STAGE 2 「誘導」第四部
この物語には、残酷なシーンが含まれています。
床にべったりと腰をおろしていたフリックは、当に動かなくなって冷えきった筈の身体を恐る恐る触れてみた。冷たくなった手のひらが肩に直接触れる。
暖かい。
はっきりとそう感じられた。生きた皮膚が鼓動ともに小さく震えているのも分かる。それに続いて体を起してみた。
「くっ・・・・・・?」
すんなりと、それに苦も無く立ち上がることができた。身体の節目節目に繋がる筋肉の動きはきびきびしていて、思い通りに動くことが出来る。しびれも無ければ痛みもほとんど無いと言ってもよい。直に感じることはできないが何かが身体の中からみなぎっている感じがしていた。
次にフリックは無意識に、片方の腕を水平に上げて指を閉じたり開いたりを繰り返しリズムを加えてしてみせた。なんとも滑らかに動いている様子が目に映る。すっかり錆びて動くことさえ困難になった機械仕掛けのアームが、新鮮な油をさしたことで再び本来の姿を取り戻したような活発で俊敏性のある動きをフリックに見せつけてくれた。
その合間に驚きの表情を浮かべながらフリックは、次にもう一方の腕で拳を作り、反対方面の背中側に位置する金属質の壁を力の限り殴りつけた。
ドシンとした重い感触だけを表に出しただけで、それに続く鈍い音が周りに響くことなかった。ゆっくりと拳を引き戻す。手の甲と、壁に接触したあたりの指は少し赤色に変色していたのが、この薄暗さでも分かった。それよりも、フリックの目を驚かせたのは壁の方だった。
拳を当てた部分の形がくっきりと残っていた。無理やりな感じではなく、はっきりとフリックの大きな拳がそこに映し出されていたのだ。
「・・・・・・・・・・」
おもむろに壁に掌を当て、硬さがどれくらいかを試みる。指触れる程度の感覚だけで判断できるはずがさらさらないが、ちょっとした力で傷一つ付くことのままならない特殊な材質の金属のようだと素人なフリックでも理解できた。手を引っ込めて、壁から遠ざかるとフリックの身体はぴたりと止まり何かを模索するように顔をしかめ、眼も細めた。
―またどこかの場所なのか?
はっきり言って何がどうなったかなど、自分自身で細かく説明しようが無かった。記憶の映像が入り乱れ、此処がまだ意識の中なのか過去なのか今なのかも彼自身ちゃんとした整理もされず、また分かってもいなかった。完全に手詰まりの状態になっていた。かといって今までの事を振り返ろうとしても彼にはできる筈もなかった。
ないからだ。この先もこの前も全てと言えるほど「無」になっていて、彼の頭にある記憶から一切なくなっていたからだ。そうでもなければ此処にいつまでも突っ立っているわけでもなく、途中のあの様子みたいに突然歩くの止めて、壁にもたれかかることもしなかった。
「・・・・・・・・・・・」
「俺が何をした・・・・・」
怒りなのか空しさなのか、そんなどうしようもない感情だけが、彼の頭の中で渦巻き混沌としていた。それでも切り替えることはできた。そこまで軟ではないと分かった自分にも少々の恐怖だけを起して。
このような状態で一番手っ取り早いのは出口を見つけることだ。原因はつかめないが結果は先に出てくる。だが、そう方法に躓くのが今の彼である。彼はその行動によって結果が見えることは理解できるが、それで今までの原因が見えてくることはまずないと考えていた。たとえ納得のいかない答えであっても知らぬままこの先を進む事は何故か好ましいとは思っていなかった。
しかしこのままここにずっといても、何の変化も起きないことも彼は分かっていた。最初に浮かんだ考えが結果を求めたのならそれに準ずる行動でもすればいいのだから。フリックの脚が動き始めた。
「またどこかの「誰か」さんかね・・・・・」と呟き、苦笑する。
おかしなモノに駆られて動いている訳じゃなく、単に自己の表現を正していないために周りの目と注目させようとする傾向じゃないかと考えたからだ。だとすれば、裸のまま歩くこともいきなり壁を殴る事もないからだ。
