STAGE 3 「帰還」第一部
この物語には残酷なシーンが含まれています。
―フリックがシノの屋敷にて目覚める約77時間前。
―某所。
明け方の日の光が、まぶしく地表を照らし始める。それに乗って行くように、長く延びた数本のヒトの影がまばらにその姿をのばした草の模造品に移されていた。
記録の長がついに、とまでは言わず、やり投げな様子で帰ってくることになった。それも本来戻されるべき場所ではなく、再びヒトの監視下の中に戻るのだ。
「長」は同じ境遇にある同士が勝手につけた、複数ある名の内の一つの呼び方だ。ある場所では「祖」とも呼び恐れられている存在でも、「略奪」する者として彼を避けつづける古い主もいる。主の一人が、「長」を嫌う理由を話したことがあった。
−奴はたった一人で逃げた・・・・・、と。
同族間での他人の中傷は決してヒトの間だけである障害ではない。知性を持っていた動物が次世代へと引き継ぐために必死に殺し合いを続けていたこともあれば、自らの人生を子孫の繁栄のためだけに激しい競争を幾度となく繰り、その結果を大自然に残した植物もそうだ。
かつてヒトの祖先である人間が、造り上げた強化人の彼らだけが例外とは限らない。知性と理性を兼ね揃えた魂の無い人形みたいな存在だけでも争いが耐えることは無いのだ。
コトギはそんな時代の中で再び目覚め、今、本人には長くも感じられなかった「実地演習」を済ませた。結果がどうあれ満足した気分で帰ってくることはまずなく、大した事として上げてみれば、アソウの顔を一発殴り飛ばしたぐらいである。
ヒトであり、仮にも所属する組織の主任であるアソウを殴った「長」はその後どうしたのだろうか?
いた。アソウの隣に。
大した威厳も風格も無いひょろっとした体つきと、何ら緊張の糸が切れた様子につつまれている「長」は今、コトギという名前で通っている。「過去の遺産」の収納道具として、その扱いを受ける人の形を模ったモノ。アナログな書籍やディジタルな数字の記録が全て消え去った今の時代でなくてはならない存在で、一刻も早く破棄しがたい存在でもある。
多量に量産された記憶の媒体のオリジナルとなる三体の内の一つが、従われるべきニンゲンを殴った張本人こと、コトギなのだ。
コトギの眼ははっきり映らない瞳のかすれた目をしていた。中央が白くぼんやりとぼやけ、常人より視力は劣る。そんな眼球が巨大とは言い難い代物を捉えていた。
「あの建物・・・・、どうなるんだ?」
年月を数える気も失せたぼろぼろの商業ビル。自分が使い込んでやったような余裕すら見える笑みを浮かべ一望し、コトギはひんしゅくをかったアソウにわざわざ尋ねた。
「気になるのか?」
目の前にたつ強化人に殴られた頬を何気に押さえたまま、アソウはそっけなく答える。顔はお互い合わさなかった。
「せめてもの『記録』としてとっておいても、大して悪くは無いだろうよ」
ビルの窓ガラスは全てと言っていいほどほとんど割れていた。いや、割られていた。最後の演習項目に「硝子の撤去」とは一文字も記載されていないことをコトギは思い出す。コトギが目標対象とした、「代表」とやらに見せた3Dディスクのディジタルファイルは、最終項目の記載事項が記された演習プログラムだった。あそこで言って見せた記録や情報は簡単に持ち出せない。この国のセキュリティレベル、つまり最終機密事項の一つとして保護された現象の一貫だ。
もちろん、そんなに大それたことだろうと、コトギには関係の無いことだ。公にしたところでコトギに咎められる筋合いはないからだ。だが、ひょんなところで今この環境を離れるわけにはいかない。条件が悪かろうと、このような機会はなかなかない。
「そういうものかい?」
「あ?」
「君のそれそこ残るものがあるのか。という意味だ」
ああ、そうか。さすがに危ないと警戒したか・・・・。コトギにはアソウの思っている事を何となく掴んだ。
忘れていたな。こいつも“アレ”の一部だって事を。
それなら聞くまでも無かろう。そう思ったコトギは口に出して答えなかった。アソウもコトギの態度に困惑せず、直ぐ答えを要求する事もしなかった。
