STAGE 4 「再会」第四部
この物語は過激な表現が含まれています。
コトギの拳がタイナの顔にまっすぐに向かって直撃する。軽く小突くだけでも数人程度簡単に吹き飛ばせる力もギリギリにセーブしたつもりだろうか。対した衝撃も鈍い音もせずに、タイナの身体は後方へ傾きなぎ倒され、痛みの反動を軽減していた。
あんな茶番ごとを見事やってのけた彼の怒りがこれだけならまだ済んだ。あの時、彼はこう言った。
―「それの遺産とやらに必死にしがみ付いているのは何処の馬鹿だ・・・。」
確かに、その時はそのことばかりを考えていた。
私たちニンゲンの全てはそこに集まりかけていた。
それを変える為に、私達の考えはの答えは彼が差し伸べたとても正しいメッセージだったはずだ。
それも今になって分かったのだ。
いや、分かってしまったのだった。
ただ、それに遅すぎた事がいけなかった。
本当に、遅すぎたことがいけないのでなく。
既にもう起こっている事がいけなかったのだ。
これも彼と私の存在の、人と強化人の成り立ちの違いなのだろうか・・・・。
「あなたの考えた通り、物事は進むわ・・・。コトギ。」
マダムはにこやかに笑って、コトギ向かって言った。
タイナの視界は急激に落ち続けていた。彼はその時何を思ったのか、必死に瞼を開き、視界を広げようと懸命にもがいていた。葛藤する脳内信号がアドレナリンを大量に分泌させ、全身をバーナーで熱するように暑く感じていた。
―な、何が・・・・・、一体・・・・。
瞼は何処までも強く開いている。完全に開ききっているはずなのに、全身は気だるそうに力が全く入らなくなり、それより外に抜けていく感じさえしていた。自分の体が少しずつ崩れていく、そんな見えない力で押された様に、タイナの身体は歪んだ。それもいとも簡単に、何の抵抗も出来ないまま。
「―あ・・・・・・・っ。」
顔が見えた。それはイツキの横顔だった。ぼやけた視界の中で唯一はっきり見えたのがそれだった。
それは簡単な合図だったのだろう。コモダはが不敵に笑う顔に、イツキの身体が勝手に反応した。調教と言うべき完成された躾。タイナ同様、イツキもコモダのような本来ヒトの姿から生まれたものではなかった。ここだけの話は無い。この世界の至るほどに、細々と生きるニンゲンの殆どは人工授精によってできた人ならざるヒトの姿。先人達の監視下によって生き繋ぐ命の灯火。それがニンゲンなのだ。
強化人という記録入れの道具。その強化人を使う無数のニンゲン達。そしてその形を制御した据え付けられた先人。生まれながら、呼吸を、栄養物を摂取し、体内の代謝を図り、促進し、いずれは捨てる。
そんな繰り返しを何の違和感もなく続いて行く中、ニンゲンは自ら先人の懐に入り、生活を手に入れた。先人によって崩壊してしまった世界の秩序は再び、先人の手によってあるべき形に戻されようとしている。
変化点の中心に立つ者にとってはそれは何の障害にもなっていないただ、普通の日常だ。それが外へ、内側から抜け出た綻びが、元来とする真の姿を観れる。見届けることができる。
変化は起きているのだ。そう、今まさに首から血を噴き出し、倒れたタイナの姿の様に。
「・・・・・・。」
イツキの目の前を横切るタイナの身体の先に、一閃の眼光が見えた。コトギの目だ。イツキは武者震いをした。これほどまでに仕事の達成感の充実が受けていない彼にとって、これは貴重な体験の筈だ。手の先にふれたタイナ首筋が、それを大胆に表現していた。
―柔らかいなぁ・・・。
ぐにゃり 。
―あの皮膚の弾力感が、
プツツ・・ 。
―綺麗に裂けた。
シュー・・ 。
一瞬の出来事の中でも、彼の頭の中では何十倍もの映像が生み出され、何回も繰り返し再生している。手に伝う彼の首元の鼓動、感触、温度。ほんの少しだけ力がかかれば、すんなりと手は彼の首元に入り込み、皮膚はイツキの手を待ちわびていたかのように優しく包み込んでくれた。進めば進むほど、避けていく皮の脆さ。まるで中を見せたくないように勝手に反応する血液は、いつもよりふんだんに多く出てくるように見えた。弾力のある皮は、これ以上イツキの手の介入もなく勝手に破れ、広がりを見せる。いずれこのまま手を差し込めば、もっと見たいところまで観れる。彼の好奇心は、血を流す首を見つめるほど大きくなっていった。
