初めての返事
不定期連載です。
登場人物の名前は未定です。
心優しい人から本を譲り受けた彼女は、少し気持ちが下がっている様子で放課後の廊下を歩いていた。
授業も終わり、今日はすぐに家で本を読もうと考えていた時に塾の講習の存在を思い出してしまったからだ。
最高学年になって始めての期末試験が近づいているので余念を抜けない。彼女は仕方ないと息づき、下駄箱に向かう。
下駄箱に向かう廊下を歩いていると、この学校の花壇の場所が見える。
彼女は何気なく、その窓からの風景に目をやると見知った顔を見つけ、進めている足を少し重くする。
見知った顔と言うが、ここ何年か真面に会話をしなくなった男子生徒であった。
その横には部活の後輩なのだろうか人物がいる。二人は仲良く花壇に水をやっていて、とても仲睦まじい様子。
彼女は、そんな光景を見ても何も感じない。顔を合わせれば会話も特にする事なくなった間柄だ。いまさら何を期待しようとするのか。
誰に言う訳でもないのに、彼女はその事をまるで自分に言い聞かせる様に反芻させていた。
新学期のこの時期、最高学年にて通う塾の講習では、もう授業範囲の復習などせずに受験対策が始まっていた。
彼女は、そんな講習に耳を傾けずに昨日読んだ本の場面を思い出していた。
本は一輪の花から始まる恋の物語。
迷子になった女の子を偶然見つけた男の子との出会いの場面から始まる。なかなか泣き止まない女の子に、一輪の綺麗な花を渡して笑顔にさせる男の子。そうして二人は仲良くなり、いつしかお互いを意識し始めるが恋仲まで発展できない関係。
よくある話であったが、巷で噂になった理由は、その本の描写と登場人物の魅力。
彼女は、女の子が離れた町に行ってしまう場面まで読んでいた。そこまでの内容でも充分に楽しみ、続きが気になっていた。
そんな事を考えているといつの間にか講習は終わっていた。
手紙を書く為に購買で買った手紙と同じく、彼女のノートは白紙のままであった。
日常生活と同じ行程を送り、彼女は返事を書く為に机に座る。
書き出しはどうしよう、どの場面が面白かっただろうかと考えていると、彼女の頭にこの本をくれた人の事を思い浮かべた。
「一体どんな人なのかな?女の子だったらいいな。」
彼女の一人部屋に響く声。
それは、期待か願望なのかは今の彼女にはわからなかった。
彼女は、寝る時間が差し迫る時間と同時に手紙を書き終え、本の続きを読もうとする。
しかし元々活字に慣れ親しんでいなかった彼女は、布団の中で本を開いて目を閉じる。
そんな可笑しな光景を照らすのは、彼女のベッドに備えてある豆電球であった。
ーー次の日
彼の友人達は塾や予備校に通っている。彼だけは自己学習をしていた。
図書委員の仕事もないのに、彼は図書室に向かっていた。試験が近くなっていたので自習様の机で勉強をする為である。
彼は、図書室に入り、仕事でもないのに返却ボックスに入っている本を棚に戻そうとするため、カウンターに近づく。日頃の習慣であったので、今では放課後に図書室に来ると毎回のことであった。
彼が、返却ボックスに目をやるとその横脇に小さな手紙が置いてあるのに気づく。
受取人でも書いてあれば届けてあげようと思った彼は、その手紙を手にとる。
手紙を手に取り、裏の受取人に目をやると、彼に笑みが浮かぶ。
その受取人の名を見たからだ。
『本をくれた優しい人へ。』
彼は、これが誰宛の手紙であるかを理解し、手紙を開くことにする。
『お返事ありがとうございます。
とても嬉しかったです。あと本をくれた事も嬉しかったです。
私が面白いと思った部分は、ヒロインの女の子と主人公の男の子が、町をはなれる時に再開する約束を交わす場面です。お涙頂戴な場面だったのに不思議と感情移入していて私も涙を流しそうになっちゃいました。
良かったらあなたの面白いと思った場面を教えてください。
テスト近いから一緒に頑張りましょう!』
彼は、一通り手紙に目をやると嬉しい気持ちで胸がいっぱいになっていた。
