37話 煉獄の魔物
目の前に現れた化け物。それは、造形としての完成度とは裏腹に嫌悪感を抱かせる存在だった。
黒き金属の光沢と、太古の岩石のような無機質な体。背中に広がる禍々しい翼。そして全身から溢れ出し、周囲の空間を侵食するように燃え盛る赤きオーラ。一見すれば、それは強大で荘厳,そしてかっこいい「煉獄の守護者」のようにも見えただろう。
だが、そのガーゴイルが纏う黒い霧のような気配……それは、この世界のあらゆる生命が維持に必要とする「魔力」とは根本から異なる、なにかだった。既存の理と決して相容れぬ、おそらく負の法則から生じたどろりとした気配。それが僕の感覚を逆なでし、ひどく不快にさせる。
(……うん、決めた。少し本気で潰そうかな。見てるだけで酔いそうだし)
僕が思考を切り替えた瞬間、ガーゴイルが応じるように翼を大きく広げた。 その石翼の周囲に、瞬時にして百を超える火球が生成される。巨体に見合わぬ超加速――空気を爆ぜさせ、そいつは僕に向かって一直線に突進してきた。手にした槍には、どす黒い赤色を帯びた爆炎が纏われている。
ドォンッ!!
爆震と共に、ガーゴイルの槍が僕の立っていた地面を粉砕した。追撃とばかりに、滞空していた無数の火球が流星群のように降り注ぐ。
ゴオオオオオオ!
正確無比な飽和攻撃。爆発の余波は地下施設の壁をえぐり、耐熱仕様の石材を瞬時にして溶融させ、灼熱のマグマへと変えていた。
「素晴らしい! 素晴らしいぞ! これほどの力があれば、国の一つや二つ、赤子の手をひねるより容易く滅ぼせる!」
瓦礫の山の上で、カーキは血走った瞳を輝かせ、勝利を確信したように高らかに叫ぶ。ウラヌスシアもまた、ガーゴイルの強さを評価し、静かに頷いていた。
「ふむ……想定以上の出力です。施設の損壊は計算外ですが、これだけの戦闘データが得られるならば安い代償と言えるでしょう」
だが、噴煙が晴れた中心部。そこには、煤一つついていない無傷の僕がたたずんでいた。
「なるほどー。氷のシールドも、水のシールドも、展開したそばから紙切れのように消し飛ばされた。属性を介した防御魔法をこれほど容易に突破する威力は、確かに驚異的だね。シールドの研究、最初からやり直しかな……。かなり頑張ったつもりなのに…」
僕は、淡々と独り言を漏らす。その口調は穏やかだが、頭の中では今の攻撃への違和感を反芻していた。
「でも、属性を介さない、純粋な魔力密度のゴリ押しによる防御は……やっぱり完璧だった。魔法として形を作るより、僕の魔力そのものを布のように重ねる方が、この不快なエネルギーとは相性が良いみたいだ」
(それに、今回はわざと受けてデータを取りたかっただけだけど。あの速度なら、あくびをしながらでも躱せるしね)
僕の言葉が届いたのか、ガーゴイルは屈辱を覚えたかのように再び咆哮し、翼を羽ばたかせた。周囲に再び火球が踊り、槍の炎はさらに輝きを増す。
「グオオオオオオ!」
槍が振るわれるたびに衝撃波が施設を噛み砕き、原型を留めぬほどに破壊し尽くしていく。 僕――ユラは、氷の魔力を纏わせたぬいぐるみ剣を抜き放ち、猛攻を正面から受け止めた。 キン! キン! と、金属音とは異なる、結晶が砕けるような鋭い音が響く。
カーキも、ウラヌスシアでさえも、この高レベルの戦いに言葉を失い、ただ見守ることしかできない。
一見すれば互角の死闘。だが、その実態は残酷なほどに一方的だった。 僕は、暴れ回るガーゴイルを逃さぬよう、スキル「ぬいぬい」の力を込め魔力で編み上げたぬいぐるみ用の頑丈な「糸」と「布」を空間全体に走らせ、着実にその身を絡め取っていた。それはまさに蜘蛛の巣に囚われた蝶を待つ、非情な罠だ。 たとえ、ガーゴイルの炎でも簡単には燃えない。
「ようやく、準備完了。……さあ、実験だ。ガーゴイルくん。一瞬でいいから、そのままの姿勢でいてね。ロマンだけは保証するよ」
僕が魔法を起動させる。それは僕が今行使できる五つの属性――青、緑、黄、黒、白、そのすべてを一つの術式に強引に流し込む試みだ。
「――万色糸車」
僕が静かに唱えると、ガーゴイルの周囲に五色の光が渦を巻き始めた。 中心へと吸い込まれる重力、外へと弾き飛ばす斥力。相反するエネルギーが互いを噛み砕きながら膨張し、やがて視界のすべてを埋め尽くすほどの、巨大な暴風へと変貌した。
「なっ……何だ、あの光は!? 私の最高傑作が、飲み込まれていく……!?」
カーキの悲鳴のような問いに答える者はいない。 ガーゴイルは、防御することも逃走することも許されず、その巨体を無慈悲な嵐に削り取られていく。
「グオオオオオオオオオ!!」
断末魔の叫びは、五属性がぶつかり合う凄まじい轟音にかき消され、虚空へと消えた。
ドォンッ!!
