなかった。
どうしたらよいのか。誰にも分からなかった。
「きみも見たのか。ラハヌトは何を見た」
ルメトモンが吟遊詩人の肩を強くつかみ、激しく揺らした。
「……」
吟遊詩人は何も答えない。
「私の出番のようだ。これは、わたしが招いた事態に違いない」
そう言いながらルメトモン三世は、震える手でテントの幕を開けた。
ざざざざぁーと押し寄せる砂の波が、テントのなかの人々をたちまちにして呑み込んだかと思うと、あっという間に大量の砂は目の錯覚であったかのごとく消え、細かい砂の粒子だけが、ひゅるひゅると舞っていた。
風は渦巻き、広大な砂漠の砂を巻き上げ、天に向かって立ちのぼって行きながらテントの回りを取り囲んでいた。
ガシャガシャと甲冑の擦れ合う音がしていたが、それらしき影は見えなかった。砂煙のなかで、ラクダたちの姿は幻影のように揺らいでいる。
牧童が心配そうに外を見た。牧童のターバンが風に煽られ、脱げてテントのなかをふわふわと二周三周し、再び煽られて砂漠の彼方に消え去ってしまった。
頭にしっかりと巻き付けていなかったのだ。牧童は口惜しそうに、ターバンの行方を視線で追っていた。
その視線の先に、太陽が見えた。
いや、それは、太陽ではなく、きらきらと光っている……ガラスの破片……のようだった。
ルメトモン三世は、自分の懐からクリスタルの小瓶を取り出した。それが、ガラスの破片の太陽のような輝きと似ていたからである。
王子の手のなかで、クリスタルの小瓶と遠く空の彼方で輝いている光が呼応した。
砂で曇っている風景のなかに、すぅーっと一筋の道がつき、その光の帯のなかを、ぐるぐると回転しながら、得体の知れない何かが下って来た。
すると、
―どうぞ名を聞かないでください
―どうぞ生まれを聞かないでください
―どうぞ魂を見せてください
―どうぞ名は語らないでください
吟遊詩人が竪琴を奏で、歌った。
―どうぞ私をおそばにおいてください
―どうぞあなたの勇気を見せてください
吟遊詩人の歌声は、がさがさとしてざらついていた。
商人たちは耳を両手で塞ぎ、この王子はなんて奴を連れて歩いているんだ、と思った。
砂から目を、声から耳を守らねばならないとは。
くるくると回りながら降りて来たものは、太陽の目だった。
それは、よく古代の壁画に描かれている、天使の天秤に載っている分銅である。それは、人々の目の前までやって来て、空中でぴたりと静止した。
それを待っていたかのように、吟遊詩人の歌っている口から、白い細かい粒子が飛び出して来た。男たちは驚いた。言葉もない。
思わず自分の喉を手で抑えている者もいる。
それは、砂だった。
砂が詩人の喉から出ていくに連れて、詩人の声は美しい吟遊詩人の声に変わっていった。
艶やかで上品な潤いを秘めた、清純な声色である。
―どうぞ時を開いてください
―どうぞ心を開いてください
―どうぞ瞳を見せてください
ゆっくりと静かな波を打つような歌が、聞く者の心にしっとりと語りかけてくる。
詩人の口から迸った砂は、ルメトモン三世の持っていたクリスタルの小瓶のなかに、どこからともなくするすると入り込み、片方の杯を埋めた。
「片方は埋まったが、もう片方はどうしたものか」
王子は、投げ出してしまいたいような異様な光景を必死の思いで受けとめていた。
その拠って立つところは、果たすべき義務をやりとげようという使命感、ただそれだけだった。
秘密は解かれていくのでしょうか?
次話投稿は、9月4日を予定しております。
どうぞ、お楽しみに!




