慶子の都合 その2 絡みだした心と身体
城高ベスト5に入る美女ふたり、千尋と慶子。こぼんばかりの欲求をストレートに表す東一。斜に構えているが、千尋と東一のじゃれ合う姿に触発される光之。男ふたり、女ふたり。悩める18才の宴が始まった。
一本目のドンペリはすぐに空き二本目に。さっきの開け方に納得のいかない慶子がリベンジする。
「泡を騙してコルクを抜くの」
シャンパンは泡が命。儚い泡の素である炭酸ガスを逃がさないように、静かに抜かなければならない。だから、グラスもワイングラスをダイエットさせた様な口が狭く細長いフルートグラスが、泡持ちが良くシャンパンには適している。
音も無くコルクを抜き、納得の表情を浮かべた慶子。上手に抜けたご褒美に『注いで』と光之にボトルを渡した。注がれたシャンパンをピンク色の口に運び、白い喉を見せて飲む慶子。
微かな色気がこぼれた。
めったに飲めない酒なので、今飲んでおきたいという気持ちが働くのか、皆のペースが早い。料理も旨い。
二十本以上あったドンペリは、強奪作戦に参加した奴ら五十人に振る舞うため、二本残してあとは全部山口邸に行った。さぞ景気良く抜かれたことだろう。
日本酒よりアルコール度数の高いシャンパン。二本で約1.5l。少し酔いが回り始める。
「だから別れたの。高校生だよ、私達。冷めちゃった」
千尋の元彼は、二年後に結婚してくれと大胆な言葉を吐いた。地元では大手の部類に入る建設会社の御曹司。二年制の専門学校を卒業したら。と千尋にプロポーズをした。
高校生のプロポーズ。自分の将来が確定している安心感、又は閉塞感からなのか。真に千尋を愛しているからなのか。その理由を確かめもせず断った千尋。例え誰であろうと、今は結婚など考えられない。高校生の自分にとって、あまりにも非現実的なことだ。
「私の、恋と浪漫に溢れる人生はこれからだよ!」
カシスオレンジを片手に千尋は語る。
「ふ〜ん。で、あいつが結婚してくれって言わなかったら、今どうなってた?」
ビールを飲みながら東一が聞く。
「別れてないよ。でも、卒業したら終わりにするつもりだったんだ」
「その辺のことを心配したんだろうな。あと半年で卒業だ。皆、学校っていう巣から離れていく。散り散りにな。そんな中であいつは、千尋だけは手放したくなかったのかもな? 結果は自爆だったけど」
東一は、千尋をからかうように顔をぐっと近づける。
「オーバーだよ。なにも外国に行くわけじゃないんだか……あっ、ごめん」
東一から視線を外し、俯く千尋。
「俺のこと気にしてんのか? 別に問題ない。気にすんなよ」
「う、うん」
俯いたまま返事をする千尋。
卒業と共に、北朝鮮に帰る東一。
『俺のオヤジは北朝鮮のスパイだ』
とあっけらかんとして言う。本当かどうかは不明だが。『北朝鮮人として差別するなら掛かってこい』という、東一の意思表示なのだ。そして、何かと一線を画する防御線でもある。
ニュースで聞きかじる北朝鮮の情報は知らなくもないが、明るい印象は無い。独裁者、特権階級、餓死、好戦的、そしてアンチ日本。
今、目の前に居る東一からは、微塵も感じることのない負のイメージばかりだ。北朝鮮の本質は分からないが、そんな国に東一は帰る。
光之は東一との四年の付き合いで、その不安や祖国を否定する言葉を聞いたことがない。
だから、聞かない。いや、凝り固まった負のイメージに怖じ気づいて、聞けないのかもしれない。
あえて口にすれば、東一の祖国を侮辱することになりかねない。だが、それは言い訳だろう。
光之が、幾度となく繰り返した自問自答だった。
「もしかして、千尋の具合が良すぎて離れられないとか? ちょっと俺に試させてみろよ」
暗くなりかけた雰囲気を壊すように東一が、真横で俯いている千尋に迫る。右手を千尋の腰にまわし力を込めて引き寄せ、お互いをより近づけようとする。千尋は慌てた様子もなく、観音様のように右手を開いて東一の顔を遮る。
「永遠のバージンに向かって、失礼だぞ」
