38話 戦利品と実験の真相
ガーゴイル、それにウラヌスシアという不快な気配の源が消えた今、最後にそこに残ったのは、気絶したままのカーキと、ボロボロになった実験施設だけだった。 ……はずだったんだけど。
「あれ? もう一人の方の敵がいない」
僕は首を傾げた。さっき、ウラヌスシアにどす黒いオーラを叩きつけられて、元に戻って気絶したはずのカーキの姿が、そこにはなかった。
「まさか、あの状態で逃げられた? いや、足にはシーラが放った矢をモロに受けていたはずだし、遠くには行っていないと思うんだけど……」
逃げ道はない。僕は視界を遮る瓦礫の山を、少しだけ面倒に思いながら弱く見回した。 すると、いた。 崩落した天井の直撃を受けたのか、巨大な岩の下に下半身を挟まれ、もがいている男の姿が。
ウラヌスシアの放った無差別な攻撃を至近距離で浴び、さらに瓦礫の重圧に晒されている。その姿は、文字通り「虫の息」だった。僕が手を下すまでもなく、放っておけば数分と持たないだろう。
「……。何してるの?」
僕が真上に立って声をかけると、カーキは血を吐き出しながら、恨みがましい瞳を僕に向けた。
「見……見てわからんか!? あの野郎が放った攻撃に、巻き込まれたのだよ……! ウラヌスシアめ、たかが執事の分際で、よくも私を裏切ったな! 何が『お前ごときとつるんでいる余裕はなくなった』だ。……しかも、正体を隠していたとは、どこまでも気に食わん男だ!」
吐き捨てる言葉には、怒りと憎しみがこもっている。 ……いや、どう見ても瀕死の状態なのに、よくそんなに喋る元気があるね?
吐き捨てる言葉には、怒りと憎しみがこもっている。 ……いや、どう見ても瀕死の状態なのに、よくそんなに喋る元気があるね? ゴキブリ並みの生命力かな。 それに、彼は自覚していないようだ。ウラヌスシアのオーラを浴びた際、自分自身が化け物になりかけ、人間としての理性を失いかけていたことに。
「おい、貴様……。ぼさっと見ていないで、早くこの岩をどかせ! 私はまだ死ぬわけにはいかんのだ!」
カーキは、僕を見上げながら必死に懇願……いや、命令してきた。
正直意味が分からない。敵を助けるわけないじゃん。というか、僕に命乞いどころか、助けることを命令するっていったいどういう神経しているんだか。
「ご愁傷様。それじゃあ」ぼくは去ろうとする。すると
「なっ!まさかこのまま去るきか!待て。私を助ければ、望むままの地位と名誉を授けてやろう。金か? それとも禁忌の研究資材か? 何でも用意してやる!それに、私ほど賢い研究者が死ぬのは世界の損失だ。だから、早く、私を助けろ!」
必死にメリットを提示してくるけど……。 正直、聞いているだけで呆れてしまう。
「いらないかな。君の約束なんて、期限切れの薬よりも信用できないし。それに、欲しいものは自分の力で手に入れる」
「な、なんだと……!? 貴様、この私が誰だと思って――」
カーキがさらに何かを叫ぼうとした、その時だった。 施設の崩壊と共に舞い上がっていた、淀んだ魔力の残滓が、意志を持っているかのように一箇所に集まり始めた。 それは、この実験施設で犠牲になった数多の魔物や、あるいは人間たちの無念だろうか。この世界には幽霊や魂の類が実在する。だとしたら、今、カーキの周囲に集まっている「それ」が何を目的にしているかは、考えるまでもない。
「……あ、お迎えが来たみたいだよ」
僕が指差した先。カーキの背後の影から、何十、何百という「形のない手」が伸び、彼の体に纏わり付いた。
「な、なんだこれは……!? 離せ! 寄るな! 私を誰だと思っている!」
カーキには見えているのだろうか。自分自身が踏みにじってきた者たちの姿が。 ドロリとした黒い霧が、彼の喉を、手足を、そして意識を深淵へと引きずり込んでいく。それは魔法でも物理現象でもない、この世の理が下した「報い」のようなものだった。
「……。自業自得、っていう言葉がこれほど似合う人も珍しいね」
僕は、阿鼻叫喚の声を上げるカーキを完全に無視して、踵を返した。 彼がどうなろうと、もう僕の知ったことじゃない。それよりも、やるべきことがある。本当はこの施設を丸ごともらえたら最高だったけど、もう原型がないから無理。残念。だから、せめてこの崩壊しつつある施設の中から、まだ使える機材や貴重なサンプルを回収しないとね。多少は魔道具とか面白いものがあるといいな。
