1話 専属メイド セリスの記録1.
私の名はセリス。
森と共に生きるエルフの国に生まれ、王女リリアーナ様の側で剣を取り続けた。
風を操り、弓を放ち、森の外でも“風の女王”と呼ばれた時期がある。
人の国では冒険者として最高峰ともいえる準超越級まで登りつめ、他国にまでその名を知られていた。それでも王女の信頼を失ったことは一度もない。
そして、この国を治める王女は予言の力をお持ちで、その予言はこれまで一度も外れたことがない。その王女が、ある日、私に直接、最重要命令を下されたのだ。
「セリス、最も信頼しているあなたにお願い、いいえ命令を与えます。約15年後、この国を亡ぼす厄災が発生します。その厄災は私たちだけでは対処しようもなく国は滅びるでしょう。しかし、私たちの国に迫る厄災を払いのける鍵となる人物が、人間の国にいます。その者を見つけ、協力を取り付けてください」
最初、私は耳を疑った。我らがエルフの国は、森の精霊に守られ、強大な軍事力も有している。この私ですら、一国の軍隊を相手にできるほどの力を持っている。そんな軟な国ではないはずだ。しかし、王女の瞳は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。王女が語る予言は、これまで一度たりとも外れたことがない。その事実は、この命令が、私の命を賭してでも遂行すべきものであることを物語っていた。
その重みを知る私は、沈黙のまま跪いた。「……御心のままに。」
王女は頷き、続けた。
「その鍵となる人物は、青属性の魔法で有名な名門貴族、アルヴェイン家にいます。その家の子供が、厄災を退ける鍵だと言われています。まだ幼いゆえに、万が一の事態に備え、成長するまで守ることも考慮し、この国で一番強いあなたにお願いします、セリス」
王女の間に吹く風が、黄金の髪を揺らした。その風すら、命令の重みを運んでいるようだった。
予言に導かれるまま、私は人間の国へと渡った。エルフの国とは全く異なる、精霊の気配が希薄な土地。正直なところ、不快感すら覚える。しかし、なぜかは分からないが、アルヴェイン家周辺では精霊の気配が多く感じられ、良い場所だった。森の中にある場所だからかもしれない。
そして、私はアルヴェイン家でメイドとして働くことになった。幸い、家は使用人を募集しており、私の能力を高く評価してくれた。長命なエルフにとって、人間のメイド仕事など、何の苦労もない。家事、炊事、掃除。すべてを完璧にこなす私は、すぐにユラ様とリア様の専属メイドとなった。
そしてここには私より前から働く先輩がいる。
盛大に水運びを失敗し、水浸しになった床を申し訳なさそうに拭く先輩メイドのリュリュに目を向けた。私より前から働いているはずだが、彼女はやらかさない日はない。正直、私の方がはるかに完璧にこなしている。私の仕事は護衛だが、この屋敷の**『完璧なメイド』**としての地位は、揺るがないものだった。しかし、リュリュのドジを眺めている暇はなくい。
私が何よりも気にかけなければならないのは、王女の予言の子供だ。そして、予想外なことに、アルヴェイン家の子供は二人いた。
リア様は、当時まだ三歳だったが、その才能はすでに当主様であるエリス様を凌駕していた。エリス様もまた、この国では最高峰の実力を持つ魔導師だ。しかし、リア様は、その母である当主を、魔法の才能、そして実力において遥かに凌駕していた。
私ですら、その成長速度には目を見張るものがあった。たった数年で、一国の当主を凌駕する魔力を持つなど、長命なエルフの歴史を顧みても、人間ではありえない。
六歳になるころには剣も習い始め、リア様が剣を振るうたびに、氷の斬撃が空気を切り裂く。父君であるアストル様が、全力で水の盾を張るも、それは簡単に砕け散っていく。私はエルフとして長年生きてきたが、こんな人間は見たことがなかった。まだ負ける気はしないが、十年、いや、もしかしたら五年程度で私をも超えていくかもしれない。
リア様こそが、王女の予言の子だと、私は確信した。 リア様の中に渦巻く強大な魔力は、私を常に圧倒する。それは、厄災を退ける力だとしか思えなかった。
