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暁を渡る  作者: 雅
8/12

 課された懲罰は二日間の謹慎及び兵法の論文の提出だった。

 軍規に背いたようなものなのだ、もっと重い罰――加えて軍に対する認識の違いを露呈してしまったのだから、それこそ除隊を食らうかとある程度覚悟していた為、正直拍子抜けした。

 懲罰を告げる為に部屋を訪れた准将は、胃が痛そうに顔を顰めながら長い間小言を並べていたが、半分以上聞いていなかっただろう。本当は除隊にならなかった事に対する安堵の思いが頭を占め、小言を聞く余裕など無かったのだが。

 どうでもいいと思っていた軍に、いつの間にかこれほど固執している事は、俺自身にとって新鮮な驚きでもあった。




 謹慎の意味を理解していない訳ではなかったが、その日の午後、俺は宿舎を抜け出した。

 論文の方向性を――要は俺の師団に対する認識を改める必要があった為、少し歩きながら考えたかったのだ。論法を構築するのは容易いが、一度築いた思論を崩して新たに再構築するのは、意外と難しい。


 何の気なしに歩いて、気が付いたらあの裏庭に出ていた。どう歩いたものか、士官棟の中庭からでなくともここに来れるのだと、そんな事に僅かに得をしたような気分を覚える。

 誰の姿も無い事に何となく期待が外れ、軽い溜息を吐いた時だ。


「謹慎。意味分かってんのか?」


 呆れたような声がかかる。声の方へ眼を向けると、中央の枯れた噴水の陰に、レオアリスが寄りかかって座っていた。


「一応。――貴方こそ、いつもここにいらっしゃるんですか」


 人の事を言えたものではないが、大将という立場が分かっているのだろうか。だが気にした様子もなく、レオアリスは俺を手招いた。


「時間のある時にはな。大将になったら、周りにいつも人がいてめんどくさいんだよ」


 その声には心底閉口している響きがあった。確かに、大抵は副将が傍らにいる。しかし軍というものの性質上、それは当然の事だろう。


「いいんですか。それで俺がそこに行っても」

「立ちっぱなしでいるか? どうせどこに行くつもりでもないんだろう。お前は俺に予定がどうのこうのと言う訳じゃないし」


 隣を手で示されて、さすがに俺は躊躇った。いくら何でも、そこまで気安く接する事の出来る立場ではない。僅かに考えて、結局少し離れた場所に座る。

 座ったものの、何を話せばいいのか困惑した。話したい事はおそらく山ほどあるのだろうが、予期もせず、まったく整理されていない状態で、この差し向かいの状況では気の利いた質問一つ浮かばない。

 まあレオアリスにしてみればせっかくの一人の時間だったのだ。降って湧いた闖入者に余計な口を利かれるよりは、黙っていてもらった方がいいのかもしれないが。


 実際、俺が傍に座っているのにも関わらず、腕を頭の後ろに組んだまま、噴水の縁に寄りかかり眼を閉じてしまっている。既に眠っているのかもしれなかった。

 何の為に俺をここに座らせたのだと、僅かな不満を感じて覗き込もうとした時、ふいに口を開いた。


「そういえば、さっき内務で、お前のお父上にお会いした」


 突然父の名が出されて、ぎょっとレオアリスに眼を遣る。

 軍部の将校が内務に赴くのは、戦時でなければ隊の任免の件が主だ。


「お前の事を気に掛けていて、どうしているかと聞くから」


 近衛師団に対して、内務の権限で人事が発令される事はあり得ない。だからこそ師団を選んだのだ。だが師団自体の決定事項となれば、話は別だ。


「元気だと言っておいた。元気すぎて既に二度も謹慎を食らってますってな」


 思わず額に手を当てる。俺の個人的事情など知りもしないのだから仕方が無いと言えばそれまでだが、それは一番まずい。

 ちらりと片眼を開けて俺の姿を眺め、レオアリスは可笑しそうに笑った。


「相当驚いてたな。何かの間違いじゃないかと言っておられた。――お前、家じゃ猫被ってるのか」


 笑い事ではない。今回の処分が謹慎で済んで、正直胸を撫で下ろしていたところなのだ。ここで余計な横槍が入って、万が一軍にいられなくなりでもしたら、どう責任を取ってくれるのだろうか。

 尤もレオアリスにとっては、そんな事は瑣末事に過ぎないのかもしれないが……。

 レオアリスを見ると、もうその眼は閉じられていた。眠ったような表情からは何も伺えない。


 再び俺の中に、あの自分でも理解しきれていない苛立ちが浮かぶ。

 声をかけて起そうかと適当な言葉を捜したが、結局相応しい理由が思い浮かばず、諦めてその姿を眺めた。


 改めて辺りを見回せば、午後の陽射しは柔らかく、遮る物もなく注いでいる。

 会話一つないその場を、静かに風が抜けていく。

 眠っている誰かの隣にただこうして座るのは、一体何年振りだろう。

 穏やかな――記憶だ。


 柔らかい陽射しと、規則正しく聞こえる呼吸。


 たった今、俺はあの部屋で、寝台に背を預けて座っているのではないかと、そんな錯覚を覚えた。

 師団に配属されてからあった事を話そうか?

