#076 退屈/憂鬱 #16
「うん、さやかちゃんはやっぱりいい子だ……お友だちが心配だったんだよね。わがまま言いたくなる気持ちはわかるよ。僕だって同じことしたと思うし」
そう言いながら電話の相手はやっぱり笑ってる。でも今度は、ふふ、って柔らかい、優しい声だった。
この人、あたしのこと子どもだと思ってる気がする――実際そうだけど。子どもだと思われてもしょうがないけど。
「すみません……」
「ううん……でももう大丈夫だから、さやかちゃんは安心していいんだよ。ね」
その言い方はやっぱり、小さい子どもに言い聞かせているようで……でも、毛布をふんわりと掛けられた時のような、ほっとする瞬間を思い出す。
「あの、ありがとうございます」
「ん」と短い返事に続いて、ふぅ……っという、かすかなため息のような音が聞こえた。
――あ、ため息じゃなくて、これってやっぱり煙草なのかしら。
電話の向こうの相手は、あたしが知らない『大人』の人なんだ――改めてそう思った。
その途端に何故だかどきどきして来る。
「あの、高見先輩にもお礼を伝えてください。さっきは、その、忘れちゃって」
「ん……ふふ、わかった。伝えておくよ。じゃあね。おやすみ」
また小さく笑って、相手は電話を切った。
あたしがまだ小さかった頃には、母さんもあんな声で『おやすみ』を言ってくれてた。
その時のことを思い出して、胸が暖かくなるのと同時に、苦しくなった。
うちの家族は、いつから気持ちがすれ違ってしまったんだろう。
* * * * * *
ゆうべは結局、試験勉強どころじゃない気分でそのまま寝てしまった。
そのおかげで逆に早起きできたんだけど。
だから今日も早めに家を出た。
「人がまだ少ない時間帯に教室で勉強する予定なの」と、母さんには説明して。
――本当は、おしのちゃんが気になるからだけど。
教室に入ると、早朝列車組の美晴と陸上部の斎藤くん相場くんが、挨拶代わりに笑い掛けて来る。
「今日も早いのねぇ、さやか」
美晴は普段と変わりない様子。
たなっちは本当に、同じ街にいるあたしにしか連絡しなかったみたい。
仲良くなって来た他のクラスメイトにも挨拶を返しながら、ノートを開く。
数学の問題集に意識的に集中しているうちにどんどん熱が入り、気付くと予鈴が鳴っていた。
集中し過ぎて、頭がじんじんと痺れている。朝から頑張り過ぎたわ……
頭を振りながら、おしのちゃんを探す――あぁ、ちゃんと来てる。よかった。
クラスメイトとお喋りしている内容は、どうやらゆうべのドラマらしく、ナントカくんがかっこ良かったとか、あたしにはわからない会話が聞こえている。
うん、普段と変わりないように見える。
遠目だから細かいところまではっきりとは見えないけど、目が赤いとか叩かれたっぽい跡とかもなさそう。
――って、叩かれるかもなんて、どこからそんな発想が出て来たのよ。
叱られて泣くかも知れないけど、叩いたりなんて普通はしないわよね。あたしってば心配し過ぎ。
自分の想像力の方向性に呆れていると、おしのちゃんと目が合った。
一瞬構えてしまったけど、おしのちゃんはにっこりと笑ってから、またお喋りを続ける。
どうやら昨日の話は無事に解決したみたい。
たなっちもいつもと変わらず眠そうな顔でのんびりと出席を取る。
意味ありげな目配せもなしで、そのままHRが終わった。時々目が合ったような気はしたけど、多分気のせい。
試験前の授業は試験範囲の復習が中心で、ひたすらやり直しやプリントの穴埋めで、退屈な時間が多い。
そしてようやくお昼の時間――おしのちゃんがいつものように、目をキラキラさせて、食堂に誘いに来た。
「――でね、タカシくんがふられちゃったんだけど……」
今日はあたしたち三人でお昼を食べて、話題の中心はいつものようにドラマのこと。あたしはうんうんとひたすらうなずきながら、美晴は聞くともなしに聞きながら、食事が進む。
「でも、随分余裕ねぇ……試験前にもドラマって」
おしのちゃんが気の済むまで話した後に、美晴が笑いながら言う。
「あったりまえじゃない。観なきゃ死んじゃうわよぉ」
「おしのちゃん、すぐ死んじゃうのね」つい、あたしも笑ってしまう。
「そんなにドラマが好きなら、女優さんになるのはどう?」
「やだぁ、さやかちゃん。あたし演技って全然駄目だもん。それより、現実がドラマティックなのが最高なのよ……」
おしのちゃんは途中からうっとりした口調になり、何かを思い返しているようだった。
あたしと美晴は顔を見合わせる。
昨日、何かあったのかしら?