背後から聞こえる絶叫と、岩が軋む不気味な音をBGMに、僕は軽やかな足取りで瓦礫の奥へと踏み込んだ。
◇◇◇
戦利品の確認の開始だ。
この実験施設は、僕が放った魔法と、ガーゴイルの攻撃によって、ほとんど壊滅状態だ。だが、それでもまだ、価値のあるものが残されている。
「うーん……。この培養液に浸かっているのは、精霊……かな」
僕は、奇跡的に割れ残っていた一つの培養カプセルに歩み寄った。いや、奇跡ではないのだろう。このカプセルはかなり、いや、とてつもないほど頑丈な作りになっていた。まるで、これがこの実験施設の心臓であるかのように。中には、手のひらサイズの小さな精霊が浮かんでいる。この精霊は、僕がイメージする、本来の精霊の姿だ。初めて見る人型の精霊。リュシエルも人型だったけど、彼女はカウントしない。リュシエルは精霊かどうかも怪しいし。
その精霊には、小さな赤い羽があった。意識はないようだが、かろうじて鼓動は続いている。
「……生きているね。よかった。これで気になっていた精霊について、もっと詳しく知れるかな? とりあえず回復するまで、しまっておこう」
僕は一応カプセルを魔法で補強し、精霊ごと丁寧にぬいレイがもつ異空間に回収した。 そして、他にも何か価値のあるものはないかと、引き続き、壊れた棚や散乱する機材の中を探し回る。すると、先ほどの怪物、ガーゴイルについての資料が、一枚の書類として残されていた。
「何々……? 『精霊の力を抽出し、大量の人間の魔力と生気を合成。さらに優れた生贄五名を核として定着させることで完成。全属性に対して高い耐性を持ち、異常な再生能力も兼ね備える。タイプ:煉獄』……へぇ」
僕は書類を読み進めながら、不快そうに眉を寄せた。
「なかなか悪趣味な実験だね。でも、生贄はたったの五人? あの巨体を構成するパーツにしては、少し少なすぎる気がするけど……。あぁ、なるほど。この資料によれば、シーラの兄とやらは、その『核』となる優れた生贄の一人に選ばれたわけらしいね。それと、精霊使いの人たちが4人で、ん?」
ふと、僕は手を止めた。 書類にある「大量の人間の魔力と生気」という記述。あれだけの巨体を維持し、僕の魔法(失敗作だったけど)に耐えるほどの強度を持たせるには、相当な数の人間を使い潰したはずだ。 けれど、この広さの施設を見渡しても、それほどの人数を収容していた形跡も、処理した死体の山も見当たらない。
「おかしいな。……まだ、隠し部屋がある?」
僕は壁を叩き、魔力を流して反響を確認しながら周囲を探索した。 すると、瓦礫に半分隠れた床に、まだ下へと空間が続いていることを示す隠し扉を見つけた。
「なるほど、これだね」
◇◇
隠し扉を開け、暗い階段を降りた先。そこには、百人を超す人々が鎖に繋がれ、力なく座り込んでいた。
漂うのは、濃厚なポーションの匂いと、腐敗しかけた生気の混ざった異臭。彼らの顔に生気はなく、ただガーゴイル製造のための「魔力供給源」として、無理やり生かされているだけの家畜のような状態だった。シンプルに言うとガーゴイルの「素材」たち。
「……なるほど。これがさっきのガーゴイルの力の源の正体なんだね。」
覗き込んだ彼らの瞳は虚ろで、何も映していない。魔力だけでなく精神まで搾り取られ、心そのものが摩耗しきっているようだ。
(まあ、他人事だからあまり気にならないけど……。でも、正直見ていて気持ちいいものではないね。美的センスに欠けるというか)
僕は淡々と思った。彼らがどうなろうと、僕の知ったことではない。だけど。
(そうだね……実験がてら、回復させてあげようか。高位回復魔法の実験台として。僕は痛いのが嫌いで怪我をしないようにしてるから、自分に使う機会がなかなかないんだよね。ここまでボロボロな被験者は珍しいし、ちょうどいい練習台になってもらおう)
まずは、小手調べ。
「『ヒール』」
最も初歩的な魔法を放つ。光が彼らを包み、表面的な擦り傷がわずかに癒えた。だが、根本的な衰弱にはほとんど効果がない。
「うーん。欠損や重度の衰弱があると、初歩の術式では干渉力が足りない、と……。それじゃあ、次はもっと上の、最近ようやくできるようになった…かもしれない難易度の高いやつを試そうかな。ある本屋さんで買った本に書いてあった、なんか失われた魔法とか言われているらしい古代魔法。理論的には完全回復するとかなんとか」
