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STAGE 3 「帰還」第四部

この物語には残酷な表現が含まれています。

 夕刻。三台の重車それぞれ連なり、来た道をまた戻って帰っていたここからは谷も山も渓谷でさえ見当たらない、殺風景と言わんばかりに似合う不毛の大地には、遠くに映る広大な「膜」の内側と、それに押された様にぼやけ映る赤い恒星が見える程度だ。

 ここには季節を感じさせる空気も、温度も、流れる風さえない。鉄の柱が幾十に連なって空を突き刺している景色も、草木がそこら中に生えている様子でも無く、また動物が群れをなして生息し、人が自由に横行する姿さえない。もう死滅した土地となった場所に「命」の形は見えなかった。

 自らの進化を絶頂期まで高めたかつての人類は、人の内部から生み出された人間の強化系を作るあまり、それから滅び始めた。まるで目的を失った道具の末期の様に、人々の生気は薄れ、人工は徐々に減少の一途をたどった。

 戦争や環境破壊が、彼らを直接死へと導いたわけではなかった。まして自らの限界を知ったわけでもない。そこまで、ヒトの能力は限界ピークに達してはいなかった。

 では何故、かつてのニンゲンはそれ自身の存在を消そうとしたのか?それが答えとして浮き彫りにされていない「失われた500年」だ。

 最初に現れた彼が言ったことだ。私の目の前にいる彼が、そう言っただけで今でも明かされてない真実がむき出しのまま放置されているのだ。


 時折大きな振動に体を揺らされながら、アソウは車内の隅で目をつぶりじっとしている強化人を見た。眠っているわけでも無く、何か深く考え込んでいるようにすら見えない。前にも「外」に出たとき、そうしていた。

 「コトギ」

 先程の爆発と、粉塵の最中で呼吸気管をやられてしまい、アソウは自分自身でも聞くに堪えないしゃがれ声で、コトギを呼んだ。

 「何だ・・・・・・」

 静かに肩を揺らして、応答するコトギ。顔を俯かせず、開かない瞼の奥は、アソウをじっと捉えている様だった。

 「目をつむる必要があるのか?」

 「・・・・・・・・。」

 再び口を閉ざしたかと思えば、直ぐに返事は返ってきた。

 「お前たちとは・・・・」

 だが、そこから先を続けることなく、コトギはまた黙り込んだ。まるで誰かに無理やり起こされて、寝起きの悪い子どもみたいな様子で。

 アソウもまた、次に何を言っていいのか分からなかった。もともと自分から話しかけたのだから、話を切るのも自分からしておきたい。でも、そこに当てはまる言葉は見つからず、アソウもまたコトギと同じようにいつの間にか口を閉ざしていた。

 「身体に異常はないのか・・・・?」

 「え・・・・・?」

 双方が沈黙してから幾分も経たずして、今度はコトギから会話が流れてきた。全く予想だにしないアソウは不意をつかれたような表情のまま、ただその一言だけで返した。

 「今振り返ってみたんだが、あの船の墜落は相当のダメージだった。」

 閉じた両岸の瞼を開いて、コトギは一度千切れた足に手を添えた。見た目はつながった様に思えるが、筋繊維や人工骨もまだ完全と言っていいほどお互いを結合していない。皮膚組織に関しては引っ張るだけでも、脆く崩れそうになっていた。

 そんなコトギの姿を見ながら、先程答え損ねた質問に応えた。

 「こっちはは大丈夫だったよ。むしろ、こんな状態で助かったのが奇跡なくらいだ」

 「奇跡ね・・・・。」

 言葉の使い方などいくらでもできる。今のニンゲン達は、覚えたての言葉上手く並べて、下手なようで上手く生きている。コトギはそう言いたげな顔を浮かべながら、少しだけ笑みを浮かべた。

 「なんだ。奇跡なんて単語を使うのがそんなに変に見えたか?」

 アソウは終始間のとれた会話にいれこませようと、コトギと言葉を交わすことにした。しかし、もい一人ここに同乗していた若者によって、それは止められることとなる。

 「―コトギ・・・。」

 戦術チームと同行し、「船」の墜落現場まで赴いたニンゲンの一人、イツキの声が間を大きく割って出た。ぴしりと引き締まったその一言一言が車内の雰囲気を一変させていた。それでもコトギは顔色一つも変えず、ましてイツキの方も見向きもしないまま、アソウに身体を向け、沈む様に座りなおしていた。先ほど上げた足首部分の、爆風や埃で汚くなったわけのわからない布地を足首に沿ってかぶせながら。

