肆の罪
断罪は痛みを伴う。しかし、その痛みが未来を切り拓く。
次に現れた男は、最初から泣いていた。
膝をつき、床に額を擦りつけ、
声にならない声で嗚咽している。
「……ああ……ああ……」
《対象:No.1184》
《罪状:詐欺/強要/傷害》
《証拠一致率:96.02%》
「……多いな」
思わず、そう呟いた。
男は、はっと顔を上げる。
目が合った瞬間、縋るように這い寄ってきた。
「た、助けてください……!」
「俺……間違えただけなんです……!」
首元に、いつもの光の輪。
逃げ場はない。
「……間違えた?」
俺は、少し首を傾げた。
「具体的に?」
男は、一瞬だけ言葉に詰まってから、
必死にまくしたてた。
「金が……必要で……」
「借金が……!」
「脅すつもりなんて……なかった……!」
記憶が、流れ込んでくる。
――深夜の駐車場。
――逃げ場を塞がれる若い女。
――震える声で、金を差し出す手。
――倒れた拍子に、頭を打つ音。
「……」
胸の奥が、わずかにざわつく。
でも、もう――
最初の頃みたいな痛みは、ない。
「……なあ」
俺は、しゃがみ込んで、男と目線を合わせた。
「もしさ」
「お前を無罪にしたら」
男は、息を呑んだ。
「……な、なんでもします……!」
「償います……!」
「一生……!」
その言葉を聞いた瞬間、
不意に、思った。
――ああ。
――“交渉”する気なんだ。
「……じゃあさ」
俺は、静かに言った。
「何を差し出す?」
男の目が、見開かれる。
「……え……?」
「命は、俺が握ってる」
「代わりに、何を出す?」
沈黙。
男の喉が、ひくりと鳴った。
「……な、なんでも……」
その答えに、
胸の奥が、ひどく満たされる。
――これだ。
裁いている、というより。
支配している感覚。
《残り15秒》
少女は、少し離れた場所で、何も言わずに見ていた。
止めない。
咎めない。
ただ、観ている。
「……なあ」
俺は、カードを見下ろしながら言った。
「お前が本当に後悔してるならさ」
「――証明してみろよ」
男の顔が、希望に歪む。
「は、はい……!」
《残り10秒》
その瞬間、
俺はまだ気づいていなかった。
――この世界では。
――“取引”そのものが、もう裁定だということに。
◆ ◆ ◆
男は、必死に頷いていた。
「やります……!」
「なんでも……!」
その姿を見て、
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
――ほら。
――人は、命を前にすると、こんなにも素直だ。
「……じゃあ」
俺は、淡々と言った。
「許してほしければ――」
言いかけた、その瞬間。
《警告》
《裁定者の発言は、裁定に影響しません》
「……は?」
視界の端で、赤い文字が点滅する。
《残り5秒》
男も、それに気づいたらしい。
「え……? ちょ、待って……!」
「まだ……条件が……!」
「……あ?」
喉が、ひくりと鳴る。
「おい、待てよ……」
俺は、カードを見下ろした。
《有罪》
《無罪》
――選択肢は、最初から変わっていない。
「……ふざけんな……」
俺が何を言おうと、
何を要求しようと。
この世界は、
結果しか見ていない。
《残り1秒》
男が、叫ぶ。
「約束しただろ……!!」
「俺……やるって……!」
約束?
――違う。
俺は、試しただけだ。
「……っ」
だが、
その言い訳が、胸に引っかかる。
光が、勝手に走った。
俺の意思とは関係なく、
カードが弾かれる。
《有罪》
男の首元の輪が、急激に収縮する。
「……え……?」
理解が追いつかない顔。
「……話が……違……」
言葉は、途中で途切れた。
身体が、硬直し、
次の瞬間、砕けるように消える。
静寂。
《裁定完了》
俺は、しばらく立ち尽くしていた。
「……今の……」
「俺の意思じゃ……」
少女が、こちらを見る。
「違うよ」
「あなたは、ちゃんと選んだ」
「……でも……!」
「“選ぼうとした”時点で、もう裁定」
淡々とした声。
逃げ場は、ない。
「……じゃあ……」
俺は、低く言った。
「俺が、どんな気持ちで……」
「関係ない」
少女は、きっぱり言った。
「ここは、感情を量る場所じゃない」
「量るのは――」
「行為だけ」
その言葉に、
胸の奥が、ひび割れる。
――さっきまで感じていた、優越感が。
――一気に、冷えていく。
「……くそ……」
拳を、握りしめた。
「……俺は……」
少女は、少しだけ目を伏せた。
「No.441」
「あなたは、もう“裁く側”じゃない」
「……あ?」
「“裁かれる側”に、足を踏み入れてる」
その言葉が、
遅れて、胸に落ちる。
《次の対象を準備中》
光の輪が、また開く。
だが――
今回は、どこか違って見えた。
まるで。
俺自身を、待っているみたいに。
深い闇の中にも、ほんのわずかな光が射し込んでいた。




