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No.441の審判  作者: 夜桜 冥


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伍の罪

選択の先にあるのは、解放か、それとも――。

裁定空間に、違和感があった。


床は相変わらず白く、どこまでも続いているはずなのに、妙に近い。

空間が、狭い。

息を吸うと、胸の内側にまで白が入り込んでくるような感覚がした。


「……なあ」


俺は、隣に立つ少女を見た。


「今回の“対象”は?」


少女は答えない。

ただ、静かにこちらを見ている。


その視線に、胸の奥がざわついた。


「……おい」


呼びかけた瞬間、床に光の輪が浮かび上がった。

いつもと同じはずの演出。

なのに、嫌な予感だけが消えない。


光が強くなり――

そこに、立っていたのは。


「……え?」


思わず、声が漏れた。


そこにいたのは、俺だった。


正確には、“俺によく似た男”。

同じ背丈。

同じ服装。

同じ、疲れた目。


鏡を見ているようで、でも決定的に違う。

あいつは――怯えていない。


「……冗談だろ」


喉が乾く。


《対象:No.441》

《罪状:未確定》


視界の端に、見慣れた文字が浮かぶ。


「……は?」


俺は、自分の手を見た。

カードは、まだ出ていない。


「ちょっと待て……」

「441って……それ、俺の番号だろ……?」


少女が、淡々と告げた。


「そう」


「……は?」


頭が追いつかない。


「お前……何言って……」

「俺は裁定者だぞ……?」


「今までは、ね」


少女の声は、静かだった。


目の前の“俺”が、口を開く。


「……なあ」

「これ、どういう状況?」


声まで、同じだった。


背筋が冷たくなる。


《裁定準備中》

《選択肢を生成します》


「やめろ……」


思わず、前に出る。


「やめろって言ってんだろ……!」

「対象がいないなら、今日は終わりだ……!」


少女は、首を振った。


「対象はいる」


「……違う……!」


胸の奥で、何かがひび割れた。


「俺は……」

「誰も殺してない……」

「盗みも、暴力も……!」


言葉が、途中で詰まる。


――本当に?