 イツキはそんなコトギの対応に、動揺すら微動だにせず、次の会話としての進行を進めた。

 「之から二・三点質問する事がある。意見の申し立ては受け付けない。強制的ということだ。」

 コトギは微動だにしない。そんな様子を横目にしながら、イツキは出発時に持参した使用のデータファイルを取り出す。今、組織内に汎用されているより一つ前のタイプだが、イツキにとってはこれが一番使いやすく、勝手がいい。ただ、今出回っているモノより一回り大きいのが少々のネックでもある。

 薄い琥珀色をした長方形のファイルをイツキは静かに開く。表紙と思われる表部分に手の平を触れると、所有者オーナーかの識別を行う光子が、掌の形に沿ってぼんやりと瞬く。黄色から青色に変化し、それが正しい持ち主であれば、琥珀色に染まる薄い一枚板が、さまざまな情報を空に分散させ、視覚化していく。

 その中からイツキは、小さく表示されたデータの集まりだけを抜き取り他の情報を元のファイルに誘導させた。指先に沿って滑らかに動くデータの塊り。フワフワと水中に漂うにして、静かに収まった。

 一つだけ残った塊をチョンとつつくと、ひとたび細かく震えた後、爆発するように球状に広がり、より詳しい情報をその場に展開していく。豆粒のようだった塊が、広がりを見せ始めてから、手のひらサイズまでになるまで一瞬で終わった。やがて文字が表面上にクッキリと表れ始めると、イツキは静かにそれを読み始めた。

 「まず今回の事故についてだが、現在反抗グループや反抗声明となる有力な情報を入手できていない。」

 「その可能性はかなり低いと思うが・・・。」

 アソウが口をはさむが、イツキは朗読を止めなかった。

 「そこでだ、コトギ。お前の持つ記録情報から、この事故に観点が一致する過去の調査、もしくは本部に保存された一部の記録から検索サーチすることにする。」

 「“記録”を?その為だけに?」

 再びアソウが口をはさむと、イツキの口元がぴたりと閉じられ、アソウを見た。

 「あなたの為でもあるんです、アソウさん。少し口を出さないでください。」

 ため息交じりで真面目にそう答えながら。

 「イツキ・・・」

 車内の隅にうずくまる黒い塊が、息を吹き返すようにイツキの名を呼んだ。

 「お前の上司がそれを知り得ていない事柄なら、さしずめ“あいつ”判断か?」

 「違う。私の独壇場での判断だ。」

 きっぱりとそう答える。それを聞いて、コトギは唸るような低い引き笑いを細かい感覚で起こした。

 「何がおかしい・・・・」

 笑いが鎮まる事も待たず、イツキは強化人に聞いた。アソウはイツキの言われた様に黙ったまま、何もしない。こう見てみると、イツキとアソウの上下関係がちぐはぐな感じにも見える。

 「可笑しい?なにがだ。俺が・・・・・。いや・・・、“わたし”はおかしいのか?」

 「何が・・・・・、言いたいんだ!!」

 あたかも馬鹿にしたような言われ方にイツキは怒りの感情をあらわにする。

 「黙れ、クソ餓鬼・・・・。」

 だが、コトギの一括にその勢いは空しく崩れ去った。恐怖、というまでには変わらないが、イツキは完全に以前の威勢も態度も微塵に表せない状態だ。決して抗えず、逆らう事も出来ない存在が、コトギの周りと取り囲み、表面に現れた。そんな中でもアソウはピクリとも動かず、イツキをじっと見ていた。彼は言葉が詰まったような顔をしていた。

 「笑わせるな、屑が。“いったいお前が何かを下した”のなら、わたしを動かせると思ってもいたのか?」

 「―・・・・・・・・っ!!」

 イツキは答えない。いや、答えられないのが正しいのだろう。コトギは動かなかった。動こうともしなかった。ただそこに座り、じっとイツキの両眼をとらえたまま、口だけが彼の唯一動く場所だった。

 静かな車内だった。とても静か過ぎて、まるで重車が走っていないような感覚だった。

 「ニンゲンはそうだ・・・。そうだった・・・。」

 コトギの圧力は増し続いていく。

 「人類の晩年となった“ある世紀”の初頭。人口、民族、宗教、紛争、環境、生態、食糧、経済、繁栄・・・・。無数に膨れ上がった膨大な問題の数々が、ついに限界を超えた時の事だ・・・・。」

