孤高の竜帝編 おわり
「なんですと! 魔法使いを教国に返還する!?」
そう小太りの重臣が驚愕の声をあげる。
「ああ。その通りだ」
皇帝が頷くと彼は開いた口がふさがらないと言った様子で続ける。
「し、しかし貴重な魔法使いの捕虜を……。情報が……」
「もう十分彼女から教えてもらったよ」
彼はなおも食い下がる。
「し、しかし我が軍がどれほど苦労して……」
「お前らが苦労して捕まえてきたわけではあるまい。予想しなかった裏切り者の手柄だ。……それすらも後悔してるのだ。裏切りを賞賛する様な行動を取ってしまった」
「……何を甘ったれたことを」
そう彼が小さく呟いたのが聞えた。
「確かに我が国は荒地だらけで資源にも乏しいかもしれない。それに時の流れで至高の地位から落ちることもあるだろう。だからこそ私は自分の愛する国に失って欲しくないものがある」
小太りの男は何を言い出すんだという顔をして首を傾げる。
「美しいものを感じる心と誰かが傷ついていたら悲しめる優しさだ」
皇帝は続ける。
「国民の全てが自分のことだけを考え、誰をも犠牲にしても良いと考えだしたらどうなる。いくら文明や文化が発達してもその時代に生きる人間は決して幸せにはなれまい」
彼はますますわからないと言った顔をする。
「余は今諸君らに選ばれ運良く皇帝の地位にいる。最高の地位にいるものが最高の徳を示さないでどうする。人は守られた記憶があるからまた人を守ろうとするのだ。今強い我らが今運悪く弱い位置にいる者を守ろうとしないでどうする」
皇帝はまだ唾を飛ばし話し続ける。
「これから争いが加速していく中で多くの人間がそんな心を失ってゆくのだろう。だが余はそんな人間が少なくなっても世界に認められなくなっても心を持った人間を支持できる皇帝でありたい」
彼は手を入れながら熱く語る。
「瞬間的な個人の利益を選んで楽に生きるより後世に伝えてくべき美しさや心を守って困難に生きたいのだ。そしてそれは余だけではなく我が国民にもそうであって欲しい。……だからこそ余は国民に信を示すためにも正義を貫かなければならないのだ!」
そう彼が言い終えると重臣たちの間から拍手喝采が巻き起こった。
小太りの男もその勢いに圧倒された様子でそれ以上何も追及しなかった。
私はと言えばただの論理のすり替えだと思った。
ただ勢いでごまかしただけだ。
だけどそれすらも私のためにやってくれたことだと思うと何も言えなかった。
月夜に荷物をまとめる。茶色の髪の召使も私の荷造りを手伝ってくれた。
「うう。せっかく仲良くなったのに。教国に帰っても私のことを忘れないでくださいね」
私は忘れないよと彼女の頭をぽんぽんと撫でた。
指定された場所に向かう。どうやって送り返してくれるんだろう?
皇帝がこの前のテラスで待っていた。
夜の星が散らばっている。
「遅かったな」
「うん。ちょっと名残り惜しい気持ちもあってね」
「そうか」
そう彼も笑う。
「わざわざ馬か何か手配してくれたの?」
「まさか」
まあそうだよね歩きで十分か。
「ヴァルディングス!」
そう彼が夜空に叫ぶ。
風が私の前髪を揺らした。
「月夜を竜で飛んだ経験は?」
私は微笑んで首を横に振る。
「良かった。じゃあ良い思い出になる」
そう彼は竜の首に足をかけて私に手を伸ばす。
私は喜んで彼の手を掴んだ。
竜は私と彼を乗せて簡単に空に上がっていく。
「俺から離れるなよ」
「……うん」
そう彼の背に身体を預けると竜はどんどんと空高い位置に上っていく。
やがて雲を突き抜けた。
月に照らされた雲海が広がっている。
冷たく静かな二人だけの世界。少し寒くなって余計に彼を強く抱きしめてしまう。
「なんか皇帝と会う時はいつも月夜だったね」
「そりゃそうだ太陽の昇ってる頃は政治で忙しかったからな」
私は彼の背に顔を当てたまま呟く。
「夜を私にくれたんだね」
彼は黙ったまま竜を操る。
「こんなに自由を感じたのは初めてだったよ」
「囚われの身だったのに?」
私は頷く。
「誰も偏見や決めつけで私を見なかったの」
私が息を吐くと白い息はすぐに横に流れた。
「こんなに歓迎されたのもはじめてだった」
私は眼を細めて続ける。
「上手く喜びを表現できなかったけどやっぱりみんなに受け入れてもらえるのって嬉しいんだね」
私は黒い髪をなびかせながら小さく笑ってみた。
「ほら私ってさ。今までいじめられたからさ。余計にさ……」
つづきの言葉を飲み込む。そうか彼も……。
「俺もそうだったよ」
彼は簡単に呟き笑う。
「ずっと孤独だった」
竜が加速した様に感じた。
慌ててまた彼に強くしがみつく。
「だけどお前と会えていくらか孤独が癒された。こんなにも一人の人間が大きな力を持ってるとはな」
彼は続ける。
「今まで悩んでたのが馬鹿みたいだったよ」
その言葉に自分が存在している価値を感じた。こんなちっぽけな私でも生きてて良かったのかななんて思える。
「……ありがと」
そう彼の肩に濡れた眼をおしつける。
冬の風の中にあってももう寒さは感じなかった。
彼は月夜が広がる草原に私を降ろす。
「ここからなら歩いて帰れるだろう。ベリューブックはすぐそこだ」
私は頷く。
「ありがとう皇帝。……ハンス」
そう彼を抱きしめる。
「あなたに会えて本当に良かった」
彼は顔を真っ赤にし逃げるようにして私の腕から抜け出す。
それから咳払いをする。
「……んっまあなんだ。帝国に残ればお前を皇后にしてやってもいいんだぞ。反対する人間は俺が黙らせる。詰まる所あいつらはこの戦争に勝てば納得するんだからな。……お前のためならどんな苦労も惜しくはないんだ」
その言葉だけで嬉しかった。
「本当にありがとう。だけど私は最初に愛した人を愛したいんだ。ずっとこの気持ちを貫いていきたい」
彼は呆れた様に溜め息を吐く。
「馬鹿なやつだ。金より地位より愛か」
彼はまた竜に乗る。ヴァルディングスが翼を振るとまた私の髪が揺れた。
思わず眼を細めて腕を顔の前にやってしまう。
「だけど俺はそんなお前が好きだぞ。お前に愛された男は果報者だな」
そう彼は笑う。
「帰るぞヴァルディングス!」
最後に彼は私に眼をやった。
「絶対に死ぬなよカーシャ。俺はいつまでもお前を待ってるからな」
私も頷く。彼が竜の首を足で叩くとその竜が空高く昇っていく。
その影が月夜に浮かんだ。竜と小さな男の影が何かの象徴のように月を背にしていた。
私はその姿が見えなくなるまで眺めていた。
やがて草原には静寂だけが残った。
「……さてと」
帰ろうかな。そう私は月夜の草原を独り歩き始める。