―でも、やめた。
残酷ではない。それに過激にもならなった。基は、自分とおなじ。ニンゲンなのだ。あいつ等とはやはり、違っている。
イツキは考えるのが止まると、さっと手を抜き、直ぐにコモダにために血路を開いた。ただ今回は勝手が違う事は十分理解していた。老人一人だけでなく、もう一つ追加にはいったのと、目の前の相手はコトギ。
考えただけで無駄。歴然なる力の配当に、イツキは歯ぎしりさえしそうな勢いだった。
だが、そんな悠長な一時でさえ、「あれ」は許してくれない。
コトギの身体は、半分宙を滑空状態のまま、コモダへ突進しだした。何の助走も予備の力さえ必要にならない便利な身体のお蔭で、彼女は何にでもできそうなモノのまま、今まで何物にも使わなかった。
だが、今回になって、今になって自分の身体が前に出ている事を、頭の隅なりに彼の疑問の障害として出ていた。
―なにが・・・・、おきた・・・・?
質問なのか。
自分に問うたものは身体の中を通って、帰ってくる。分からない・・・・と。
全てが一致した意見がはねっ帰りに来たとき、コトギの頭は空っぽになった。ただひたすら身体が前に進み、コモダを補足した眼が獲物を狙う獣眼に変貌を遂げているだけだった。コモダの顔が、表情がコトギの両眼に写り込む。でも、無駄だった。皆無に映らず、何も認識せず、ただ全身がすっぽりと包み込む様に進み続けていた。
端から近づく何かだけは、やや意識しながら。
―ドンッ!!
ヒュッ・・・・!!
短い音が鳴り、コトギの肢が急ブレーキをかける。それを見たコモダはさぞ驚いた表情を見せている。
「なぜだ・・・。」
自分の行動が崩されたイツキは、驚きの目を隠しきれないでいた。ハッタリとしては出来が良すぎるのだ。彼自身の中では認めたくなかった。
「私に手品を見せたかったのか?」
「なんで・・・、どうやって・・・?」
「ハハ・・・。どうやって・・・だと?」
どうしても理解できていないイツキを顔を見るたび、コトギからはほどく滑稽に見えたのだろう。いつの間にか今までの去勢も簡単に崩れ、イツキもコモダもマダムでさえ無防備にすら見えた。
「コモダ、どうしてここのメンバーはこうも使えないものばかり揃える。・・・・見ろ、あれを。」
コトギは呆れた顔浮かべ、後ろにうずくまったタイナの方を指でさして言った。
「あいつは部下に首を描き切られる有様で・・・。」
今度はコモダの左に立つイツキを指差し、
「こいつは自分の技に酔いしれて現抜かし・・・。」
そして自分を指し、
「当の御頭主は去勢頭等の人選ミスを得意として・・・。」
最後にコモダを指して、
「笑えない冗談しか言えない、古いヒト型だ・・・・。」
そう言い終えた後、コトギの頭がだらりと垂れ上がった。黒色の長髪がくねくねと変化を遂げ、優雅に地面に爛れた。そんな中でもコモダとマダムは更に下がり続ける。正確には本部の正面入口よりやや左寄りに直進している形になっている。コモダの視線からはちょうど真横に大きくくり抜かれた入口の半分の部位が見えている。
コモダが入口とコトギとイツキの二人の姿を目に留めている間、マダムは彼から言われた指定の位置に向かって駆け出していた。ここでは下手に動くより地をよく知る者に従っていた方が賢明だからだ。彼女はそれがよく分かって動いていた。それが彼女が今まで生きていた知力であり、備わった能力でもあるのだからだ。それだけ、今の世界のニンゲンは無知に生き続けて、生かされている。ただ無理に考えることも、余計な感情さえ添わなくていい彼等と違っている事を身に受けて感じかったのか、見てほしかったのか、誰もいないという場所にいながら、求めていたのだ。
―ちがう、そんな陳腐な理由でない・・・・。
認めたくない。そんな一心で動いている彼女の感情は、時として表にあらわする。しかし、今ここでは何も起こらずそのまますんだ。