しかし、もう一人の子供、ユラ様が予言の子という可能性もまだある。
そして、生まれたばかりのユラ様のお世話を始めてすぐに、私は違和感に気が付いた。
ユラ様は、全然泣かない。それどころか、ほとんど寝てばかりいるのだ。それも、まるで気絶するように眠っている。起きている時も、目に生気がなく、健康とはとても言えない状態だった。何より不穏なのは、生後間もない時に感じた微かな魔力が、その日以降、全く感じられなくなったことだ。
まるで、魔力そのものが完全に消滅したかのような状態だった。
ユラ様の母であるエリス様も当然、私も心配になり、すぐに医者に見せることにした。
診断は、私たちの想像をはるかに超えるものだった。
「稀に子供が罹る症状で、原因は分かりませんが、おそらく魔力を溜める器官に何か不具合が起きていて、いわゆる魔枯渇症であると考えられます」
医者は、深くため息をついた。
「魔力の器が……壊れているのかもしれません。常に魔力がほぼ空の状態。つまり常に魔力枯渇状態ということです」
私は耳を疑った。空の器が壊れている?魔力の枯渇が常に?魔力がなければ、生命は続かない。それに、魔力の枯渇は長い人生の中で一度だけ経験し、とてつもない苦しさと一歩間違えば死ぬかもしれない危険さを実感しているからこそ、その事実を受け入れがたかった。
医者はさらに続けた。「魔力枯渇は体に大きな負荷がかかります。」
「この状態が続けば、精神、肉体ともに一年、持って二年……」
その先を聞く勇気は、誰にもなかった。
エリス様は震える手でユラ様を抱きしめ、アストル様は無言で拳を握りしめた。その診断を聞いた私は、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。頭の中が真っ白になりかけたが、
隣で私よりもずっと取り乱しているユラ様の母と父の姿を見て、どうにか冷静さを保った。
それに、メイドとしてそして護衛とは、そうあるべきだと自分に言い聞かせて。必死に冷静を装った。
さらにあとから詳しく聞くと、魔力枯渇状態が続くと、身体能力がまともに上がらないという。対処法としては、魔力回復促進ポーションを飲ませること。医者によれば、それは一時的な処置にしかならないという。それでも、何もしないよりはましだ。私たちは、ユラ様の飲み物の代わりに、毎回これを飲ませることにした。
魔力回復促進ポーションは、高価な代物だ。毎日大量に消費すれば、並の貴族家では家計が圧迫されるだろう。しかし、アルヴェイン家は当主エリス様の才能と功績によりこの国でも屈指の裕福さを誇っていた。惜しみなくポーションを買い与えるエリス様とアストル様。彼らの、娘を想う深い愛情と財力に、私は胸を打たれた。
王女様の予言が正しければ、ユラ様は厄災を払う鍵となる存在の可能性がある。その命が、こんなにも脆いものだったとは……。
私は、自分の使命の重さを改めて感じた。何としてでも、この儚い命を、守り抜かなければならない。
◇◇
しかし、魔力枯渇の症状は、五年たっても毎日続いた。その間私は見ていることしかできなかった。医者の診断では、よくても二年で精神が崩壊すると言われていた。だが、ユラ様の精神が崩壊することはなかった。それは不幸中の幸いだった。しかし、目は相変わらずハイライトがなく、まるで人形のようだったが、起きている時は短いながらも、リア様よりは多少活発だった。
それでも、いつ精神が壊れてしまうのかと、心配で仕方なかった。
それに、医者の言う通り、身体能力がまともに上がらなかった。二歳になってもハイハイすらできず、五歳になっても、立つことはできても一歩歩くだけで倒れてしまう。しかも、その体は驚くほど脆弱で、少し倒れただけで青あざや擦り傷を作ってしまう。私は、常にユラ様から目が離せなかった。
もうこのころには王女様のいう予言の子はユラ様ではなくリア様だろうと確信していた。
そう思ってしまうほど、ユラ様はか弱かった。しかし、何についても興味を示さないリア様が溺愛するだけあって、その容姿は愛らしく、どこか人を惹きつけるものがあった。言葉は話せなくとも、その無垢な瞳でこちらを見つめられると、私は使命を忘れて、ユラ様のお世話に没頭してしまった。