僕は必要以上に魔力を練り上げ、新しい術式を展開した。
「――『エクステンドヒール』!」
過剰なほどの魔力が地下室を埋め尽くす。 効果は劇的だった。人々の見た目はみるみるうちに回復していく。欠損していた腕が生え、潰れていた眼球すら再構築される。 さすがは回復魔法の奥義に位置する術式だ。「死んでさえいなければ修復できるのでは?」という僕の仮説は証明された。 だが、肉体が完璧に治っても、彼らの表情は依然として虚ろなまま、人形のように動かない。
(身体的な修復は完璧。だけど、一度死にかけた精神までは従来の魔法じゃ戻らないか……。うーん。それなら、いっそ新しく作っちゃおうか)
僕はその場で魔法をゼロから組み立てることにした。いわゆる「オリジナル魔法」の作成だ。 黒属性による精神操作を用いて「意識を強制再起動」させ、黄属性で精神安定と気力を活性化させる。そこへ僕の魔力を直接「生気」の代用として流し込むイメージ。
「――『メディテーション』」
僕が唱えると、地下室に穏やかで温かな光が降り注いだ。 虚空を見つめていた人々の瞳に、わずかに焦点が戻り始める。
だが、その直後。彼らは糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「……あ、倒れちゃった。やっぱり負荷が大きすぎたかな?」
僕は倒れた一人を軽く突き、容体を確認する。どうやら、普通に生きているし、身体面でも精神面でもともに回復していそうだった。精神面については、表情の観察だけで、根拠はないけどね。
「無理やり精神を活性化させたからね。一応、安定するように術式を組んだつもりだけど、普通の人間が耐えられる容量を超えていたのかも。……まあでも、生体反応は正常。精神の基盤も修復できたみたいだ。しばらく眠れば、不快な記憶ごとスッキリ目覚めるんじゃないかな。僕ってば親切だね」
僕は満足げに頷き、魔法の成果を脳内のメモに書き留めた。
さて、問題はこの百人以上の「元・素材」たちだ。 僕が固定している氷柱も、きしきしと嫌な音を立て始めている。そろそろ限界だ。このままここに置いておいたら、目覚める前にこの戦闘で傷ついた空間の崩壊に巻き込まれて、全員ぺちゃんこになって死んじゃう。
「一応、地上までは運んでおかないとね。せっかく綺麗に治したんだし、ここで壊れちゃったら僕の実験の成果が無意味になっちゃう」
とはいえ、一人ずつお姫様抱っこして運ぶなんて、日が暮れるどころか年が明けちゃうほど効率が悪い。そもそも、そんな重労働は僕の性分じゃないしね。
(なら、これかな。一番『お片付け』に向いてるやつ)
「……よいしょ」
僕は床に手をかざし、術式を展開する。 瞬時に、半透明の氷で作られた「巨大なソリ」が数台、滑らかな音を立てて形作られていく。 底面は摩擦係数を極限まで減らした鏡面加工。側面には、運搬中に中身……じゃなかった、人々がこぼれ落ちないように高めの柵を設けた「特製お片付け台車」だ。
「ぬいレイたち、出番だよ。あとは任せた。丁寧に、かつ迅速にね」
僕の影から、数体のぬいレイがぽんぽんと姿を現す。 彼らは短い手足でテキパキと、気絶している人々を次々と氷の台車に乗せていった。自分たちの体より何倍も大きい大人を、魔力による怪力で軽々と放り込んでいく光景は、端から見ればシュールで、どこか微笑ましい。
「よし、出発」
僕の合図で、ぬいレイたちが巨大な台車を「よいしょ、よいしょ」と押し始めた。 摩擦のない氷の台車は、重量を感じさせない軽快さで、崩落寸前の通路を滑っていく。
百人以上の人間が、可愛らしいぬいぐるみに押されて地下施設からドナドナされていくという、あまりにも奇妙な大行列。 その後ろを、僕は鼻歌まじりに、崩れゆく施設を惜しむこともなくついていくのだった。
◇◇◇
ぬいレイが、回復させた人たちを地上に運び終えるのを見届けて僕は、リュリュと合流した。
外はすでに静まり返り、濃紺の空がわずかに白み始めている。
「リュリュ、終わったよ。そっちも終わってる?」
「フッ。わたくしの偉大なる盟友。こちらもすでに終わっています。一応このサシガメなる珍しき魔眼をもつ少女は生かしてあります」
