1章 33話 1階の散策
ユラside
二人は、静かに1階へと降りてきた。2階には金庫がなかったことから1階こそが本命だと期待しながら。しかし、2階が豪華な装飾品で溢れていたのに対し、1階は、かなり整然としている。無駄な装飾はなく、機能性を重視した造りになっているようだ。もちろんそれらもきちんとぬいレイが回収しているけど。
「フッ……。この階は、あまりお宝がないようね。金貨や銀貨が、一つも見つからないわ。」
リュリュは、事務室らしき部屋の中を見回しながら、不満そうに呟いた。僕もも、無言で頷く。
「金庫も見当たらないし、普段生活するための実用的な空間だね」
僕とリュリュは、楽し気に会話しながら、リュリュが独り言を言いながら廊下を歩いていく。その間、何度か兵士やメイドたちが、僕たちを捕まえようと襲いかかってきた。だが、そのたびに、リュリュは一瞬で彼らの意識を刈り取るかぬいレイが引っ付くなどの足止めで対処する。
「無駄な抵抗、ご苦労様でしたわね。あなた方では、わたくしとアール様の影を捉えることなどできませんわ。フッ」
リュリュは、そう言って、気絶した兵士たちを軽々と跨いでいく。
そして、気絶した兵士たちを軽々と跨ぎ、探索すること数分。 あっという間に、一階の最後の一部屋にたどり着いてしまった。 未だ、お目当ての「宝物庫」らしき場所は見つかっていない。目の前の扉も、これまでの豪華な造りに比べれば、どこか質素で、財宝が眠っているようには見えなかった。
ただ、他の部屋と違う点が一つ。 その扉の前には、一人の若きメイドが、微動だにせず立ちはだかっていたのだ。 彼女の顔には、この部屋だけは絶対に通させないという、ただならぬ覚悟と悲壮な決意が張り付いている。
「フフ。この部屋にはメイドの守護者。しかし、一人。なかなか意味を特定するのは困難ね」
リュリュが愉悦に浸る一方で、メイドは全身を小刻みに震わせながらも、一歩も引かずに僕たちを睨みつけた。
「あなたたちは……屋敷の者ではないようですね。お願いです。この部屋だけは、どうか立ち入らないでください。ここにあるのは、あなたの探しているような金銀財宝ではありません」
彼女は懇願するように訴える。
「それに、当主のカーキ様も、ここにはいません! 嘘ではありません! お願いです、信じてください。他の場所を……宝物庫は地下にあるはずです! ですから、ここだけは!」
メイドの必死の訴え。彼女の背負っているものの重さが、その震える声から伝わってくる。 普通なら、ここで同情するか、あるいは問答無用で襲う場面だろう。
しかし、僕はただメイドを見つめたまま動かなかった。
彼女の話も、一から十まで聞いていなかった。
なぜか。 それは、目の前の彼女が、アール(ユラ)の創作意欲を激しく揺さぶる、**「最高のぬいぐるみのモデル」**だったからだ。
「……猫耳の、獣人」
アールは、彼女の頭頂部で時折ピクリと跳ねる、三角形の耳を凝視した。 ずっと作りたかった、猫耳獣人のぬいぐるみ。猫耳はアールにとって可愛さの象徴であり、憧れの存在だ。 だが、この世界において獣人の絶対数は極めて少ない。人間と獣人の区別が曖昧な社会ではあるが、獣人の血が濃く出た者は千人に一人程度。さらに「猫耳」という特定の属性を持つ者に出会うのは、砂漠で一粒の宝石を見つけるほどに困難だ。
(この出会いは、運命そのものだ……!)
