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その夜、俺は所属准将の呼び出しを受けた。せいぜい呼ばれたとしても中将止まりだろうと考えていた為、指示された先がレオアリスの執務室だった事に驚きを覚えた。
重い扉が開かれ、再びその部屋に通される。先日はもぬけの殻だった部屋には、副将、左軍中将、第一・二小隊を纏める少将が並び、一斉に俺に視線を向けた。レオアリスは窓際に置かれた黒檀の執務机の向こうに座り、面倒くさそうな表情で机に付いた左腕に頭を預けている。
諍いの相手は二名だけが既にその場にいて、彼らの前に膝を付いていた。。
正面に向き直ると左腕を胸に充て敬礼し、片膝を付いた。
「第一小隊ヴェルナー、招命により只今参上いたしました」
一番手前に立っていた少将が神経質そうな顔を俺に向ける。数日前の事を思い出し内心溜息をついたところに、案の定、棘を含んだ声が掛かる。
「なぜ呼ばれたか、解っているな」
ばかばかしい。大体、一回揉め事を起こした程度でこれほど幹部が顔を揃えるなど、時間と労力の無駄が過ぎるというものだ。
「夕刻の諍いの件でしょうか」
一応そう答えると、少将は苛立ったように声音を上げた。
「それ以外に何がある」
俺としては、だったら聞くなと言いたい所だ。
「……残念ながら、思い当たりませんね」
そう嘯くと、少将は顔を引き攣らせた。執務室の中に、俺の無礼な態度に呆れ返ったような空気が流れる。これは課される懲罰も格上げされただろう、と他人事のように思った。
だがレオアリスだけは、頬杖を付いていた手を口元にやり、僅かに俯いた。笑っているのだ。
目ざとく気付いた副将が声に咎める響きを滲ませる。
「上将。お笑いになっている場合ではありません」
「ああ、悪い。続けろよ」
無理やり笑いを引っ込めて、レオアリスは手を払うように振った。
少将は決まり悪そうに咳払いをし、再び俺に向き直った。
「お前が叩きのめした三名は、かなりの重態だ。悪くすれば数ヶ月は通常復帰は叶わない事もあり得る」
「……あの程度でですか?」
今度は少将の気持ちを逆なでするつもりはなかった。本心から驚いたのだ。大して殴ったつもりはない。ただ長引くと面倒になる、手っ取り早く急所に入れただけだ。多数を相手にする場合はそれが定石だろうし、小隊の訓練に於いても常にそう指導しているはずだ。
だが、少将の声は更に甲高さを増した。
「自分が何をしたか、解っていないようだな! お前が大怪我をさせた者も、ここにいる者達も、お前から手を出したと証言している」
思わず、口がぽかんと開いてしまった。
俺から、手を出したと……?
横の二人に視線を向けると、彼等は気まずそうに顔を俯けた。
「聞けば、訓練中に剣で負けた事への腹いせというではないか。そのような事で……」
少将の甲高い声はまだ続いているが、俺は怒りよりも落胆すら覚えていた。もし俺から手を出したのが事実でも、一方の意見だけを聞いて責め立てるのはあまりにも稚拙なやり方だ。
これが近衛師団のやり方だとでも言うつもりだろうか。他の将校達は何も言わないが、これが小隊を束ねる将というのならたかが知れている。
「お前のお父上がおられるからこそ、そうして平然とした顔をしていられるのだろうが」
その言葉に、俺は顔を上げた。相当険しい表情を浮かべたのだろう、俺の顔を見て少将は怯んだように言葉を切った。
「な、なんだ、その眼は……上官に対して……」
「貴方が不本意にも上官なのは十分理解している。尤もこの場に父は関係ない事は、貴方には解らないようだがな」
眼の縁を怒りに紅く染め、少将は数度口をぱくぱくと開け閉めした。
「き、貴様、」
思うように言葉にならないまま、俺に一歩詰め寄った時、ふいに明るい声が落ちた。
「本当なのか」
