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6話 始まりの日

(ん……首が痛い……)


 寝すぎたのだろうか。そういえば、床の上で寝落ちしてしまったはず……。

 だけど、今、身体が沈んでいるのは柔らかなベッドの感触だった。誰かが運んでくれたのだろう。


 そして腕の中には、ふかふかのぬいぐるみ。ぎゅっと抱きしめると、驚くほど心地よく、手放す気になれない。転生してから6年。ようやく抱きしめられる心地よさは本当に最高。もう一時間くらい、このまま眠っていたい。そう思いながら寝返りを打つ。


 ……と、その時。


 うっすらと目を開けると、視界いっぱいに母の顔が飛び込んできた。


「ユラ! 起きたの! よかった……! 本当に、本当に……よかった……!」


 母の声は震えていた。目元にはかすかな涙の跡。

 僕はきょとんと首をかしげる。いったいどうしたんだろう。どうして泣いているの?

 母が何かすごく安心したような、そして心配していそうな感じはなんとなく伝わってくるが言葉の切実な意味までは分からない。

 そしてドタドタドタッ、と慌ただしい足音が響く。

 父と、メイドのセリス、それにドジメイドのリュリュまでもが、息を切らせて飛び込んできた。


 セリス「ユラ様! ご意識が!」

 父「ユラ! 具合はどうだ!?」

 リュリュ「ユラ様ぁぁぁぁぁぁ!」


 耳に飛び込んでくる声はうるさいほどで、言葉の意味までは分からない。ただ、皆が僕を取り囲み、顔面蒼白で、心底から安心しきったような表情を浮かべ、慌てふためいていることだけは伝わった。


 (なんでそんなに大騒ぎしてるの? 朝から暑苦しい……) 僕はふてくされたようにぬいぐるみに頬をすり寄せる。これさえあれば、他はどうでもいい。

 そんなユラの呑気な内心とは裏腹に、父はガシッと母の肩を抱き、安堵の息を漏らした。


 そこへ――コツ、コツ、と落ち着いた足音。


 リア姉が入ってきた。

 氷のように静かな雰囲気をまといながらも、目が合うとほんの少しだけ柔らぐ。僕はリア姉のその落ち着きに、心底ほっとする。


 大の大人が四人も取り乱している中、リア姉だけは違う。やっぱり僕の姉は特別だ。全く、母も父も、それにいつも完璧なメイドセレスすらこんなに取り乱して。リア姉を見習ってほしい。

 ドジメイドのリュリュは、相変わらず大騒ぎしている。違和感は全くないのが不思議。

 大人のはずなのに、泣きそうな顔で右往左往している姿は、どう見ても子供にしか見えない。


 そんなことよりここうるさい。避難したいな。なにか母、父、セリス、リュリュが言っているようだけど、まだ理解できない。

 やっぱり言語がわからないと不便。とにかく、このよくわからない状況から逃げ出したい。でも、自分で移動するのは無謀。


 こういう時はリア姉を頼るのみ、視線で「助けて」と思いを込めて見つめる。さらに手を伸ばす。


 リア姉はすぐに読み取ってくれて、一瞬も迷わず、母と父の間をくぐり ひょいと僕を抱き上げる。リア姉の腕に抱かれた瞬間、周囲の喧騒が一気に遠のいた。

 さすがリア姉。なんでもわかってくれる。


 でも、それは裏腹に空気の温度すら、少しだけ下がったように感じる。


 リア姉はそのまま部屋を出ようと歩き出す。

 さすがリア姉。

 父と母、そしてメイドのセリスとリュリュはリア姉の急な行動に時間が止まったかのように呆けて、

 そしてようやく事実を頭で認識すると

「リア! 待ちなさい!」

 母が鋭い声を上げる。「まだ本当に大丈夫かどうか――」


 バキィィン、と音を立て、扉口に氷の壁が張り付いた。

 退路を塞ぐように、冷気が漂う。

 リア姉がドアをさりげなく凍らせる


「……!」

「なっ……リア! あなたという子は!」


 母の叫びが響く。父もメイドたちも声を上げていたが、リア姉は一切振り返らない。


 僕を抱きしめたまま、彼女はただ静かに歩き続ける。その横顔は揺るぎなく、そして僕にだけ向けられた柔らかな微笑みを浮かべていた。


 その笑顔を見ると、胸の奥が温かくなる。僕は安心してリア姉に抱きかかえられながらぬいぐるみに顔を埋めた。


 (なんかすごく…………お腹が空いた。なんでだろう。あとでリア姉に何か頼もう。それにしても、父や母、それにセリスまで、どうしてあんなに慌てていたんだろう?)