自ら顔を近づける東一に、にっこり笑って人差し指で額を軽く押した後。
『パスッ』妙な軽い音がした。
千尋の左裏拳が東一の鳩尾を捉えた。
「いてっ」
さして痛がるふうでもなく、東一は千尋の肩に回していた左手を下ろして、千尋の拳を握る。
「こらこら、反則だぞ。凶器を使っちゃ駄目じゃないか」
「どっちが反則なわけ? 可憐な乙女の貞操を奪おうとする野獣さん」
おとぼけキャラに見られがちな千尋。実はこれで空手の有段者。
千尋の父は『剛柔流』の看板を掲げた道場主。門下生もかなり居る。母親は『糸東流』六段の強者。空手がきっかけで知り合ったのではなく、付き合いだしてから、お互いが空手をしている事を知ったそうだ。些細なことでムキになって、一日に一回は喧嘩をする仲良し夫婦。しかも喧嘩は道場でする変な夫婦。二人して息を切らし道場から帰ってくると、すっかり仲直り。争いの元など何処へやらだ。千尋はそんな空手夫婦の元で育った、明るく奔放な女の子だ。
幼い頃は道場に集まる門下生にかまってもらいたくて、ぶかぶかの胴着を引きずりながら邪魔ばかりしていた。見かねた父親が、ちゃんと稽古したら、おもいきり遊んで良し! と諭し、その言葉に釣られて空手を始めた。
きちんとした胴着は貰ったが、大人と同じ稽古など出来ないので、じっと待つ時もあった。
人見知りしない、良く笑う子なので、門下生から『ちー坊』と呼ばれ可愛がられた。昼の稽古が終わってからは、文字通り思いっきり遊んだ。道場狭しと皆で鬼ごっこをしたり、父親がするお馬さんに乗って得意になったりして、散々駆け回った後『ちー坊は もう ちゅかれたから 寝るね』そう言ってそのまま寝てしまうほどだった。
時には、女性の門下生と外に出て草花を摘んでリースを作ったりと、千尋にとって道場は素敵な遊び場のひとつだった。
物心がつき、女へと体か変化を始めた時。千尋は空手を続けることに抵抗を感じた。
無邪気な遊びから卒業して、意識の中に女としての『美』が芽生え、どうしても空手と結び付かない。
だが、一度始めたこと。何か徴を残したい。そう思って初段を目指し、中学の時に黒帯を得た。
その黒帯を手にした時、外見にとらわれていた自分に気付き、千尋はひとり笑った。
そして今でも、緩いペースではあるが続けている。
東一は、お構いなしに千尋に迫る。
「手負いの野獣は、凶暴になるぅ―。そして愛の力は、空手になんか負けないぞ―」
とぼけたことを言って、千尋に抱きつく。
「言葉だけの愛に、力なんか無いよ―」
千尋は軽く頭を振ると、おでこが東一の鼻の頭をを直撃。音はしないがこれは痛い。後ろにのけ反り、鼻をおさえて絨毯に這いつくばる。
「大袈裟なんだから。そんなに強くやってないでしょ」
千尋は、ニコニコしながら東一に声をかける。東一は、鼻をおさえたまま動かない。無言は本当に痛い証かも知れない。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ。みえみえの芝居だよ」
手をついて、上体を東一に寄せるようにして話しかける千尋。
東一は、すかさず手を広げて千尋を抱き締めた。
「やっと俺の胸に飛び込んで来てくれたね、千尋~」
「アホか! 馬鹿! 離せ!」
じたばたする千尋。光之と慶子は、声を出して笑っている。
笑ってはいるが、仲睦まじい東一と千尋を見て光之は思う。
『こんなに仲良かったか?』
酒が入っているとはいえ、展開が早すぎる。
光之の知る限りでは想像できない、今の二人のじゃれ合い方だ。男と女だから、きっかけさえあれば不思議などないが。
それとも、二人がいちゃいちゃしている事に、羨望と嫉妬を感じているのか。
「なんかイメージ違うな」
光之は呟く。
「えっ? なに」
慶子が聞き返してくる。
「いや。こいつらこんなに仲良かったのか、と思ってさ」
「そうだよね。なんか不思議。私も知らなかったよ」
「お前ら、いつからそんな仲になったんだ? なんなら布団敷こうか」
二人の世界に入り込みつつある東一と千尋に突っ込みを入れる光之。
