#007 家族の食卓 #01
……って今更後悔しても遅いんだけど。ほんとにどうしよう。離してくれないし。
中学にもマサキみたいな格好の――制服を改造したりすごく着崩したり、髪の毛を脱色してる生徒は数人いた。いわゆるヤンキーとかそういう人たちで、その友だちも連れている女の子もやっぱりそんなで。
彼らが普通の生徒に声を掛けるのって、教科書借りる時か、いじめる時くらいしか目にしたことない。
「ふぅん……? さやかねぇ……」と、マサキは値踏みするような視線。
でも、あの、お金持ってないよ、あたし。
「さやか、さやか――さや――あ、お前、さぁや、な!」
突然、マサキはあたしを指差して声を張り上げた。
「え……? はい?」
誰が、なにって? なんの話?
「さぁやのぁ、は、伸ばす棒じゃないぞ。小さいぁで、さぁや。覚えとけよ」
マサキはあたしに指を突き付けて言い切った。
「はぁ?」
「つーことで、さぁや。明日の放課後、工業棟の一番手前の教室に来いな。バックレたりすんなよ?」
――はあぁぁ?
目を丸くしているあたしを気にすることもなく、マサキは言いたいだけ言って気が済んだのか、そのまま学校側に戻って行った。
「んじゃなぁ」と手を上げるその後ろ姿につられて軽く上げた手は、徐々に力が抜けてぽてりとハンドルの上に落ちた。
何故学校の方に戻るの?
まさかあたしを追い掛けるためだけに、駅まで来たの?
って、ゆーか、明日の放課後? 何それ。あたしはどうしたらいいの……?
呆然としたまま立ちすくんだあたしはそのまま、マサキの姿が見えなくなるまで見送ってしまった。
「――か、かえ……ろ……」
数分後、ようやく我に返って自転車をこぎ出す。
明日のことは明日考えよう。うん。わけわかんない。
* * *
「どんな感じ? 学校は」
夕食の席に着くと、母さんが尋ねる。
本当は、あたしが帰って来てからずっと、その台詞を言いたくてうずうずしていたのを知ってる。
でもあたしはひとりで今日の出来事を反芻したかったから、ただいまの挨拶もそこそこに、部屋にこもっていた。
「ん~……まだよくわかんない。担任は男の人だったよ。現国担当なんだって」
まだよくわからないのは嘘じゃない。よくわからないどころか、最後の最後で混乱するような出来事が起きてしまったし。
母さんはあたしの答えに不満そうだったけど、それ以上は訊いて来なかった。
ふぅん、と返事をしてお味噌汁のお椀を並べる。
そもそも入学式とHRだけなんだから、どうもこうもないわけで。そんなに気になるんなら、入学式に来てくれればよかったのに。
あたしは、普通の一般的な中学生がするような遊びも、彼女たちが読むような雑誌も、彼女たちが観るような流行りの番組も音楽も――当然のことながら漫画などもすべて禁止され、何も与えられないまま育った。
何故なら、母さんは多分そういった流行りの物が好きじゃなかったから。
そして、例え世の中では『白』ということでも、母さんが気に入らなければ母さんにとっては『黒』になるから。
あれが欲しい、これがしたいと望んでも、母さんが『駄目よ』と言ったらそれで終わり。それがうちのルールだった。
それでも諦められずに話を蒸し返したりすると、途端に不機嫌になって余計に頑なな態度を取られてしまう。だからあたしは、どれだけ理不尽だと思っていても諦めるしかなかった。
高校への進学の時だってそうだった。
あたしは、列車で三時間掛かる街にある高校に行きたかった。そこにはあたしが初めて見つけた『夢』の入り口があったから。
レベルはかなり高かったし楽勝とは言えないけど、どうにか推薦を受けられることがわかり、担任の先生も応援してくれた。
夢がようやく叶うことへの期待で、当時のあたしは有頂天になっていた。
もっというと、元々集団行動が苦手なあたしが「下宿生活でも寮生活でもなんでも来い!」という決心までつけていた。
そのために科目ごとのアンバランスな成績を見直し、苦手科目の点数を引き上げるべく苦しみながらも集中して勉強を進めた。
アンバランスといって想像するのは、適度な山脈を描くような折れ線グラフなどだと思う。でもあたしのアンバランスはそれどころではなく――例えるなら、山脈の中に突如としてエベレストとマリアナ海溝が現れるという具合だった。
そんな状態でも先生は相談に乗ってくれたし、そのまま努力を続ければ、推薦入試で受かる確率をぐんと上げることができていたと思う。
でも受験の直前になって、状況が一変した。
「あそこは治安が悪いから、駄目よ」
母さんのたったひと言であっけなくすべてが白紙に戻り、あたしの夢は終わってしまった。ほんの数日前までは反対するような素振りもまったく見せていなかったのに。
突然の終末宣言。
それはまるで悪い魔女が唱える呪いの呪文。
あたしの世界のすべてを消してしまう。強力な絶望の呪いにも似ている言葉。
そして結局、地元で進学せざるを得なくなった。
家からなるべく遠くて、部活や学校行事が盛んで、できるだけ制服が可愛くて、それから――そんな学校を選んだのが、この時にできる精一杯の抵抗だった。
それでも母さんは「あそこはちょっと遠いのよね」と、渋い顔してたけど。
遠いといっても、ぎりぎり徒歩でも通える範囲の地元校なのにね。