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36話 影のメイドの勝利

「リュリュは、あの暗殺者を仕留めたようだね」


 地下へと続く階段。冷たく湿った空気が足元から這い上がってくる中、僕は独り言のようにそう呟いた。


「えっ……あのレベルの暗殺者を? 彼女が一人で?」


 隣を歩くシーラが、信じられないといった様子で声を上げた。彼女の瞳には隠しきれない動揺が走っている。無理もない。あの暗殺者は高ランク冒険者を葬ってきた手練れだ。陰に潜む技術は圧倒的。そして、何より、『魔力を吸収する魔眼』が厄介極まりない。少し前まで最高賞金首だっただけはある。だが、リュリュの隠密技術はそれを上回る。それに――。


「うん。別れ際、リュリュに一つ『仕掛け』を預けておいたからね」


 僕が渡したのは、ぬいレイを模した手のひらサイズのぬいぐるみ。見た目は愛らしいが、その中身は僕がただただ過剰に魔力を詰め込み、凝縮させただけの、魔力の塊そのものだ。あの暗殺者の『魔眼』は明確な脅威だけど、これを使えばお釣りが出るくらいだとは思っていた。


遠くで響いた、暗殺者の引き裂かれるような苦痛の叫び。それが結末の合図だった。  おそらく、あの暗殺者は自身の魔眼で、ミニミニぬいレイが放つ膨大な魔力をすべて「吸い取って」しまったのだろう。許容量キャパシティを無視して注ぎ込まれた僕の魔力が、内側から彼の魔力回路を焼き切った……。リュリュのことだ、そうなるように上手く誘導したに違いない。


『ふふ、さすがはわたくしの主様。お預かりした分身ギフト、最高にいい仕事をしてくださいましたわ』


 念話を通じて、満足げなリュリュの声が脳内に響く。シーラはまだ、背後で起きた暗殺者の叫びの余韻に顔をこわばらせているが、僕は前方の闇を見据えた。



「さて、それじゃあこっちも本番だ。……行こうか、シーラ」


 呑気な僕の声とは裏腹に、階段の先からは、肌を刺すような禍々しい圧力が立ち上ってきている。

僕は、シーラと共に、地下の入り口を開き、中に足を踏み入れた。

地下にはどんなものがあるんだろう?


◇◇◇


地下の研究施設

石扉の先、そこは巨大な円筒形の空間だった。  天井は高く、壁面を埋め尽くすようにして鈍い光を放つ魔導装置が脈動している。空間を占拠するのは、数多の培養カプセルだ。満たされた淡緑色の液体の中には、歪な形をした「生き物」のような何かが浮かび、不気味な泡を吐き出していた。  僕は歩みを止め、まずはこの施設の「構造」と「機能」を観察することに徹した。



「――まさか、ここまで辿り着く者がいようとは。不届きな侵入者よ」


 空間の奥、一段高い演壇の上から声が響いた。  豪奢なガウンを纏った男――この屋敷の当主、カーキが冷笑を浮かべて僕たちを見下ろしている。その視線が、僕の隣で震える少女へと移った。


「それにシーラ。自ら死に場所を選びに来るとは、我が子ながら救いようのない愚か者だ」


 シーラは、恐怖を怒りで塗りつぶすように拳を握りしめた。弟が生きている可能性が、万に一つでもあることを信じて。


「タクトを……弟をどこにやったの!? カーキ、答えて!」


 その叫びを聞いたカーキは、心底退屈そうにため息をつく。


「実の父を呼び捨てとは。教育が足りなかったようだな、シーラよ。……それに、馬鹿なお前でも察しはついているだろう? タクトは死んだよ。だが、誇りに思うがいい。あれは私の『最高傑作』を完成させるための、実に優秀な素材となった」