目の前の“俺”が、こちらをじっと見つめている。


「……そうだな」

「俺も、そう思ってた」


「……黙れ」


「でもさ」


そいつは、少しだけ笑った。


「見て見ぬふりは、得意だっただろ?」


心臓が、大きく跳ねた。


《選択肢生成完了》


俺の前に、二枚のカードが現れる。


《有罪》

《無罪》


指が、震える。


「……ふざけんな……」


声が、掠れた。


「こんなの……」

「裁定じゃない……!」


《残り60秒》


少女は、何も言わない。


ただ、その場に立って、俺を見ていた。


まるで――

ずっと、この瞬間を待っていたみたいに。


◆ ◆ ◆



《残り50秒》


数字が、やけに大きく見えた。


「……無罪だ」


俺は、即座に言った。


「こんな裁定、成立するわけがない」

「俺は……ただの一般人だ」


指を伸ばし、《無罪》のカードに触れようとする。


――触れない。


指先が、透明な壁にぶつかったみたいに弾かれた。


「……は?」


もう一度、強く押す。

反応は、同じ。


《無効》

《選択できません》


喉が鳴った。


「……なんでだ……」


目の前の“俺”が、静かに言う。


「そりゃそうだろ」


「……黙れ」


「無罪ってのはさ」

「“何もしなかった”って意味じゃない」


その言葉が、胸に刺さる。


《残り40秒》


視界が歪み、景色が切り替わった。


白い空間が、崩れる。


――駅のホーム。

――満員電車。

――押し合う人間。


見覚えがありすぎた。


目の前で、若い男が怒鳴られている。

スーツ姿の中年。

理不尽な言いがかり。


「……ちが……」

「俺じゃ……」


男の声は、かき消される。


俺は――

そこに、立っている。


ただ、見ているだけで。


「……あ……」


少女の声が、背後から響いた。


「止められたね」


場面が、切り替わる。


――夜道。

――酔った連中。

――蹲る誰か。


笑い声。


「やめとけよー」

「マジで泣いてんじゃん」


俺は、少し距離を取って、通り過ぎる。


「関わりたくない」

「面倒ごとは、嫌だ」


そう思いながら。


《残り30秒》


「……違う……」


声が、震えた。


「俺は……」

「俺が出ていっても……何も変わらない……」


目の前の“俺”が、首を傾げる。


「変わらないかどうかを」

「決める前に、逃げただろ?」


場面が、また切り替わる。


――職場。

――誰かが、吊し上げられている。


冗談みたいな噂。

責任の押し付け。


俺は、黙って書類を見ている。


「巻き込まれたくない」

「余計なことは言わない方がいい」


《残り20秒》


「……やめろ……」


膝が、震える。


「……それは……」

「罪じゃない……!」


「そうだな」


目の前の“俺”が、頷いた。


「法律的には、な」


心臓が、嫌な音を立てる。


「でもさ」

「それでも、誰かは壊れてた」


《残り15秒》


少女が、初めて口を開いた。


「あなたは」

「悪いことをした“人”を」

「一度も裁かなかった」


「……!」


「止めず、告げず、責めず」

「ただ、通り過ぎた」


《残り10秒》


「……それが……」


息が、うまく吸えない。


「……罪だって言うのか……?」


少女は、静かに頷いた。


「“自分は関係ない”と」

「思い続けたこと」


「……っ……」


《残り5秒》


カードが、重く感じる。


《有罪》だけが、やけに近い。


目の前の“俺”が、微笑った。


「なあ」

「他人を裁くの、楽しかったろ?」


言い返せなかった。


◆ ◆ ◆


《残り3秒》


「……待て……!」


俺は、縋るように《無罪》のカードへ手を伸ばした。


「違う……!」

「俺は……誰も……!」


《無効》

《選択できません》


指先が、空を掴む。


《残り2秒》


「クソ……!」

「こんなの……おかしいだろ……!」


声が裏返る。


「裁けって言ったのは……」

「お前らだろ……!」


少女は、ただ、見ていた。


怒りもない。

蔑みもない。

あるのは――長い時間を生きた者の目。


《残り1秒》


「……あなたの罪はね」


少女の声だけが、世界に残った。


「“選ばなかったこと”」


《時間切れ》


光が、弾ける。


喉に、あの輪が絡みつく。

呼吸が、できない。


「……っ……!」


少女は、淡々と言葉を重ねる。


「間違っていると分かっていたのに」

「声を上げなかった」


「誰かが傷つくのを見ても」

「関係ないふりをした」


視界に、映像が流れ込む。


――助けを求める目。

――視線を逸らす自分。

――何も言わず、去る背中。


「……それでも……」


喉が潰れた声で、必死に否定する。


「……俺は……」

「善人で……いようと……」


少女は、首を振った。


「善人じゃない」

「安全な場所に立っていただけ」


「……っ……」


「私も、同じだった」


ほんの一瞬だけ、少女の声が揺れた。


「最初に裁いたのは、他人じゃない」


一拍、間。


「――何も言えなかった、昔の私自身だった」


締め付けが、強くなる。


「裁く立場に立てば」

「自分は違うと思えるから」


「正しい側にいると」

「錯覚できるから」


視界が、白に溶けていく。


「……違う……」

「……そんなつもりじゃ……」


「つもりは」

「いつも、最後に無意味になる」


少女は、静かに言った。


「ここに来た裁定者は」

「みんな、同じだった」


「悩んで」

「苦しんで」


「――そして」

「自分は例外だと思い始める」


光が、俺を包む。


意識が、ほどけていく。


最後に見えたのは――

少女の、少しだけ伏せられた瞳だった。



───LOG.441-END───



――少女の視点。


白い空間から、また一つの気配が消えた。


《裁定完了》


私は、しばらく動かなかった。


「……また、だめだった」


独り言。


裁定者に選ばれ、

正しさを恐れ、

やがて、それに酔う。


「……一緒に……」

「できると思ったんだけどな」


ここは、長い孤独の場所だ。


裁く役目も、

見届ける役目も、

ずっと、私ひとり。


床に、新しい光の輪が浮かぶ。


次の“候補”。


正しさを疑わない目だった。


私は、ゆっくりと歩き出す。


「……次は」


光の向こうに、人影が揺れる。


「この人、かな」


白い世界に、足音が一つ。


裁定は、続く。

終わることなく。


そしてまた――

“自分は罪を犯していない”と信じている誰かが、


審判は終わった。しかし、真の戦いは、ここから始まるのかもしれない。


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