1-10
何か忘れているような気がする。漠然と思った違和感はそれだった。
「あっ!」
恵の声でようやく恵たちが着いてきていないことに気づいたのか、井上が慌てて戻ってきた。
「どうしました恵さん?」
「小梅のバックと私のコートを忘れてしまって」
恵は辺りを見回した。自分たちが遊んでいた場所は、どの辺りだっただろうか。大きなクスノキに似た常緑樹が傍に生えていたからそれを目印にすれば、すぐに見つかるだろう。
案の定その巨木はすぐに見つかった。幹に抱きついていたときには気づかなかったが、今いる場所からはしっかりと見える。白と淡い黄緑色の小さな花が、あの巨木に咲いていた。
「たぶん、花が咲いているあの木の傍に置いてあると思うんで、取りに行ってきますね。
行こう、小梅!」
見つけた常緑樹の方へ、小梅と一緒に歩き出す。しかし井上の声が、恵たちの足を止めた。
「いいですよ、恵さん。こちらの方で取りに行かせておきますから」
「え、でも」
井上の言葉に恵は躊躇ったが、井上がこちらに考える隙を与えないように話を進めた。
「お任せ下さい。ホーク、お前は今のことをオリス神官長に伝えてきて下さい」
あらかじめ言われることがわかっていたのか、ホークは井上の言葉通りに後方にいるオリスたちの方へ走って行ってしまった。
あっという間に小さくなるホークの後ろ姿を、恵は呆然と見ていた。
犬に伝言なんて頼めるのだろうか。そんなことを考えていたら、顔を覗き込んできた井上と目が合った。
「さっ、行きましょう」
井上の笑顔を見た途端、恵は今まで考えていたことをはじっこへおいやった。そして、声を裏返しながら慌てて返事をする。
「はっ、はい」
先ほど脳内にインプットされた井上の無言の圧力のせいだ。条件反射としかいいようのない行動だった。
「小梅ちゃんもこっちですよー」
恵が聞き慣れている井上の優しい声が聞こえた。それなのに笑顔が怖い。
いつもと同じ笑顔のはずなのになぜだろう。蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちなのかもしれない。
(こんな所で蛙の気持ちがわかったって嬉しくないよ)
井上に気づかれないよう、そっと息を吐き出した。