今度は壁に沿って歩くフリック。足の裏から伝わる金属の感触がガチガチに凍った湖の一面を感じさせる。そんなところ裸足で歩くはずもないが、温まった体には少し毒だった。
ヒヤリとした感触を一歩一歩進んでいくごとに感じながら、出口に進む。この方向で果たして間違っていないのかなどフリックは考えもしなかった。ただ頭に最初浮かんだ思いを動きに表しているだけだからだ。そのうち見つかるかこのまま行き止まりになるかのどちらかで迷う必要も無かった。
さっきから室内の景色は一変のかけらも変わることは無かった。ある感覚ごとに一直線に並んだ透明状の柱。それに平行して壁の中から暗い向こう側まで伸びている単一色のコードやパイプ。柱が見えてくればコード類をまたがり、進む。また見えてきたらまたぎ、進む。時間も分からないフリックはこの動作は幾度どなく繰り返した。
「今・・・・・・・・何本目だ・・・・・?」
最初の内フリックは律儀に柱の数を数えその距離を測っていた。だが、流石に3桁を超えてしまうと距離感など関係なしにちょっとした気持ちの反れが一気に記憶の糸をつかめなくなり、さっきまで通った道の半分ほどで数が詰まってしまった。それでもこの室内がどのような構造になっていることだけは何となく掴めたと思った。
「さっきから柱の立ち位置が徐々にずれているということは・・・・」
この空間が壁に沿って左側に緩いカーブを描いている事がわかった。それも極々わずかに限りないほど。
「どうやら、相当大きな建造物なんだろうな・・・・此処は」
今ここの位置が内側にあるか、それとも一番外側にあるかまではいくら彼でも把握しようがなかった。ただしこのまま進んでいったとしても、いずれは元の場所にたどり着くまでに出入り口の一つくらい見つけられる。といった感じになることも承知の上だった。いつまでも暗い視野ではない。柱の中で浸る液状の発光体と、暗闇での眼の慣れが来れば、此処から出られる時期もそう遠くなかった。
窓も無ければ格子も設けられていない殺伐とした壁に手と当てて続けていると、壁の内側と外側のはざまを示す僅かな境界線の垂直線上に、黄色い一筋の光が見受けられた。細く延びた一閃光は、近づいてもその形を変えず、彼がそこに来るまで何事も無く迎えた。これは僅かな隙だけがこの光のさしこむ場所を与えているだけにすぎなかった。
その根元に辿り着くフリック。彼の眼には壁の材質とたいして変わらないの金属製の細長い扉が、中途半端な閉め位置に佇んで見えた。枠もなく、大した彩色も施されていない質素な扉には、ノブもなければ指を入れる程度のへこみない。自動ドアであるように見えるが、彼がその付近にいても何の反応も示さないでいるのでは、そのドアに十分な動力源が与えられていない事が目で見ても分かることだった。
「錆びては無いだろうな・・・・・」
フリックはそう口に出し両腕を扉と壁の隙間に近づかせ、指を入れた。ここになっていきなり閉まりだすといったことがないだろうかと少し考えたが彼の心配は無駄だった。扉はピクリとも動くことなく、そしてフリックの手の動く方向によってすんなりと開かれたからだ。
滑らかに横へ移動していき、壁と壁の隙間に設けられている収納場所に静かに収まる。先ほどとは打って変わった明るい景色がそこに広がっていた。
「廊下か・・・・・・・・・?」
フリックがそう思っても仕方なかった。均等に割り当てられた天井の照明器具が司会で左から右に横切っていたからだ。だがそれは外郭の照明のことだけで、フリックはその奥を見るまでここがとてつもなく広い空間だと気づいていなかった。その空間の中央付近に向かうほど天井は高くなり同時に照明も大きく、また上へ上へと設置されていた。天井の中心には円状の段差があり、その差幅に縁に沿って丸いガラスの板がはめ込まれている。
「観覧席とは違うな・・・・・、小さすぎる。装飾品の類か?」
フリックはそれを中へ中へと歩きながら注意深く見ていた。その為か正面に立つ人物に呼び止められるまで自分以外そこに人がいたこを全く気づかなかった。
「お早う御座います」
一瞬彼の動きが止まる。