「今からだ」
いとも簡単に東一が答える。反撃をしない千尋と、後はご自由に状態だ。放っておこう。
かたや、光之と慶子の間にはごく普通の距離がある。光之は目の前の二人を見ているうちに、慶子を意識せずにはいられなくなる。ビールを飲みながら、ゆっくりと首を回して慶子を見る。
肩まで伸びた、毛先にゆるくウェーブのかかった栗色の髪。長いまつ毛と緑がかった瞳。思わず押してしまいたくなるような愛らしい鼻。白磁を思わせる肌にピンク色に光る唇。女性的なふくよかさを全身に纏い、ハトとあだ名されるほどの鳩胸に目が止まる。
こいつは、亮太の彼女だ。
亮太とは夏休みに湘南旅行った。男四人のむさいナンバ失敗旅行だった。そして来月には、その四人でアコスティックライヴをやる。
東一と千尋は起き上がったものの、肩を寄せてじゃれあっている。二人きりにしてあげるべきだろう。光之は、慶子と共にダイニングに移ることにした。
「酒は取りに来るからな。それから、千尋。あんまり悶えるなよ。筒抜けだからな。東一もイクとかデルなんて言うなよ、聞きたくねぇから」
がさごそと冷蔵庫から酒を引っ張り出しながら、光之は二人に背を向けて喋る。
アコーディオンカーテンが閉まり、東一と千尋の空間とダイニングは仕切られた。
すぐさま『でるぅ~』『いくっ~』と東一の声がする。
『そんなとこ触っちゃ声デちゃうよ~』
茶目っ気たっぷりの千尋の声。二人きりになった不安はないようだ。
少しでも東一と千尋の空間から遠ざかろうと、アコーディオンカーテンから離れた窓際に座った光之と慶子。
二人のふざけた声に笑いながら、お互いの顔を見る。隣り合って座った距離がすこぶる近い。
気を利かせて東一と千尋を二人きりにしたが、こちらも二人きりになったことに気がついた。
お互い慌て視線を外し、テーブルの上の飲み物を見る。何か飲もうとしたがグラスがない。向こうの部屋に忘れてきた。
「グラス忘れてきちゃったね」
立ち上がり、流しに向かう慶子。
くびれた腰に悩ましさを感じる光之。慶子が振り向く前に、やっと視線を外した。
グラスを光之の前に置いて、
「なに飲む?」
隣に座って、光之の顔を覗き込みながら慶子が聞く。
慶子の体から漂う、甘く心地良い香りに脳天が痺れる。慶子は無防備に顔を近づけている。手を伸ばしてそっと引き寄せれば、何の抵抗もなくお互いの唇は重なりそうだ。
だが、その僅かな距離は遠く、埋めてはならない距離なのだ・・が。
向こうの空間からは、ベルトを外す音や衣擦れの音が聞こえる。
見えないだけに、余計妄想が膨らむ。男と女がひとつに繋がる姿が頭の中に浮かび上がる。
目の前には慶子。心地良い香りに痺れ、酔いも手伝って光之の理性が壊れだす。
愛くるしい慶子の顔が眩しく、どんどんとその光の中に吸い寄せられていく。
緑色の瞳から唇に視点が移る。その柔らかな部分の重ね合い。そしてその先の行為へ、猛烈な衝動が光之を襲う。
『このままじゃ、駄目だ』
微かに残る理性が囁いた。
光之の熱くたぎる視線を真正面から受けている慶子。
光之が放つ強い肉欲を感じて、高まる鼓動を抑えられない。
ドキドキとする音が頭の中まで聞こえてくる。
浅くて早い呼吸しかできなくなり、息が苦しい。過呼吸なのだ。深呼吸を何度かすれば治るのだが。そんな事をする余裕も考えも無い。
慶子は、浅い呼吸の度に上下する胸を見られるのが恥ずかしくなり、視線を落とし少し前屈みになる。
すると、光之に全身を包み込まれたような錯覚に落ちた。
光之の欲望を受け入れ、かしずく自分の姿を見た。光之に抱かれる自分の姿が浮ぶ。
このまま抱きしめられたら、心臓が破裂してしまうかも知れない。
その時、椅子がガタッと鳴った。
慶子はびくっとして、とっさに両手で肩をきつく抱き、顔を上げた。
光之はサイドボードの方へ歩きだしていた。
慶子は、深くゆっくりとゆっくりと、息を吐き出した。
「なんか強い酒が飲みたくなった」
光之はサイドボードの中からウイスキーを取り出し、ラッパ飲みしてから「慶子も飲むか」と聞いた。