「……っ、そんな……! タクトを素材……! 許さない、絶対に許さない!!」


 シーラが抜剣し、激情に突き動かされるまま地を蹴った。  だが、カーキは眉一つ動かさない。迫る刃を、まるで羽虫でも払うかのように素手でいなした。


 「はあ。我が血を引きながら、これほどまでに脆弱とは」


 カーキの拳が、シーラの腹部を容赦なく撃ち抜いた。 「がはっ……あ、……っ」  衝撃波と共に吹き飛んだシーラは、石壁に激突し、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「ふん。たわいもないゴミめ。タクトのような才能もないお前には素材になる権利すらないな。とどめを刺す価値もない。さて、私は実験を勧めなくてはな。……ウラヌスシア、あとは任せた。私は最終調整に入る」



「御意に、カーキ様」


 主の言葉に応じ、一人の男が影の中から音もなく這い出すようにして僕の前に立ち塞がった。  執事、ウラヌスシア。先ほどの暗殺者が「鋭利な刃」だとするなら、この男は「洗練された暴力」そのものだ。纏っている気配の密度が、そこらの中ボスとは次元が違う。



ウラヌスシアは無造作に指を鳴らした。放たれた漆黒の魔弾が、僕の頬を数ミリの距離でかすめ、背後の培養カプセルを粉砕する。


「危ないじゃん。当たったらどうするんだよ」  

僕はプンプンと怒ってみせるが、ウラヌスシアは動じず、優雅な所作で手袋の皺を伸ばした。


「フフフ……。当たらないと分かっていたでしょう? ここまで侵入できた『人形』が」


「ぬいぐるみ、だよ」


「……ぬいぐるみ? おやおや、聞き慣れない言葉だ。ああ、そういえば巷で噂の『ぬいぐるみの魔王』とやらは貴殿でしたか。実物を見るのは初めてでして……失礼、訂正しましょう。その『ぬいぐるみ』が、この程度の軌道を読めないはずがない」


 ウラヌスシアはあくまで優雅な口調を崩さない。よほど自分の力、あるいは主が築き上げたこの空間に自信があるのだろう。


「それにしても、子供の手を引いてここまで来るとは。その無謀さと余裕には驚かされますね」


 僕は彼の言葉を適当に聞き流しながら、壁一面に並ぶ魔導装置の心臓部を眺めて呟いた。


「……よく分からない部分も多いけど。これ、面白そうだね」


 僕の視線は、倒れているシーラでも、眼前の執事でもなく、純粋にこの施設の「技術」だけを捉えていた。その言葉に、ウラヌスシアは意外そうに眉を跳ね上げ、口角を吊り上げる。


「ほう。この装置の価値が分かるとは。見どころがありますね。以前ここへ来た者は、正義という名の不確かな理想を掲げ、この至高の叡智をただ汚らわしいと否定する低脳ばかりでした。貴殿は……どうやら、そちら側の人間ではないらしい」


「そうだね。僕は究極のぬいぐるみを求める者として、研究をしていた時期(転生前)があったからね」


 僕は無邪気に、そしてはっきりと宣言する。


「ということで、僕の役に立つかはまだ分からないけど、この施設――全部僕がもらってあげるよ。もちろん、中身のデータも、機材もね。この施設は僕の趣旨とは大きく違うけど、参考程度にはなると思うし」


 ウラヌスシアの端正な顔が、不快そうに歪んだ。纏う魔力が一気に鋭さを増し、周囲の空気がピリピリと放電を始める。


「ほう。随分と大きく出たものですね。盗賊や端くれの冒険者を倒した程度で、『ぬいぐるみの魔王』などという身の程知らずな二つ名に酔いしれているのですか? 貴殿ごときに魔王の称号は、あまりにおこがましい。……よろしい、私が『身の程』というものを教えて差し上げましょう」


(……別に、魔王なんて自称した覚えはないんだけどね。勝手に呼ばれてるだけだし)


 僕は心の中でため息をつきながら、手元のぬいぐるみ剣を撫でた。  素材からこだわり抜いた特注品。魔力を込めなければただの「ふわふわ」な玩具だが、僕の手にある限り、それは世界で最も理不尽な凶器に変わる。