 ―The first extermination―。渇望した人の未来を再起するために、全世界が持ち上がった壮大なプロジェクト。その中に、「細胞強化プログラム」が計画の一つに加えられていた。個人の持つそれぞれ違う個々の細胞。それを構成とする遺伝子の保存を行うために、人体の提供が行われた。

 人柱に近い扱いだが、自分の存在が未来に残せるものとして今を生き抜くよりもっともましな時代でもあるのだ。だが、条件もあった。残される遺伝子の選別である。ヒトゲノム解析、クローン技術など、生物の根源へと進んでいった遺伝子学は、その域をさらに底上げした。

 個人の持つ遺伝子の過去の情報、記憶がデータとして現れ、過去の歴史は大きく移り変わることになった。遺伝子配列の入れ替えにより、全く違う生命体の生成にも成功する事となった。それに沿って、より有能な遺伝子打だけを残す、「間引き」が横行し始めたのだ。

 ヒトの考えはいつまでも傲慢で自分勝手である。自分の有能な細胞を求め、闇に紛れた争いがさらに激化し、ついには日常的に戦争まがいの争奪戦が毎日のように繰り返された。また、無理に細胞を奪おうともせず、大量破壊兵器によって、自分を優位に立たせようと悪知恵を働かせる愚か者も動きを見せ始めた。

 「お前たちは結局、自分で自分の首を絞めて、絶滅の日を速めた・・・・。」

 「・・・・・。」

 イツキは初めて聞いた事ばかりの内容が頭を飛び交い、少々混乱を見せていた。自分達に先人がいたのは彼も知っていた。だが、その先のいきさつを誰も知らない。それを目の前にいる強化人は、圧力の変わらぬまま、疑問を解いていた。

 「“わたし”は、今のヒトが、前と同じようにしか見えない。何も・・・・・、変わってもいない。何もだ・・・・。」

 ゆくりと立ち上がるコトギ。そのままするりと前に前進し、イツキの前に立った。そして彼の肩に手を置くと、覗き込むようにイツキの顔を見据えた。

 「だから・・・、だから。わたしを“おかしくさせるな”。ニンゲン・・・・!!」

 声になってすらいない風の吹きぬけ様な感じだった。背筋が凍りつく。

 肩に乗せた手に力が入り、イツキは思わずこわばりを見せた途端、何かが割れるような音がした。その音の方へと目をやると、先程開いていたデータが、形を失くし、空中で四散していた。

 「あっ・・・・・。」

 思わず声が出る。

 視覚化されたデータの塊は、ファイル上なら、もし破壊されても修復は可能である。しかし一度空に出されたデータを元に戻すほど、これは精密に作られていない。塵のように飛び交う光る破片が、視界を少しずつ惑わせる中、コトギはまたゆっくりともといた場所に戻り始め、それに交差するように今度はアソウが動きを見せた。車内の上部に据え付けてある小型のハッチの取っ手に手を添えて、軽く押した。

 油圧式で稼働するハッチは切り切りと小さな音を立てて、外の空気と景色を中に取り込んでくる。ひょいっと開会にもを乗り出し、操縦席のハッチを手動で開けたアソウ。その目に飛び込んできたのは、空っぽのコクピットだった。

 「なんだ、いないのか・・・・。」

 コトギはああなってしまったのかは断定できないが、いつの間にか操縦者が二人とも姿を消していた。先ほど止まったように静かになったのはこの為だった。

 「どうだった?」

 アソウの後ろから、声が聞こえた。振り返ると、コトギが顔だけハッチから出していた。

 「あんたのおかげでひよ子がビビって逃げ出しやがったよ・・・・。」

 コクピットのハッチに身を入れながら、コトギに返した。あきれ顔のままハッチに入るアソウを確認し終えると、コトギも顔だけを中に戻し、ハッチを下ろした。正面から何かを引っ掛ける音がした後、他の二台から置いてけぼりを食らった重車は静かに前進し始め、目的地へと足を速め始めた。