最後に世界を震わせる爆散が起き、嵐が霧散する。 そこには、何も残っていなかった。ガーゴイルの黒き金属も、不快なオーラも、塵一つ残さずこの世界から完全に抹消されたのだ。
「……いまいちだね」
僕は消え去った虚空を見つめて、不満げにため息をついた。 (属性を全部混ぜるのはロマンがあるけど、効率が悪すぎる。水と風は響き合って増幅したけど、影属性が他のエネルギーに干渉して、全体の威力を下げている。何でもかんでも組み合わせればいいってものじゃないんだね。やっぱり僕の適性である『青』に絞って密度を上げた方が、純粋な破壊力も、可愛いぬいぐるみの造形も、もっと高いレベルで両立できるな……)
自分で納得する改善点を見出し、満足げに頷く。
そんなふうに僕が心の中で「失敗作」としての分析を終えた頃、カーキとウラヌスシアは驚愕の声を上げた。
「なっ……。なんだというのだ……!」
カーキは、目の前で起こった出来事に、ただ呆然と立ち尽くしていた。彼の顔は、自身の強さをはるかに超える、最強の存在と思っていたガーゴイルが倒されて恐怖と絶望に塗りつぶされている。 「ま、まさか……。あのガーゴイルが、一瞬で……」
その様子を、ウラヌスシアもまた信じられないといった表情で見つめていた。彼は、自身の想像をはるかに超えた力を持つ存在を前に、冷や汗を流している。 (さっきの攻撃は何だ。五つの属性を同時に制御した複合魔法だと!? ありえない。ありえるはずがない。しかも、あれで失敗だと?あれ以上の攻撃ができるというのか!?それに、あの底知れない魔力……あのぬいぐるみ、危険だ。危険すぎる。早急に排除しなくては。しかし、私では勝てそうにないな。種族としてのアドバンテージはあるが、実力差が相当あると見える)
「……このままでは、私も危ない」 ウラヌスシアが、絞り出すように小さく呟く。
「……? いったい何をごにょごにょ言ってるの?」 僕が首を傾げた、その瞬間だった。
(!?)
背筋を突き抜けるような、ガーゴイルの時とは比較にならないほどの「強烈な不快感」が、すぐ近くで膨れ上がった。
視線を向けると、そこにはウラヌスシアが立っていた。 いや、それはもう「執事」の姿をした人間ではない。肉体から溢れ出す気配は、ガーゴイルすら可愛く思えるほど、救いようのない不快感に満ちている。
「このことを、あの方に伝えなくては……!」
カーキは、その姿に驚きを隠せないようだった。彼は、自身の右腕だと思っていた男の本当の姿を知らなかったのだ。
「!? なんだその姿は! 待て! ウラヌスシア、どこへ行く! 私を置いて……!」
カーキの静止も聞かず、ウラヌスシアの体が陽炎のように揺らぎ始める。
「カーキ様、いや、カーキ。お前ごときとつるんでいる余裕はなくなった。せめて、足止めぐらいは果たせ」
ウラヌスシアは冷酷に言い放つと、カーキにどす黒いオーラを叩きつけた。 「が、あ、あああああああッ!!」 カーキの目が赤く光り、肌の色が土気色に変色していく。黒い靄を纏い、異質な存在へと堕ちていくカーキ。ウラヌスシアはその隙に、自身の存在を空間に溶け込ませて逃走を図る。
(なんとなく感じてたけど、カーキよりあの執事のほうが黒幕っぽいね。……黒幕なんて怪しい存在、絶対に逃がさないよ!)