軽くも無く重くの無いきりりとしてとても澄んだ声。その空間の雰囲気を一瞬にして変えてしまうハキハキした言葉が、フリックの視界を瞬時に変えさせた。彼の眼に移った者はここで最初に出会った自分とおなじ「生きているモノ」だった。
「ご気分はいかがでしょうか?」
フリックの眼に映る、自分と同じ形をした生き「モノ」はまたものを喋った。凛と整った顔立ちにきっちりと後ろに縛った白く長い髪。眼の形は横に細長く、微小で無数の細かな光を瞳に輝かせていた。
口元はくっきりとしてやや潤いがあり、姿勢のほうはまるで胴体の背中側を棒で括り付けた様にまっすぐな立ち振る舞いをしていた。服装もかなり整っている。
闇に溶かし込んだような黒い織物が、首から手首・足首にかけてすっぽりと覆い隠していた。繋ぎ目の無く、偏ったしわも無い。程よいふくらみが首元から腰辺りまで出ている以外スラリとした生地の上を照明の光が反射させて流れていた。年齢は、背格好や雰囲気からしてあまり幼い感じではない。
白と黒の対照的な印象を放つヒトが女である事が一目で分かるものだった。子は付く程度の低い年齢でもなくむしろ青年期といった若い世代にちかしい感じが取れた。
しかしそんな中、フリックはその対象を目に捕らえた途端、新たな興奮を覚えていた。否それが異性であることへの真理状態でなく、彼は自分と同等の形と存在をもったモノに会えることでの特殊な高揚感に満ちていた。
しゃべる女を目に捕らえたまま、自分はおかしくなったとフリックは今になって自覚した。暗闇が、孤独感が彼を蝕んだか侵食したかを見出せることはまずないだろう。それより、いまだにフリックが裸のまま彼女の眼の前にいることに彼自身言われるまで気づいても無かった。
「主がお待ちしております・・・・・」
「あるじ?」
「そのため正装の程準備をお願いします。ご用意はあちら済ませるよう用意いたしました」
淡々と語る彼女の様子に押されたようで、フリックは主の正体も聞けずその用意された方へと歩いた。
口元が動くたびにきめ細やかな発声が彼女の口から洩れるのに気がふれたのか。フリックはそれを半ば意識の薄れた時に聞いたような感じになった。再び気がつけば、あの変わった興奮も動向もいつの間にか消えている。どうやらまた、「誰か」さんの仕業らしい。今そう解釈するしかなかった。
「君の、名前は?」
彼女言った「正装」を手に取り、眼に留めながらフリックは軽い気持ちで尋ねた。だけど彼女は何も言わず、先程までフリックがいた場所に視線を向けたまま黙ってその姿勢でいた。
次に進むまで会話はなしか。やれやれといった表情で上着らしきものを見つけ、他を元のあった地べたに全部下ろした。フリックは上着を広げ不思議そうな顔を浮かべた。
「なんだこれは?」と思わず呟く。
白色のシャツに簡素なフリルをつけたものと言ってもよかろう。よく分からないが中世を思い出させるようなデザインが全体に施されていた。けれどボタンも無く、これまた服の前後に目立つような縫い目すら見当たらなかった。彼女と変わらない材質と取っていいのかもわからない、そんな謎に満ちたの上服だ。
「これ、どうやって着ればいいんだい?」
今度は素直に答えてくれた。
「難しいことは一度も申し上げてございません。そのまま皮膚に密着させれば、お召ししたことになります・・・・・・」
「お召しねぇ・・・・・・・・・」
きつい返答がフリックの耳に残る。
どうやら、正しい(?)質問でないと答えてくれそういないことを彼は理解しながら、彼女言ったとおり半信半疑のまま身体に生地を張り合わせてみた。肌触りのよさそうな感触をしたと思いきや、手に持った服が音も無く形を崩し液体状となってフリックの上半身を包み込んだ。
「うおっ・・・・・・!!?」
「害はございません。そのまま焦らず・・・・・」
そんな忠告を聞ける余地を彼には欲しいくらいだった。
あまりにも不可思議な現象に目を丸くする暇の余裕すらなく、驚いた拍子にまた尻もちをつく。その間にアメーバのように“異常”な服はフリックの身体にまとわりつきするすると滑るそうに上半身にぴたりと張り付いた。これをお召ししたことになったといわんばかりの強引な着方である。ほとんどのその動向は彼の反応であるのは言うまでも無かった。
