参の罪
揺れる心、迷いの中で見えたのは、鋭い刃のような覚悟だった。
三度目だ。
そう思った瞬間、
自分でも驚くほど、心が静かだった。
床に広がる白は、相変わらず無機質で、
血の痕ひとつ残らない。
《裁定完了》
《次の対象を転送します》
「ああ……はいはい」
返事みたいに、声が漏れた。
自分でも気づく。
慣れてきている。
考える前に、受け入れている。
「……最悪だな、俺」
そう呟いたのに、
胸の奥にあるはずの重さは、ほとんどなかった。
◆ ◆ ◆
光の輪が開く。
現れたのは、
どこにでもいそうな男だった。
三十代前半。
安いシャツに、くたびれたスニーカー。
爪も短く、髪も整っている。
善人、と言われたら
大抵の人は頷くだろう。
《対象:No.1184》
《罪状:傷害致死》
《証拠一致率:94.12%》
「……またか」
思わず、ため息が出た。
男は、状況を理解できていない顔で、
きょろきょろと周囲を見回している。
「……ここ、どこですか……?」
「俺……さっきまで……」
記憶が、流れ込む。
――夜の路地。
――酔った男たち。
――「金出せよ」
――胸ぐらを掴まれる。
――必死に振り払う。
――足を滑らせる。
――鈍い音。
――倒れたまま、動かなくなる相手。
「……カツアゲ、か」
少女が、いつもの調子で言った。
「正当防衛に見える?」
「それとも、行き過ぎ?」
「……どっちでもいいだろ……」
俺は、そう答えてから、
一瞬だけ言葉に詰まった。
――どっちでもいい?
さっきまでの俺なら、
そんな言葉、吐けなかったはずだ。
男が、俺を見た。
必死な目だ。
「……俺、悪くないですよ……!」
「殴ろうとしたのは、向こうで……」
「ただ、振り払っただけで……!」
「知ってる」
口から、勝手に出た。
「そういうの、もう見た」
男が、きょとんとする。
少女が、ちらりと俺を見る。
「……へえ」
その視線に、
わずかな違和感を覚えたけど、
すぐに無視した。
《裁定者No.441》
《裁定を開始してください》
カードが、現れる。
《有罪》
《無罪》
「……なあ」
俺は、男を見下ろした。
「もし無罪だったらさ」
「お前、また夜道歩ける?」
男は、答えに詰まる。
「……え……?」
「今度は、もっと運が悪いかもな」
その瞬間――
自分の口調に、ぞっとした。
でも、止まらなかった。
「逆に、有罪なら」
「全部、ここで終わる」
「楽だろ?」
男の顔が、青ざめる。
「……ち、違う……」
「そんな……」
《残り15秒》
胸の奥が、
少しだけ、熱を持つ。
――選ぶ側。
――決める側。
――生殺与奪を握る側。
「……」
俺は、カードを見つめた。
そのとき、
はっきり思った。
“前より、迷ってない”
それが――
一番、怖かった。
◆ ◆ ◆
男は、膝から崩れ落ちた。
「……お願いします……」
「俺……生きたいだけなんです……」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、何かが冷めた。
――まただ。
同じ顔。
同じ声。
同じ命乞い。
「……なあ」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
「お前さ」
「助かったら、今日のこと忘れるよな」
男は、必死に頷く。
「はい……! 絶対……!」
「もう夜道も歩きません……!」
《残り5秒》
その様子を見て、
不思議と、笑いそうになった。
――嘘だ。
そう思ったからじゃない。
どうでもよかったからだ。
「……分かった」
俺は、カードに手を伸ばした。
触れた瞬間、
光が走る。
男の身体が、固まる。
「……え……?」
その目が、俺を捉える。
期待と、恐怖と、
理解できない現実。
全部が混ざった顔。
光が、男を包む。
「……ち、違……」
「……助……」
声は、途中で消えた。
身体が、霧みたいにほどけて、
白い床に吸い込まれていく。
静寂。
《裁定完了》
――それだけだった。
胸は、痛まない。
喉も、詰まらない。
ただ、
終わった、という感覚だけが残る。
「……」
俺は、自分の手を見た。
震えていない。
「……あれ?」
そのことが、
妙におかしくて。
少女が、横に立つ。
「三人目」
「……ああ」
「ずいぶん、早かったね」
「……そうか?」
少女は、俺の顔を覗き込む。
「うん」
「もう、“裁定者の顔”してる」
その言葉に、
一瞬だけ、胸がざわついた。
「……悪口か、それ」
「褒め言葉、かな」
少女は、くすっと笑う。
「だって――」
「さっきの人」
「ちゃんと、裁いたでしょ」
「……」
否定しようとして、
言葉が出なかった。
《次の対象を準備中》
空間が、わずかに歪む。
「……なあ」
俺は、前を見たまま言った。
「これってさ」
「俺がやらなくても……」
少女は、首を振る。
「ダメ」
「ここは、“あなたが選ぶ場所”」
「……俺が……」
「そう」
少女の声は、やけに穏やかだった。
「だからね、No.441」
「あなたが壊れるのも」
「思い上がるのも」
「全部、あなたの選択」
その言葉が、
妙に胸に残った。
でも――
もう、深く考えようとはしなかった。
《転送開始》
光の輪が、再び開く。
俺は、一歩、前に出る。
ためらいは、なかった。
――裁く側でいる限り、
――俺は、正しい。
その考えが、
疑いなく、胸に根を張り始めていた。
裁きは終わらない。だが、一歩ずつ確かに前に進んでいる。