それより今起こっている事がただ楽しくて仕方なかったからだ。
マダムの眼にはまた新たな変化と渇望がうごめきだしていた。
「あああああああッ!!!!!」
イツキは臆病風に吹かれた自分を叱咤するように叫びをあげ、コトギに突き進んだ。
「おお?」
コトギの顔がイツキの轟に合わして白い顔が黒い髪から浮き上がる。人形のような整った極め細やかな皮膚。それは人工物とは思えない。ついさっきまで、業火にさらされてた同じ外皮だとはみえないほど、綺麗に出来上がった一種の芸術といった作品のようだった。
目を見張るイツキとコトギ。そのどちらの眼球にも、二人の姿ははっきりと映し出されている。
激突する二人の姿。
やや、コトギの出方は遅いのか、落ち着いた様子でイツキを迎えようと、わざとのろのろを動いた。
「お前が、どれほど長く生きていようと。」
上をまとめあげ始めたコトギ。結ぶ物が無いので、片手でまとめたまま持ち続けているほどの余裕をもっている。
コトギはまだ笑っていた。
「お前が、どれだけ多く此処に居たとしても。」
「―無駄。」
髪を振り乱し、コトギの左脚はカウンターの要領でハイキックを繰り出す。だが、彼女の柔軟な脚力より早く動いたのはイツキの身体だった。ただイツキは一心に不動状態のコトギの軸足めがけ動きを見せ、こう言い放った。
「ほぅ・・・・。」
関心の目を見せるコトギ。その目にはまだ余裕すら残っている。
「今のあなたに、昔の私の様な容赦はしない・・・。分かっているでしょう。あなたは古い道具でしかない・・・・。」
言い終わる前より先に、イツキは失速することなくコトギの間合いに入り込み、その懐に素早い手刀を浴びせたのだ。
ヒュウと音と共に、気流の流れが彼の手の包み込む様に現れ、刃物で切ったような跡がコトギの右足、それも内股側に現れ勢いよく裂けた。
―ピッ・・・・。
コトギは驚いた。ただ正直に目を見開き驚いたのだ。
―これは、これは、またも・・・・。
―バガッ・・・・・。シュウゥウウウ・・・・・・。
コトギの身体のバランスは再び地面に向かって崩れだす。今度は意図的に倒されていくコトギの身体だ。右足は太腿の位置からバックリと裂け目を見せ、機械仕掛けの血の塊が勢いよく零れ落ちていった。裂け目は勢いを留まる事を知らず、徐々に広がり、それも外側だけでは治まらなかった。大腿骨を突き破り、神経を引きちぎり、ついには反対側から衝撃が飛び出す有様に変わった。
終わりを迎えない衝撃波はついにコトギの右手までも持っていこうとしていた。無論コトギははそれに気づかされていながら、どうしても抵抗はできなかった。当に脚の経つ方向は、思いもよらぬ場所に傾きかけ勢いよく身体の一部からかけ離れようとしていたのだ。とっさにそれを止めたかった右手が、今度はその置き土産によって、気持ちよく切り裂かれた。
―バシッ・・・・・。
まるでロケットパンチの様に、まっすぐ直線状に飛んでいく自分の右手をまじかで見ながら、コトギの顔は何故か「あらあら」とまるで言葉として出せない表情でずっとその様子を見届けていた。
今まで繋がっていた筈の玩具の人形の手が、軽く力を込めるだけで、引きちぎられた四肢を見て、「なんだ、この程度か。」と言わんばかりの顔を浮かべているのだ。
それは懐に今だ立ち止まっていたイツキの眼からも見えた。自分の横をバランスを崩され落ちていくコトギの顔が通った時だった。笑ってもいない、悲しんでも、怒っている訳でも、心が失ってもいなかった、もしくは狂っているのか。そんな感じでさえ受けとめながら、コトギを顔の変化を見ていた。
―ドサリ。
ボトボト・・・・。
―バッ・バッ・バッ・・・・。
右手が無造作に転がり、脚も同様に不器用なほどに地面に叩きつけられ、細かな血の点滅を地に汚した。引き話は噴き出す血飛沫が余計に生々しく見えて、イツキは目を伏せたかった。正直ヒトの形で作られたとはいえ、欠けた部位の断面など見たくは無いからだ。
それは、遠くにいるコモダも、そして、マダムも同じだと思いたい。イツキは何故か勝手に思いこみを作り、あえて後ろは振り向こうとはしなかった。