「なんとまあ・・・・・」
「ですから、問題は無いと・・・・」
「最初に言ってくれないかな。そう言う事」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
気まぐれにもほどはある。といった表情が少し彼女に現れたかなとフリックは少し思った。何も変わってはいなかったが、彼もそれを見ていなかった。
とはいっても、驚きの一言で済ますのはもったいないほどの体験であったに違いない。それもまだ続くことを今の衝撃でフリックの頭からはすっかり飛んでいた。それでも仕方なくたたまれた全てを身体に纏わり付かせ何とか事なきを得た。
男性用に仕立て上げたものだろう。スーツに近い服装だと思うがあまりにもラフな空気になるのは何故だろう。ここの空気のせいだろうか。フリックはそんな事を少し思ったりもしてみた。
「えらい大変なモノを用意したね・・・・・。君が身に付けている“それも”、これと同じなのか?」
フリックは手触りで生地表面を確かめながら今度は彼女の方を見てさりげなく聞いた。先程起きたことをまるで感じさせないなめらかな着心地をしていることに驚きながら少し経っても何も答えが選ってこないことにや半ば諦めを見せていた。
だが、
「今はまだお話しすることはできません・・・・」
と聞こえた時、フリックの手が止まった。会話が続いたことに驚いたわけではない。「今は」ということは、彼女以外「誰か」がここいること彼は解釈したからだ。あまりにも跳躍しすぎた思惑にしか今は見えない。結局どれもこれも分かるのはここじゃないということだろう。
「その『あるじ』に逢えば、分かる事かい?」
「それも私の口から申し上げることはできません」
「そう・・・・・・・・・」
規律でもあるのだろう。フリックは深く注視することをやめて、次に進むことにした。
「準備がすんだら、今度はどうする気だ?」
「こちらへ・・・・・」
彼女が指示した場所は、フリックが出てきた扉とは反対側の方面だった。だがそこには出口どころか仕切りさえ何も無いまっさらな場所を示している。
「またおかしなものか・・・・」ウンザリするフリック。
「どうぞ・・・・・・」
そんな感情変化もつゆ知らず、着々と動く彼の案内役。
彼女が先に行きフリックがその案内について行くといった形となった。決して多く語らず最低限必要な会話で事を負わせたい様子の彼女の後姿を見ながら、その姿勢に黙って従うしかないと妥協を許すこととなった。
「少し、お下がりください・・・・・」
「あ・・・・。え?」
再び天井の高さが低い場所まで来ると彼女は突然立ち止まり、フリックに手を突き出して止まれの合図をした。鼻先が指にあたるぐらい近くに寄っていてフリックは思わず顔をしかめる。彼女の指先からキツイ臭いがしたからだ。
それでもフリックの視線は目の前の壁に向けられた。一体何の異臭かを確認する間も惜しく、どんな仕掛けを見せてくれるのか少しばかり気にかかっていたからだ。
「何も起こらない・・・・・・」と思っていたら。
彼女の足元一帯が赤く点滅した。その途端、めり込むように彼女の身体ごと床が下に下がっていくではないか。ちょうど底なし沼に飲み込まれていくような光景に、フリックは目を見張った。
「おお・・・・・・・・・・・」
この服と同じものじゃないかと彼はそう思いもした。
「私の後に続いてこちらに赴いてください」
下へ下へと沈みながら、彼女は消え入る声でそうフリックを示唆した。とうとう体全体がすっぽりと沈んでしまい、底無し沼に近い状態だった床は前と変わらない形へと急激に上がって元に戻った。
「罠ではないな・・・・・・・」
服と同じ襲われ方と思えばいいだろう。フリックは軽い気持ちでその床に足を乗せた。するとさっきと同じように床の感触が生々しくなった。「うわっ・・・」と口に出したが最後。急に引くずられていった。抵抗する体制も機会も無いまま、ずるずると飲まれるようにフリックの身体はとうとう上半身までとなった。
とその時、フリックはあることを想い出す。
―息継ぎは必要なのか?