「何かを教えてくれるの? ――うん、いいよ。頑張って。代わりに僕は、ぬいぐるみが如何に『最強』で、そして『可愛い』かを……君の体に直接、教えてあげるから」


「それは楽しみですね。……死の淵で後悔なさい」

 一触即発の空気。だが、僕は踏み込もうとした彼を制するように、一つのカプセルを指差した。


「戦う前に一つ質問。……あの小さなカプセル、中にいるのは『精霊』?」


僕は100cm^3ほどしかない、特殊な紋章が刻まれた培養器を指して言う。 


問いかけを受けたウラヌスシアの動きが、一瞬だけ止まった。


「……なぜ、それを」


「なんとなくね。精霊の魔力と、似ているような、違うような……」


ウラヌスシアは、諦めたように静かに頷いた。


「……そうです。これは、精霊を人為的に生み出す実験施設。精霊の力は、あまりにも強力すぎる。それを制御できる人間は、ごく一部しかいない。だからこそ、私たちは、精霊の力を制御できる、新たな存在を生み出そうとしているのです。」


 なるほど、と僕は納得した。  

恐らく、あの小さな培養カプセルを基盤に、他の大きなカプセル内で何かをしているのだろう。

非効率だが、発想自体は面白い。


精霊という神秘をカプセルに閉じ込め、無数の人間を苗床にする非人道的な行為。それに対して、僕は何の憤りも感じなかった。かわいそうだとも、許せないとも思わない。  ただ、精霊という謎多き存在の「研究データ」は、究極のぬいぐるみを造るために活用できそうだ――そう考えただけだ。


(……けれど、それにしても効率が悪すぎるな)


 誰かを無理やり犠牲にして研究を進めるなんて、反発を招くだけの二流のやり方だ。そうなれば効率が悪いことこの上ない。僕がこの施設を手に入れたなら、もっとスマートな方法を提示して、全員が進んで僕に協力したくなるような「体制」を築いてみせる。僕なら、それができるからね。


 でも、今はそれを考える時間じゃない。


「丁寧に教えてくれるんだね」 「冥土の土産というやつですよ。……これから死にゆく貴殿へ、私からの、最初で最後の慈悲です!」


 刹那。  ウラヌスシアの姿が掻き消えた。

◇◇◇◇◇◇



ウラヌスシアの攻撃は、あの自信に見合うだけの凄まじい練度だった。  無駄のない太刀筋から繰り出される神速の連撃。一太刀ごとに空気が鋭く裂け、真空の刃が僕の頬をかすめる。


 けれど、僕は焦らない。ぬいぐるみとしての小柄な体躯を最大限に活かし、最小限の動きでその猛攻を紙一重で躱し続ける。左、右、そして上。ウラヌスシアの剣筋が僕の思考のキャンバスに描かれていく。


(……よし、ここで決めよう)


 連撃の最後、必殺のタイミングで振り下ろされた大上段からの一撃。僕はそれをあえて回避せず、両手で挟み込む「真剣白刃取り」を試みた。


 ――が。


「あ」


 パシッ、という乾いた音と共に、刀身が僕の手のひらをツルリと滑り抜けた。  よく考えれば当然だ。僕の体は極上のシルクのような布地。金属に対する摩擦抵抗など、無いに等しい。


 ギィィィンッ!


 勢いよく滑り落ちた剣が、僕の頭頂部を真っ向から叩き割るように直撃した。


「痛っ……うー、ミスったぁ。そうだよね、ぬいぐるみの体で白刃取りなんてできるわけないか。物理学の敗北だ……」


 僕はジンジンする頭を両手で押さえながら、情けない声を漏らしてしゃがみ込む。だが、その様子を見たウラヌスシアの顔面は、驚愕で土気色に染まっていた。


「な……馬鹿な。私の渾身の一撃を脳天に受けて、無傷だと……!? いったいどういう原理だ。その体、何でできている!」


 無理もない。究極のぬいぐるみである僕の体は、見た目の可愛らしい柔らかさに反して、内部に高密度の魔力繊維が編み込まれている。鋼鉄を寸断するはずの一撃すら、僕の防御力の前では、ただの「重めの肩叩き」程度の意味しか持たない。  傷一つ、どころか、糸一本すらほつれていなかった。


 ウラヌスシアは戦慄しながらも、冷静に大きくバックステップして距離を取る。


「……認めよう、貴殿は化け物だ。だが、物理的な強度が通用しないのなら、これならどうだ! 『黒獄炎こくごくえん』!」


 彼が掌をかざすと、どろりと濁った不気味な炎が噴き出した。周囲の酸素を食いつぶしながら、生き物のように僕へと迫り来る。物質を焼くのではなく、魔力そのものを焼き尽くす概念の炎。


 僕は無造作に、水属性を纏わせた『ぬいぐるみ剣』を振り抜いた。  剣先から溢れ出した清涼な水のベールが、黒い炎を真っ向から飲み込んでいく。


 シュウウウウウ……!