肉体の欠けたコトギの身体は大元は、何の抵抗もなく地面に崩れていた。硬い地面と砂利とともに砂まみれになり、かつてのコトギであった肉塊は黒く変色を遂げている。
それは強化人の死亡状態の信号のサインでもあった。
びくびくと痙攣を繰り返す肉塊の動きはまるで別の生物に置き換わった様に不気味で気持ちのいいものではない。
欠損部からは止まることなく体液や血が何やらごちゃごちゃに混じった液体が流れつづけ、彼女の肉体の周りを囲った。地面からいきなりわき出したような水たまりはシューシューと音が終わるころには、すべてを出し切った感じで、とても直視出来る光景ではない。
カラカラと鳴る腕からも、無理矢理に捻じ曲げた骨の中身が出ていた。無色透明のジェル状の何かは、おそらく強化人ならではの体液なのだろうか。血はニンゲンと同じように赤く作られている。どこまでも限りなく人に近い道具へと、そのコンセプトとが強く残り続けた影響だと、イツキは綺麗に光った血をの塊を横目にそう思った。
「・・・・・やった・・・か・・・。」
隣で倒れているコトギの肉塊は、再び活動を開始する動きも気配も見当たらない。まるで死体のように顔はうずくまり、ぴくりともしないままその場を佇んでいるだけだ。イツキは常に用心しながら静かに立ち上がり、後ずさりをする。
それでもやはり、動きは見当たらない。
本当に死んでしまったのか?イツキは信用できなかった。相手は強化人。仮も自分たちの様なひ弱な存在でもない強化された肉体をもった筈の彼女、コトギ。
それとも・・・。
「まさか・・・・な。」
それであってもある一つの仮定は、うすうすだがイツキの中で浮き上がっていたのだ。
「彼女の肉体だから・・・・か?コトギ。」
よく診て見ればそれは、本来のコトギの肉体ではない。コトギに向かって車ごと特攻したと思われる。コモダの従者の肉体の筈なのだ。だとすれば合点がつくと思ったイツキ。
失敗なのか、はたまた過ちなのか。今、コトギは死んだのだ。立ちかに自分の手によって。この手によってかかり、彼女は死を見たのだ。
「あなたも所詮・・・、ヒトの過ちから生まれてしまったものかも知れない・・・。」
「記憶欲しさに焦ったのか・・・。しかしそれだとしては、あまりにも軽率すぎる・・・。なぜ・・・・?」
イツキはそう言って、灰色の腕をちらりと見据えた。その特徴的な腕の色も、しっかり移っているという事は、それがコトギである証拠だ。
だが、何故あんなに急ぐ理由とは・・・・。
「一体・・・・―。」
「何故だろうなぁ・・・・?分かるわけあるまい。」
イツキの背筋が一気に凍りついた。身体の中を見えない手でなでまわされた感触と共に、透きとおった声が耳鳴りのように頭の中をガンガンと響き渡り、混乱を同時に生じさせてくる。それを促進させる頭痛に似た激痛と吐き気、まるで内側からせりあがってくる何かを反発させるように身体が反応している様だった。
「あ。あああ。ああああああ!!!」
身をもがき、苦しみだすイツキの姿は、コモダからも確認できた。
確認できながら、何かをする事はしなかった。微動だにしない。
「―ああああ!!!!」
「あはっ、苦しいのか。ニンゲンという物理構成は、随分といい加減だな。」
「なっ・・・・その声・・・・。コトギか?!」
「気付くのに随分と手間をかけさせてくれるな。」
「痛い・・・・、痛いああ。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い―。」
内側からせり上がる何かが、いつの間にか激痛に変わり始めていった。特別体中の穴というから穴から噴き出す感じだも無いこのどうしようもない逃れることも出来ない痛みは、コトギの仕業のだろうか?イツキには分からなかった。そして分かりたくなかった。今ここに倒れ、命を消したコトギは今どこに存在しているというのか。それすらつかめていないのだ。
「痛い?痛いと言えるレベルか、これが。」
「痛い!!、痛いんだ。頼む!!、やめてくれ!!、お願いだ!!!!」
「私は何もしていないが・・・。」
