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光之の都合 その3 止まらない

昨日の事を語り合う、光之と陽光。怒りに満ちた陽光のとった行動は?

 アッチェのいうロックオペラは、ザ フーの四枚目のアルバム、トミーのこと。1969年に発売され、後に映画化やミュージカル化もされた、ザ フーの代表作。

 今日は、その特集がある。中には、陽光達が学園祭でやる曲もある。だから、それを見て勉強しろと。そして、アッチェ自身にも思い出があるから、一緒に見ろ。今日は、内緒の特別な日だから、付き合って。ということだった。

 少し気が抜けた陽光だったが、フーには多いに興味がある。恭平は伝説のドラマー、壊し屋ムーンを見たい。

 午後10時から放映される番組を前に、フー談義や学園祭でウけるアクションを語り合う3人。

 時計の針が日を跨いだ頃、オペラは佳境を迎えていた。

 主人公のトミーは、父親が、母親の情夫を亡き者にする現場を見てしまい、三重苦に陥る。更にトミーは、従兄弟からの虐め、叔父からの性的虐待、ドラッグ漬けなどに合いながらも、医師と共に回復を目指す。目、口、耳の機能を果たさない状態で、トミーはピンボールのチャンピオンになってしまう。多くの人達から称賛され、有名人になったトミー。奇跡的に回復を果たしたトミーは、彼を注目していた人々から、カルト集団の教祖のような立場に祭り上げられる。

 絶望、兆し、回復、解放。それぞれのシーンで流れる同じ曲。


 僕を、見て。

 僕を、感じて。

 僕に、触れて。

 そして、聴いて。


 と歌う曲に、アッチェは思い入れがあるようだ。赤い目をして、息をつめて見ている。

 トミーが、回復をしてから歌う『僕は自由』では、その赤い目から涙をこぼした。

 テーブルを挟んで、アッチェの横に座る陽光は、静かにアッチェを見ている。恭平は……寝ている。

 陽光には、感動というよりも、葛藤する内面を語る作品に思えた。だから、アッチェの涙には違和感がある。

 ラストは、トミーを中心とした大集団が生む金に目が眩み、私腹を肥やし始めるトミーの叔父。それが原因で、集団は崩壊する。全ての人が去って行く姿が『僕を見て』と歌う曲と共に流れ、終わった。


 鼻をすすりながら、ハンドタオルで目を押さえるアッチェ。顔を伏せたまま動かない。

 画面だけを見ている陽光。テレビの音が虚しく聞こえる。まるで自分が泣かせたようで、動くことも憚るような空気に、陽光は参っていた。

 感動の涙と、悲しみの涙の違いくらいは分かるつもりだ。アッチェは、なぜ悲しんでいる?

