プロローグ
私の朝は早い。畑仕事を主としているので、夜は早く寝て、早朝目を覚ますように心掛けている。
この辺りの土地は痩せこけているので、なかなか実が根付くことが出来なくて苦労しているのだが、改良を重ねた結果、とある種がやっと畑に根付いてきたので起きるのが少しだけ楽しみだ。
田舎暮らしをしているせいか、特に楽しみもないのでこの生活にも慣れてしまえた。華やかな生活は苦手だ、華やかな人たちも。
「久しぶりだな、サクラ」
だから畑に行くために鍬を担いでいた私は、こんな早朝から無駄にキラキラしているこの男になど、はっきり言って会いたくなかった。
腰まである金髪の髪はリボンで後ろをくくり、翡翠の瞳は宝石のようで見る人を魅了するのだろう。
その顔を見た瞬間、むっと口をとがらせる私に気づいているくせに、彼は何食わぬ顔で近づいてくる。
「サクラ、元気だったか?」
甘い響きを乗せて訊ねてくるこの男に、私なりに冷たい視線を向けるのだが、いまいち効果はない。
「何しに来たの?」
「勿論、サクラに会いに」
その美貌を最大限に利用した笑みを浮かべる彼は、確かに私が見てもほれぼれするほどきれいな顔立ちをしている。
いや、顔立ちだけではない、その風貌すべてが整っている。身長も私よりも頭一つ半ほど高く、けれど細いわけでもなく程よくついた筋肉がさらに彼の魅力を出している。
ここに来るまでの間風と埃で汚れたマントを着ていたとしても、彼の魅力を損なうものではない。
「帰れ」
小さく呟いた言葉を、彼の形の良い眉がピクリと反応する。
「帰らない。今日は一日、サクラと一緒に過ごすと決めた」
拗ねたような口調に、苛立ちが募る。
この馬鹿王子が。
六つも年上とは思えない聞き分けのなさに怒りを込めて睨みつけるものの、彼はどこ吹く風、全く気にしていないのがさらに腹立たしい。
「お久しぶりです、サクラ様」
「ロディ、久しぶりね」
険悪なムードを察してか、彼の後ろから申し訳なさそうに現れた男性、ロディが二人の空気を緩和する。
「道中は大丈夫だった?」
「はい、大丈夫でしたよ。サクラ様にお変わりはありませんか」
「もちろんないわよ。今朝もほら、畑仕事に精を出すところだったのよ」
笑顔でロディに対応してしまうのは仕方のないことだと思う。
「ロディ、邪魔だ」
しかしそんなことを彼が容認するはずもなく、邪魔なのはお前のほうだと言いたいのを我慢して、間に割ってきた彼を再度、睨みつける。
こうなったら奥の手だと、今日は早々にお取引願うことに決める。
「――王子、呼んでいます」
「は?」
「また仕事がたまってしまいましたね。皆が困っていますよ」
にこにこと笑む私とは対照的に、機嫌が悪くなっていく彼。
私が何を言いたいのか理解し、それを阻止しようと視線をさまよわせる姿は滑稽だ。
「そんなもの、放っておけば……」
「送って差し上げます」
「待て、サクラ。先にロディを」
言いかけている彼を無視し、さっさと姿を消してもらう。
「いつもありがとうございます」
消えてしまった彼のことを心配することなく、ロディが微笑む。
金髪に翡翠の瞳をもつ彼とは対照的に、黒い髪に青い瞳をもつロディも、顔立ちは整っている。王子の専属護衛騎士ということもあり、精悍な体つきで腕も確かだ。王子より一つだけ年上なだけあり、子供じみた彼と比べても落ち着いて見える。
そんなロディが笑めば、こんな田舎でもきっと村の少女たちははしゃぎだすだろう。残念だが見慣れてしまった私ではときめくことはできない。
「いえいえ。むしろさっさと消えてくれて私の心は穏やかです」
「そうですか?」
「そうですよ。本当にもう、王子はどうして私なんかに構うんでしょうね」
思い切りため息をついてしまう。
あ、幸せが逃げちゃう。そんなときは三回深呼吸と。
「サクラ様?」
「私の能力が欲しいからといって、わざわざ王子がこんな僻地まで出向く必要はないと思うんですよね。しかも、しっかりと仕事を終えて」
ここまで来るのに日数がかかるため、結局は仕事をためてしまうから意味がないのだが。
そこまでする必要性を私は感じられず、心底不思議で仕方なかった。
王都からこの村に来るまでの日数は、最低でも三日は有する。その距離を馬で走らせてくるのだから、そろそろ呆れを通り越してしまいそうだ。
付き合わされているロディに同情してしまう。
「あ、王子が怒っているみたいなので、そろそろロディも戻ります?」
「いつもありがとうございます。戻ってから王子に叱られるのは慣れているので構いませんが……ところでサクラ様、一度王都へお戻りになられませんか?」
「行きませんよ、私は」
頑なだとは思うが、私は王都になんて行きたくない。第一、戻るなんて言葉はおかしいだろう。正確には遊びに行く、だ。
沈んだ顔をした私に気づいたのだろう、ロディが困った顔をしている。
「アリサ様がお会いしたいと申し上げておりました」
「そのお誘いはありがたいんだけど、でも無理。まだしばらくは王都になんて戻りたくないから。アリサちゃんによろしくお伝えして下さいな」
そう言ってから、ロディの姿も消える。
瞬間移動。
それをやったのは、私。
あちら側へ送った王子もロディも驚くことなく、毎回私に送られていた。特に後から送られてしまうロディは、先に城に戻って地団駄を踏んでいた王子に罵られている光景が浮かぶ。
ふうっと息を吐いてから気持ちを切り替える。
朝から無駄な体力を使ってしまった、もう精神力が残っていないよ。
ううん、違うな。優しさが足りないかもしれない。
あの馬鹿王子、もう二度と私に会いになど来るな。
心の中で悪態をつきながら畑へ向かいつつ、私は二年前を思い出していた。