5年のブランクがあるが、アソウは彼の行動をある程度把握しているつもりだ。心身の状態、態度、言葉の使い分け、素振り。たった3年の内にこれまで、そして強化人の祖であるコトギを制御できるのも、彼の素質があってこそだ。
周りとは違う自分。それが彼の強みであり、コンプレックスの一つだった。そんな彼の目の前に現れ、我が物顔でコードに特別編成されたコトギの存在は大きな壁となってアソウに立ちはだかったのだ。
「直ぐに破壊されることになっている。もう用済みだからね・・・・」
壁は今ここになっても彼の在るべき所にひっそりとある。だからその壁を完全に崩すまで、アソウは目の前の強化人を立場上抑えたことにならない。壁は変わらないのだ、五年も経った今でも・・・・。
「お役目ごくろうさん・・・・。という感じか・・・・」
掌で首元を摩りながらコトギは呟いた。
「どうした?首でも痛むのか?」
アソウの尋ねに「いいや。肩さ」とコトギは返すように答えて、大層気だるい表情をわざと作った。本当はそんな痛みも感覚も無かった。
「俺にこう言う衣装スーツは似合わないことがよく分かったな」
「前に試着した事はないのか?」
うーん、とコトギは短く唸り、今度は頭を少し掻き毟りだした。指の動きに従うコトギの髪の毛。とっくの昔に再生能力を失って死んだ筈の細胞は、その形と状態を絶えず維持したまま黒い色相を幾十と束ね続けていた。「禿げるのがそんなに嫌なのか?」そう言おうとした時期が少し前にあったかとをふと思い出しながら、アソウはコトギのしぐさをちらりと見やった。
しばらくしてからかきむしった手を止めて、上げたて腕を自然にストンと下ろす。やっぱり覚えていないようだ。顔の形が崩れるくらい歪んだ表情がアソウに見えた後、「やっぱりないな」
と、コトギは答えた。
「早くも脳みそが腐ったか・・・・・」
アソウはそれをからかうように皮肉を言う。
「ほう・・・・・・。そいつはどういう風にとらえればいいんだ?」
冷めた目でアソウを見るコトギ。もう十分わかっているのだが、このやり取りが何故か楽しく思いそうそう取りやめようとはしなかった。
「コトギの好きに考えればいい・・・―」
その時だ。商業ビル付近の建物が一斉に崩れだした。ちょっとした都市を一望できたなだらかな丘に倒壊するその瞬間の衝撃が襲いかかるように上がって来る。ちょうどそこにはアソウ達がいた。
上からモノをたたき上げた様な突風が全身を襲ったかと思えば、手入れも当に辞めた模造草の切れ端が上空に舞い上がった。向こうでは土煙りと凄まじい轟音。こちらでは乾いた爆風と不快に思う葉っぱの吹雪が景色を変えてしまった。
「不釣り合いなもんだ・・・」
「どれが?」
「この情緒あふれるあほみたいな風景」
おかしなもんだ、とコトギは身体を使ってそう表現した。両手を大きく左右に広げ、胸をやや反らして、アソウから見れば何をしているのか分からなかった。そしてあと一つも。
「何が釣り合わないんだ?」
アソウにはここがどう不釣り合いなのか分からなかった。
「大草原の真ん中にぽつりとおかれた小さい商業ビル。その左右には何故か判らんが建物の瓦礫が山積みにされている・・・・・。これが普通か?」
光が差し込むほど周りに色が戻ってくる。単一色に綺麗に着色された草花のど真ん中に、一面灰色に覆われた長方形の物体が無造作に立たされている状況だ。コトギからして、これを普通だとか、当たり前などという言葉は出てこない。
「私が知っている普通とコトギが知っている普通は違うだろう?」
アソウは言葉に力を入れることなく、やんわりとした口調で答えた。
コトギはそれに応えようとしない。今みたいな答え方が出ようと出まいと、今更修正する事が当分生かされないことを知っていたからだ。コトギがニンゲンとして生きていた時期と今の麻生が生きている時期は全くかけ離れた状態。そのつなぎ役として生み出されたコトギ。真理も何も求めようとしない今のニンゲン達に、勝手なことは言えない。「助言」としての働きを均衡に保つ、それが第一事の決まりとけじめである。