しかも、彼女の瞳が素晴らしい。 絶望に塗りつぶされ、ハイライトが消え、まるで底なしの深淵を覗き込んでいるような「病み」の色彩。それが、清楚なメイド服と、ピンと立った耳に、狂おしいほどのアクセントを加えている。
「倒す前にしっかり観察して、どんな感じの衣装が似合うか見極めないと」
「な、何を……!?」
メイドが困惑に目を見開く中、アールは彼女の周囲をぐるぐる、ぐるぐると回り始めた。 まるで展示されている彫刻を至近距離から吟味する、偏執的な芸術家のように。
「うーん……。この猫耳のラインは、あえて隠さず強調して……でも、このハイライトの無さを生かすなら、明るい色は違うな。ゴシック様式の、全身漆黒のドレス。それも、少し裾がボロボロになった感じの闇属性を付与した衣装がいいかな……」
アールは、脳内の設計図を猛スピードで書き換えていく。 対するメイドは、もはや理解不能な事態に精神が摩耗していた。 略奪されるのでもなく、尋問されるのでもなく、ただ「デザインの対象」として至近距離から観察され続ける。
「な、何を……何を言っているのですか!? 私は、ここを通さないと言って……っ!」
メイドが後ずさりする。アールはその動きを逃さず、彼女の顔に数センチまで顔を近づけ、瞳の虹彩のパターンまで記憶しようと見つめ続けた。
「ん? 動かないで。今、絶賛、最高の仕上がりにするための観察中なんだから。瞬きもなるべく控えてくれると助かる」
「……意味が分からない……っ!」
メイドが混乱と恐怖で身を固くする中、リュリュがマントを派手に翻して割って入った。
「フフ……無駄よ、メイドの守護者。アール様が『制作』の深淵に囚われた時、そこに常識などという概念は存在しない。たとえ世界が滅びようとも、その一針を妥協しないわ。……そう、それが神の定めた因果を凌駕する、至高の狂気よ!」
リュリュは一人で天を仰いで完璧なポーズを決めているが、僕もメイドも彼女を完全無視していた。 そして、数分間の沈黙の後。僕はポンと手を叩いた。
「よし。アイデア、完全にまとまったよ」
「……っ。それなら、ここから立ち去って……!」
「それは無理だよ。その部屋の中に何があるか気になるし。あ、そうだ――」 僕は、彼女の瞳をもう一度見据えて、何でもないようにと告げた。 「ちょうどいいから案内してくれない。」
「……そうですか。まあ、そうですよね。強欲な侵入者が、話を聞いてくれるはずもない……」
メイドはボソボソと呟き、何かにとり憑かれたように表情を消した。
「ですが、ここだけは、通せません! 私の……この命に替えても、この一線を越えさせない!」
彼女は隠し持っていた護身用のナイフを抜き放ち、震える足で突進してきた。その動きは素人そのもので、戦闘経験の乏しさを露呈している。だが、その一撃には、彼女の魂すべてが乗っていた。
リュリュは、そのメイドの悲壮な覚悟を、一瞬で冷徹に分析し――鼻で笑った。
「思いの強さは立派ですね。しかし、深淵を覗くには、あなたの光はあまりに弱すぎる」
リュリュの姿が、影に溶けるように一瞬で消失する。
「なっ……どこに……!?」
メイドが驚愕に目を見開いたその背後。死神の囁きのようなリュリュの声が響く。
「ただのメイドが、このわたくしの常闇には遠く及ばないわ。……おやすみなさい、哀れな守護者」
正確無比な手刀が、メイドの首筋に吸い込まれた。
バタッ、という重い音とともに、彼女は力なく崩れ落ちる。 意識が途切れる寸前、彼女の唇が、かすかに、けれど切実に、ある名を紡いだ。
「シーラ……様……っ」
静かになった廊下で、僕は倒れた彼女に近づき、首を傾げた。 「急に襲ってきてビックリした。なんで襲ってきたんだろう?今の話のどこに、彼女の気に障る要素があったんだろう?」(ただ、部屋を案内してといっただけなのに?あれ?そういえば、僕が彼女を観察しているとき何か言ってたっけ?)