慶子は立ち上がると、ゆっくりと光之の後ろに回った。
「少しの間、このままで居させて」
と光之の肩に手を乗せて、頬を寄せた。
「好きだったのに」
掠れたような慶子の声。光之には聞き取れない、小さな声。
「えっ? なに」
と聞き返すが、返事はない。
目を閉じて、そっと寄り添う慶子。
『この想いを光之に注ぎ込むことが出来たなら』 今まで溜め込んでいた気持ちをテレパシーで伝えたい。
そんな願いを込めて体を寄せる。
肩に乗せた手に、少し力がこもった。
亮太と付き合い始めて二ヶ月、後悔しない日はなかった。
好きでも嫌いでもない相手と付き合う。しかし、想いの届かない好きな人が別にいる。付き合っている相手には言えない事だ。
間接的に、光之が慶子を恋愛対象として見ていないことを知ってしまった。その砕かれた気持ちをなんとかしたくて、亮太と付き合い始めた。光之の感情を知る事と、亮太からの告白はほぼ同時だった。
胸の内を語ることの出来ない相手に、癒しだけを求める都合の良さ。それに気づかないほど慶子は落胆していた。
亮太は楽しい男だ。笑えるネタを見つけてきては、慶子に嬉々として聞かせる。ツボにはまって笑う慶子を見て、亮太も幸せそうに笑う。そんな楽しいひと時も過ごした。だから、映画を見たり、食事をしたり、お互いの家に遊びに行ったりを、抵抗なく出来ると思った。いや、思いたかった。
だが、ひとり部屋で佇む時に、浮かんでくるのは光之。どうしても出てきてしまう光之。何も要らない。ただ、光之のそばに居たい。言葉も要らない。そっと肩を抱いて欲しい。
光之を求め、長い妄想にひたる。
亮太から毎日送られてくるメール。
『好きだよ』と最後の一文に必ず入っている。慶子はそれに対して、同じ言葉を返せない。
罪悪感にかられ、携帯を放り投げる。
『ひどい女だ』と呟き、さらに落ち込む。
何度後悔しても現実は変わらない。
亮太と付き合いだした事。
光之に、なんのアクションも起こさずに諦めてしまった事。
そして、最悪の行動を取った自分。
ごめんなさいをして別れるべきだ。でも、理由を聞かれた時に、なんと答えればいいのか。
ありのままを伝えることは、恐ろしくて出来ない。都合のいい嘘など、どれも薄っぺらに感じてしまう。
伝える事も、伝えずにこのまま過ごす事も、どちらも残酷で身勝手な事だとは分かっている。
勇気を出して! 答えはひとつ! と自分を叱咤して、携帯の液晶画面を睨む。亮太の番号……。
だが出来ない。携帯が手からポトリと落ちる。そして、涙も。
光之と亮太の間に付き合いがなければ。
光之への想いを、これほどまで強く引きずっていなければ、悩むことはなかった。
そして今、万感の想いを込めて光之に体を寄せる慶子。
『辛いよ、切ないよ! ねえ、分かる? 光之。私の気持ち』
涙が頬をつたう。この瞬間の嬉しさにひたる涙なのか。それとも、後悔と自己嫌悪から流れる涙なのか。慶子には分からなかった。
ただ、今流す涙は、亮太を少しずつ消していく。
『あの時、なぜ電話に出たの? なぜ なぜ? どうして?』
抱き続ける光之への疑問。その答えを聞いたところで、何も変わらない。
悲しさと、腹立ち紛れに
「ばか。光之のばか」
光之の肩を強く掴み慶子は言葉をぶつけた。
ウイスキーを片手に、突っ立っている光之。慶子の不可解な行動に戸惑っている。
ふんわりと寄りかかっている慶子。だが、次第に密着の度合いが高まり、肩を掴む手にも力がこもってくる。
「どうしたんだよ、慶子」
後ろを見やるように聞くが、返事は返ってこない。
さっき感じた欲望は少し治まったものの、これほど密着されては下半身が無条件に反応してしまう。自分でも持て余す、若く溢れる性欲。治まるまで放っておくしかない。
光之は慶子の行動の意味を考える。
だか、何をどう考えていいのか正直分からない。
慶子との接点が少なすぎて、思い当たる節がない。はたから見ると、別れを惜しむ恋人同士? などと思ってみるが……。