リュリュが言う通りそこには、リュリュと戦った少女の暗殺者が厳重に拘束されていた。手、口、足、目をしっかり縛ってある。そして、苦しそうに喚いていた。見た目に目立つ傷はない。つまり、膨大な魔力に苦しんでいるのだろう。そして、あえてリュリュは気絶させたりせずに、ただ拘束。
暗殺者のその瞳は涙で潤み、恐怖に震えていた。
しかし厨二病全開のリュリュと、アール(ユラ)に、敵への同情心などという高尚なものは存在しないらしい。
「あ、生け捕りにしたんだ。ナイス。魔眼の構造には興味があったから、後でじっくり実験させてもらうよ」
僕が淡々と告げると、少女がひっ、と喉を鳴らした。
まあ、実験といってもそんなグロイことは一切しないんだけどね。だって、血を見るのは嫌だから、今まででって戦いでも敵味方関係なく血を流さないように氷をうまく使っていたぐらいだよ?ただ、鑑定したり、魔力を流してみたりするだけ。
さて、でもそれは後回しだ。
「そういえば、シーラは? 近くに運ばせたはずだけど」
吹き飛ばされてきたシーラを僕はあの時ぬいレイに、安全な場所つまりリュリュのところに運んで行くように指示しておいたのだ。
僕がそう言うと、リュリュは少し考えてから、シーラが倒れている場所を指差した。
「その人は確かにぬいレイが運んできたけど、死にそう」
リュリュは、厨二モードではなく若干普通のモードに戻りながら言った。
「あ、ほんとだ。そういえば、すぐに回復させてあげればよかった」
指差された先、シーラは横たわっていた。ガーゴイルに吹き飛ばされた際の衝撃と、蓄積した衰弱。彼女の顔は土気色で、今にも魂が指の間からこぼれ落ちてしまいそうだった。見た目はもうしんでいるかのようだけど、魔力の波長がわずかに感じられる。 ……あ、そういえば回収した時点で致命傷だったっけ。放置して戦利品を漁っていたのは、少しだけ気が回らなかったかもしれない。
僕は、すぐに魔法を発動させる。
温かな光がシーラを包み込むと、瞬時に細胞が活性化し、青白かった肌に赤みが戻る。重い瞼がゆっくりと持ち上がり、濁った瞳が僕を捉えた。
「……あれ、私は……死んだの……?」
「いいや。死んでないよ。それと、敵は殲滅した。君の仇だったカーキも、死んだよ。」
僕の言葉に、シーラはしばらく無言で涙を流した。だが、その涙には達成感も歓喜もない。
「そう……終わったのね。……結局、私は生き残ってしまったのね」
彼女は、自分の無力さに打ちひしがれていた。手元にある、今は亡き弟との思い出のブレスレットをぼんやりと見つめるその瞳には、生きる目的を完全に喪失した者の「虚無」のみが溜まっている。
その表情に僕は思うところがあった。
どんな返答が来るか予想できているが僕は、あえてシーラに問いかける。
「これから、どうする気?」
「どうしようかしらね。もう、私には大切な弟もいないし、母もいない。復讐すべき相手もいない。もう、気楽に過ごそうかな。」
彼女の言う「気楽」は、おそらく言葉通りの意味じゃない。光を失った瞳が、生への執着を捨てたことを物語っている。
僕は、シーラにそれを指摘せずに語りかけた。
「それならさ、僕の仲間にならない?特に目的はないんでしょ?シーラ。まだ、かかわってわずかだけど、知識、計画性、対応力を見込んでね。」
僕は、正直彼女が欲しいと思っていた。彼女のような過酷な状況で過ごすものはそうそういない。そして、聞く限り彼女は幼いころから計画的に物事を進めてきたということも分かっている。彼女の部屋に隠されていたノートにはとても理論的な納得できるカーキ討伐の長期計画が記されていた。さらに、カーキ討伐だけでなく、その後も見据えて、良き貴族として政治をする計画までもたてていた。まあ、シーラの弟の死という感情的な動機で計画を台無しにしたことは減点だけど、それにしても優秀だ。それに、この屋敷に閉じこもりながらも、外の情報を得ている情報収集能力や、戦いなれてないはずなのにとっさの対応力でカーキに一撃を与えていたことを考慮するととても良い人材だ。是非とも引き入れたい人材だ。
「私は、そんな大した人じゃないわ。
昔は神童なんて大それたふうに言われたことあるけど、私に出来ることなんて。私は、実際に何も……」
(やっぱりマイナス思考。深い絶望に堕ちている。協力してくれるかいなかの問題ではない。