「そうだ。これが普通だ・・・・・」
諦めたことは何度もあった。破れない秩序は、自らの肉体を維持させる特別な何かを守るためだからだ。この事も今のニンゲンは知らないまま今を過ごしている。
考えをやめて、コトギは振り上げた腕の力を抜きいつも通りの型にに戻した。後ろにいた護衛兵かガードマンに一人が連絡を受けアソウに何かを伝えている。
アソウが終始無言のままガードマンの報告を聞いている間、コトギは「膜」の細部が見えるまで眼を変えてみた。
遥かに優秀な機能性と「遊具性」を持つ強化人。その構造上の外形的特徴は何ら今のニンゲン達と変わらない。形の定まったそのすっきりとしたボディにあらゆる状況を想定し作り出された彼らの“身体”は、もはや道具としての域を超えていた。ロボットでも、ましてはサイボーグの類でもない新たな人型の人形は、人類が最後に手掛けた芸術といっても良かった。
万物には全てと言っていいほど、その性質・状態において「寿命」がある。つまり、モノが形を保つことが出来る期間が限られている。生物に例えるなら、生命の維持が限界になると組織が消滅して違う物質へと変貌を遂げる。物に例えるなら、焼き物は長い年月の末元ある土に還り、道具であればいずれ色々なところが劣化し、その部品、あるいは本体ごと交換し、古くなった物はまた違った形に再利用される。
立場が変わった、或いは元に戻ったと言っても、それが“モノ”としての形を保った年月は、あまりにも短い。だが強化人はそれをも超えた存在となった。
絶対に変わらない外見。無限に保ち続ける性能と能力。化け物に近い彼等は今、今のニンゲン達に持て囃され、それにその数も激減している。
「コトギ!」
話し終えたアソウがコトギの方を見てその名を呼んだ。そうれに応じて目の焦点を元へ戻し、コトギは振り返った。
「なんだ」
「お互いの腹の探り際はもう勘弁だな・・・」
「何が言いたい?」
コトギは腕を組んであきれた様子だ。アソウはそんなコトギの態度に気にもかけずある方向を右手で指さし、こういった。
「後二分で我々が本部に帰還するための輸送機が一機到着する予定だ」
「だからなんだ」
「お前はどうする?コトギ」
どうやらアソウは彼を乗せるようなつもりは無いらしい。それでわざわざ「一機」などと強調した言い方をしたのだろう。
―何をごちゃごちゃと・・・・・
コトギは随分と遠回しな彼の発言の内容に苦笑しながら、「では乗せてもらおう」とハッキリ言った。
真面目な顔をしたアソウの表情がさらにマジになる。
「コトギ。お前になその立派な足が付いているじゃないか。お前ならここから本部まで散歩てがらな感覚で行けるだろう?」
ぼろが出たというより諦めが肝心。アソウは単純ではあるが切り替えは早いのが彼の売りの一つだ。それを今ここで見せても仕方のないことだが、なぜかアソウはコトギに対して何かしらの意地を見せていた。
でもコトギはそんな事などお構いなしにこう告げる。
「それもそうだが、そこに行くまであの“膜”には触れたくないね」
「なに・・・・・・・・?」
「わざわざ完全なものに完全な何かを当てる必要は無い筈だ。それにお前たちニンゲンにも悪い。やっと丸めこまれたモノをそう簡単に手放せはしないだろ?」
「・・・・・・・・・・・」
アソウは何も語らなかった。語る事も無かった。知っていてのだ、彼は。だからあの時それを疑わせるような行動をとってわれわれの目を全く別の視点へ背けようと計らったんだ。そんな考えがアソウの頭の中に浮かんでは流れ組み立てられては崩れる動作が繰り返し行われた。
―まだまだ長く待たせる必要があるな・・・・。
彼が頭でそう結論に達した時、先程から少しづつ大きくなってきたけたたましい回転音が頭上に大きな姿とともに現れた。古い金属でできた大きな塊。名前も使い方も知らないその姿も、アソウの目の前の「記録者」から、取り出した古いかけらの一粒。アソウもまた政府の考え方に僅かな疑問を持っていた。
―奴らはこの時代に表れるべき存在なのだろうか?あまりにもかけ離れた文化と知識を用いた彼らを今のジンルイが制御できる立場だろうか?
