#003 春の風 #01
――あぁ、とうとう始まっちゃった……
毎年の恒例とはいえ、ほんとに苦手な時間。何を話せばいいのかしら。
今更だけど、あたしって自分を表すための言葉を持っていないのかも……名前の他には何も思いつかない。
『あのお家のさやかちゃん』以外のあたしって、なんなんだろう。アピールポイントなんて別にない。アピール自体したくない。
無難に行くなら『趣味は読書です』? でもそんなのありきたり過ぎて。
一体何を『紹介』すればいいんだろう?
考えあぐねている間にも、自己紹介はどんどん進む。
* * *
あたしの家は、地元ではそれなりに『いいとこ』らしい。
つまりあたしは『いいとこのお嬢様』ってことになる。らしい。
だからといって、いわゆるお嬢様な習い事の定番であるお茶もお華も習ったことはないし、どこかで行儀見習いをしてたわけでもない。
それに『いいとこ』といってもあくまでも地元での話だし、子どもたちの世界にはまったく関係ない話だった。
なのに父さんも母さんも、世間体を無駄に気にする。
特に、母さんが。
あたしは『家』の付属物じゃない! あたしはあたしなの!
そう否定しても無駄だということは嫌というほど知っている。
「え、そうなんだ。じゃああのお家の……ふぅん」と、言葉を濁す人たち。毎年のように繰り返される『それ』。
『あのお家の』という理由で晒し者にされるのは、無視されるよりもずっとみじめだった。
気分によって嫉妬をつのらせたり、媚びたような笑顔ですり寄って来たり、思い通りにできないからと嫌がらせをしたり……それなら、最初から構わないでくれればいいのに。
「立派なお父さんよね」
「素敵なお母さんじゃない」
あたしの『家』を知る大人たちやその子どもたちは、そう言って羨む。
まだほんの小さな子どもの頃は、素直にそのまま受け止めていた。
でも月日が経つうちに――大きくなって、あたしが色んなことを理解できるようになるにつれて、嫌でも気付かされてしまった。
憧れとも嫉妬とも煩わしさとも判断がつかない視線で、彼らはあたしを見る。そして、心もち遠巻きにしてあたしと付き合うようになる、ということを。
「うちのパパがさ~、あたしにも医者になれって言うんだけど、あたしのアタマじゃ無理だしさ~」
ナミが甲高い声で自己紹介を始めると、同窓生らしい数人が声をたてて笑った。
「そうだよなー、野球しか脳がない俺と同じレベルだもんな」と、あたしの隣の男子も笑いながらナミを茶化す。
ふぅん。この人もナミの同窓なのね。
もっとも、彼らが通っていたのはここから一番近いところにある中学校だから、同窓生も自然と多くなるのだろうけど。
教室のどこかからため息も聞こえるけど、ナミ本人はそんなのお構いなしだった。多分ため息はさっきの文系くん辺りのものなんだろうな。
小さい頃の印象と変わらず、当時よりもっとお喋りに主張して自己紹介を済ませたナミは、満足げな表情で席に着いた。
個人病院の次女であるナミは、昔から自分の立場を見せびらかすのが上手い。天性の才能もあるかも知れないけど、上に兄や姉がいるために長年培われて来たものなのだろう。
教室の中の雰囲気は、完全に彼女のホームグラウンドって感じになっている。
これは、下手なことをしたら、あたしの立場がものすごく危うくなるのかも知れない。なんかもう、出だしでつまづいちゃったような気がする。
あぁ……無事に過ごせますように。
* * *
何を話せばいいのか思いつかないまま、自己紹介はいつの間にかあたしの隣の男子まで進んでいた。
「――で、高校でも野球部に入部しようかと考えています」
ナミの同窓らしいこの男子は、サトシくんといって中学の時も野球をやっていたらしい。ナミや、他の同窓だったらしい生徒から「サットシ~」という小さな声援をもらい、苦笑しながら手を振り返している。
中学の部活は髪型も自由だったみたいだけど、高校の部活ではそうはいかなさそうよね……と思いながら、少し脱色してワックスでお洒落に立てている彼の頭を眺めてしまう。
きっとこの脱色も、春休みから入部までの短い期間限定なんだろうな。
「はい、じゃあ次、え~、町田、町田さやか」
――あ、どうしよう……あたしの番になっちゃった。
小さく返事をして立ち上がると、みんなの視線が集中する。
ここで失敗すると今後にも影響が出るから――そう考えて、手のひらに汗がじわりと湧く。
深呼吸をひとつ。
「あの、町田さやかです。二中にいました。あの……あ、ここは制服がかわいいから、だから、ここに通おうと思いました。よろしくお願いします」
それだけ言うと、さっさとお辞儀をして座ってしまう。もうこれでいい。心臓がばくばくしている。
そうそう、かわいいよね~、という女子のざわめきが起きている。
良かった……可もなく不可もなし、ってところかしら。
あ、そうか……自己紹介なんて、実際は『自己』を紹介しなくても構わないのかも知れない。
ナミみたいなタイプならアピールしたがるんだろうけど、あたしの場合は興味を持たれない方が楽なんだもの。
「町田~……ん? ああ、そうか……」
担任がつぶやきながら出席簿にメモをしている。
あたしは思わず、すがるような眼差しを担任に向けた。