それにしても、やっぱり、昔の自分に似ている。シーラを見ていると嫌な自分を思い出してイライラがする。すべてを失い、マイナス思考の泥沼の中で、ただ死を待っていた頃の僕。目の前の少女は、僕が必死に切り捨てたはずの「嫌いな自分」そのものだった。)
「言い訳はいいよ。君には才能がある。それこそ、そこにいるリュリュ以上にね」
「えっ、それは聞き捨てならな……!」
不満げに割り込もうとしたリュリュの顔面を、ぬいレイが背後から無言でムギュッと塞ぐ。
「それを無駄にするのは、もったいないし、何より、そのマイナス思考が、僕の主義に反する」
そう。才能が生かされないことはもったいない。でも、それより重要なのは、マイナス思考という、僕の最も嫌いな考え。
僕は、そう言って、さらに言葉を続けた。これは、シーラに向かっていているようで、一番は昔の自分に向かって言いたい言葉だ。ぬいぐるみに出会ってからの自身は大きく変わり、好きな自分だけど、ぬいぐるみに出会う前の誰よりも嫌いな自分自身に向かって。
「なんでそんなあきらめ思考になるの?そんなの楽しくないよ。わずかでも希望を見出しあがけばいいじゃん。僕は、どんな無謀だとしても、本当に実現できないかもしれないことだろうとも夢に向かってあがく。その方が絶対に楽しい」
今の僕は、マイナス思考をしない、するにしてもすぐに切り替えられる。だけど、前世。ぬいぐるみに出会う前の僕は今のシーラと同じくらい、いや、それ以上に酷かったと思う。多くを失い、マイナス思考の極致まで至っていた。僕はそんな昔の自分と似た境遇のシーラに昔の自分を重ねているのかもしれない。
そして、今、昔の自分に言いたかったことを、今の考えを吐き出している。そうでないと、普段の僕ならたとえ自分のためとはいえ他人にここまで干渉しない。)
シーラは「そう。あなたは強いのね。力もそして思いも。でも、私には無理だわ。母も兄も失い希望なんて」
「希望は見出すもの。失っても新たに無理やりでもいいから見出せばいい。可能性が低くてもそれにすがればいい。君は、兄を、母を失ったと言った。けれど、君は、自分の目で確認したの? わずかの可能性を信じなかったの?」
「え?」
シーラは、驚いて僕を見つめた。
「確かに、君の兄が死んだのは確実だ。君も確認したからわかると思うけど。だけど、君の母は、おそらく生きていると思うよ。僕の予想でしかないけどね。生贄リストに載ってなかったから、僕が助けた人たちの中にいるんじゃないかな。」
僕の言葉を聞き、シーラは、僕が連れてきたたくさんの気絶している人たちを見た。そして、その中に、一人の女性を見つけ、目を丸くして驚いた。そして、彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちた。可能性はあるとしても確実ではなかったが、反応を見るにどうやら、本当にいたようだ。
「それに、そうじゃなくても、好きなことを見つけて楽しまないともったいない。もしないのなら、何か夢中になれるものを希望を用意してあげる。ぬいぐるみという最高の希望を。」
そう。僕を深い絶望から抜け出させたただのぬいぐるみ。ぬいぐるみのおかげで、なぜかは知らないけれど僕は少しずつ深い絶望という名の力をぬいぐるみの依存へと変換させることができたのだ。
そんなぬいぐるみを(ぬいレイ※色がシーラの髪色と同じ(色は未定)で、ひび割れたガラスをイメージする特別仕様のファッション)渡す。もちろん、抱きしめると、心がわずかに落ち着く魔法付き。さりげなく、ぬいぐるみを好きになってもらうための仕込みだ。
「だから、僕のために組織を運営してよ。理不尽に抗う力も、僕のようにぬいぐるみを信じれば手に入るかもしれない。……これが最後の質問ね。やる? やらない?」
僕はぬいぐるみを彼女の腕の中に押し込んだ。
「断るなら、この組織はリュリュに任せるけど」
「……むぐぐ、むぐぅ!(無理だしやりたくないですぅ!)」
ぬいレイに口を塞がれたまま暴れるリュリュを無視して、僕はシーラの反応を待つ。彼女の瞳には、先ほどまでの虚無ではなく、微かな、だが確かな熱が灯っていた。
「……私に、できるかしら」