どうやらこの手紙の差出人は女性の様で、随分感情豊かなのだろうと想像し、彼は自習様の机に向かった。
勉強するためではない。
お返事を書くためだ。
彼は机の上に手紙を裏にして、そこに返事を書こうとする。しかし、いざ返事を書こうとすると思様に筆が進まない。
彼は、今日にでも本を読み終えてしまうので、彼女よりも先を知っていた。手紙の内容から察するにまだ半分も読んでないだろう。
彼は、先の展開を教えない様な内容で手紙を書こうとする。
それが彼の筆を進ませない理由であった。
「何か面白かった部分は…」
知らずのうちに言葉が洩れていたが気にしない。
彼は、本の最初の場面場面を思い出していると主役の二人の出会いの場面を思い出していた。
そして、自分の幼い時の事を思い出し始める。
彼にもそう言う出会いの場面があったからだ。
彼は思い出す。自分とその女性の幼い時の頃を…
まだ小学生になる前、少し離れた近所の公園で遊んでいた時に、同い年くらいの泣いている女の子を見つけた事があった。本の場面の様に迷子だと当時の彼は知る由もない。
そして、その子も本の女の子と同じく泣き止まず、どうしようか悩んだ。
幼子の時の思考など単純であり、物を貰えば喜び、何かあげれば相手が喜ぶことの二つだけは理解していた彼は、自分の母の為に採った綺麗な花を泣いている女の子にあげた。
みるみるうちに笑顔になる女の子を見て、彼も笑顔になったのを思い出す。
「あれから結構経ったな…」
その時に仲良くなった女の子とは、それからお互いの親も含めて遊ぶようになった。誕生日会やお出かけなど幼いながらも良く思えている物だと、彼は自分に言い聞かす。
まるであの本の内容とそっくりであった。
そしてそんな関係も本の内容とは違っていった。関係は変わってしまう。
何か事件や相手を怒らせる事もなかったのに、いつしか彼とその女の子の距離が離れ出した。
男同士、女同士で遊ぶ事が当たり前になり、男女で遊ぶ事がなくなってきたのだ。
そうして段々と距離を離す内に、いつしか顔を合わせても挨拶すらしなくなった。
同じ学校にずっと通っているのに、変わってしまった関係。一体何がいけなかったのかは今の彼にもわからない。
気づかない内に時間は立ち続けていて、ちらほらと図書室から人の気配が消えていた。
彼は、また思考を手紙に戻し、彼女と同じ場面について返事を書き始める。
本当はこの本の半分すぎ程度の場面について書こうとするが、考えを改める。内容をバラしてしまっては本を楽しむ良さが消えてしまうからだ。
そうこうして、彼は手紙を書き終える。勿論差出人の下に新たに書き加えてからだ。
『本を受け取ってくれた人へ。」
返事と差出人を書き終えた彼は、他の人に気づかれないよう先ほど置いてあった場所に置く。
そこで彼は、ここで待ち伏せをしていればこの手紙の相手がわかるかも、と考える。
しかし彼はそこで帰る事にした。
それではつまらないからだ。
気にならないと言えば嘘になってしまうが、それは物語と同じ。この本の様に先を気になりながら楽しむためだ。内容を先に知るのは無粋である。
そう考えた彼は、図書室から出て帰宅する為に下駄箱へ向かう。
向かう際に通る廊下の窓から見える花壇の花は、水やりをしたあとの様で濡れていた。
彼は花壇の見える位置で立ち止まる。まだ花を開かない蕾の水滴は、夕日を反射していた。それがとても綺麗である光景を見た彼は、水やりをした部員に心の中で感謝をし、下駄箱へ向かい直した。
向かう足取りは少し歩幅を広げ、彼の肩を何時もより上下に揺らしていた。
その原因が、返事を楽しむ心か、綺麗な光景のせいかはわからない。もしかしたら今日、図書室で勉強できなかったためだろうか。
「明日も図書室に行くかな。」
一人でに出る言葉。
その言葉は、今の軽い足取りの原因の答えを表す言葉であった。
名も知らぬ相手との文通の楽しさを胸に彼は一人自宅へと向かう。
もう日は沈み切る頃。
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