深森の暗闇より
我ながら、馬鹿な事をしたと思う。私は、自分の下敷きになって冷たくなったその人の頬を軽く撫でて、その温度が指から無くなってしまわない間にとすぐに立ち上がった。
何にも不満がある生活じゃなかった。使い方を誤れば心狂わすと学校が教える魔法だって、誰もが何の不自由もなく使っていた。争いもなかった。皆が幸せで、平和で、仲が良かった。
なのにどうして。私はこんな雨の中で、一番大切な人を見下ろして、一人帰る先すらなく、ただただ立ち尽くしているのだろうか。どうして、悲しみにくれながらも、未来の希望を失いながらも、また立ち上がってしまったのだろうか。
生への欲望。それもあるだろうと思う。でもそれだけでは説明し切れない何かが、私を頭の先から足の小指に至るまでを、すっかり突き刺して、動けないようにしているように思えた。そして私は無力を振るって、私を一刺しにする何かから、懸命に逃れようともがいているのだ。
暗い森に、動かない人間という格好の獲物がいると嗅ぎつけて、森の主たる巨大なドラゴンが私に迫ってきた。私が使える魔法なんて、せいぜい野兎に負けない程度のものだ。
だけど、良いだろう。私は、私の何十倍もあるドラゴンの方を向いた。だけれども、私と対峙するのは、恐ろしい龍でもなければ死の宣告でもない、閉塞という名の実態のない敵だった。