不意に訪れる今日というのはこう言うものかも知れない。彼はそう判断し、コトギを見た。ゆっくりとこちらに近づいているのが見える。顔は笑ってもいなけば、泣いている様子でも無い。ごくありふれた普通の感情をもった強化人。その存在すら疑問に思えてきた。
「乗らないのか?」
コトギにそう言われて、アソウは目の焦点を戻すような感覚で意識を集中させコトギをもう一度見た。やはり、何も変わっていない。
「先に乗れ。時間が惜しい・・・・・・・・」
そう言って再び視線を別の方に向けた。
「随分とここに待たされたがな・・・・・」
ずいぶんあっさりとしたもんだ。そんな表情を浮かべコトギは四角い箱型の空間に体を入り込ませる。ガードマンたちもそれに続いた。最後の一人、アソウが乗り込むと直ぐに輸送機は垂直に上昇し、高度を十分に保つと、足早にその場を去っていった。
数人を乗せた角ばった飛行体は、中にいるコトギやアソウに乱暴な横風を当てて、目的地へとひたすら飛び続けた。ほんの少ししかなかった草原の地帯を一瞬にして過ぎ去り、今は不規則な岩石と地表に現れた古い産物が露出した施しの無い土地に差し掛かっている。ここを過ぎれば居住地区周辺を囲む六角形の高い塔の近くを通ることになり、次に見えてくるのが厚い「膜」に覆われた新政府の中枢制御地区に侵入する。
今のニンゲン達が十分に暮らせる空間を保護しているのは、外郭の第一障壁。いわば外壁によって地表から2000メートル付近上空まで半球状の膜でおおわれている。その中心付近に点在し、第二の保護膜としてその役目を担っているのが最終防護壁と呼ばれた分厚い障壁である。
第一障壁は中心地点から半径約20キロ圏内を覆っており、続く第二障壁は中枢機関を集中的に保護するため約3000平方メートルを囲むように作られている。どちらの障壁も頂上付近は接触していて、もし障壁に僅かな亀裂が表れてもそこから修復し、再生維持が出来るようにしてある。お互いをサポートし、共生状態になれるのもの、それは障壁自体「生き続けてる」事を証明している。その為、政府の公認する団体や組織、また権限を持っていない者には、到底通り抜ける細工などある訳がない。
但し、一つだけそれをパスできる条件がある。それは同生命体の認識だ。つまり、その生き続ける障壁と全く同じ組織を持ち、それを構成する情報を所持しているモノであれば、簡単に通ることが出来るということだ。さらに特定すれば、それはある特殊な物質を模った人物だけが、通れることを表している。
その人物はまだニンゲン達が長い眠りから目覚めない頃、この地球上に再び望まれない文明を取り戻そうと、かつてこの星を滅ぼした彼らが創り出した万能道具。それは地表に無数に現れ、そして一時期にその姿さえ見れなくなった強化人。
飛行中の輸送機の中で揺られ、しばし遠くの風景をぼんやりと眺めているコトギにも、その人物に入っていた。
強化人の協力を受けて再び次世代への進歩を向かい始めた今のニンゲン達が単なる気まぐれでやったことが最初の始まりだった。先人の人間達が強化人を意図に反した存在に換えられるほど脆いものではないと断言できる立証が、それによって完全にに崩れ去った事もも事実だ。
強化人を構成する細胞の酵素に、ある一種の波長を当てると、その波長を当てた時間帯によって、通常は形状を変えないはずの固定組織が、容易に加工できる程脆くなるのではないかと考え出した人物がいた。一度滅びかかったとはいえ、腐っても人は人の思考や特性を受け継ぐ。それがかえって悲劇につながった。
仮説を確かめたいがために、一つの強化人を実験台として政府勅命の機関に搬送され、その都度多数の犠牲者を出した結果、金属の性質上に基づく塑性によって、気密性の高い特殊板を創り出すことができた。