 時間が経つのが、ひどく長く感じる。後ろ手をつき、ゆっくりと足を伸ばした時。

「ねぇ」

 タオル越しのくぐもった声がした。アッチェは顔を伏せたままだ。

「なに?」

 顔を向けて問い返した。

「お願いがあるの」

「う、うん」

「音美って呼んでくれない?」

「えっ! 今?」

 静かな驚きの声をあげた陽光。

「そう」

 陽光は戸惑い、すぐに言えない。照れもある。咳払いひとつして、

「おっ……」

 声がひっくり返った。

 ハンドタオルは離さずに笑う音美。陽光は、気を取り直して、唾を飲みこんで、

「おとみ」

 堅さがとれない。

「もう一回」

 泣きながらも先生口調の音美に、可愛さを感じた陽光。次は、明るく言えた。

「音美」

 心なしか、ハンドタオルを当てる力が強くなった。陽光から顔を背けるようにして、

「ありがとう……。ごめんね」

 そう言って鼻をすすり、さっと立ち上がって、寝室に行ってしまった。

 ぽつねんと残された陽光。

 音美が悲しむことで、部屋全体も悲しんでいるようだ。音美が寝室に消えると同時に、いつも当たり前に感じる温もりも消えた。

 冷めていく、部屋の空気。理由の想像すら出来ない音美の涙。主の居ない部屋の冷たさと相まって、強い疎外感を味わった夜だった。



 語り終えた陽光は、音美のアパートの方を見ていた。ひとり感傷に浸っていると、腹に一発パンチを食らった。ぐほんっ、と息を吐き出し、腹を押さえ前屈みになる。

「何すんだよ」

 整わない息で抗議する陽光。

「やっばり、お前は馬鹿だ。お前は、最高の鈍感王だよ。そんな時はなぁ、『どうしたの? 悲しい事があるなら、話してごらん』そう言って、優しく肩を抱くんだよ」

 そうすることが、当たり前のように話す光之。

「違うって! 昨日のアッチェ見たら、そんなこと出来ないって! そっとしておこう。触ったら壊れる。そう思うって、絶対!」

 何でもかんでも、ヤる方向にしか行かない光之。少々うんざりしながらも、反論する陽光。平行線をたどる二人の会話は成立しない。それを察知したかように、光之は陽光から視線を外して、呟いた。

「チャンスだったのにな。塩味のキスは、蜜の味」

 何を訳の分からないことを。陽光は開き直って、

「俺とお前は、違うんだよ。俺の愛のある豊かな心の中を、お前には理解できないよ」

 気負った様子もなく言った。

「言ってくれるね。ところで、内緒の特別な日って何だ? 聞いたんだろ」

「ああ、聞いたよ。教えてくれなかった。泣いた訳も、その辺にあるのかもな」

 昨日の疎外感を思い出し、少し寂しさを感じた。寂しい……はて? どこかで聞いたな。

 陽光の頭に、亮太が浮かんだ。

「そういえば。最近、亮太が元気ないんだ。ハト(慶子のアダ名)のことで悩んでるらしい」

 突然、亮太の名前を出され、ギクリとする光之。

「へぇー。どうしてだ」

 ぎこちなく喋る光之。

「あいつ等、付き合いだして2ヶ月だろ。始めの頃は、亮太舞い上がってたから、気付かなかったけど。落ち着いてきたら、ハトから好かれてる気がしない。一方通行みたいだ。って言うんだよ」

 あり得るな。亮太の考えすぎだろう、とは言えない。昨日は……。


 昨日。東一のアパートの狭いダイニングでは、光之と慶子の静かな攻防戦があった。

 光之が不夜城の話をしていた時に、突然抱きついてきた慶子。あまりにもあっさりと胸に飛び込んできた。一瞬、面食らった光之。だが、体勢を整え、慶子を真正面に捉え、ひしと抱きしめた。交わす口づけ。手は慶子の胸に。ホックの外れたブラがずれて、服の上からは違和感がある。手を服の下に差し込もうとすると、慶子の手がそれを阻む。諦めて、慶子の髪をそっと撫でる。唇は繋がったまま、背中を、肩を、ゆっくりと撫でる光之。唇はうなじから耳を這い、優しく息を吹き掛ける。喉に息を詰まらせて、更に目を強く閉じる慶子。光之の手は腰に回り、再び素肌を求め、裾を潜る。素早く慶子の手が阻止する。光之は、顔を離して微笑む。

 慶子は、やや下目遣いかいに、怒り笑いの顔をする。

「ダメだってば」

 拒絶感はなく、ほんわかとした口調の慶子。その顔がまた可愛く、再び近づき合う唇。光之は慶子をぐっと引き寄せて、臀部に手を添える。徐々に内腿に迫る手。椅子に座ったまま、しっかりと足を閉じて、体を捻り、上半身だけを光之に預けている慶子。その内腿の、更に奥を目指す光之。またしても、素早い反応を見せる慶子。何とも、早い。

 顔を寄せ合いながら、飽きもせず繰り返す、二人の攻防。光之に強引さはなく、楽しんでいるようだ。そのうちに、慶子の脇腹をくすぐり出した。堪らず、声を出して笑う慶子。光之から手を離して、身をよじる。肘で脇腹をガードする。がら空きになった下半身のそこに、素早く手を差し込む光之。パシンっ! という音と共に、勢いよく払い除けられた。