「えっ・・・。ならおかしい。おかしいじゃないか・・・・!!!!声がどうして・・・、どうして俺の中から聞こえてくるんだ!!!!」
ついには膝をつき、地面にうずくまるイツキ。彼の周りに漂う“コトギだった”液体のたまり場に身体が浸かっていてもどうでもいいような変化を次第に見せ始めた。
―痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い・・・・・。
長まりを予感させない、際限のない苦痛はイツキの全身を蝕み、中から食い破られるように心までもがボロボロになり出した。
目まいが起き始め、はっきりとした景観が認識できなくなる。視野がグルグルと回り始めれば、平衡感覚も失い、もうまともな姿勢でさえ再度立て直すことができなくなる。手足がしびれ、感覚が薄れ、力が抜けていく。何もできなくなり、このまま動けなくなってしまう。
―いやだ。いやだ、いやだ、いやだ。
例え強く拒み続けても一向に衰えを見せない恐怖が、イツキの精神を崩壊させた。蝕む元凶も、その姿さえも分からないまま、彼の心は空っぽの器になりはていた。
「あ・・・・ああ・・・・。あ・・・・・。」
「痛いのは嫌か・・・・?」
「い・・・・や・・・・・・・・・。」
「じゃあ、やめよう・・・。」
「あ・・・・・・え・・・・・・・・・?」
イツキの眼に焦点が戻り始め、意識がはっきりする中、今自分の身に何が起こっているのかが否でも分かってしまった。
両手はいつの間にか真っ赤に染め上がっている。まるで血を吸い尽くす妖刀の様に新鮮な血で染まっている。爪には何かの肉片がびっしりと詰まっており、それすらもついさっきむしり取ったような生暖かさが指先からジンワリと伝わっているのだ。視線はさらに下に向かい、胸が見えた。
これも真赤に染まっていた。外側からかけられたような痕でなく、自分の中身が出てきたような感触が心地よかった。
胸部を除けば綺麗な肋骨も見えた。白くないが、びっしりとこびり付いた肉を取ればその真価は容易に発揮できるはずだ。この形と言い、並び方と言い、大傑作といわれるほどの芸術ものだ。だが、肉を削ぎ取ってしまえばこれほど整った肋骨は二度と拝めなくなるのは残念だが・・・。
―あれ、何をしているんだっけ?
そうだった。痛い事が終わってようやく気持ちが落ち着いてきたんだ。悪い夢が終わった様に、もうあんなひどい思いもせずに済むんだ。
・・・・誰のお蔭だっけ?まあ、別にどうでもいいことだ・・・・。そう言えばアソウさんは・・・・。あ、俺が殺してしまったっけ。
何でアソウさんの事が出てきたんだろう・・・・?あの人を殺せる対象者だから、別に余計にな感情挿入もいらないのに、理解できていないのかな?
そうだ、次の指令が直ぐに届くはずだ。こうしてはいられない。・・・・・なんでこうしていたんだっけ?あ、そうか。アソウさんを殺すために・・・・。
え?あ、何で殺ったのかが問題か・・・・・・。いや、違うな。何でそうしないと・・・。違う違う、今はそういうことを言っているんじゃ・・・・。
だから、アソウさんは俺が殺して、俺は誰からかは分からないけど痛い思いをせずに済んで、それでアソウさんを殺して、それで・・・・・・・・・・。
「あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
自分の臓器がこれほどまでに感動し、興奮する事が他にあるっだろうか?いや、無い筈だ。イツキはうっとりとした表情で、その両眼を自分の心臓に釘づけをした。身体から引っ張り出された高価な塊。無理やり引き抜かれた動脈が激しく波打つ。素晴らしいほどに美しい。ほれぼれとする。
イツキの両手は染まっていた。
自分自身の血で。
イツキは躊躇なくかっさいた。
その両手でその胸を。
イツキは呆然と見惚れていた。
手に持つその自分の心臓を。
そして、それは迷いさえ感じせず、何の前触れもなく、何の抵抗もなく。
―グシャ・・・・・・。
引きちぎられ、両手の中で微塵も残らず潰された。
「え・・・・・?」