それが「膜」の正体。このために何万人との数に及ぶ、道具として立場を虐げられた強化人たちは、殻に閉じこもりたいニンゲンの勝手な行いによって、昼夜問わず彼らに狩りたてられ、その肉体を奪われ、消された。
彼らの行いが決して悪いわけではない。以前は数百人しかいなかったニンゲン達に再び知恵を授け、それによって自らの立場を理解した彼等は強化人に協力を求めた。快く引き受けたのは当然のことだった。「助力」が、彼らの存在理由であり、そのほかに使われる手段がないからだ。
しかし、その順調も長くは続かない。
―いずれは我々の危惧するべき存在になる。
人口が30万人近くに達した頃、強化人とニンゲンの最後の共同作業が終わろうとしていた。大都市となった中枢制御地区の大規模な管理者として、中欧特別管理制御媒体「オルタ」が、完成した時だった。「オルタ」の始動と同時に管理者の強化人数名を拘束。そのまま実験台として送り出され、それを期に強化人の殲滅行動に乗り出した。
憎悪と悲観に見舞われ、生み出された「オルタ」と、その中心として生まれた一大都市。ヒトの疑念が創り出した結末はそう簡単に終わる筈がない。必死に逃げだした残りの強化人達、そしてこの国最初のアクシデントともいえる未知のESP感染者が、政府への報復として巨大な組織を立ち上げたとのが、7年前である。
各主要機関への襲撃が頻繁になったあの頃からすれば、今の町並みは少しずつ穏やかになっているのが分かる。
コトギの眼に、遥かに目立つ巨塔が飛び込んできた。
「膜」をぐるりと取り囲むによう立っているその塔は、「都市」の中枢部に外部からの侵入を阻止するため、非常防衛線として建てられた監視塔である。侵入者を探知する視覚フィールドが外側の四方に設置され、リアルタイムによる監視を行う。塔には監視レーダーの突起物以外目立ったモノは無く針のようにおうとつのないきめ細やかな外郭を誇っていた。
輸送機がその横すれすれを通り過ぎる。高高度を飛行しているのではないので、塔の中間の高さを見ることが出来た。外郭を守る漆喰のように白い外側の面は、高酸素状態での急速な腐食を防ぐ役割を担っている。事実、「膜」の覆われた場所以外に、酸化に弱い物質は全く存在しない。
塔を過ぎるとすぐに、第一の「膜」に差し掛かる。そこには数十万人の衣食住を全てまかなっているベットタウンの一角がある。外気と違って、全く違う大気調整を受けた「膜」の中は暗い。採光はある程度考慮されている部分もあるが、外に出ないニンゲン達にはまさに猫に小判である。
“一度しか目を開けなかったあれは”、今どうしているだろう?コトギは足元でゆっくりと移動するニンゲンの居住施設を見下ろした時思った。
「ここらの一帯もだいぶ変わった。見て分かるだろう?」
コトギの行動を終始観察していたアソウが、彼と同じ視線をとりながらそう言った。飛行中、「膜」に入るまでコトギの目の前の扉は閉まっていたが、いつの間にか開けていた。だがそのことにアソウは何も言わなかった。
「また掘り出したのか?」
下をずっと見降ろしたまま、コトギがアソウに聞く。
「いや、全くそうじゃない。“また眠り始めた”」
アソウは「また」と後から付けた様な言い方をしたが、コトギは何も言わない。そんな彼の反応にかまっている事なくアソウは仕方なく続けた。
「これを見る限り、以前お前が言ったことが裏目に出たことは確かだな」
深い霧に閉ざされた見るからに不気味な古風の屋敷のように、眠り続ける住民を抱えた灰色の建物が肩を並べてひっそりと佇む。精力を感じさせない沈黙を守もる異様な町の姿が、アソウの目に映った。
「俺が何かこぼしたか?」
視線を郵送機内に戻し、扉を閉め始めるコトギ。アソウはそれに続いて外から首を引っ込め、座席に正しく座りなおした。