 リア姉の部屋に着いた。


 ここに来るたび思うことだけど、本当に何もない部屋だ。

 必要最低限の家具──シンプルなベッド、小さな机、そして一脚の椅子。

 装飾品はおろか、本一冊すら置かれていない。冷たい白い壁と床だけが広がり、空気まで澄んでいるように感じる。


 リア姉は何にも興味がないのだろうか。無表情で感情を読み取りにくい雰囲気と、この殺風景な部屋は、どこかリア姉自身に似ていた。

 さっきまでの、親やメイドたちの騒がしい部屋より、ここは圧倒的に静かで落ち着く。僕は胸の奥がふっと軽くなるのを感じた。


 リア姉は僕をベッドにそっと座らせると、そのまま抱きしめたまま頭をゆっくりと撫でてくれた。

 撫でられる感触は、柔らかくて気持ちいい。くすぐったいのに、離れたくない温かさがあった。


「……ユラ……よかった……」


 掠れた声が、絞り出すように僕の耳に届く。

 その言葉くらいなら、理解できる。でも、「よかった」って、何が? 何かあったのかな。親もメイドも、あんな様子だったし……。


「リア……あね……なにか、あった……?」


 たどたどしい声で問いかけると、姉は撫でる手を止め、じっと僕の目を見つめた。氷みたいな瞳の奥に、わずかな揺らぎがあるのが見えた。


 そして、ゆっくり、慎重に言葉を選ぶように話し始める。


「……ユラは、一週間……眠っていたんだよ。大丈夫だとは思ってたけど……心配、した」


 ……?

 わからない単語が多くて、完全には理解できない。やっぱり言葉覚えないと不便だな。でも、胸の奥がざわっとする。


 リア姉は僕の表情を見て、何も言わず、壁にかかったカレンダーを指さした。

 そして、今日の日付に僕の指を重ねてくれる。


 ……ああ、そういうこと。


 指でなぞった数字が、僕に答えを教えてくれた。

 僕、そんなに長く寝てたんだ。一週間も。さすがにそんなに長くねむっていたなんて自分でも驚きなんだけど。


 確かねむる前は。

 あの夜、最高のぬいぐるみを作り終え、魔力を使い切って、というよりいろいろと限界がきてそのまま眠ったんだっけ。

 あの時は、ようやく念願のぬいぐるみが作れて、満たされて、深く沈むような眠りだった気がする。でも、それと同時に、魔力も枯渇寸前。そして、魔力操作を限界を超えて酷使。さらに、今までの体の負担が一気に押し寄せてきたのだろう。


「……ごめん、リアあね」


 思わず謝罪の言葉が口から出た。たどたどしい言葉でも、姉にはちゃんと届いたようだ。リア姉は小さく首を振る。


「……違う。ユラが、目を覚ましてくれた……それが、私にとって何よりの喜び。……それに、わかってた。ユラは、ちゃんと起きるって」


 そう言って、姉は僕をもう一度強く抱きしめた。

 言葉の意味は全部は理解できなかったけれど、その温もりだけで胸がじんわりと温まる。


 姉の部屋は相変わらず殺風景なのに、今は不思議と安心する匂いがあった。


 僕がベッドから落ちていたのは、今から一週間前のことだ。

 あの夜、ぬいぐるみを作り終え、体の限界がきてそのまま眠りに落ちた。親やメイドたちは、僕がずっと目を覚まさないから、さぞかし心配したに違いない。それに、前から体が弱いことも心配されてたから余計にだろう。