「できるよ。あとは突き進む覚悟さえあればね。……10分だけ待ってあげる。僕はその辺を物色してくるから、よーく考えて決めて」
僕は踵を返し、鼻歌混じりに瓦礫の奥へと消えていった。 背後で、ぬいぐるみを強く抱きしめるシーラの気配を感じながら。
◇◇◇◇◇◇
数分後、シーラは母親らしき女性と短く言葉を交わし、一人で僕の前に戻ってきた。 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、僕を見つめるその瞳には、もう暗い影は一つもなかった。
「決まった?」
「ええ。私、あなたに……いえ、アール様に協力させてください。是非、あなたの元で働かせて」
その、表情に暗い影はひとつもなかった。少しあどけない雰囲気はあるが、さっきより圧倒的に良い表情をしている。
僕はシーラの言葉に快く頷く。
「うん。いい返答だね。よろしくシーラ。」
「ええ」
さらに、彼女はわずかに頬を染め、照れくさそうに言葉を続けた。
「それと、まだ、明確な目標はないけれど、一つ、やりたいことがあるの」
僕は、シーラに問いかける。
「何?」
「あなたに、...アール様に恩返しがしたいわ」
それは予想外の言葉だった。真っ直ぐな好意を向けられるのは、どうにも喉の奥がむず痒い。
「それに、確かに言う通り、私はただただマイナス思考になっていたわね。でも、今はあなたという希望がある。まずはこの家を母と共に再建して、立派な組織を作ってみせるわ。それに一度は諦めていた私の夢――みんなが幸せになれるような仕組みを、貴族として作っていきたいの」
シーラの目には、先ほどよりも、多少強い光が灯っていた。なぜ僕自身がシーラの希望になってしまったのかはよくわからないし、むずかゆいけど、前よりよっぽどいい。
ただ、みんなが幸せというのは無謀じゃない?
「うーん。自分の意志を、理想を貫くというのは僕は結構好きだけど、……みんなが幸せ、ね。正直、僕は不可能だと思うな。幸福と不幸は常に均衡を保つものだし、何より幸せの定義は人それぞれだよ」
「ええ。それでも実現させるわ。ぬいぐるみを信じれば何でもできる。そうでしょ?」
僕が教え込んだ「ぬいぐるみを信じる」という最強の概念を盾に反論されると、うんとしか言えない。
言葉の選び方はとってもうまいね。さすが、僕が見込んだだけはある。
「うん。確かにそうだね。」
「それに、『みんな』の定義に敵は入っていないから大丈夫よ。私の、そしてあなた様の意志を邪魔する者は排除するだけだもの」
その言葉には、清々しいほどの傲慢さが宿っていた。自分の理想を貫くために他を切り捨てる……いいね。実に僕好みの、自分らしい考え方だ。
「そう。それなら、そこの助けた人たちをこき使ってあげるといい。一応、僕に協力する意思がない者は、どうするかは任せるけど」
「分かったわ」
シーラは、力強く頷いた。
「それと、これをあげる」
僕は、さりげなく作っておいたぬいセカをシーラに渡す。
「シーラ、君のステータスは……『属性:赤』『魔力量:650』『スキル:見つけし希望』『称号:×あきらめの境地×』……」
僕は、心の中で、シーラのステータスを確認する。
「ちょうど今、スキルを得て、称号が一つ消えたようだね。」(ついでに、僕自身も赤属性も手に入った。ラッキー)
「そうなの?」
シーラは、自分のステータスに気づいていないようだ。
「それと、資金を少し貸してあげる」
僕は、そう言って、白金貨二十枚を渡す。
これは、シーラが、地盤を整えるための必要不可欠な資金だ。
この屋敷の地下は完全に崩壊し、それ以外にも傷跡が残る。それらを修復をするのに。それと、ことを起こすのに必要な資金として。人を雇ったり、貴族として成長したりするためにね。
それに、この屋敷の良さそうなものは全部僕とリュリュが回収しちゃってないし、必要な物資をそろえるためにもね。
「こんなにいいの?ここのものはもう全てあなたのものなのに?」
「これくらい無いと屋敷を修復できないでしょ。貴族としてやっていけないだけじゃないどころか、生きていくのも難しいよ。それにあげるわけじゃない。倍にして返してもらうよ」
「そうね。それがいいわ。それと倍じゃなくて、十倍にして見せるわ」
うん。僕の好きなような考え、雰囲気だ。シーラの目は、もう、希望に満ちていた。
「うん。期待してるよ。」
「ええ。」