操縦席に近い座席に座るコトギと対面するように座っているアソウ。そのアソウがふとした拍子に顔上げた時、コトギと眼が合った。どう見ても何百年も生きた様な貫録を見せない華奢な体つきに加え、潤いの衰えないこの瞳。確かにアソウ、いや今のニンゲンにとって強化人は不気味な存在であることに間違いない。そんな化け物まがいのコトギが、自分から口を開いた。
「俺を監視できなかったこの五年間。なにをしていたんだ?」
「・・・・・!!」
アソウは思いもしなかった質問に一瞬言葉を失い、目を丸くした。そんな彼の様子にコトギは不思議そうに聞いた。
「何だ。他人には話せない事でもやらかしていたか・・・・?」
「そうではないッ!!」
わざと咳き込むようにコトギに言ったことを否定し、その理由を付け加える。
「お前から他人に興味あるような素振りや言動をしたことが・・・、あり得ないないことだと思っていたからだッ」
「別に珍しいことをしたか?全く・・・、おかしな連中だな」
アソウの様子を奇妙な感覚でとらえたコトギは失笑を繰り返し行った。人間味のある道具が、立場の違うモノに語りを入れてくる。彼の隣やアソウの隣に座るガードマンは、その光景を不思議そうに眺め無言を徹していた。
「笑うな!お前にわざわざ言う必要性が無いからだ」
赤面気味のアソウが前言撤回をコトギに申し立てた。それをコトギは軽くあしらう。
「そうかよ・・・。それなら、『コード』についてお聞かせ願いたいね。大した期待はしていないが少しは変化はあっただろう」
コトギから立て続けの質問に今度は冷静を取り戻したアソウは、また座席に深く座り直してから、顔の前で手を組み腰を少し落とした。考え込むような姿勢のまま、アソウはコトギに事の一部始終を語りだした。
「ああ・・・・。そうだな―」
淡々と語るアソウのことばを一つ一つ探り、コトギは必要な部分だけを取り出して自分なりにつなげてその情報を蓄積した。テロ活動を繰り返す組織の背後や正体を首尾よく明白にしたこと。それにより幾つかのテロ行為を未然に防いだこと。また、近日反組織の行動に不明な点が多々ある・・・。といった程度の情報だったことにコトギは眉一つ動かさず冷静に聞き続けた。
「ここ最近それとった不穏な動きは見当たっていない。上はひとまず落ち着きが出たというう見解を持っているが・・・・。お前がそうとらえることは無いだろう」
アソウが話の締めに入る時、コトギの顔を見てそう付け加えた。明らかに満足した顔に見えなかったからだ。輸送機がベットタウンを抜け、第二の「膜」に差し掛かった頃だった。
「俺の言いたい事がわかるか?アソウ」
しばらく黙りこんでいたコトギが口を開いた。目はアソウを捉え、鋭く光りを散らしていた。眼光に感情は這い込んでいない。だがそれは見る限りに何かをもって発せられた警告の様なものだった。
「何だ?」絡ませた指をほどき、手を両ひざに添えて、アソウはそっけなく言った。
「分からないんだったら、最初からそういう言い方よせ。“勝手にこちらの意見を決めるな”」
一言一言、噛みしめる様に言葉を発するコトギ。明らかな苛立ちを覚えたいる。それは、アソウにも明白に見て取れた。
「つまり・・・・・、それは警告か?それとも注意か?」
これを聞くことはまずったか。アソウは内心そう解釈しながら自然に口からその言葉が出た。そしてコトギはそれに対し、
「お前の好きに取るがいいさ」
これも普通に答えた。
意外にあっさりだな。アソウは安堵したのか期待はずれだったのか自分の心境を細かく測れることも出来ず、急な機体の落下に天井で頭を打った。
「ぐッっ・・・・!!!」
ゴズンと重く上から圧し掛かるような痛みを受けたかと思うと、今度は太腿や背中に大きな痛みを覚えた。どうやら彼だけが受けた痛みでなく、機内全員がこれと近い状態になったいた。
プロローグからの続きとなっております。
ステージ1・2とは全く別の展開です。