 リア姉も、表情こそ冷静だったが、心配はしてくれていたらしい。なぜ、あんなに落ち着いていられたのかは分からない。何か特別なスキルでも持っているのだろうか──そんなことまでぼんやりと考える。


 ……それよりも。


 頭の奥に靄がかかっているような感覚の中で、最初に浮かんできたのは、もっと単純なことだった。


「……おなか……すいた」


 たどたどしい言葉で、素直にそう口にする。

 一週間何も食べていなければ、当然のことだ。胃の奥から、空洞をすり抜けるような軽い痛みがじわりと広がっていく。


 リア姉は、僕の言葉を完璧に理解してくれた。

 掠れるように笑みをこぼし、安堵したように肩の力を抜くと、そっと僕の頭を撫で、ベッドサイドに置かれた僕のぬいぐるみを胸元へ押し当ててくれた。


「……ちょっと、待ってて」


 短く、それだけ言って立ち上がる。

 冷たい床に彼女の足音が小さく消えていく。扉が閉まると、部屋はまた静寂に包まれた。


 僕は抱きしめたぬいぐるみの毛並みに、頬をすりすりと押し付けた。

 そこから漂う、ほんのり甘いような、自分の魔力の匂い。懐かしいようで、胸がじんわりと温かくなる。


 ああ、幸せだ。

 胸の奥の不安も空腹も、今だけは遠く感じる。

 ぬいぐるみの柔らかさに頬をすり寄せながら、僕はゆっくり息を吐いた。

 ……その平和は、すぐに破られた。

 リア姉が出て行ってから、部屋の外が騒がしくなった。この部屋まで声がうるさく聞こえてくる。


父「リア!待ちなさい」


セリス「リア様! その食事どうするおつもりですか!?一週間も食べていないのに、いきなり普通の料理なんて!」

リュリュ「リア様ー! リュリュは止めないのでー! 魔法はやめてー!(>_<)」

母「リュリュ! ぼうっとしてないでリアを止めて! あ、もう。リア。魔法を撃つのをやめなさい!!」


 ……うん、でも、だいたい想像通りだ。

 リア姉の声が聞こえないあたり、完全に無視して突き進んでいるのだろう。

 そう、これがいつものリア姉。


 天才。万能。けれど常識がどこか欠けている。

 いや、“普通”という枠に興味がないと言った方が正しい。


 ――ガキィンッ。


 扉の向こうで氷の砕ける鋭い音がした。

 やっぱり、魔法を使った。間違いない。

 リア姉は、気に入らない相手に平然と魔法を撃つ人だ。そのせいで、この家にはメイドや執事がほとんどいない。みんなやめてしまったのだ。

 以前も、執事が注意した瞬間、リア姉は「うるさい」の一言と共に、彼を氷の壁に閉じ込めた。

 その執事は、半分凍ったまま辞表を叩きつけ、翌朝には屋敷から姿を消していた。

 ……我が姉ながら、常識、社会性が絶望的なのだ。


そういえば僕も転生前に後輩のカレンにいつも「先輩って本当に常識がないというか、普通の人との観点と異なっていますよね」と言われたことがある気がするけど。僕はそんなことはない。僕はいたって普通だ。


ちなみに、今この屋敷に残っているメイドは、セリスとリュリュの二人だけ。

そして、何でリュリュとセリスがまだやめていないかというと、ただ単にセリスは強いからだ。


だから、リア姉が魔法放っても(実際によく放つ)魔法で相殺したりしてやり過ごしている。もはや常人の範囲ではない。


そしてリュリュはメイドとしては失格だが、 必要最低限のことしかせずめんどくさいことはしない。だから、僕にもリア姉にも注意など全くしないし、逆に変なことを誘ってくる始末。けれど逆にそれが功を奏して、リア姉に魔法を撃たれることはない。


まあでも、僕には関係ないけどね。何でか知らないけど僕のことだけは溺愛してくれて、リア姉は僕の頼みなら何でも聞いてくれる優しい姉だから。それよりも、早くご飯が食べたい。お腹が空いて死にそうだ。


登場人物紹介

リア姉  ユラの姉

エリス  ユラの母

アストル ユラの父

リュリュ ドジなメイド

セリス  完璧なエルフのメイド

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