 激しい水蒸気が上がり、一瞬で炎は霧散した。


「炎では相性が悪いようだな。ならば――」


 ウラヌスシアが懐から取り出したのは、禍々しい紫のオーラを放つ一振りの剣だった。引き抜かれた瞬間、地下室の温度が数度下がったかのような錯覚を覚える。呪いそのものを鍛え上げたような『魔剣』。


「私の最高の魔剣『エターナル』をもって、貴殿を迎え撃とう」


「いいよ。僕の『ぬいぐるみ剣』も、そろそろ本気を出したいって言ってるし」


 キン! キン! カキンッ!


 魔力を帯びた紫の刃と、ふわふわの綿が詰まったはずの剣が空中で交錯する。  激突のたびに極彩色の火花が弾け、石造りの床がその余波だけで飴細工のようにひび割れていく。


 ウラヌスシアの矜持を懸けた執念の剣筋。対するは、僕の愛と魔力が凝縮された「ぬいパワー」。  二つの相容れない力が、地下の実験施設で激しく火花を散らし始めた。


その頃、演壇の奥で実験の最終調整に入っていたカーキは、作業の手を止め、驚愕の面持ちで眼下の戦いを見つめていた。  彼が全幅の信頼を寄せていた執事、ウラヌスシア。その洗練された暴力が、あのおどけた姿の「ぬいぐるみ」に完全に封じ込まれている。


「ウラヌスシアと互角にやり合うだと……!? あのぬいぐるみ、得体が知れん。これ以上の停滞は、計画に支障をきたす……!」


 カーキの顔に焦燥の色が浮かぶ。彼は舌打ちを漏らすと、制御盤のレバーを乱暴に操作し、奥に鎮座する巨大な装置の起動を急がせた。


「――させないっ!」


 その隙を、彼女は逃さなかった。  石壁の際で倒れていたはずのシーラが、弾かれたように地を蹴って走り出す。実は彼女、最初からこの瞬間を狙っていた。感情に任せた無謀な特攻を見せ、無残に打ち倒されることで、父に「無能な娘」だと再認識させたのだ。


(正面から挑んでも、今の私じゃ絶対に勝てない。なら、お父様が私を『戦力外』だと思い込んでいる、その慢心を利用するしかない!)


 それはあまりに危険な賭けだった。だが、彼女の口内にはあらかじめ固形の超高濃度回復薬が仕込まれていた。一撃で即死さえしなければ、動けなくなることはない。  目論見は見事に当たった。カーキは背後から迫るシーラの気配に、直前まで気づかなかったのだ。


「食らいなさい!」


 シーラが放った強烈な一矢が空を切り裂く。 「なっ……! 貴様、実力を隠していたというのか!」


 驚愕に目を見開いたカーキは、間一髪でその矢を躱した。矢は彼の頬を薄く掠め、背後の装置に突き刺さって火花を散らす。  カーキは即座に魔法で漆黒の剣を生成し、追撃の矢を叩き落とした。


「さすがに、危なかった。しかし、不意打ちすら仕留めきれぬとは、やはり実戦経験が足りんようだな。おかげで助かった。だが、お前に構っている暇はないのだよ。こいつに遊んでもらうがいい」