寄り添うことで、何かしらの癒しになっているのか。悲しい事でもあったのだろうか。それとも、からかわれているだけなのか。分からない。
光之は、亮太の存在が気にかかる。だが、こんな状況が続けばどうなることか。隣が隣なのだ。
会話のない光之と慶子。聞こえるのは、隣から漏れる音だけ。
肌と肌が擦れ合う音が、これ程大きなものだとは知らなかった。
絨毯の上を動く二人。 重なり合う音が状況を物語る。
何かを舐める、そして吸う音。
そこにとどまる時間の長さや離れる時の音で、『唇』か『胸の膨らみ』か、或は『他のどこか』が、手に取る様に分かる。
舌の動きが粘着性のある音をたてる、吸う。そして余韻を残して離れていく。
千尋は声を出さないように耐えていることだろう。だが、その呼吸までは隠せない。高まる快感と共に、息づかいは荒くなる。
今まさに貪り合っている二人が、薄っぺらなカーテンの向こうにいる。 堪えきれずに漏らす千尋の喘ぎ声に、光之の自制心はついに壊れた。
『もう我慢できない!』 ウイスキーをぐっと飲み、欲望をむき出しにしようとした瞬間。肩をぐっと掴まれ、
「ばか。光之のばか」
光之の肉欲を見透かしたように、慶子が言葉を発した。
東一と千尋に意識を奪われていた光之。ハッとして振り返ると、慶子は泣いている。
「どうしたんだよ!」
潤んだ瞳、流れる涙。その美しさに心を奪われた。
次の言葉が出てこない。
「ばか!」
今度は、真正面から光之に言葉を浴びせ、慶子は光之の胸に飛び込んだ。
ほとばしる肉欲に身を委ねた光之。慶子の涙に驚きはしたが、もう躊躇しない。慶子をぐっと抱きしめた。左手を慶子の顎に添え、ほんの少し力を入れると慶子の顔が上を向く。唇と唇。軽い触れ合いから、絡み付くように重なる。そこが目的地であったかの如く、光之は慶子の唇を、舌を激しく求める。背中に回した手に力を込めて、慶子を更に引き寄せる。二人の間で潰れる慶子の豊かな胸。怒起した物を下腹部に押し付け、右手で慶子の臀部をまさぐる。堪えていた欲情が堰を切って溢れ出した。
光之のあまりに激しい抱擁に、息が詰まる慶子。苦しくて息が出来ない。背中に回した手を握り、光之の背中をトントンと叩いた。
慶子の異様に気付いた光之。力を抜いた。
「苦しいよ。もっと優しくして……」
恥ずかしそうに、光之の胸に顔をうめて慶子が囁く。
「ごめん……」
爆発した欲望に支配された光之。自身の乱暴さに気付き、そっと慶子を抱いた。
「ごめんね」
もう一度言い、唇を求めた。激しさは消え、濃厚な繋がりが始まる。舌先が絡み合い、お互いの唾液が往き来する。自然と光之の手が慶子の胸に。細やかな抵抗はあったが、手の動きに反応を見せ始める慶子。光之は、キャミソールとシャツの上からブラのホックを外した。ハッとする慶子。身を硬くして光之を見る。
「ここじゃ、いや」
上目遣いに訴える。
夕暮れにはまだ早く、外は明るい。ダイニングに射し込む日の光は、その力を失っていない。時折聞こえる鳥の鳴き声と、秋の爽やかな風が、少しだけ開いた窓から舞い込む。
この明るい日射しの中、素肌を見られることに恥じらいを感じる慶子。
「飲み直すか?」
「うん」
仲良く、肩と肩をくっけて座った。光之はウイスキーのロックを、慶子はキールを手に改めて乾杯。一口飲むと、光之は慶子にぐっと顔を寄せて唇を求める。酒の残り香を感じる。
シャツの裾からそっと手を差し入れて、慶子の胸の膨らみに触れる。素早く払い除けられ
「こらっ!」
と、たしなめられる。慶子は微笑んでいる。再度重なる唇。ようやく離れて、カランと音をたててグラスを空けた。
「光之、お酒強いね」
ウイスキーを注ぎながら、慶子は興味ありげに聞く。
「山口さん家で鍛えられたからな」
「山口さん家?」
「山麓の不夜城、聞いたことあるだろ」
ある。たぶん……。ろくでもない所だと。真面目君と中途半端にいきがる輩には、無縁な所らしい。