 「起き上がれるかね?」

 目の前に見えるのは言葉にすらできないほどのに美しく整った顔立ちと、くっきりとした大きな二つ目。そしてその中に見える自分の姿。それはひどく惨めな姿に見えた。

 「あ・・・ああ・・・・。」

 目の焦点が揺らぐ。目の前の顔がぼやけ、自分の顔も見えなくなると思えば、またはっきりとしてくる。どうしても自分の思うようにいかない。

 「ふむ・・・。まだ自律神経に影響が残っているのかもしれん・・・。」

 ―何を訳の分からないことを・・・。

 口に出そうとしても、唇が動くどころか感覚もない。まるで元からなかったかのように。

 「言語障害も出始めたか・・・・。意識を失うのも・・・―」

 暗闇へ視界が染まる。

 喉が締め付けられたように焼ける。

 そこで何も聞こえなくなり、何も意識する事もなくなった。

 



 ―



 ―・・・。



 ―・・・・・・あ。



 ―ああ・・・・・あ・・・。



 「起き上がれるかい?」

 再び目の前に現れる気持ち悪いくらい綺麗な表情。はっきりとした眼元に形の良い両眼。その瞳には、酷く滑稽な顔が、鏡を見ているように映し出されていた。

 「・・・あ・・・・・。」

 恐る恐る声を出してみたが、大した問題もなくすんなりと出てきた。視界も崩れることもなく、しっかりと反応する。

 「先程の反応とはずいぶん違いが分かる。さあ、起き上がってくれ。」

 その言葉に従うように、両腕に力がこめられまず上体が起き上がる。覗き込むように見ていた顔もそれに合わせる様に引き下がり、その様子を観察していた。意識がはっきりとしないまま、次の言葉が耳に入る。

 「気分はどうかあるか?」

 「・・・・・。」

 「口があるのなら答えてくれ。」

 聞き覚えのない声に終始反応見せないことに、観察者は少し残念そうな顔をした。それは起き上がった者からは、見えることは無かったが、何かの反応はあった。

 覚えのない声だが、確かにどこかで聞いたような声。必死に頭の中を模索して、その答えを探すが、見つからないの何故か。首を回して声の方へ顔を向ける。真っ白な部屋の一部だけ、ぽっかりと黒い人物がそこにいた。

 「お前は・・・・・。」

 「何か思い出したか?」

 黒いヒトが直ぐに返してきた。

 「自分の名前が名乗れるか?」

 「・・・・ああ。フリック・・・・・だ。」

 するりと吐き出された様に口から出てきた。

 「結構、上々だ。」

 すろと黒い奴は笑みを浮かべ、振り返ると、どこかに向かおうとした。

 「待て。」

 フリックと自ら名乗るその大男は、自分の寝ていた腰ぐらいの高さの陶器の様な白い寝台を降りて、ずんずんと黒い方へと歩いた。呼び止められた方はその場から振り向きざまに飛んでくる豪快なパンチを軽くかわし、フリックを見ていた。

 「いきなりのパンチングは少々強引じゃないか?それでは女性にはもてないぞ。」

 「黙れ、クソ野郎。俺の身体に何をしやがった・・・・・?!」

 「覚醒して間もないの今までの事を思い出す程の回復力。やはり君には期待してよかったのかもな・・・・。」

 クックックッとどこや嫌な笑いを見せる黒いクソ野郎。フリックはその反応を見てさらに怒りの熱を上げた。

 「気味が悪いな。大体、あのしゃがれ声はどうした?」

 「しゃがれ声?」

 黒いビロードで半分身体を染めた小柄な男は、何のことか分からないような反応をした。

 「三文芝居は他でやってろ。」

 「別にミュージカルはやっていないがな・・・・。」

 「じゃあ、あの部屋は?」

 「部屋?」

 「あの薄気味悪い部屋の事だ。数え切れないほどのろうそくが立ち並んだ、気味の悪い部屋の事だ・・・・!!」

 目の前に立つ大男の奇妙な会話に、小男は少しだけ考えた。少々いじっただけでまともな会話できなくなったのか。そんな推測が出てくる中、フリックはずっとこちらを見ら見続けていた。どうもそれを見た限り、男から一つの答えが浮かんできた。

 「云わずと知れた、幻覚のことだ。」

 「そんな下らん言い訳―・・・」

 「言い訳とは失礼な。もともと君がいた場所はここだ。どこにも移動してはいない。何なら履歴を見せてあげようか?君がここ二十時間近くの記録を・・・。」

 男はそう言うと向かう方向を変えてフリックのちょうど正面にあたる壁に向かった。明るく照らされた部屋は床、壁、天井の境目さえも見分けも使いように白くあしらわされている。男はフリックに背を向けたまま、壁の方を見て何かをしている。フリックはそれを見ながら、それとは反対方向に移動しようとする。