 カーキが指を鳴らすと、床のハッチが開き、中からドロドロとしたタール状の体躯を持つ『黒き醜い獣』が這い出した。

「失敗作ではあるが、お前程度の相手には十分だ。私が直々に相手をするまでもない。さらばだ、我が娘。せいぜい、無残に食い殺されるがいい」

そう言って、巨大な培養器の方に向かい実験の仕上げをし始めた。

「待って、逃がさない……!」


 シーラは追いかけようとするが、目の前の黒き獣が咆哮を上げ、鋭い爪を振り下ろす。  バックステップで回避した直後、床には深い亀裂が走った。一撃が掠めるだけで致命傷になる破壊力。その上、獣の動きは緩慢だが、その体から放たれる無数の触手が広範囲をカバーし、逃げ場を奪っていく。


「っ、この……っ!」


シーラが放った矢が獣の核を射抜く。だが、その傷口は瞬時にタールのような粘液で埋まり、再生してしまう。  


すでに数分、死線の上での攻防が続いていた。絶え間ない回避と限界以上の魔力投射により、シーラの体力は底を突きかけている。最初に口に含んでいた回復薬の反動リバウンドが、鉛のような重さとなって彼女の四肢を縛り付けていた。


(……このままじゃ、届かない。カーキを止めることも、あの子の期待に応えることも……!)


 薄れゆく意識の中、彼女の指が胸元のペンダントを掴んだ。それは、タクトが死後に手紙で「僕のスキルを役立てて、生き延びて。」と、そして消されてはいたが「姉さまなら父を倒せることを信じてる」と託した形見。愛する弟が私に託したスキルが封じ込められた、切り札であり、絆の証だ。


「タクト……私を見ていて。私が無念を晴らす……!」


 シーラは決断し、全魔力をペンダントに叩きつけた。  その瞬間、弟が持っていたスキルが自身に宿る。血管を熱い奔流が駆け抜け、視界が恐ろしいほどに澄み渡った。  一分、あるいは数秒。命を前借りするような爆発的な強化。


「これで……最後ッ!!」


 黒き獣の猛攻を紙一重の踏み込みで回避し、シーラは獣の懐へと潜り込む。折れかけた弓に、風の魔力を限界を超えて収束させた。放たれた緑光の矢は鋭い螺旋を描き、獣の巨体を内側から粉砕、霧散させる。  だが、獣もタダでは死ななかった。崩壊する肉体から放たれた、死に際の一撃。シーラは咄嗟に弓を盾にしたが、衝撃を殺しきれず、愛用の弓は無惨に叩き折られて手から零れ落ちた。


「はぁ……はぁ……、はぁっ……!」


 呼吸は焼け付くように熱い。スキルの持続時間は、もう残っていない。  それでもシーラは止まらない。折れた弓を捨て、唯一残った「最後の一矢」をナイフのように逆手に握りしめた。  今、目の前には背中をさらけ出し、狂ったように装置を操作するカーキがいる。その無防備な心臓へ、彼女は残りの魔力のすべてを懸けて地を蹴った。


(今度こそ、すべてを終わらせる……!)


 切っ先がカーキの背に届こうとした、その時。  彼女の視界の端で、巨大な培養カプセルが不吉な音を立てた。  ――ピキッ、と。


(あ…………)

そのとき、巨大な培養カプセルにヒビが入っていることに嫌な気がした。それが、最後に考えたことだった。



◇◇◇

僕はウラヌスシアと剣を交えながら、ある確信を抱いていた。  彼は本気を出していない。いや、それ以前に、この男から感じる気配が、どこか歪で、継ぎ接ぎだらけの偽物のように思えるのだ。


 このまま倒すのは簡単だ。僕なら今すぐにでも、彼の魔剣ごと両断して決着をつけられる。  でも、それではいけない気がした。この違和感の正体を解明し、根源を断たなければ、この男を「完全に」終わらせることはできない――。


 僕は剣を合わせたまま、至近距離で冷静に彼を見つめた。


「……ねえ。本気を出してないでしょ。それに、君――人間ですらないよね?」


 僕の言葉に、ウラヌスシアの優雅な表情が一瞬だけ、硬く凍りついた。  だが、彼はすぐに冷ややかな無表情へと戻り、鼻で笑う。


「一体、何を仰っているのですか? 妄想でも見え始めたと?」


 白々しい。その反応すら、あらかじめ考えていた決まり文句のように見えてくる。


「そう……。嘘をつくなら、もういいよ」


 僕は突き合っていた剣を引き、一歩、後ろへ下がった。  そして、これまで行っていた「様子見」の剣戟を完全にやめ、空いた左手で高密度の魔法構築を開始する。周囲の魔力が、目に見えるほどの渦となって僕の手元へ収束していった。


