五話 ???の存在&完成する究極のぬいぐるみ.
???サイド
遥か天空。
そこは崩れ落ちた聖堂のようでありながら、同時に神域の気配を孕んだ不可思議な空間だった。
砕けた大理石の柱、割れたステンドグラスの残骸、舞い散る光の欠片。あたかも時間そのものが朽ち果て、世界から切り離されたような場所。
そんな静寂を破るように、ひとりの女が優雅にティーカップを傾けていた。
透き通るような白磁のカップから立ち昇る香気は、この荒廃した空間にはあまりに不釣り合いな優雅さを漂わせる。
彼女の前には、無数の光粒が浮遊し、小さな“鏡”のように映像を投影していた。その中に映るのは、必死に糸を紡ぐユラの姿。
「……大きな力の気配が気になって覗いてみたけど……ふふふ。これは面白いことになりそうね」
女は紅茶を一口啜り、その琥珀色の液体を舌で転がし、ゆるやかに笑みを深めた。
「人族の子供が、あれほどの魔力を扱えるなんて。しかも、あの膨大な魔力を隠し通すなんて……私でなければ、気づきすらしなかったでしょう」
彼女の瞳はユラを射抜くように見つめ、楽しげに煌めいた。
「それにしてもあの子……ずいぶん面白い夢をい抱いているようね」
彼女は宙に浮かぶ別の光片を指先で弾く。そこには、ユラが開いたまま机に残したノートが映し出されていた。
歪んだ筆跡で刻まれたひとつの言葉――「ぬいトピア」。
「ふふっ……可愛らしい夢。けれど、そのために己を削り、手段を選ばぬ姿勢は……ずいぶん歪んでいて、興味深いわ。」
女は人差し指をひらりと振り、ユラの魔力の波動を丁寧に覆い隠す。
「そう……他の連中には気づかせない。この子の存在は、まだ私だけの秘密にしておかないとね」
映像に視線を戻す。
「それにしても……魔力量は鑑定できないわね。つまり魔力量に関しては私たちと同じ領域ね」
女の唇が愉悦に震え、紅茶のカップが小さく揺れた。
「魔力の扱いに関しては、私たちよりも上……隠蔽術に至っては、完全に凌駕されている。本当にすごいわね。」
やがて彼女は満面の笑みを浮かべ、カップを最後まで飲み干した。
「一体、“ぬいぐるみ”とやらで何を成すのかしら。……ふふ、本当に楽しみね。今度、会いに行ってみるのも面白そうね。♪」
「久しぶりに、退屈が解けそうだわ」
砕けた聖堂の虚空に、女の笑みが幽かに響き渡った。
彼女の傍にある赤き大剣と赤き瞳が怪しく、神々しく光る。
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ユラサイド
ふぅ、ふぅ……。
呼吸が乱れる。胸の奥が熱い。
それでも、手は止まらない。
魔力の糸が集まり、形を成していく。まばゆい光が、完成に近づくほどに強く、強く輝きを増していく。まだ、完成ではない。一秒一秒が、永遠のように感じられる。
想像を超える難しさだ。魔力操作には自信があった。この六年間、魔力枯渇を繰り返したおかげで、体の内を流れる魔力は、まるで手足のように馴染んでいる。それでも、この糸を少し動かすだけでも、至難の業だった。
体の限界なんて、最初の数秒でとうに超えている。脳が、今すぐやめろと、悲鳴をあげている。頭痛がして、視界がチカチカする。でも、諦めるわけにはいかない。
ぬいぐるみのために。
その一心で、僕は集中を続けた。約五十秒。短そうで、とても長く感じる時間が過ぎた。
ついに、完成した。
完成の瞬間、空気が震えた。
世界が、一瞬だけ、息を止めたように静止した。
まばゆい光が収まり、膨大な魔力が一つの形へと集約する。バスケットボールほどの大きさの、白い髪に髪先が赤い、ツインテールの美少女を模したぬいぐるみ。
「……っ!」
思わず、息をのんだ。少し、いや、かなり、僕自身の容姿が参考になっている気がする。髪型が違うだけ。でも、それがどうした。
分かる。僕にしか分からない。これこそが、僕が夢にまで見た、最高のぬいぐるみだ。
僕は、震える腕で、そのぬいぐるみを抱きしめた。
「……っ、ああ……」
最高の抱き心地。柔らかくて、暖かくて、僕の心を優しく包み込んでくれる。六年間という、長い、長い努力が、ついに実った。
この感触……この愛おしさ……。
僕の目に、涙が浮かぶ。転生直後から、どれだけこの感触を求めていたか。どれだけ、ぬいぐるみのない世界に絶望していたか。
言葉にできないほどの幸福感が、胸に広がる。六年間、ただひたすらに魔力枯渇を繰り返し、意識を失い続けてきた日々。そのすべてが報われた瞬間だった。
「やっと……完成した」
と喜びに使っているとそのとき
ふらり、と体が大きく傾いた。
魔力そのものは、まだ完全には尽きていない。だが、その残量は限りなくゼロに近い。加えて、限界を軽く超えた集中を何十秒も続けてきた。魔力にすべてを捧げてきた、この脆弱な肉体に耐えられるはずがない。
さらに、日々の疲れも、とうに限界を越えていた。転生してからというもの、僕が取ってきたのは普通の睡眠ではない。ただの“魔力枯渇による強制的な気絶”――睡眠もどきだ。積み重なる疲労は抜けず、体の奥に澱のように溜まり続けている。
「さすがに、限界かも……」
かすれた声が、静まり返った部屋に落ちた。
僕は愛しいぬいぐるみを胸に抱きしめたまま、その場に崩れ落ちる。白い髪が床に散らばり、丸くなった体勢のまま、ぬいぐるみと共に眠りにつく姿勢を取った。
――ああ、幸せだ。
こんなに心が満たされたことは、前世でも、転生してからでも、一度もなかった。この抱き心地。この温もり。この愛おしさ。まるで僕の魂の欠片が、ようやく戻ってきたかのようだ。六年間、胸の奥に空いたままの穴が、今、この瞬間に音を立てて埋まっていく。
瞼が、ひどく重い。視界が淡く滲み、意識が遠のいていく。だが、後悔は微塵もなかった。六年間、誰に理解されずとも、誰に笑われても、ただひたすらにぬいぐるみを追い求めてきた。その努力は、すべてこの瞬間のためだったのだ。
――そして、意識が闇に沈み込もうとした、その時。
『スキル「ぬいぬい」が、正式に解放されました。詳細を確認できます』
まるで頭蓋の奥に直接響くような、無機質でありながら神聖な声が頭を満たした。
スキルが……正式に解放?
ぼんやりとした思考が、最後の力で疑問を形にする。これまで僕が使っていたのは、不完全なスキルだったということか? 詳細を確認できると告げられても、もう考える余裕は残されていなかった。
視界はすでに真っ暗だ。
「……おやすみ」
抱きしめたぬいぐるみに、かすかな声でそう囁く。そのままゆっくりと意識を手放す。
そして、その創造を見下ろす誰かが、静かに紅茶を置いた。
「……本当に面白そうね。」
世界は、音もなく、静かに動き始めた。
登場人物
???(リュシエル) まだ謎が多い存在 赤き大剣という情報のみ語られる




