#015 プラネタリウム #02
部室の暗がりに徐々に目が慣れて来た頃。突然、眩しい午後の陽射しと喧騒とを背負って誰かが部室に飛び込んで来た。
「悪ぃ、金山ぁ。俺、ここで待ち合わせてんだけど、ひょっとしてもう……」
――この声、マサキだ。っていうか眩しいっ。
「川口くん! 上映中ってプレート出てる時は開けちゃだめだって、いつも言ってんじゃない!」
あたしが眼をしぱしぱしている間に、前部長さんがぴしゃりと言い放つ。
部員の誰かがため息をついた。
「まぁまぁ、怒るとシワが増えますよ、っと――あぁ、来てんのな。それじゃあ俺は一休みしてるから、思う存分プラネタを始めてくださいな」
気に止める様子もなく、マサキはあたしたちを確認して一番後ろの席に着いた。
前部長さんも大袈裟なため息をつきながら、それでもマサキにお茶を出す用意を始める。
「えーと、じゃあ改めて――」
部長さんがあたしたちを見回しながら言う。
「後で活動の説明等をしますが、まずは雰囲気を知ってもらって、あとリラックスしてもらえるように――」
ブゥ――ン……という低いノイズが聞こえる。
「プラネタリウムを、始めますね。今日のテーマは、今夜見える予定の春の星座と、それにまつわる神話です」
カチッという音とともに、ドーム内に見事な星空が広がった。
「これは、実際には見ることのできない、今現在の星空です。空のこの辺りには、冬の代表的な星座のオリオンが――」
部長さんの説明を聞きながら、あたしは田舎で見た星空を思い出していた。
* * *
小さい頃から、長い休みになると、あたしたち兄弟は母方の祖母の家に預けられていた。
朝早い列車に乗せられ、二時間ほど揺られて向かうその行程は、幼いあたしにとってはちょっとした旅だった。
朝早くといっても冬ならばまだ真っ暗な時間帯。
寝ているところを起こされ、寝ぼけたままで着替えを終え夢うつつのままタクシーに乗り込む記憶は、『夜中に静かな道路を延々と走る』という夢にすり替わって今でも時々見ることがある。
列車に乗ってうとうとしているうちに周囲が明るくなる。
起きていれば朝焼けなどが見られたのかも知れないけど、当時のあたしは列車の心地よい揺れに合わせて眠ることの方が幸せだった。
祖母の家は小さな町の北の外れにあり、周囲には民家がほとんどなく畑ばかりだった。そのため、夜になると怖いくらいに美しい星空が堪能できる。
母さんが一緒に泊まったという記憶はほとんどない――その頃はまだ父さんの仕事を手伝っていたはずだから、子どもたちを預けてすぐ戻ってしまっていたのかも知れない。
祖父はあたしが生まれて間もなく亡くなったそうなので、祖母がひとりで、小さな子ども三人の面倒を見ていたということになる。
祖母の話では、あたしたちは手の掛からない子どもで、お手伝いもよくしてくれて助かった、ということだけど――多分お手伝いしていたのは長兄の春一兄さんだったんじゃないかしら。
あたしの記憶では、いつも今のソファでゴロゴロしているか、古い本を持ち出して読んでいるかの情景しか浮かばないもの。
祖母の家に泊まる時は夜更かしをねだり、でもひとりじゃ怖いからとわがままを言って祖母を巻き添えにしては、毎夜のように星空を眺めていた。
夏には天の川、織姫に彦星。冬にはオリオンと一緒に輝くシリウス――そしてたまに、夜の嵐の稲光。それから闇夜にふわふわと舞う雪華。
あたしが小学校に入学した時に祖母は、『お母さんには内緒だよ』と望遠鏡をプレゼントしてくれた。
もちろん家には持って帰らず、祖母の家でのみ楽しむための小さな秘密だった。
そんな特別な時間を過ごしていつの間にか星好き、天文好きになったあたしが進学を決める時も、地学の専攻コースがある学校を希望したのは、当然の成り行きだったかも知れない。
その夢は、母さんの『駄目よ』の一言で、あっけなく消えてしまったけれど。
* * *
プラネタリウムの上演が終わり、星空の余韻を味わいながら隣の美晴に目をやると、まだ夢見るような顔つきをしている。
部員たちの手によってカーテンが開けられ、金色の陽光が部室を染める。
「……あたし、天文にも所属しようかしら」
眩しそうに目を細めながら、美晴がつぶやいた。
うしかい座、かに座、しし座。北斗七星から伸びる『春の大曲線』の見つけ方――そして、おとめ座の神話。
部長さんの言葉は時々少しつっかえたけど、これだけの説明をすべて暗記しているのには素直に驚いた。
あたしも知っている話ではあるけど、説明はできないから。
――やる気なさそうだなんて、とんでもない誤解だった。ドームの準備も普段から練習していたみたいだし……さっきはごめんなさい。
あたしはそっと心の中で謝る。
「さー! 終わった終わった! んじゃ今度はこっちの用事なー」
余韻も何もあったもんじゃない様子のマサキが立ち上がった。
「ん~? まだだよ。これから年間の活動スケジュールの説明するから」と、部長さんがのんびり反論する。
「はぁ? そんなん、こっちには関係ねえから、な、さぁや。行くぞ」
そう言ってマサキはあたしの腕を掴んだ。
――え? ちょっと勝手に決めないでよっ。
このままマサキに連れて行かれたら、この時間が終わってしまうような錯覚に陥り、あたしは慌てた。