少将の怒りなど、全く知らないというかのような声だった。執務室内の視線が声の主に注がれる。
レオアリスは左手に預けていた顔を上げ、視線を俺に向けていた。
何に対して聞かれたのか瞬時には判らず、ただレオアリスの顔を眺めると、俺の戸惑った様子を見て取り、レオアリスは軽く苦笑を浮かべた。
「聞き方が悪かったな。……お前から手を出したのは本当なのかと、そう聞いたんだ」
「俺……、いえ、私は――」
レオアリスの表情に、毒気を抜かれたように苛立ちが消え、俺は思わず口ごもった。
「上将、証言では……」
慌てて言い募る少将の姿に、面倒そうに黒い瞳を細める。
「それはこいつらの言い分だろう。だから俺はこいつに聞いてるんだ」
「しかし――」
厳しい瞳を向けられ、少将はさっと青ざめ拳を握り締めて床を睨みつけた。その姿に呆れの交ざった視線を投げ、今度は副将が俺に向き直る。
「上将に返答せよ。直答を許す」
「――確かに、口論にはなりましたが、手を出したのは私からではありません」
それだけ言って口を閉ざすと、レオアリスは暫くの間黙ったまま俺の眼を見つめていたが、やがてこの件はこれで終わりだというように、椅子の背を軋ませて寄りかかった。
「だそうだ。後は任せる」
「上将、しかし」
レオアリスはまだ言い募ろうとする少将を眺めて、大きく溜息を吐いた。
「俺の見解を言わせて貰えば、こいつが自分から手を出すとは思えない」
訝しげに向けられる顔をぐるりと見回し、最後に俺に視線を向けた。瞳に浮かんだ色に、何かの表情は読み取れない。
「わざと負けるような奴が、負けた事で相手を恨む訳がないからな」
「は?」
副将が理解しかねた顔で、レオアリスの顔を見つめる。
「上将、それは……」
「言ったとおりの意味だ。もういいだろう。下がらせろ」
面倒くさそうにそう言うと、俺から視線を外した。
その仕草に、俺は演習場でのレオアリスの瞳を思い出した。あの時、俺が手を抜いているのを見抜いていながら、何も言わなかった。
まるで声を掛ける価値などないように。
苛立ちが、再び俺の中に生まれる。
自分でも意識しないままに、言葉が口を付いて出た。
「何故、何も言わないんです」
レオアリスが書類に落としていた視線を上げる。
「……何だって?」
「手を抜いていた事について、何故何も言わないのかと、お聞きしているんです」
「ヴェルナー一等官! 上将に対して無礼だろう。もう良い、退出せよ」
腕を掴もうとした中将の手を振り払い、俺はレオアリスに視線を向けた。
レオアリスは僅かにその眼を見開いて驚いたような表情を浮かべていたが、やがて溜息と共に手にしていた書類を机の上に投げた。
「……俺があの場で何か言えば、お前は手を抜くのを止めたのか?」
そう問われて口ごもる。
多分、そうではない。指摘されたとしても、俺はやり方を変えなかっただろう。逆に手を抜いてなどいないと、言い返していたに違いない。
黙り込んだ俺を見て、呆れた表情を浮かべる。
「分からない奴だな。一体何がしたいんだ」
何がしたいのか。
改めて問われれば、その問いに返せる明確な答えなどなかった。ただ、レオアリスのあの表情に苛立ちを感じたのだと、そんな曖昧な答えを返せるはずもない。
レオアリスは再び、呆れたように溜息を吐いた。
「お前がどんな理由で手を抜いているのかは知らん。それはお前自身の問題だ。聞く必要もないな」
そう言うと、再び書類に視線を落とし、今度は顔を上げなかった。
俺と他の二名は、それぞれ三日間の謹慎を言い渡された。それ以上口を開く事は許されず、俺達は退出した。
宿舎の自室に戻ると、狭い室内の寝台に寝転がり、足を投げ出す。
眼を閉じてみても、レオアリスのあの時の瞳の色が繰り返し脳裏を過ぎる。
興味を失って逸らされる瞳。
ただそれだけの事が、何故だか、耐え難かった。