女としての貞操を守りたいならば、決して近付いてはならない所。夜な夜な繰り広げられる狂宴。放埒な男共と、いかれた女達が集まる常軌を離脱した場所。やくざも常に居る。というか、山口さんがやくざなのだ。と、噂されている所。
光之も東一も、そこに入り浸っているらしい。
城高にも、悪ぶった連中はいる。学年を越えた派閥を作り、ヌシの様な顔をしている。生意気な新入生や、気に入らない奴は当然絞められる。だがなぜか、光之と東一だけには手を出さない。
それなりの理由があるのだろう。
光之と東一も、そんな輩に興味を示さない。仲が悪いわけでもないが。
慶子は、光之が違う世界に居るような気がして、寂しくなった。何故かぼんやりと、入学式の記憶が蘇る。
退屈の中で、粛々と進められる入学式。その入学式に遅れて入ってきた光之と東一。堂々と、ステージ脇の入り口から扉を蹴飛ばして入ってきた。校長の無駄なお話しが中断され、ただでさえ静かな体育館が、更に静まりかえる。
見れば、時代遅れのくるぶしまであるヨウランを着て、サングラスを掛け、ぱっ金々のパンチパーマのヅラを被った二人。
壇上の校長、壁際に座る教師、在校生、新入生、そして、入学式に駆け付けた父兄を、順番に上から目線で見回し、
「一年!……何組だったっけ?」
でかい声を張り上げたはいいが、隣の光之に問いかける東一。
「知るかよ」
光之の返事に「そうだな」と、ひとり合点して、改めて声を張り上げる。
「金 東一。一年!朝鮮人だ。よろしく」
「同じく、一年。伊達 光之! 日本人。よろしく」
二人はもう一度、静まりかえった会場をゆっくりと見回して「誰も笑わねぇ」
「だせぇな」
そう言って出ていった。
ざわめきと共に数人の男性教師が、二人の後を追いかけた。
慶子に強烈な第一印象が植え付けられた。
田舎ではあるが、市内で一番の進学校として認識されている城山高校。まさか、こんな阿呆が居るとは。
入学式のイメージと山麓の不夜城が重なり、光之を遠く感じる慶子。自ら光之に抱きついた。
『も~い~かい?』
『まぁ~だだよ』
幼い頃唱えたかくれんぼのフレーズが慶子の頭にこだまする。そして、
『も~い~よ』
すべてを光之に預けた。
3
次の日。自分の部屋で、ある決心をした慶子。
自分のためと、亮太の気持ちを傷つけないために、亮太を好きになる努力はした。だがもう、そんな自分とさよならしようと。
亮太を、これ以上振り回すわけにはいかない。と言うより、弄ぶと言ったほうが合っているのかも知れない。
亮太の誠実さと、慶子を想う気持ちはよく分かる。
お互いが、同じだけの愛情や感情を持って接し合うなど、不可能。
どんな時でも、一方の想いのほうが強く、重い。だが最低限の共有する感情があるから、今がある。
しかし、慶子には亮太と共有する感情がない。二歩も三歩も下がって亮太を見てしまう。
慶子は、亮太を顧みて自分に問い掛ける。
問い・好きな人が出来たらどうする?
我慢できないくらい好きなら、気持ちを伝えたい。そして、受け入れて欲しいと思う。同じように、自分のことを好きであって欲しいと願うわ。
問い・仮に、受け入れてくれたら?
飛び上がって喜ぶわ!
問い・そのあとは?
なに? そのあとって。
好きだから、一緒に居たいよ。嫌われるようなこと、しないように気をつけるし。
問い・違う違う。嬉しさに舞い上がって『相手も私と同じ気持ちだ』と思い込んでいないかって、聞いているのよ。
……。
今日も晴れ渡る空。その暖かさで身を包んでくれるようなお日様。
慶子は、閉めきっていた窓をいっぱいに開け、身を乗り出して伸びをした。
お日様にこんにちはして、ゆっくりと深呼吸する。新鮮な冷たい空気が身体中を駆けめぐり、とても気持ちがいい。
久しぶりに味わう爽快感。
もう一度息を深く吸い込む。
もつれた血管が息を吹き返した。
そして、ゆっくりと息を吐き出す。
慶子の息は、秋風に乗って遠く果てしないところに流れていった。
明るい笑顔を取り戻した慶子に、雀がチュンチュンと語りかけた。
「ありがとう、雀さん。あたし頑張るよ」
続く