「それじゃあ、僕たちは行くね。最後に聞いておきたいことはある?」
「いいえ、大丈夫。答えは自分で見つけてみせるわ」
僕が踵を返そうとした、その時。戦いが終わり、緊張が解けて「普通モード」に戻ったリュリュが、思い出したように口を開いた。
「あ、質問いいですか? そういえばアールちゃんが来る少し前に、メイドの人がブツブツ言いながらどこかへ行くのを見たんですけど。……あれ、気にしなくて大丈夫?」
◇◇◇
それは、わずかに時間を遡る。 アール(ユラ)の戦いが終わり、シーラが奇跡の蘇生を遂げる前のこと。屋敷の外では、リュリュが暗殺者を拘束し、勝利の余韻に浸りながら優雅にポーズを決めていた、その時だ。
◇シーラを慕う一人のメイド サーシナside ◇
轟音と地鳴りが、サーシナの全身を揺さぶった。
壁紙が剥がれ落ち、屋敷の堅牢さが、まるで紙のように引き裂かれていく。サーシナは、その破壊の音を聞きながら、屋敷の外の陰で身を潜めていた。侵入者が屋敷の地下、おそらく当主の秘密の実験室がある空間で、カーキと激しい戦闘を繰り広げているのだろう。
この振動の力は、常軌を逸していた。
(あのぬいぐるみ(アール)……。異常なまでの強さだった。実際にその力を目にしたわけではないが、感じたのだ。あのぬいぐるみの異常な強さを。攻撃をしようとした時、カーキやウラヌスシアを前にした時よりも圧倒的な差を。強大な力を持つカーキ、それにあの執事ウラヌスシアももしかしたら、あのぬいぐるみによって倒されるかもしれない)
長年、自分とシーラ様を縛り付けてきた「諸悪の根源」の崩壊。 それは、サーシナが心の奥底でずっと願い続けてきた未来だった。もしかしたらこの悪夢が本当に終わるかもしれない。自分の罪も、この悪夢も、終わる。そんな、歪んだひと時の安堵をサーシナにもたらした。
しかし、そんなことを考えている暇じゃないことをすぐに思い出す。
頭の中で、何より大切なシーラ様の言葉がこだまする。「ごめんなさい」。
脳裏に響くのは、部屋を無理やり追い出された直後に聞いたシーラ様の、あの悲痛な謝罪。 そして、クルト様が命を懸けて残した、消された文字の痕跡。私がのうのうと気絶させられていた間に一人で、あの化け物の元へ向かってしまった。
(シーラ様…!)
「シーラ様……!」
サーシナは、縋るように左手の指輪に触れた。 主従の絆であり、互いの位置を示す銀の指輪。それが今、指を焼くような微かな熱を帯び、屋敷の外郭――瓦礫の山となった庭の方向を指し示していた。
サーシナは立ち上がった。震えて動かない足に鞭を打ち、崩落しかかった通用口を潜り抜け、外へと飛び出す。 そこには、かつての美しい庭園の面影など微塵もなかった。 巨大な岩が転がり、土煙が月明かりを濁らせる死の荒野。その惨状の只中に、彼女の視線は吸い寄せられた。
屋敷の残骸に背を預けるようにして、シーラ様が倒れている。 高貴なドレスは見る影もなく血と泥に汚れ、頭部の横には、吐き気を催すほど鮮やかな赤が広がっていた。
(あぁ……。あれは、もう……)
長年、この屋敷で「死」を間近に見てきたサーシナには分かってしまった。あの血の量、あの姿勢。この呪われた場所に、奇跡などという甘い光が差し込むはずがないのだ。
「守り切れなかった……」
足が、地に縫い付けられたように動かない。 直視することさえ耐え難い。これは、自分自身の存在意義と、唯一の贖罪の機会が、永遠に、完璧に断たれたという絶望だった。
駆け寄って、その冷たくなっていく体を抱きしめることさえできない。 臆病な自分、逃げ続けてきた自分。そんな穢れた手が触れれば、あの方の最期まで汚してしまうのではないか――そんな罪悪感が、彼女の歩みを拒ませた。
ふと、瓦礫の隙間に、一塊の布切れが落ちているのが見えた。 それは、かつてシーラ様が「私とお揃いよ」と微笑んで贈ってくれたハンカチ。魔道具としての価値ゆえにウラヌスシアに没収され、二度と手元には戻らないと思っていた大切なもの。それが皮肉にもこのタイミングで見つかり、そのハンカチがシーラ様の肩身に見えてしかたがなかった。
サーシナは、拾い上げたわずかに汚れたハンカチを、強く握りしめた。
シーラ様は死んだ。死んでしまった。
その事実だけが、彼女の脳に、冷たい楔となって打ち込まれた。
