第七十五話
「生まれきたことを後悔する程の苦しみが待ってるぞ」
そう小太りの男は口笛を鳴らしながらステッキを振る。
後悔ならもうしてるよ。
そう心の中で呟く。
「そうだ『樽』が良いな。皮膚が剥がれるほど虫と友達になれるぞ。私も職務に退屈してきたら見物に行こう。若い女が朽ちていくのはさぞかし絵になるだろうなあ」
「もう良いっ!」
そう広間の奥の方から高い声が響いた。
重臣たちが一斉にその声の方を向く。
力強い声だった。良く通る大きな声。
今まで強気に話してた小太りの男さえ表情を失っていた。
「お前らはぐだぐだ物騒なことばっかり話して。面倒だ。余が直接話してやる」
そう彼が玉座から降りてこちらに歩いてきたのか重臣たちが声の主を囲む。その人の群れで姿は全く見えなかった。
「おやめください」
「危険です」
「もったいのうございます」
邪魔だ、どけ、こら。なんて先程の声がその人ごみの中で響いてる。
それでも重臣の群れはどけようとしない。
その人の塊の中から彼のいらだった声がもれてくる。
「ああもう埒があかん。『ヴァルディングスッ!!』」
そう青い空にその大きな声が響いた。
太陽が無くなった。
そう思うほど急激に陽の光が失われたのだ。
耳を塞ぎたくなるほどの咆哮と供に上から強い風が降ってきた。
上から風が吹く? そう思いながらも辺りを見回す。
その圧力で姿勢を保てなくなる重臣や腰をぬかした様に尻餅をついて歯をがたがた鳴らしている者すらいる。
今まで中心にかたまっていた重臣たちが我を争う様にして端を求め逃げていく光景は異常なものに思えた。
私の前に鱗で覆われた巨大な足が落ちた。振動で私の身体が震えた。
その全体が見えた時私は思わず大きな口を開けてしまった。
「……これが竜?」
そう鈍色に青く輝く鱗を持つ竜は霧みたいな吐息を吐いている。
こんなのに人間が何百人かかってかも勝てるわけが無い。
そう思うほど巨大な竜だった。人間と違って細い楕円形の瞳が黄色い眼の中でぎょろついてる。
その巨大な竜は着地した後荒い息を吐き天に向かって咆哮する。
世界が滅びるんじゃないかと思うほどの咆哮だった。
誰もが耳に手を当てている。その振動で立ってられない者すらいた。
「やっと真っ直ぐ歩ける」
そんな咆哮の後ですら聞き取れる程澄んだ声だった。
その竜を背にして赤い絨毯を平然と歩いてくる人間がいた。
「初めてだな魔法使い。余がイヴォーク帝国13第皇帝ハンス・ルヴィア・クリストフ・アルカラ・デ・マクシマム・ヨーゼファ=ロートリンゲンだ」
私が黙っていると彼はこほんと咳払いをした。
「……そうか庶民には難しいか。だったらハンスで良い」
そう笑って握手を求める皇帝は栗毛のほんの小さな男の子だった。




