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暁を渡る  作者: 雅
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 名を呼ばれた気がして目が覚めた。


 身体の軋む感覚に、一瞬あの医務室にいるのかと思ったが、見えたのはここ数ヶ月間ですっかり見慣れた、参謀部の天井だ。身体が軋むのは、長椅子で仮眠を取っていたからだろう。

 漸く夜が明け始めた頃合いのようで、室内はまだ薄暗い。燭蝋の仄か灯りに、人影が揺らぐ。

 顔を向けるといつの間に来ていたのか、レオアリスが振り返った。


「……済みません。いついらしたんです?」

「今さっきだ。いいぜ、寝てて。皆疲れてるだろう。どうせまた全員泊まり込んでるんじゃないかと思ってさ。もう五日目くらいか?」

「六日ですね」


 長椅子から身を起こした拍子に何かが足元に滑り落ち、布が掛けられていた事に気付いた。

 見回せば、そこここで倒れるように眠っている参謀官達の上にも、同じように布が掛けられている。


「悪いな」


 礼を言う前にレオアリスが笑う。

 立ち上がり、レオアリスの座っている執務机に行くと、卓の上に重ねてあった書類を手渡した。つい先刻までこれを仕上げる為に掛かりきりになっていたものだ。

 大まかに言えば第一大隊千五百名の構成情報を纏めたもので、六日の泊り込みの原因となった一つでもある。


「今日が期限の内務への書類です。ご確認を」


 薄明かりの中でレオアリスが書類を繰る。暫くして頷き、卓上の筆を取ると署名して返した。


「に、しても片付いたよなぁ……。ほんっと、お前が参謀部に来てくれて良かったぜ」


 レオアリスは心底安堵したように、快活な笑みを浮かべた。


「……私は少々後悔しましたが」


 多少の皮肉は返すべきだろう。

 参謀部に配属されてからというもの、目の回るという意味が身を以て理解できるほど忙しい日々が続いたからだ。今回は六日で済んだが、当初は半月近くはここの長椅子が寝台代わりだった。


「いきなり一等参謀官として任命された理由が、良く判りましたよ」

「だって指示するヤツが階級下じゃ、どっちもやりにくいだろ。でも、これだけやってくれてれば誰も文句は言わない。実際マジで感謝してるんだ。事務機能麻痺状態だったもんなぁ」


 レオアリスはしみじみ呟いて、俺の執務机の上に腰掛け脚をぶらぶらと動かしながら、室内を見回した。


「あの地層みたいな書類の壁が片付いたのもすごいけど、文書類が全部きっちり分類されてるのがすごいよな。ちょっと前だったらどこに何があるかどころか、足の踏み場も無い位だったんだぜ」

「懐かしそうに言わないでください。一言言わせて戴ければ、参謀部が文書経理を担っている事がまず問題だと思いますね」


 参謀部本来の役割である戦術論、戦略論の検討、提言以外に、五名の参謀官達だけで第一大隊全体の文書、経理、その上に千五百名の隊士の管理等を一手に担っているのだ。それで機能停止を起こすなと言う方が無理がある。

 配属された初日にその状況を聞き現状の説明を受けた時には、さすがに先行きが見えずに頭を抱えた。書類の記述方法や保管も個々の参謀官ごとにばらばらで、まず書類の読み込みにかなりの時間を要した。事務作業の仕組みを整理し軌道に乗せるのに、半月はかかっただろう。

 圧倒的に、人員が不足している。

 だがレオアリスはその件はお手上げだと言いたげに、あっさりと肩を竦めただけだ。


「仕方ない。内務には文官の配置要求はしてるけど、付かねぇんだもん。付くのは師団の総務までだ。まあ一応数字とか文書に強いヤツを選んで補佐に当ててたんだけどさ。さすがにキツイっつーか」