息止めであるの指摘を自ら受けぬまま、その瞬間頭まで一気に飲み込まれた。叫び声を一言も上げずに。あたりは再び無数の光と静寂に包まれることになった。
いきなり視界が開けて目の前がちかちかと光った。
どろりとした床に流された揚句、底が抜けたようにグパッと天井が開き、裸から服を着せられた大男が上から降ってきた。
着地がたやすいことは無く、5メートル近くの高さから一気に落ちて今宵三度目の尻餅に。無常なほどの痛みをこらえるすべも無く、飛び上るようにフリックは痛みをこらえた。不幸の連続として締めくくればこんな単純な言葉は他を当たっても見つかりはしないだろう。
「ふざけるなよ。次は一体何なんだっ・・・・・・!!」
ぶつけようのない怒りとなよく言ったものだ。半ば涙声に近い状態のフリックは先ほどとはがらりと変わった景色に少しやけくそになっていた。白い景色からから一変してまた黒く濁った場所に戻った。またあの場所じゃないだろうな?そう思ったりもしたが、どうやら彼がそう取るのは間違いらしい。
あの空間とは違う何かが、此処には流れていた。
簡単なものから上げていけば、まずはこの匂いだ。まさに「異臭」の一言に尽きる。香水やお香、その他多種類の染料剤を混ぜ合わせたものや植物のエキスや種子から取り出してあぶったようなさまざまな臭いと重苦しい空気の流れがこの空間全体に広がっていた。
かなり変わった言い方をすれば、麻薬や媚薬をまき散らした感じを彼は受けていたに違いない。ともかく異臭が充満していた。
それにここの照明も怪しいものだった。薄暗くどことなく陰鬱で、とにかく生気が全く感じられない。地獄と言ってもいいほどのムードを誇っていた。
「なんだありゃ・・・・・・・」
次ぐぎにフリックの目に飛び込んできたものはこの空間の奥にひっそりと積み築かれた、無数の白骨だった。それもある種類の骨を集めたわけではなく、いろいろなパーツを縦横無尽に積み上げた感じであった。それも全て人間の骨格によく似たものばかりだった。
ここになって、フリックはピンと閃く。そうだ、墓場だ。それは納得がいった。この匂いも光の照り具合も、あの骨の山も、死者の寝床だと断言すればすべてが丸くおさまった。それなら、この流れている重い感じのメロディも鎮魂歌ととれば、万時解決した様なものだ。
フリックは意外なほど単純に答えを出した。そして、その回答も意外に早く帰って来た。山積みにされている白骨の群れの隣で静かに聞こえてきた。
「御名答。一つも間違っていない、完璧な答えだ。フリック・・・・」
しわがれた男の声だった。ゆっくりとフリックに近づいてくる。
フリックは目をやった。その男の風貌はまさに墓守をしている風格を漂わせていた。紺色の傘帽子をかぶり、ボロボロに薄汚れた半分だけのマントを肩に掛け、痩せた体が印象的だった。眼のふちには濃い隈が表れて、堀の深い顔を満足そうに見せていた。鼻だけはスラリとして顔の輪郭と不釣り合いだけいがいはそれほど影の濃い人物には見えなかった。
「リザ、有り難う。彼を良く此処まで連れてこれた。感謝しているよ・・・・・」
もう一度しわがれ声が静かに言った。ここでフリックは彼女の名前がリザだということを知った。振り返り、彼女を探すが、暗い視界でどこにいるのか判断できなかった。また返事も返ってこない以上此処にいないかもしれない。そうとらえたりもした。
「さて、フリック―」
「あんたがここのあるじか?」
フリックがしわがれ男の言葉をさえぎる。それが癇に障ったのか男は激しく咳き込み、今度は力強く言った。
「フリック・・・・・・・。人の話は最後まで聞くのが筋だ・・・・・・・・・。私を怒らせたくは無いだろう?」
「あんたが怒りをぶちまけようとも、生憎俺は何とも思わん・・・・・・」
俺はあんたに聞きたい事がありすぎてそんなに冷静になれない。と言わんばかりの剣幕である。フリックがはやし立てる様子を横目に、しわがれ男はあきれたように答えた。
「まあ、いい。いずれわかる・・・・。ふう・・・・。それよりフリック、此処が何処だか分かるか?」
「墓場じゃないのか?」
ぶっきらぼうにフリックは答えた。
「そうだな、墓場に見えるに越したことは無い。いい答えだ・・・・・」