僕はいつもの脱力した雰囲気から、一気に「真剣な(マジな)」空気を纏った。 体内に魔力を高速循環させ、身体能力を極限まで底上げする。僕の体から溢れる蒼い魔力が、陽炎のように可視化されるほどに高まった。
その魔圧の影響か、ウラヌスシアが放った黒い靄が、僕の魔力に圧し潰されるようにして霧散した。さらに、化け物になりかけていたカーキも、僕の魔力に「中和」されたのか、元の姿に戻ってそのまま気絶した。
(ん? いつもより魔力消費が激しいかな。あの黒い靄と僕の魔力が打ち消し合ってる……?)
事実、ウラヌスシアが纏うのは「混沌」の力。正のエネルギーである魔力とは正反対の、負のエネルギーだ。両者は出会えば互いを消滅させようと激しく反発し合う。
その異常なプレッシャーを感じ取ったウラヌスシアは、顔を歪ませた。 (なっ! なんだこの魔力量は! 大気中の魔力密度が上がりすぎて、私の『混沌』が打ち消される……! このままではまともに逃げ切れん!)
覚悟を決めたウラヌスシアは、逃走の時間稼ぎのために魔剣『エターナル』を抜き放った。 「せめて、これでも喰らっておけ!」 全力の魔力を込めた一振りが、巨大な半月状の斬撃となって放たれる。
鋭く、そして速い。 しかし、僕がそれを受ける理由はない。最短距離で、風を裂くようにその攻撃を回避する。
「やはり当たらないか。だが――!」
ウラヌスシアの放った斬撃は、僕の背後で無数の刃の破片へと分散し、四方八方へと飛び散った。狙いは僕ではない。施設の天井、崩れかけていた柱、そしてこの地下空間を支える全ての支柱だ。 耳を劈く轟音と共に施設が大きく震え、巨大な瓦礫の雨が舞い落ちる。
(全く。めんどくさいことをしてくれるね。この施設、もう原型ないじゃん)
僕はため息をつくと、予備動作なしに魔法で巨大な氷の楔を幾本も生成し、崩れ落ちる天井をガッチリと固定した。 完全崩壊を防ぎ、舞い上がる瓦礫の塵を突き抜けて――僕は一瞬で、ウラヌスシアの懐へと肉薄した。
「えいっ」
それは、究極のぬいぐるみにふさわしい、拍子抜けするほど無邪気な一撃だった。 だが、当たる寸前、ウラヌスシアは己に迫る死の質量を悟り、顔を屈辱に歪めて呻いた。
「くっ! 力の差がありすぎる……!」
シュンッ!
僕が振るう『ぬいぐるみ剣』に、鋭利な刃などない。しかし、その綿の中に凝縮された魔力は、一撃で城門をも粉砕する超重の衝撃波を生み出す。
衝撃波でウラヌスシアの胴体の一部が消し飛び、彼は壁まで吹き飛んだ。
「……手応えはあるけど、なんか薄いなぁ。」
僕は思わずつぶやく。事実、彼の胴体が削れたというのに、生々しい血は一滴も流れない。しかし、その断面から溢れ出したのは、生々しい血ではなかった。代わりに漆黒の粒子が、漏れ出していく。
「……逃げ切ることすらできんとはな。だが、この身を捧げてでも責務は全うする」
ウラヌスシアは、力なく笑った。 直後、彼の肉体は実体を保つことをやめ、無数の黒い粒子となって空間に散っていった。
「あ、消えちゃった」
僕は目を細め、残された気配を辿る。 完全に消滅したというよりは、意識の核を遠く離れた別の場所へ、強引に転移させたような感触だ。
(やっぱり、完全に倒しきれていない気がするね。でも、あんなにボロボロにしたんだ。これだけのダメージを修復するには、相当な時間がかかるはず。……次に会ったら、今度こそ逃さないよ。そのためにあとで、原因を探り、対処法を整えないとね。)
僕は粒子が消えた虚空をじっと見つめ、それからようやく、静まり返った地下室を見渡した。
少々このシーン個人的に読みずらいと感じているのであとで修正する予定です。