守り切れなかった。
贖罪の機会は失われた。
瓦礫の山に、これ以上留まる理由はない。
恐らくカーキは、ウラヌスシアは、あのぬいぐるみに倒されるのだろう。私を、そして、シーラ様を苦しめた諸悪はようやく。なんとなくそう確信している。
しかし、もうどうなろうと興味がない。
生きている意味などないのだから。
あの方がいないこの場所に、もはや留まる理由などない。
(死んだ方が、楽になれるのかな)
そう思いながらも、自分から死を選ぶ勇気さえ、今の彼女には残っていなかった。 できるのは、いつだって逃げることだけ。今までも、これからも。 サーシナは、シーラ様の「死」を実感させるこの場所から逃れるように、ただ絶望と罪の意識だけを胸に、夜明け前の闇の中へと消えていった。
回想終わり
◇◇◇
ふと、リュリュの頭にあのメイドのことがよぎった。厨二モードのリュリュですら話しかけるのを躊躇うほどの、異様な悲壮感を纏って去っていった彼女――サーシナ。
シーラにこのことについて聞かずにはいられなかったのだ。
「……おそらく、私を今まで支えてくれていたメイドのサーシナね」
シーラは遠くを見つめるような目で、寂しげに呟いた。
「彼女は私と同じく、カーキとウラヌスシアの被害を一番受けていたわ。……悪夢からようやく解放されて、役目を終えたと思ってここを去ったんでしょうね」
だが、その場にいたリュリュは首を傾げた。 僕は、感情の機微には疎い方だ。それに、当時の状況はぬいレイたちから共有された断片的な情報でしか知らない。けれど、目の前のシーラの推測と、去っていったメイドの思い――それは決定的に食い違っているような気がした。
確証がないので僕は口を挟まなかったが、リュリュは直感に従って問いを重ねる。
「……何というか、少し違う気がします。単に解放されたという雰囲気ではなくて、どこかひどく悲しそうで、それでいて……」
「それは、私が彼女を突き放してしまったからよ」
シーラがリュリュの言葉を遮るように、自嘲気味に笑った。
「あの時の私は冷静じゃなくて、彼女を無理やり部屋から追い出して、ひどい言葉を投げつけてしまった。私のことを心から心配してくれていたのに。……きっと、私に愛想を尽かしてしまったのね。でも、それでいい。私は彼女に、自分に縛られることなく自由に生きてほしいから。……ちょうど、よかったのよ」
強がる彼女の言葉とは裏腹に、その横顔には隠しきれない孤独が滲んでいた。 リュリュはまだ何か言いたげに口を動かしたが、僕は懐中時計を確認して顔をしかめた。
「リュリュ。……そろそろ帰るよ。これ以上遅くなると、時間帯的にセレスにバレる」
その名前が出た瞬間、リュリュの顔色が劇的に変わった。
「えっ!? そ、それはマズいです! セレスさんに怒られるのだけは、絶対に勘弁です! 早く、一刻も早く帰還せねばなりません!」
さっきまでの感傷的な空気はどこへやら。リュリュは雰囲気などかなぐり捨て、大慌てで帰路の準備を始めた。
「じゃあ、シーラ。あとは任せたよ」
「ええ。必ず、あなたの役に立って見せるわ。――あなた様のために。そして、私自身のためにもね」
迷いの消えたその言葉に、僕は満足して頷く。だが、立ち去る間際、ふと思い出したように彼女の心にトゲとなって刺さっているであろう存在に触れた。
「……それと、そのメイドさんのことだけど。君がいつかこの場所を立派に再建できたら、案外、向こうから君を見つけに来ることもあるんじゃない?」
僕が投げかけた、ある種無責任で、けれど確信に近い言葉。シーラは驚いたように目を見開いた。
「……そうね。そうなれるように、精一杯あがいてみるわ。この子と一緒に」
シーラは腕の中のぬいぐるみを、壊れ物を扱うように、それでいて力強く抱きしめた。 もう、彼女が絶望の淵に戻ることはないだろう。その確信を持って、僕はリュリュの後に続いた。
背後で完全に沈黙していく、崩落した実験施設の気配。 瓦礫に飲み込まれた悪意も、報われなかった悲鳴も、すべては夜の闇に溶けていく。
僕たちは一度も振り返ることなく、夜明け前の薄暗い闇の中へ。 自分たちの居場所……「日常」という名の、もう一つの戦場へと急いだ。
忙しい日が続いてますので、ミスの増加や投稿の不安定が目立つかもしれません。見直しは後ほどする予定です