 「勝手に動き回るのは感心しないな。それにここは私が認証しない限り何処からも出られないよ」

 後ろに目があるかのように、男はフリックの動きを何一つ見逃さない。振り返りもせず投げかけられたその言葉にフリックの足は止まった。

 「素晴らしい記憶能力だ、フリック。こっちに敵意の意思が目に見えて捕らえられるくらいだ。」

 「当たり前だ。今でもお前殺さんとするぐらい、落ち着かないからな・・・。」

 「だが―」

 壁に向かった男の動きがそこで止まり、振り返る。

 「そこですぐに手を出さない所は、自分の立場をよく理解している証拠でもある・・・・。それについては感心ものだ。」

 「最初の一発は入らないのか?」

 フリックは右手に拳を作り反対の掌にたたき込む様子を男に見せた。

 「あれは君流の“挨拶”なんだろ?」

 「ほざいてろ・・・。」

 今度は男の方へ向うフリック。ずしずしと大柄の身体の観察対象が目の前に迫る中、男は落ち着いた様子でこう言った。

 「まあ、例えば刃向う様な場合でもだ。」

 先程と同じく、振りかざされる拳。それは男の真正面から襲いかかり、

 「それは絶対に出来ない。」

 目の前でピタリと停止した。

 「―な・・・・・っ!!?」

 満身に近い力で目の前のしゃがれ野郎へと向かった自分の拳が、何の抵抗もなく微動だにし無くなった。さらに押し込もうと力を込め続けるが、それは数ミリでさえ前進しない。力が抜かれている訳ではないこの不思議さ。そんな表情しているフリックの様子を見て、男は半歩、後ろに下がって見せた。

 ―ゴンッ!!!

 材質の不明瞭な床面に、フリックの拳がいきなり落とされた。音も衝撃も、その周辺から広がりを見せず、拳の先にはヒビすら現れることは無かった。

 「さっき云った通りだろ?」

 前と同じく驚きの顔が消えないフリックに向かって、男はせせら笑うように繰り返しにそう付け足した。

 「どんな例外があろうとも、フリック。君には私を触る事すら出来ない。」

 「どういう意味だ・・・・?」

 ようやくフリックの口が開く。そして男は単純にこう答えた。

 「知っての通り、君は既に私の私物だからだ。」




 「私物・・・・。」

 「そう、私物。私の所有物だ。」

 繰り返される「私物」という単語。

 「バカな話だ・・・・。」

 「そう、バカみたいなことだね。」

 男は自分のしたことをバカと言いたかったのだろうが、そんな事が表立ってフリックに伝わる筈もない。

 「ふざけるのもいい加減にしろ・・・・。俺は人間だ・・・・・!!」

 「そこは大きな誤解になる。フリック、君は強化人だ。」

 「強化・・・・・、なんだと!?」

 理解できもしない単語を並べられて、フリックはまた混乱を引き起こすかと思った。が、それはすんなりと頭の中に入り込み、氷が溶けだすように少しずつ理解できた。

 「君の“中身”を見たのもそのためだ。覚醒して間の無い強化人は、通常の空間では常時耐えきれない面もある。いわば治療だよ。」

 これでも医者なんだ。そう言わんばかりに男は威張って言う。その態度が余計にフリックの機嫌を悪化させた。

 「勝手に俺をいじくりまわして、挙句の果てに私物扱いだと?その減らず口はいつなったら納まるんだ!!」

 「せっかく見つけた貴重な宝さ。そのままにしておくのは勿体無いからね・・・。」

 にやりと笑う男の顔。自分の願望の一つが叶って、上機嫌だ。

 「宝?またデマを吹いて俺の混乱でも誘うつもりか・・・?」

 フリックの疑いは明けることはない。本当なら手を下してまでも吐いてもらうつもりだが、どうやら奴に触れることすら出来ないのは本当だと分かってしまった。だから余計、言葉に誘導に頼るほかなかった。