「いてっ!」

 陽光は、叩かれた箇所を押さえて、少しうずくまった。

 はっとした慶子。

「ごめん」

 覆いかぶさるようにして、光之に謝る。

 謝ることに気をとられている隙をついて、光之の両手は、見事慶子の素肌の膨らみを捉えていた。ツンと尖った部分の感触を、少しだけ味わえた。

「もうー。エッチなんだから!」

 今さら感のある台詞を吐きながら、慶子はさっと身を引いて、光之の両手から離れた。

 勝った! とばかりに声を上げて笑う光之。慶子を見ながら、胸に触れた指を噛んだ。

 それを見た慶子。ズキンと走る感覚に堪えかねて、胸を押さえた。みるみる真っ赤になっていく。

「知らない!」

 慶子は、光之に背を向けた。 その時、パチンッ、と音が鳴ってアコーディオンカーテンが開いた。そして、

「お取り込み中、申し訳ありませんが。トイレを貸して頂けないでしょうか?」

 千尋の声がした。

 二人して、声の主を見る。

 いつの間に、身繕いをしたのか。着衣をきちんと着けた千尋が、僅かに開いた隙間から顔を覗かせている。そして、東一も。

 東一と千尋のコトが済んでから、どのくらい経ったのだろう。既に日は陰り、薄暗闇が忍び寄っている。逆に、光之と慶子が戯れていた時間の長さを、表しているのかも知れない。

「我慢できないの。もう出ちゃうから、おねがい」

 千尋に切羽詰まった様子はない。むしろ、余裕の笑顔を浮かべている。東一と連れだって、光之達の前に座った。

「なかなか、良いディフェンスだったな、慶子」

 東一の言葉に、更に身を固くして、恨めしそうな目をする慶子。ふくれた顔を東一に向けてから、ぷいっと横を向きトイレに立った。

「いつから覗いてた?」

 光之は、東一を軽く睨んで聞いた。

「うん。見事なフェイクだったな、光之君」

 東一は、まともな返事をしない。

「だろ! フェイント2つからのフェイク。最後はレイアップで、慶子のリングゲット!」

 顔を見合わせて、バカ笑いする二人。そんな二人を見て、慶子にちょっぴり哀れさを感じて、トイレの方を見守る千尋だった。

 その後、また四人でテーブルを囲み、宴は続いた。お互いのラブラブ度を見せつけるように、じゃれ合う二組のカップル。夜は更けていった。

 亮太の事や、自身の胸の内に秘めた感情を語ることなく、慶子は無邪気に光之と戯れた。いつしか、光之に寄りかかって眠りにおちた慶子。



「おいっ! おい、光之! なにボーッとしてんだよ」

 陽光の言葉で、我に帰った。

「あっ、わるい、わるい。亮太と慶子。ひと波乱あるかもな」

「なんでだよ?」

「実はな……」

 今度は、光之が昨日の事を語った。

「光之! そりゃまずいぜ。亮太が知ったら、大変なことになる。お前、殺されるぞ!」

 あたかも、自分に降りかかった災難のように驚き、怒る陽光。

「別に。ばれたっていいぜ。やっちまった事だ。殺されもしねぇだろうし」

 平然と言ってのける光之。更に陽光は驚いて、

「どうすんだよ!」

 と、光之に詰め寄る。裏切りの感情を込めて、陽光は光之を睨む。

「そんなにおっかねぇ顔すんな。お前が力んだって、なんも変わらん。言いたきゃ、言って良いんだぜ、亮太に。ただな、慶子がこのまま亮太と付き合うなら、しまっといた方が良いことだ。どうするかは、慶子次第だ。俺から動く事はない。まぁ、何にもなけりゃ良いなんて、思っちゃいないけどな」

 陽光の形相にも、昨日したことにも、動じる様子のない光之。多少の狼狽えを見せれば、更に責め立てる言葉を吐いただろうが。陽光の言いたいことを、そしてその答えまでも言われた気がして、肩の力が抜けた。

 ふぅ〜っ、とため息をついて。

「馬鹿どっちだ。呆れたよ。そんなふうに言われちゃ、告げ口なんて、出来るわけないだろ。まったく!」


 風に流れる紫煙を眺めながら、

「青春どストライク。亮太と屋上の決闘! なんかあっても面白そうだな」

 まるで他人事のように、話す光之。屈託のない笑顔に、その覚悟を垣間見た気がした。

「なんかあったら言ってくれ」

 陽光は、光之の腹にパンチを放った。その拳を受け止めて、

「愚痴でも言いたくなったら、聞いてもらうさ。帰るか」


 活気を見せ始めた朝の街に、甲高い単車の音が響いた。




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