13
父親の言葉に、少し間を開けてあたしは顔を上げた。
「たまたまよ、まだ見つかっていないけど」
「ごめんなさい……私たち」
夜耶は、なんだか泣きそうな顔を見せていた。
変な空気になって父親は、袈裟の袖から何か名刺を取り出した。
ピンク色の名刺は、明らかに一般のものではないわ。
「それより、風俗嬢から聞いたんだが……」
「風俗はいいの」
すると、あたしの隣にいた桃は、目を大きくしてあたしを見ていた。
「ねえねえ、フーゾクってなに?」
「子供に関係ない、大人の話よ。お子ちゃま桃には、関係ないわ」
「じゃあいい、夜耶に聞く。夜耶、優しいし」
すると、すかさずあたしの膳にある最後の卵焼きを、強奪して夜耶のところにすり寄った。
「フーゾク」「フーゾク」と卑猥なことだと知らない実年齢一つだけ下のお子ちゃま桃は、夜耶のところで聞いていた。夜耶は困った顔を見せていた。
「えー、えと……」
苦笑いするしかないわね、ちゃんと説明できないみたい。
まあ、あたしも詳しい説明はできないけどね。
父親も、食事を終えて湯飲みを飲みながらあたしたちを見ていた。
「そんなお前たちに、俺が、鎮魂のヒントを教えてやろう。
菜々、夜耶、『聞き上手の三条件』を知っているか?」
「『聞き上手の三条件』、なにそれ?てか、風俗の受け売りでしょ」
「無論だ。でも、それがいいんだ」
なぜか、否定された父親にあたしはあきれ気味。
でも、前にいる夜耶は違っていた。
「教えてくれますか?私は、『聞き上手の三条件』」
真剣で、真面目な夜耶の言葉に父親は、
「それはな、教えてやろう」などと咳払いして、勿体つけていた。
すぐさま、あたしはにらみを利かせた。
「一つは、『相手に共感する』ことだ。
話す相手には、伝えたい内容が必ずある。
それは全ての文章ではなく、相手側の想いや感情の変化など、ごく一部のものだ。
話の内容をよく考え、吟味して相手の意図を組み事が大事なんだ」
「『相手に共感する』?」
あたしは、その言葉を心に刻んだ。
夜耶も、膝に抱えた桃の頭を撫でているものの、しっかり父親に顔を向けていた。
「まあ、難しいことではない。
分かりやすいところで、入試の面接を思い出してほしい。
面接官が、「あなたの趣味は、なんですか?」と聞いてきた。
どういう意味があるか、菜々はわかるか?」
「えと、そのままでしょ。面接官は、私を知りたいってこと?」
「そうだな、ここは素直に答えることが大事なんだ。
面接官は、お前を書類上でしか知らない。だから聞く。
学校を受けるのに、趣味は関係ないかもしれない。
でも、お前という人物を知らないから、情報を得るための手段だ」
「情報を得る?」
「そう、人は、初めての人間と話す時はその人となりを知りたいものだ。
だから受験生は、逆に面接で自分をアピールする。
ごく当たり前で、自然なこと。
どんな人物で、どんなことが好きで、どんなことが嫌いかを。
だから、自分を知ってもらうことが大事なんだ」
妙に力説する父親に、あたしと夜耶はしっかり聞き入っていた。
夜耶に抱かれた桃は、逆につまんなそうな顔で夜耶から離れて少し離れたところで、あたしたちを見ていた。
『鎮魂少女』ではない桃には、関係のない話だと思ったから。
それを察知してか、父親が、
「桃、お前にも関係のある話だ」
と声をかけていた。でも、ふてくされた顔で桃は父親を見ていた。
「桃は、末っ子だから……」
「関係ある。桃だって、風俗嬢としていつかデビューさせて……」
「だから風俗は、関係ないでしょ!」
さらりという父親の野心を、あたしは袈裟の首元をつかんで打ち砕く。
「さっさと話しなさいよ、このエロ坊主!」
腕っぷしの強いあたしは、父親の首元を閉めると、夜耶が
「パパ、死んじゃう」
青白い顔の夜耶が、あたしを止めた。
ぎりぎりと、理不尽に強い握力で占めたあたしに、父親は本当に仏様になるような安らかな顔を見せていた。
「わ、わかったわよ……」
あたしが手を放すと、父親の顔色が肌色に徐々に戻っていった。
父親が、ゆっくり戻って袈裟の襟を正した。
何度も咳払いして、呼吸を正してようやく正常に戻ったエロ坊主、いやあたしの父親。
でも、あたしは顔を強張らせていた。
「全く、菜々は……」
「うるさいわよ、あんた」
あたしの悪態に、やれやれと父親はため息をついた。
――中一の時、当時好きだった人とあたしは、町に行っていたの。
四回誘って、ようやくデートにこぎつけた。あたしの、初デート。
映画を見るわけでもなく、ぶらぶら町を歩くあたしたち。
そんなデートの中で、父親が偶然風俗店から出てきたの。
あたしは、もちろん無視しようとしたけど、容赦なく父親があたしに声をかけてきた。父親の声で、あたしのデートは一気に冷めてしまったわ。
結果、別れることになっちゃって――
それ以来、風俗と父親が大嫌いになったの。
「で、もう終わりなの?」
怒った顔で、あたしはご飯を口に運ぶ。
「まあ、まだ続きがある。
趣味を聞き、家族構成や、世間話をしながら、次に聞く質問と言えばこれだ」
「で、勿体つけないでよ」
「『あなたの、志望理由はなんですか?』だったら?」
父親には、目力があった。こういう時は、お茶らけた話をしない。
重い口調で言ってくるあたしは、言葉を考えた。
「志望理由ねぇ。魂体がいっぱいいるから、じゃなくて近いから、とか。
この学校も、そうやって選んだわけだし」
自分の着ているブレザーを、ちらりと見ながらあたしは答えた。
「私も、そうです」
夜耶も、真面目に答えていた。
「まあ、それだとダメだけど、意図としては間違っていない。
この質問は、菜々、お前が学校に対してどう思っているかを、問っているんだ。
これが相手の意図を組んで、話すということだ」
父親の言葉を、少し理解できた。
要は、話の内容を考えて話してきた人の知りたい答えを、出すってことね。
「じゃあ、次の『聞き上手の三条件』は?」
あたしが、次の話を聞こうとしたときに、
「菜々、そんなことより、そろそろ時間じゃないのか?」
父親が、あたしに時計を見るよう促してきた。
時間は、もう七時半。通学の時間を、迎えていた。
「ご飯食べていないの、菜々だけだね、えへへっ」
「えっ、あっ、しまった!」
あたしの前にある膳には、ご飯がちゃんと残っていた。
周りを見たら、あたし以外はちゃんとみんな食べ終えていたし。
背の低い桃は、夜耶から離れて、やっぱりあたしの残ったご飯を見ていた。
だけど、結局時間にまくしたてられて、残り二つの話はそこでは聞けなかった。