「フッ……気にする必要はないわ。凡人には、天才の言葉は劇薬と同じ。脳が拒絶反応を起こしたのでしょうね。……それよりアール様、仕上げのお時間でしょ?」
「そうだね。スキル「ぬいぬい」のぬいセカの発動条件の『僕自身が相手を倒すこと』は、僕自身は倒してないけどリュリュが倒して間接的に果たしたし。……さっそく、始めよう」
僕は魔力を操作しぬいぐるみを作り出す。 スキル――『ぬいぐセカ)』、発動。
目の前に、ぬいぐるみの形を成し始め柔らかな光と魔力の糸に包まれ、収束していく。 数秒後、僕の手の中に残ったのは、一体のぬいぐるみだった。
漆黒の不完全なドレスを纏い、質感にこだわった猫耳を備えた、美しいぬいぐるみ。その瞳は、先ほどの彼女と同じく、ハイライトのない、深い闇を湛えている。
【個体名:サーシナぬいが完成しました】
「……完璧だ。これまでの作品の中でも、最高傑作の一つだよ。ステータスは、お世辞にも言いとは言えないけどデザインがとってっもいい」
僕は満足げにサーシナぬいを抱きしめた。 だが、急に襲ってきたとはいえ、彼女は僕に「最高のインスピレーション」をくれた恩人でもある。 気絶している彼女に対し、僕は小さな「ぬいレイ」を模した、ふわふわとした感触のキーホルダーを、彼女のメイド服のポケットにそっと括り付けた。
「これは、最高のモデルになってくれたお礼。……さて、それじゃあ開けようか。彼女が命を懸けて守ろうとした、この扉の先を」
僕は、ゆっくりと最後の一部屋のドアノブに手をかけた。
いったいこの部屋に何があるのだろうとわずかに期待しながら。
すると、そこには一人の少女がいた。金髪のハーフツインテールで、僕と同じくらいの年の少女だ。
少し泣いた後があるのがわかる。
ぬいレイから事前に得ていた情報からすり合わせると、当主であるカーキの娘だろう。メイドのつぶやきも考慮するとシーラという名前だということも分かる。
少女は、弓を持ち、そして荷物を整えているところのようだった。まるで戦いにでも行くかのような、覚悟を決めた表情をしている。彼女は、僕とリュリュが入ってくるところに、目を丸くして驚いた。
「もしかして、感づかれたの!?」
少女は、僕たちを警戒し、弓を構えた。
リュリュは、そんな少女の姿を見て、得意げに胸を張る。
「フッ。その通りだ。わたくしの目は、すべてを見通す魔眼……隠し事など……」
リュリュが決め台詞を言い終わる前に、シーラは構えていた弓を床に落とした。 そして、張り詰めていた糸が切れたように、安堵の息を漏らす。
「なんだ……。この屋敷を襲っている人たちね。お父様の関係者でなくて安心したわ。」
彼女は僕たちの姿を見て、毒気が抜けたように力なく微笑んだ。
「それにしても、まさか、襲撃者っていうから、どこぞの盗賊かと思ってたけど、まさかあの有名な『ぬいぐるみの魔王』と『漆黒のメイド』だったとは予想外だわ。」
僕は、少女に尋ねた。
「どうやら、僕たちのことを知っているようだね」
「ええ。それはもちろん。誰かれ構わず襲い、強大な力を持つ、ここ半年ですごく有名になった人たちでしょ。人というより、ぬいぐるみとメイドさんといったほうが正しいかもしれないけど」
少女は、疲れたようにベッドに座りながら言った。どうやら、この少女は広い知識を持っているようだ。かなり賢いのだろう。それに、屋敷の関係者。ここは道案内をしてもらおうかな。宝庫も見つかってないし。
「ふーん。僕たちのことを知っているのに逃げないってことは、覚悟ができているんだね。でも、少女をいたぶる趣味はないし、僕は寛大で優しいから、選択肢をあげるよ。この屋敷のすべてを僕たちに渡して、案内をするか、それとも、この場から即刻立ち去るか。どっちがいい?」
少女は、僕の言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。
「そんなことでいいの? それなら、喜んで案内するわ。この家のすべてをあげる。いいえ――ぜひ、あなたたちの手で奪い尽くしてほしい」
予想外の快諾に、僕はわずかに目を細めた。
「言っておいてなんだけど、そんな簡単に……。どういうつもり?」
僕は、少女に問いかけた。
少女は自嘲気味に笑い、窓の外を見つめた。
