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第八十九話

「臣下に不満がたまってるぞ」

そう軍師のウィルさんが分厚い羊皮紙を持ちながら緑竜の間にやってきた。

「そうか」


皇帝はどうでも良いといった感じで椅子に肘をつく。

「理由はわかってるようだな」

そう彼は鋭い瞳で皇帝を見据える。


「すまないが席を少し外してくれないか。あまりお前に聞かせたくない話だ」

そうウィルさんに言われて私は浴室へと続く部屋に入る。

ぱたんと扉が閉まる音がする。


「お前らしくないぞ」

すぐにウィルさんの声が響いた。

後ろ手で真鍮のドアノブを掴んだまま何故か私はそこから離れられない。


「歓迎式も捕虜の厚遇も良い。別に今までなかった話じゃないからな。重臣達もそういうお前の性格を理解してきた頃だろう」

だがと彼は語気を強める。


「だが度が過ぎるぞ。時間も質もだ。おまけに緑竜の間まで使わせた。臣下達の中には魔法使いが教国から送られてきた間者だと本気で信じている者もいるぞ。誘惑の魔法でも使えるんじゃないかってな」


「傾国を怖れてるってわけか。……別に緑竜の間も先代達が、愛人に使わせた数ある部屋の一つだろ。空いてる部屋に客人を置いて何が悪いんだ。現に男だって何人もここに置いたことがある。それに」


ウィルさんの怒った声が響く。

「言い訳もいい加減にしろ! ……昔のお前は何処にいった?」

彼は続ける。


「お前は誰も愛さなかったはずだ」

部屋に沈黙が広がっているようだった。

気配を隠そうとすると息が苦しい。


「皇帝になってもずっとそうだったろ。愛想よく笑っても簡単に人の気持ちを読み取れても本当は孤独なんだろ? それを失くす方法がわからないからぐだぐだいつまでも悩んでるんだろ。自分だけ不幸の王様みたいな顔して」


皇帝が椅子から立ち上がった音が聞えた。

ウィルさんに向かって歩いてるんだろうか。

靴音が止まる。それからねずみが死んだ時みたいな小さな声が聴こえた。


私が背にしてた壁が大きく震えた。

横を見るとぱらぱらと壁の埃も落ちている。

壁に誰かが投げられたのか押し付けられたのか。


「お前に俺の何がわかるんだ」

皇帝の声が近い。

「他人のくせに」


ウィルさんが喘ぐ声が聴こえる。喉元を締め付けられてるんだろうか。

「……俺は家族に愛されなかった。だから臣下の者やお前が言う暖かい家族ってやつがまるでわからない。愛がわからないんだよ」


彼は自嘲気味に笑う。

「俺にとっての家族は俺を傷つけるだけの存在でしかなかった。兄弟達に遊び半分で殺されかけたことなんてないだろ? スープに毒を入れられたことなんてないだろ」


彼の震えが壁から伝わってくる。

「父上も一度も俺を愛してくれなかった」

彼の嗚咽した声も聞こえてくる。


「俺を出産した時に母上が死んだからだ」


彼はきっと泣いてるんだ。

「そりゃそうだよな。最愛の女の命を奪ったのが俺なんだからな。父には俺を憎む正当性がある。だから俺が兄弟に殺されかけても黙認してたのかな。いやひょっとしたら指示を出してたのは父上かもな。あはは」


彼の悲しい笑い声が続く。

「ウィル。お前は無いだろ?」

皇帝の声が震える。


「『お前が生まれてこない方が良かった。』なんて実の家族から言われたこと」

私も思わず唇を噛んでしまった。


「……家族だからお前の最大の理解者だとは限らないだろ」

ウィルさんのか細い反抗の声が聞こえる。

「お前を一番愛してくれる人間とは限らないだろ」


彼の声がゆっくりと大きくなる。

「これからいくらでも見つけられるじゃないか。勝手に独りで、壁を作って可能性を狭めるな。俺はお前を信じてる。幸せになれる可能性があるって信じてる。だからもう自分を責めるのはやめろよ」


彼の声が響いた。

「お前がそんなに傷ついてしまったのはお前のせいじゃないよ」


その言葉に皇帝のすすり泣く声がつづいた。

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