 「本当のことなんだがなあ・・・・。」

 疑心暗鬼に包まれたフリックの様子を見ながら、男は呆れたように答える。

 「じゃあなんだ?俺が今まで見て来たあの―・・・」

 「あの二人組かい?」

 先手を取られた様な顔で硬直するフリック。そしてこれから出てくる男の言葉にも、彼の心情は落ち着くことは無かった。

 「それとも君を殺そうとし、逆に殺されたハンターたちか、目の前に広がった巨大な研究室ラボの事か、巨大なハリケーンか・・・・。どれのことかな?」

 「・・・・・・・。」

 突っ立ったまま、動くことも無い。

 何も言葉に浮かんでこなかった。自分がいったい何者なのか、そしてここが何処なのか。浮かんでは消え、浮かんでは消えていく言葉の波が彼の頭をグシャグシャに混ぜ繰り回し、ドロドロな答えさえ浮き抗う事も無かった。

 「君の記憶。正確には君という存在を作った者“モノたち”の記憶一部。それが一時的に開放されて、君の深層意識とリンクしたんだろう・・・。」

 訳の分からない言葉が飛び交っているが、フリックにはもう聞こえていなかった。自分は強化人。だが、それが一体何のことだというのだ?無さえ存在しない何かが自分の中で駆け巡っている。そんな感じだと思うしかなかった。

 「自分を知りたいかい?」

 それでも、この男のたった一言で、フリックの目は覚醒を取り戻す。私物となったフリックは、操られるように再び動き出した。

 「分かるのか・・・・・・?」

 「多分・・・・・ね。」

 「どうすれば―・・・!!」

 「まあ、落ち着け。それに、少しだけ聞いてほしいことがある。」

 なだめる様に両手を前に突き出して、興奮した私物を抑えた。傷つける必要のないモノという存在がこんなに都合のいいとは、男も正直楽しく思えた。

 「本来君の中の記録と条件に君の記憶を交換するんだが、どうもそれだけじゃ君の記憶は返せないんだ。」

 「どういう事だ?」

 「既に君のの中の記録はすべて抜き取ったが、それだけは交換条件に当てはまっていないという事だ・・・・。」

 「それはお前たちの都合だろ。それに俺の記録の何かが足りないと言っても無茶な話だ。」

 「そうだったね・・・。で、そこでだ。君にお遣いと言ってはなんだが、少し頼まれごとをしてもらいたい。」

 「断れないんだろ?」

 「よく分かってくれた。君はもう私物化したからね。」

 満足のいく答えが出たのか男はう嬉しそうににほほ笑んだ。

 「断っても危害は無いのだろう?」

 「一向に構わないが、上手くいくとは限らないね。」

 決して刃向う事も出来ないが、拒否はできる。金で雇われた用心棒と依頼主でもなく、売られた奴隷とその主人のようでも無い。実に奇妙で不均一な上下関係がここにあってここに無かった。

 「この国から西の方面。“泥の平野”抜けたところに、細長い陸が表れるはずだ。そこに我々の国より先に生まれた小さな国がある。これはまだ仮説の範囲だが、我々の持つ文明遺産より高度な知識を所持しているらしい。」

 「要は俺と似たような奴がいるのか・・・・・。」

 「御名答。」

 「つまり・・・、あんたは俺と同じ同種を見つけてそいつの持つ記録を取ってくればいいんだな?」

 「さらに御名答。」

 男は本当に楽しそうにしている。フリックは再び歩き出し、自分の寝ていた寝台に腰をおろして、続けた。

 「で、どう行くつもりだ?」

 「ん。それは問題ない。私の作ったルートで言ってもらえば、何のトラブルもなくその国に進入できるはずだ。それに、」

 「それに・・・、なんだ?」

 「そこは今戦争中だ。少々のいざこざも、あまり外に触れることは少ない。」

 ―堂々としていようが問題無しか・・・。

 大柄の男がのそのそと動く姿を想像し、フリックは苦笑いを浮かべた。

 「さあ、さあ。準備に取り掛かってくれ、私の道具。時間が惜しいのも十分理解できた筈だね。それなら事を起こすのは今だ。堂々と行くがいい、フリック・・・・。」

 「行く前に一つ聞きたい。」

 「何だ。」

 「あんたの名は?」

 フリックのその質問に対し、男は気味の悪いくらい大きな口で紅い口内をのぞかせ笑って見せ、答えた。

 「ヨリマ・イサン。汝の懐にこの字、有り。」



 女のような名前だ。

 フリックはついそう思ってしまった。

前回より大幅に時間がかかってしまいました。

登場人物の性格がまたいっぺんに変わってしまった・・・。

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