「もともと、私は一人で、父のカーキに復讐して、家出しようと思っていたの。今夜、死ぬ覚悟でね」
リュリュは、腕を組んだまま、静かに呟いた。
「復讐?」
「ええ。父が今日、私の大切な弟を、地下に連れて行ってしまったの。恐らくもう……。前にもそんなことがあって、母が殺された。あんなのが私は父だと認めない」
少女の目に、悲しみと怒りが入り混じった光が宿る。
「なるほど。だから復讐、と」
僕は、そう言って頷いた。
「そう。私一人で行っても、どうせ返り討ちになっていたから、ちょうどよかったわ。この復讐のためなら、私はどうなっても構わないもの。もともと今日、死ぬつもりだった命だもの」
投げやりな、それでいて硬い言葉。 だが、リュリュはそれを鼻で笑った。
「ふーん。でも、負けると分かっているような、完全に無謀な挑戦は評価できないわね。それは勇気ではなく、ただの自暴自棄だわ」
僕もリュリュの意見に同意だ。命がけの行動と、無謀な行動は別。絶対に成功しないような挑戦はリュリュの言うと通り自暴自棄そのものだ。
「……分かっているわ。私には才能がないもの。それに、もう生きていく気力なんて、どこにも残っていない……」
シーラの瞳からは、完全に光が消えていた。 その淀んだ眼窩を見て、僕はかつての自分の中にあった「何か」を思い出し、胸の奥がわずかに疼いた。
「……その復讐は、誰のため?」
僕の問いかけは、静かだが、逃げ場のない圧力を伴って部屋に響いた。
「それは……っ」
シーラは言葉に詰まり、視線を彷徨わせる。やがて、彼女は決意を固めたように、胸元に下げた古びたペンダントを白くなるほど強く握りしめた。
「弟の無念を晴らすため……。いいえ、正直にもう分からないわ。でも、最後に弟に託されたの。この家で何が起きているか、外に伝えてほしいって。だから、私は絶対に……」
彼女の指が震えている。 その震えは、恐怖ではなく、託された重責に耐えきれない悲鳴のようだった。
それを聞いて、僕の胸の中にあった違和感が、すとんと腑に落ちた。 ――ああ、やっぱり、そうか。
(復讐が真の目的というわけでは、なさそうだな)
転生する前。すべてが色あせて見え、生きる意味を見失っていた、ぬいぐるみに出会う前の「あの頃の僕」の姿がちらつくからだ。 ……正直に言おう。僕は昔のトラウマを一つも乗り越えてなんていない。今でもふとした瞬間に思い出すと、背筋に冷たいものが走り、怖くてたまらなくなる。
でも、僕は「ぬいぐるみ」という究極の存在に出会った。
ぬいぐるみに依存し、いつの間にか恐怖という感情を思考の隅へと追いやっていた。マイナスな思考を「ぬいぐるみ」という盾で防いでいただけ。
だからこそ、目の前で剥き出しの絶望を晒す少女を見ていると、蓋をしていた昔の自分が鏡のように映り込み、もやもやが止まらないんだ。
「ええ。それで構わないわ。……少しだけ、復讐を手伝ってくれることを期待していなかったかと言えば、嘘になるけれど」
シーラは感情を排した声で、どこか諦めたように静かに頷いた。 彼女の頬に伝う涙の跡が、ひどく無機質に見える。
「そういえば、名乗っていなかったわね。私はシーラ。……短い間だけど、よろしく。あとのことは煮るなり焼くなり好きにしていいわ。案内を始めるわね」
シーラは床に落ちた弓を拾うこともせず、ゆっくりと立ち上がった。 その足取りは重く、まるで幽霊のようだ。
「財宝のありかは、この部屋を出てすぐの廊下にある壁画の先――そこが秘密の金庫になっているわ。案内するわね」
「……わかった。さっさと案内して。これ以上、無駄な会話を続けるつもりはない」
僕は、感情のない事務的な声でそう告げた。 リュリュが何か言いたげに僕とシーラを交互に見ていたが、僕がそれを鋭い視線で制すと、「フッ……深淵の主は、時に沈黙を愛するものね」と、いつもの調子で後に続いた。
廊下に出ると、先ほど気絶させた猫耳のメイドが横たわっている。 シーラはその横を通り過ぎる際、一瞬だけ足を止め、何かを言いかけて飲み込んだ。すぐに視線を逸らして歩き出した彼女の背中は、今にも崩れそうなほど細い。
「ここよ」
彼女が指し示したのは、狩猟を楽しむ貴族たちの姿が描かれた、巨大な油絵だった。 一見すればただの壁画だが、シーラが特定の箇所を押し込むと、鈍い音と共に壁の一部が奥へとスライドした。