 こうした状況の背景には、学問を専門に修めている者が少ない事が大きな理由としてある。

 地方ほどではないが、王都でも読み書きが出来ない者は少なくはない。文官は貴重で、そのほとんどが内務など他の四部局に優先して配置される。


「俺も何度か徹夜したし、これからも極力手伝うからさ、そこら辺は当面多めに見てくれよ」


 実際レオアリスは何度も足を運んで、自ら書類の作成や整理を手伝った。俺がここで問題なく機能出来たのはそのお陰だ。


「そのうち何とか内務を説得する。……結局は、俺の力不足が原因だけからな」


 少し視線を反らせた気まずそうな物言いは、彼の背景を差したものだ。

 それは不愉快ながらも実際にあり、この階級性の社会機構の中では切り離し難い問題ではある。

 だが、それならそれで、そこは俺の領分でもある。


「――その件は私が交渉しますよ。機能分離は必要です。いつまでも大将に書類整理をさせる訳にも行かないでしょう」


 レオアリスはまだ表情を曇らせてはいるものの、もう一度、まだ眠っている参謀官達を見回し、苦笑した。


「俺が手伝う分にはいいけど、これじゃあな」


 相当疲れているのだろう、彼等が目を覚ます気配は無い。

 レオアリスは卓上に置いてあった文鎮を手に取ると、感触を確かめるように手の中で放りながら、傍らの俺を見上げた。漆黒の瞳に、面白がるような色が過ぎる。


「今だから言うけどな。お前が師団に入隊するって聞いた時の騒ぎ、知ってるか?」

「騒ぎ?」


 入隊前に何かあったのだろうか。ただ、あったのだとしてもそこまでの責任は持てないが。

 だが出てきたのは、俺の予想とは全く違う言葉だった。


「貴重な学術院出でしかも首席だろ。相っ当他の隊としのぎを削って、で、うちが勝ち取った」


 にや、と口角を上げる。思わず額に手が上がった。


「……やられたな……」

「あとはお前をどう説得して参謀部に付けるかが課題だったんだけどなー」


 レオアリスが浮かべた笑みに釣られるように、思わず笑いが込み上げる。

 彼等にしてみれば、俺の足掻きは願ったりな所だったという事だ。だが、悪い気分ではない。

 レオアリスはそれすら見越したように再び面白そうに笑った。


「師団を選んでくれて良かったぜ」


 何か一言返すべきかとも思ったが、結局止めた。それはこの状況下の今でも、俺の言うべき言葉だ。


「……では、これはこのまま内務に提出しておきます」

「後で届けさせればいいんじゃねぇか? まず帰って寝ろよ」

「散々急かされましたからね。朝一で突き付けてやろうかと」

「そういや、お前意外と負けず嫌いだったなぁ……」


 苦笑混じりにそう言うと、レオアリスは座っていた机からひょいと降り立ち、改めて眠っている参謀官達を見下ろした。


「こいつらも労ってやらないと。休みは何日取れる?」

「一日と言いたいところですが、交替なら二日は」

「俺が手伝う。三日取らせよう。お前も身体休めろよ。せっかくの優秀な参謀官に倒れられちゃ困る」

「文官の間違いでは?」


 レオアリスは可笑しそうに声を上げると、先に立って扉を開ける。

 暗い室内に、冷えた大気と黎明の光が流れ込み、一瞬視界を白く染めた。





 父と対峙したあの夜の後、幾日かして、南方の別邸に父が訪れたと聞いて、俺は少し笑った。

 弟の墓前に何を言ったかは知らないし、敢えて尋ねる気もないが、彼は喜んだだろう。


 視界の先に、朝焼けを背にした王城の尖塔が見える。

 おそらくまだ父はそこに居るだろうと、そう思った。

 まあ、居れば挨拶くらいはしてもいい。

 あれから父との関係に急激な変化があった訳ではない。

 ただ、お互いの立つ位置は以前より明確になり、それを認識するようになったと言うべきか。



 時折、ふと思う。

 もしあの時、言ってしまえば稚気にも近い感情のままに、この近衛師団を選択しなければ、俺は未だにあの夜の中にいたのではないか。

 夜明けは遠く、夜気の帳は待ち侘びる音を運ばず、弟と共にただ自分が死んでゆくのを待つだけの。




 前を歩くレオアリスが白い光の中で少し眠そうに欠伸を洩らし、それから振り返った。


「これから下道行くんじゃめんどくさいだろ。ハヤテを出すから乗ってけよ」


 ハヤテとはレオアリスの乗騎の銀竜の名だ。大将騎である銀竜ならば、途中の身分確認も必要なく王城まで飛べる。


「礼はこの後の昼寝をグランスレイに黙っててくれればいいからさ」

「昼寝と呼べるのかどうか」


 レオアリスはそれにはただ笑って、厩舎へと足を向けた。







 ――あの日、この年若い将に出会った事だけが、俺を変えた訳では無いだろう。

 だが確実に、おそらくは意図すらなく、ただ俺の正面に立つ事で、俺の迷いに一つの選択を指し示した。



 劇的な事柄だけが、世界を変える切っ掛けになるとは限らない。

 例えば夜の闇に一筋差し込む曙光のように、静かに、けれど確実に、世界を染め上げてゆくものはあるだろう。


 おそらく誰もが、その先にあるものを得る為に――



 暁を渡り、深い夜を抜ける。







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