 多分彼は呆れて笑うだろう。笑って――



 不意にその笑みは乱れ、穏やかな呼吸は苦痛を孕んだ途切れ途切れの喘鳴に変わる。

 呼吸は次第に細くなり、あるか無いかの掠れた音が耳を打つ。

 自分もまた、それと共に、薄れ、微かに、消えていく。

 風の音だけが、夜の中を渡って響く。


 闇に、飲まれ、――呼吸が


 止まる。




 黒い瞳が俺を捉えた。

 急速に、意識が形を取り戻す。

 いつの間にか、覆い被さるようにしてその顔を覗き込んでいた自分に気付いた。記憶の中の蒼い瞳と、目の前の漆黒のそれの違いに、一瞬だけ自分の置かれた状況が理解できなかった。


「――どうした?」


 俺の眼を見上げたまま、レオアリスは静かに問い掛けた。

 柔らかい陽射しは少しも変わる事無く、この場に降り注いでいる。


 深く息を吐いた。

 どうかしている。ここは既に、あの夜ではない。


「――いえ。失礼しました」


 身を起こすと、レオアリスも合わせて上体を起こし、俺の眼を怪訝そうに覗き込んだ。


 今更、というと、冷淡な響きに聞こえるだろう。

 だが俺には、未だに、自分がそこに囚われている事が意外だった。

 弟の存在を消したいと思っていた訳ではない。むしろ俺にとって彼は、唯一つ、好んで思い返すような、そんな存在だ。

 けれど確かに、彼が死んだあの夜を、敢えて振り返ろうとはしなかった。

 それは当然だろう。誰しも、近しい者の死を思い出したいとは思うまい。


 そうではなく、ただ、自分が既に消化したと思っていたあの夜が、未だに少しも変わらずにそこにある事を。

 そしてそこから、俺は一歩も動けていないのではないかと――そんな気がした。


 封じ込めなくては。

 今までのように、気付いていない振りをすればいい。

 それで、何も問題などない。


「……いいけど。ひどい顔をしてるな」


 その言葉に額に手を当てると、冷えた汗が指先に触れた。漆黒の瞳が、取り繕ったものを見透かすように俺に向けられる。


「――この顔を、そう評価されたのは初めてですね」


 レオアリスは呆れた様子で肩を竦めたものの、特に何も問い質そうとはせず、青い草の上に胡坐をかいて座り直した。空いている右手でくしゃりと黒髪を交ぜる。

 その腕に剣を宿すのだろうかと、俺は漠然と考えていた。


 どんな剣なのだろう。その剣は切り裂けるのか。

 何でも?


 レオアリスは暫く黙って俺の顔を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。


「あの時ああは言ったが、お前の戦術をそれだけ見れば、あれは十分面白いよな。的確で、容赦がない」


 唐突な話題に俺はただレオアリスを見返した。


「……近衛師団で、お前が望む事はあれなのか?」

「――一応三日も考えて出した結論です。そのつもりですが……」

「そうかな」


 一度口を閉ざし、考え込むように口元に手を当ててから、視線だけを俺に向ける。


「俺には、お前が何をしたいのか、まだ判ってないように見える」

「……近衛師団へは、率直に申し上げれば、父の許可は得ず自分で選んで入ったんですよ。おまけにこの謹慎だ。十分好き放題やっていると思いますが」

「そうやって笑うと、意味もなく納得しそうだよなぁ」


 呆れたように呟いてレオアリスはもう一度肩を竦めた。

 それから、漆黒の瞳が深い色を湛えて、静かに注がれる。


「――お前はそうやって、自分の望みを殺すのか」


 咄嗟に返すべき言葉が見つからず、ただレオアリスを見返す。

 返答を待っているのかいないのか、レオアリスは芝の上に胡坐をかいたままの姿勢で両手を後ろに付き空を見上げた。


 望み、が。あるだろうか。

 俺に?


 殺すほどの望みなど、思い付かない。


「お前、結構バカだろ」


 唐突に掛けられた言葉に面食らって見返すと、レオアリスは再び視線を俺に戻し、殊更に呆れた表情を浮かべてみせた。


「頭いいヤツってのは考え過ぎるのか、それともお前が特にそうなのかな」


 レオアリスは俺が返す答えを探せないでいる間も、構わず言葉を継いでいく。


「例えばさ、何であいつ等が喧嘩ふっかけたか、判ってるか?」

「それは――」

「普通怒る。うちの入隊試験は甘くない。皆判ってるんだ、同じところを潜って来たんだからな。口じゃ何て言ってたって、首席を取ったんなら、その通りなんだよ。それで手ぇ抜かれりゃ、舐められてるんだろうって誰でも怒るさ。――お前の事情はどうあっても、ここで奴等は命を張ってる。誇りがあるんだ。それを忘れるな」


 それまでと変わらない口調だったが、重く胸の奥に落ちるのが判る。


「――済みません」


 言葉に出来たのはそれだけだった。レオアリスは面白そうに笑った。


「何か俺、年上の気分になってきた。まあ、上官だけどな、一応」


 俺が口を開く前にレオアリスは立ち上がった。俺を見下ろして笑う。


「さてと、そろそろ戻れよ。ただ御座なりな論文出すだけじゃ、下手したら除隊だぜ。それから――何がしたいのか、もうちょっと考えてみろよ」


 片手を軽く振ってみせ、士官棟の中庭へと続く蔦の小路に向かう。何かもう少し言うべきかと考えている内に、その姿は垂れ下がった蔦を揺らして消えた。


『望みを』


 ふいに、陽射しが翳る。

 再び、耳の奥に薄れていく呼吸が蘇る。


 自分のすぐ背後、振り返っても見る事の叶わないそこに、明ける事の無い夜が潜んでいる気がした。






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