 それまで余裕を崩さなかったウラヌスシアの眉が、初めてわずかにひそめられる。


「……なるほど。これは、少しばかり興が過ぎたようです。少々、不味い気配がします……」


 彼の呟きに、これまでの芝居じみた優雅さは欠けていた。  地下空間の空気が、僕の構築する魔法の圧力でミリミリと鳴り始める。


「本気を出さないまま、ここで塵になって。――さよなら」



僕が魔法を放とうとした、その瞬間。


ゴゴゴゴゴ……!


実験施設全体が、激しく揺れ始めた。警戒を知らせるサイレンが、けたたましく鳴り響く。


「なっ……!」


僕とウラヌスシアが、何事かと驚いていると、シーラが、何かに吹き飛ばされたかのように、僕たちの方へと飛んできた。


僕は、すぐにぬいレイを召喚し、シーラをキャッチさせる。シーラは、意識はないようだが、かろうじて生きているようだ。



ズドドドドドドォン……ッ!!


 連鎖的に培養カプセルが次々と爆発し、淡緑色の液体が床一面に溢れ出す。その爆音と噴煙を切り裂いて、そいつは姿を現した。


 人よりもはるかに巨大。  鈍い光を放つ黒い金属の強固な肉体。背中には、飛翔するためではなく威圧するためにあるような、禍々しい石の翼が生えている。  体中を走る亀裂からは、赤い魔力が不気味に脈動し、周囲の空気を腐食させていく。


 ――古の怪異、ガーゴイル。  だが、それはかつて文献で見た守護像などではない。精霊の力と人間の怨念を注ぎ込まれ、人為的に歪められた「兵器」としての化け物だ。


「素晴らしい……! 素晴らしいぞ、『煉獄のガーゴイル』よ! あのお方から賜ったサンプルと同じ、いや、それ以上の完成度だ……!」


 瓦礫の中から現れたカーキは、歓喜に震える手で化け物を見つめていた。  彼の右肩には、先ほどシーラが放った最後の一矢が深く突き刺さっている。鮮血がガウンを赤く染めているが、男はその激痛すら神経に届いていないかのように、狂気的な笑みを浮かべ続けていた。


「そこのぬいぐるみとやら。まさかウラヌスシアと互角にやり合うとは思っていなかったが、こいつを前には手も足も出まい! 精霊の神性を核に据え、大量の人間から搾り取ったエネルギーを注ぎ込んだ強靭な肉体……。ああ、これぞ至高の暴力だ!」


 カーキの咆哮に応じるように、ガーゴイルが巨大な腕を振るった。その手には、不気味な脈動を繰り返す真紅の魔槍が握られている。


化け物は、赤黒い雷光を放つ魔槍を手にし、天井を突き破らんばかりの咆哮を上げた。


「グオオオオオオオオオッ!!」


 空気が震動し、鼓膜を直接叩き割るような衝撃波が広がる。  その様子を、ウラヌスシアは冷ややかな、軽蔑の入り混じった瞳で見つめていた。


(……浅薄な男だ。こので完成と抜かすか、カーキ)


 ウラヌスシアにとって、カーキは利用価値のある駒に過ぎない。カーキに従っているふりをしているのは、効率よくカーキをいいように誘導するため。カーキの技術力は高くそれを利用しない手はなかったのだ。そして、本来なら、自分が秘密裏に最後の一手間を加え、完璧な存在にする予定だったのだ。



「余計なことをしてくれる。だが、案外ちょうどいいかもしれないな。どれほどのものか、見せてもらおう」


ウラヌスシアは、そう呟くと、静かにその場から避難し始めた。


僕は、倒れたシーラをぬいレイに安全な場所へと引き下げさせる指示を出しながら、手元のぬいぐるみ剣を握り直した。  



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