目の前にはコトギの姿が見えた。その時の従者の格好で、そして彼でなく、彼女になっていた。あの時姿のままだ。
「え・・・・・あ・・・・・・え・・・・・?」
イツキには信じられない様子に見える。それは当たり前だ。つい先刻の内、彼女を自分の手で殺め、命を奪い取った。そして、
「あッ。・・・・・俺の、・・・・・心臓・・・・。」
あわてて自分をまさぐり、あるべきものを確かめる。
心臓の鼓動は感じられた。
「生き・・・・・・て・・・・る・・・・・・・・?」
至って正常を保っていた。特に異常もない。そして、衣服の乱れも破れもなければ。身体に特徴的な外傷もなかった。勿論、最初から彼の身体には目立った傷すら付いていない。
座り込んだままでいると、コトギは口を開いた。
「少しは良くできたみたいだな。だが、手も足も出せないんでは話にならん・・・。」
「え・・・・・・・?」
顔を上げるイツキ。
そこには、まぎれもないコトギの姿があった。
「なぜ?」
「『なぜ?』だとおもう?探れ、ただのサルではないだろう?」
「サル」と変な言葉を用いてからかわれている事くらい、イツキにも分かっていた。
「何をしたんだ。こっちじゃさっぱりだ・・・。」
「おいおい・・・。こちらとやら一度殺されたんだがなぁ・・・。」
首を左右に振って呆れる様子を見せる。
こんなにもコトギというのは、人間的な動きをしていたのか?そう、今まで間、ずっと。長い年月の中で。
「殺された?じゃあ・・・・、あの出来事は・・・。」
「夢でも見たんだろう?」
特に必要のない単語を抜き差しする会話は、実に単純でそっけないものだ。だが、コトギはその単純こそ、楽しんでいた。
「いや、そうじゃない。コトギさん。あんた、俺に変な幻覚でも見せただろう?」
「そういう信憑性のかけらもないでっち上げで済ますのか?あり得ないな、それでは済まされないぞ。」
「だが実際に―」
「そう実際にタイナは殺されかけた。」
「え・・・・?」
驚きを隠さないイツキ。
やはりあれは本当に起きたことだと、イツキはそこで確信した。
「勿論、お前からな・・・・・。」
「アソウさんの首筋に・・・。」
「そうだ。お前の手刀が躊躇なく押し当てられた。」
「それで血があんなに・・・―」
「押しつけられた。ただそれだけだ。そこまでは何にも進展は無い。」
「え?」
「ふいに首を強打したタイナはそのまま気絶した。流石に不意打ちで首筋を思いっきりくらえば誰だってひとたまりもなかろう。お前の手の力だけではヒトのくびきれるレベルすら、生ぬるいぐらいだ。」
きっぱりと言い切ったコトギの言葉に、イツキは力なくその場にへたり込んだ。いったい何時から、そうコトギに質問してみても、分からないと答えただけで詳しく聞くに聞けなかった。
「でも、確かに・・・・・・。」
確かに実感はあったのだ。まるで自分ではないかのように・・・。自分では・・・・。
「自分ではないような感触ね・・・・。」
コトギがイツキの心を読み取ったような解釈をし、その場に座り込むイツキの真正面に立って視線を合わせる様にその場に腰かけた。
目線が合う二人。どこからが現実でどこまでが幻覚として隔離されていたのか分からないまま、イツキはコトギの眼の奥に映る自分の姿を見た。そうしてもう一度だけ、自分の胸に手を押し当てる。
心音は変わらず自分の体内で波打っている事がわかった。よかった、とほっと安心感を受け止めながらこれから話すコトギの言葉にじっと耳を傾けることにした。
「幻覚が何処から起きた状態が、私の能力で判断することは難しい。だが、あるいはお前の行動がどう変化したかによってその境界線を見据えることが可能になるんだ。つまり、お前の思い込んでいた時の記憶と今ここにいる記憶の差。いわば相違点だ。分かるな?」
こくりと頷くイツキの頭。その合図を受け止め、コトギは続けた。
「だとすれば、お前が今まいってきた不可解な言葉を継ぎ合わせていけば・・・・・・・・・・・・・・。ほぅ、おのずと見えてきたな・・・・。そんなに若い連中を相手にするのが楽しいのか?マダム。」
早く春が来てほしい。ここは取っても寒い場所なんで嫌になります。