完璧主義者である私にとって、ユラ様のお世話は、メイドとしての仕事というより、庇護欲を満たす、本能的な衝動だった。王女の予言を信じ、使命を果たすべきだという理性と、目の前のか弱いユラ様を守りたいという本能が、私の心の中でせめぎ合っていた。だが、その勝敗は、最初から決まっていたのかもしれない。ユラ様のか弱さは、私の心を突き動かし、いつしか私の心は、彼女のことでいっぱいになっていた。
その結果、私は完全に任務を忘れていた。リア様の信頼を得るという当初の目標も、ユラ様を大切に想う気持ちの前では、完全に二の次となっていた。いつしか私の頭の中は、いかにユラ様を安全に過ごさせ、いかに彼女を笑顔にするか、そればかりで埋め尽くされていた。
そして、ユラ様が六歳になった本来は喜ばしい誕生日の日、最悪の事態が起きた。
朝、いつものようにユラ様の部屋の掃除をしに行くと、私は信じられない光景を目にした。ユラ様がベッドではなく、十歩以上歩かなくてはいけない窓の近くで倒れていたのだ。しかも、その顔色は真っ青で、息はしているものの、今にもどうなってもおかしくないような様子だった。何か小さなものを抱きかかえているようだったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
私はすぐに、ユラ様を抱き上げてベッドへと運んだ。
ベッドに運んだ瞬間、ユラ様の身体の冷たさに、指先が震えた。
呼吸は浅く、頬に触れた肌は、まるで氷のよう。
「ユラ様……ユラ様……!」呼びかける声が、掠れていく。
どれだけ呼びかけても、ユラ様は目を覚まさない。すぐに目覚めてくれることを願っていたが、その願いは届かなかった。一日、二日……七日がたっても、ユラ様は目覚めなかった。
ユラ様の母、父、私、そしてリュリュと、交代でユラ様を常に見守っていた。心配で夜も眠れない。夜、寝台の上で灯を消しても、まぶたの裏にユラ様の顔が浮かぶ。
その度に、心臓が静かに軋む音がする気がした。リュリュもまた、ドジをすることなく、真剣な表情でユラ様を見つめていた。しかし、不思議だったことが一つだけ。ユラ様を溺愛していたはずのリア様だけが、全く動揺していないことが、私には不可解だった。
心配じゃないんですかと聞くと。リア様は「大丈夫。ユラは絶対に目を覚ます」と一言。
そう告げるリア様の瞳は、いつもと変わらず冷静そのもの。それは、まるでユラ様の眠りが、一時的なものであると、すべて分かっているかのような口ぶりだった。
リア様はユラ様を溺愛するだけでなく、絶大な信頼をしている様子。
ユラ様の母であるエリス様は、当主としての仕事をすべて放棄し、ずっとユラ様のそばで見守っていた。その姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
七日目の夜。窓の外では雨が降っていた。
その音だけが、止まった時間の中で響いている。
私は祈るように、ユラ様の小さな手を握りしめていた。
その手が、かすかに温かかったのを、今でも覚えている。
そして、八日目の朝、奇跡は起きた。
ユラ様の母エリス様の「ユラ!」という悲鳴にも似た安堵の声を聞きつけ、私は部屋に駆けつけた。すると、ベッドの上で、ユラ様が、何事もなかったかのように目覚めているではないか。
しかも、その瞳には、今まで見たことのない、澄んだハイライトがあった。まるで、別の生き物になったかのように、今まで以上に元気そうに見えた。
「ユラ様……!」
私は思わず、ベッドに駆け寄り、ユラ様を強く抱きしめた。無事だった。安堵の涙が、自然と頬を伝っていく。
その時、リア様が急に、まだ目覚めたばかりのユラ様を一瞬で抱きかかえて去っていったのは驚いた。
「リア! 待ちなさい!」
エリス様の叫び声も、リア様には届かない。リア様は、そのままユラ様を連れて、自室へと向かった。
私は、ただただ、呆然とその様子を見つめるしかなかった。




