#005 春の風 #03
「最後に、明日の持ち物を確認するからなぁ? 各自メモをするように」
一斉にカチャカチャとペン入れを探る音が響く。
あたしも我に返ってメモを取り、確認が無事に終わるとほっと一息ついた。
それから改めてマサキの方に視線を向けると――あら、また寝ている。いつの間に?
ちゃんとメモできたのかしら……
* * *
退屈なHRが終わり、嬉しそうな表情で一斉に帰り支度を始める。
そんなざわめきの中で担任がまだ何か大声出してるけど、喧騒にまぎれてしまって上手く聞き取れない。っていうか、みんなも聞いていない。
ナミはもうあたしには興味を持っていないようで、一瞥もなし。よかった。
取り巻きとはしゃぎながら我先にと教室を出て行く。続いて男子が数人追い掛ける。隣の席の男子もその中にいた。
「メシ食ったら集合なぁ」なんて声が廊下から聞こえて来る。
喫茶店かカラオケかわからないけど、同窓生同士で集まるような話が途切れ途切れに聞こえる。
多分彼らは中学の頃から仲が良かったんだろうな。こういう時にはやはり、自分は異邦人という気分になって来る。でも今のところ居心地は悪くない。
なるべく目立たないようにしていればトラブルも避けられそう。
いっそのこと、卒業後に「え? そんな人いたっけ?」って思われるくらい影が薄ければ気楽なんだけど。
「――さん。帰らないの?」
「……へ?」
声を掛けられているのが自分だと気付くのに、少し時間が掛かった。
というか、あたしが誰かに声を掛けられるとは思っていなかったので、少し驚いてしまった。
振り向くと、大人しそうな女子がたたずんでいる。
色白で少しそばかすの浮いた顔に、黒目がちで奥二重の眼。小さめの口はわずかに弧を描いている。
背中の中ほどまでの黒髪ストレート、細いフレームの眼鏡。その容姿も、きっちりと制服を着こなしているところも、ドラマに出て来る優等生タイプって感じ。
――明日のHRで、学級委員長とか書記とかに任命されそうな人だなぁ。
そんなことを見た目で勝手に想像している間、相手もあたしを静かに観察しているようだった。
「――町田さんって、おっとりしているのね」
彼女がようやく口に出した言葉は、何故か笑いを含んでいた。
えっと……この人はなんであたしに声を掛けたんだろう?
どうやらいつまでも帰らないのを気にしてくれたみたいだけど……おっとりしてるんじゃなくて、単に緊張が解けて疲れただけなのよね。
誰もいなくなるまで一休みしてから帰ろうかな、って思っていたんだけど。
曖昧な笑みを作りながら返事をする。
「あたし、人込みがあまり得意じゃなくて……ええっと」
「佐伯、みはる。みはるは、美しい晴れ、って書くの」
彼女は空中に文字を書きながら説明した。
そういえばそんな名前をさっきの時間に聞いたっけ。この人はどんなこと言ってたかなぁ。
「……ども、よろしく。佐伯さん」
「美晴でいいよ。さん、もいらない」
優等生な笑顔を崩さず、佐伯さん――美晴が言う。
うわぁ……こういうの、漫画やドラマだけじゃなくて、あたしの人生にもあるのね。なんかちょっと感動。
「町田さんは――」
「あ、じゃあ、あたしもさやかでいいよ」と美晴にこたえながら、嬉しくなって来た。
こんな普通のやりとりは久しぶりだったから、少し浮かれていたかも知れない。
「そ? じゃあ、さやかは……人ごみが不得手なんじゃなくて、多分人が苦手そうね?」
――はぁ? この人は急に何を言い出すの?
楽しくなりかけた気分をあっという間に潰された、というあたしの反応を見て、何故か美晴は満足げな表情を浮かべる。
「ふふ。いきなりでごめんね。でも、そんな風に見えたの。人に話し掛けられても聞こえないふりをしていたし、ナミちゃんのことも避けてる風だったから」
一瞬、視線を足元に落として美晴は続ける。
「あたし、つい他人を観察しちゃう癖があるんだよね」
「はぁ……」
にこにこする美晴に対して、あたしはかなり間抜けな顔をしていたと思う。
どう返事をしたらいいんだろう? 何を言いたいのかわからない……仲良くしたいのか、反応を見たいだけなのか。
「お前らさっきからうっせえよ……さっさと帰んねえと担任に目ぇつけられっぞ?」
突然、うなるような低い声が耳に飛び込んで来た。驚いてぴくりと反応してしまう。同時に美晴の笑いもぴたりと止まる。
声の主はマサキだった。いつの間にか、教室の中にはあたしたち三人だけになっていた。
――うわぁ……どうしよう。
先生に目をつけられるよりも、マサキに目をつけられる方が怖い気がする。
「ごめぇん、あたしらはもう帰るからぁ~。マサキ先輩は、カオリ先輩と待ち合わせですか~?」
あたしが何も反応できないでいたのに、美晴はマサキに向かって両手を合わせ、少し馴れ馴れしい口調で謝る。
マサキは『カオリ』という名前を聞いて不愉快そうな顔になった。
「お前あいつの知り合いかよ……知らねえよ。その名前をここで出すな」
多分彼女とかの名前だと思うけど、何故かますます不機嫌そうな反応。
――なんだろう? 待ち合わせするような相手なのに?
「はぁい」と、少しふざけた様子で返事をした美晴は、あたしに目配せをした。
早くここから退散しよう、というように。