一体何が言いたいんだこいつは。そんな顔を思わず浮かべた。そんなフリックの表情をちらりと見たあと、しわがれ男からの二つ目の質問が飛んだ。
「ではなぜここが墓場だと思う?」
「それは俺に聞く必要があるのか?」
「質問を質問で返すことは許されん、フリック。もっとましな答え方をしてくれ」
私を大いに喜ばせる答えを聞かせてくれ。男の眼がきらりと光り、まるでそう言っているようにフリックには感じられた。下手に逆らわないほうがいい。そう警告されているといった別の感覚ももったので、仕方なくこの男の言葉従うことにした。
「よく分からん。しいて言えばここ一体付近で残虐非道な事でも起きたんじゃいないか?」
「半分なっているな」
「半分?」
「そうだ、半分だ」
くすくすと笑うしわがれ男。
「確かに大昔に、いや・・・・、相当古い時代に一瞬にして滅んだ都市の末路がここにある。といったほうが正解だがね・・・・・」
今度はこの室内に弱く響きを起こす笑い声が飛び交った。笑いがこみあげてきて、つい我慢が出来なくなった状態と言えばいいだろうか。げらげらとしわがれ声が室内いっぱいに共振した。
「そりゃあんたが知っているから言えることだろ・・・・」そんな男の様子を見て呆れるフリック。
「それもそうだ。だが・・・・―」
ぴたりと笑いを止め、ゆっくりとフリックの顔を指でさし、続けた。
「あんたもその感覚ぐらいあっていんじゃないかい?」
「感覚?何のことだ?」
今度はしわがれ声がきょとんとした表情を見せた。けれどすぐに元に戻り再び顔を伏せてしまった。
「ああ、そのことは後で言うから必要ないな・・・・。そうだ、フリック。ここは誰が作ったと思う?」
「まさか目の前にいるあんたじゃないだろうな?」
「御名答。またまた素晴らしい答えだよ、フリック」
褒めちぎる所はとことん褒めて、貶すところは手加減無く陥れる。フリックに取って彼は、扱いの苦手なタイプだった。
「じゃあ、この服もあの奇妙なな床も、あのへんな部屋も全部か?」
「そうだな・・・・・。あまり質問されるのは好きじゃないが、お前は少し気にいったから答えるとするか・・・」
何を気持ちの悪いことを。フリックは悪寒を覚えた。
「ここはな、フリック。快楽と絶頂に溺れた末路を安らかにさせる唯一の場所だ。わかるか?」
「あまり聞きたくない場所だな」本当にそう思っていた。
「まあ、そう言うな。それでここにはちょっとした歴史もある」
「歴史?」
「そうさ・・・・・聞くかい?」
うれしそうに笑いだすしわがれ男。きれいに手入れを施した歯並びが見えた。
「いや、遠慮するよ」
「どうしてだ?」
とっさに男は聞き返した。
「あんたをよくは知らないうちに話を進めることはできない。第一、俺の名前は知っていて自分が名乗らないのは道理が外れている」
「だがな、―」
今度も男の返事を遮ってフリックは続けていった。「この答えにはのってもらう。でないと俺が話す事が出来なくなる」
その言葉を聞くとしわがれ男は取り乱すことなく。快く答えた。
「そうだな。まあ遅かれ早かれ知っても良い頃合だろ」
そう言って、しわがれ男は自分の名を二つの文字で答えた。
“シノ”と。
終わったよ、リザ。
どう、なりました?
私が思ったとおり、だいぶ頭をいじくられたらしいな・・・・
ぬかったな。私たちが知らない間に何者かがこの屋敷に入った形跡がある。
申し訳ありません。私の不注意でした。
リザはなに一つ悪くは無い。これも一つの答えだと思えば安ものさ。修正はいくらでもできるからね。
侵入者を追跡しても・・・・・
それは駄目だ。これ以上の失態があれば、どうなるかわかるだろ?
それに相手が悪い。
と、申しますと?
強化人・・・・、かも知れないねぇ。
・・・・・・・、シノ様。
ん?
何か、楽しむようなご様子に見えるのはおかしいでしょうか?
ああ・・・、楽しいさ。
え?
こうやって妨害やトラブルが出れば出るほど、たくさんのいろいろな答えが生まれてくる。
楽しくてしょうがないよ。
・・・・・・・。
でも、今夜は・・・・
?
目の前の獲物を楽しまなきゃ
あっ・・・・・・・。
―頭部に深く刺さっていた一本の指が、ゆっくりと抜かれた。血を噴き出し、ぽっかりと空いた丸い傷痕。ひくひくと震えて、留めない液体がゆっくりと床に滴り落ちていた。
国外編が終了しました。
次からは本編に入ってきます。