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四話 記念すべき夜明け

懐かしい日々の夢だったな。

転生前、夢に向かって努力し続けた日々。そして転生直後の、不安と喪失、そして希望とスキルとの邂逅――その全てが、霞がかった映像のように胸に蘇っていた。


ユラはゆっくりと瞼を開ける。

目の前には、いつもの天井が広がっている。

だが今朝の天井は、どこか見慣れたものより深く、柔らかい光を反射しているように見えた。

(今なら、ベッドから降りて、食堂まで走って行けるかもしれない……)

十歩どころか百歩でも行ける気がする。いや、さすがに百歩は言い過ぎかな?自嘲めいた笑みが、思わず漏れる。


窓の外はすでに漆黒の闇。

夜だ。静まり返った夜。家族もメイドたちも、みな夢の中だろう。時計など見なくても、今が真夜中だとわかる。


そして日をまたいだ。

つまり今、僕は六歳になった。


おめでとう、僕。

記念すべき日なのかどうかは分からないけれど、少なくともこの世界に生まれてから六年が経ったという事実だけは、確かにここにある。


鏡の前に立つ。

そこにいるのは、かつて自称クールな大学生だった僕ではなかった。

長い白髪に、髪先だけが赤く染まる――まるで絵筆の一刷毛のような髪色。

鏡に映る自分は、美少女そのものだった。自分で言うのもなんだが、すごく可愛いらしい。

だが、もっとも目を引くのは、その瞳だった。

深い闇の中に、光が宿らない。ハイライトのない瞳。まるで人形のガラス玉。六年間、魔力枯渇を繰り返した代償が、確かにそこに刻まれている。


(まあ、今日はたくさん寝たから、少しはマシ……)


長い髪を、右側で適当にひとつに縛る。いわゆるサイドポニーテール(高め)だ。

完全に一つに縛り切れないのは慣れが足りないから。

まあこれでいいいや。

前世で憧れていた「かっこよさ」はもうどこにもない。

鏡の前でポーズをとってみても、映し出されるのは“可愛らしい少女”の姿だけ。

それが少し惜しい気もするけれど、構わない


とにかくまとめるとクールだった僕は今では可愛い美少女に転生したということ。

まあ、でも見た目も、性別も、正直どうでもいい。

そんなことよりも、ぬいぐるみだ。


この六年間、僕は一度もぬいぐるみをこの手に抱くことができなかった。

それがどれほど辛いことか、誰に言っても理解してもらえないだろう。泣いていい?

ぬいぐるみさえあれば生きていける。だが、ぬいぐるみのない一秒一秒は、僕にとって耐え難い毒でしかなかった。


そして、転生直後に予感していた最悪の事態は、的中した。


――この世界には、「ぬいぐるみ」という概念が存在しない。


人形や、装飾品のようなものはある。

だが僕が求める、心を癒し、寄り添い、魂を宿す「ぬいぐるみ」は、どこを探しても見つからなかった。

世界が、色を失っていく感覚。胸の奥から、音もなく広がる虚無。


だから――僕が創るしかない。


転生直後に授かった『スキル《ぬいぬい》』。

この六年間、僕は一日も欠かさずこのスキルを試してきた。

魔力が枯渇するまで発動し、意識を失い、また目覚め、そして再びスキルを試す。

その繰り返し。


「僕、この六年間で、他に何かしたっけ……」


自分に問いかけるが、答えは返ってこない。

家族との思い出も、メイドたちとの交流も、すべて靄の中に沈んでいる。

この世界に転生してまともに何かした記憶がない。


(でもそれは仕方ない。ぬいぐるみため。ぬいぐるみこそが、僕の命。いや、僕のすべてなんだから……)


鏡に映る、自分の瞳の奥に、かすかな炎が灯る。

それは、希望というより、決意だった。



深い眠りから覚め、体調は驚くほど万全だった。

なんとなく、ベッドを降り、部屋で一番大きな窓へと歩み寄る。たった十歩の道のり――だが、それは僕にとって新記録だった。


窓を開け放つと、ひんやりとした夜気が頬を撫でる。


僕は、夜空を一瞥した。

雲ひとつない夜空に、まあるい月が煌々と輝き、まるでこの世のすべてを浄めるような神聖さを放っていた。


「……きれいだ」

思わず、吐息のような声が漏れる。

息を呑むほどに、ただ純粋に、美しかった。



その美しさと共鳴するように、体の奥底から満ち足りた魔力の感覚が立ち上がる。

深い眠りが与えてくれた充足。

今なら――成功できる。


前回、三九三八回目の試みは惜しかった。あとほんの一滴、魔力が足りなかっただけだ。

だが、今は違う。今度こそ、魔力は足りているはず。


魔力枯渇を繰り返すごとに、魔力量は増していく。倍率的にして約1.006倍。その増加は塵にも等しい。だが、塵が積もれば山となる。

実際に3000回の試行したとして計算すれば驚きの数値になる。

六年間で、もはや“限界”という言葉の方が先に砕けた。気絶から目覚めるたびに、僕の魔力は膨張し、もはや底が見えないほどになっていた。

正確な数値など測れない。ただ、確かなのは――父や母の魔力をとうに凌駕し、一歳の頃ですでにその百倍を超えていたという事実。

そして今では、もはや比較という概念すら意味をなさない。



それでもなお、発動できない。

この『ぬいぬい』というスキルは、規格外の存在だ。

おそらく、この世界の誰ひとりとして扱うことはできないだろう。


だが、それでいい。

これほど困難であるのなら、きっと――最高のぬいぐるみを創り出せるに違いない。



月が、静かにこちらを見下ろしていた。

音のない夜。

その沈黙を破るのは――僕だけでいい。


「さあ、始めよう」

記念すべき、三九三九回目の挑戦を。


静かな夜の闇の中、僕はそっと目を閉じ、心の奥底でスキルを起動させた。

三九三八回目と同じ手順。しかし、今は違う――成功するという確信が、胸の奥で鈍く光っている。


途端に、膨大な魔力が視覚化され、無数の光粒となって僕の全身を取り巻き、渦を描きながら集まり始めた。

体の奥から満ちていた魔力が、急激に、容赦なく吸い出されていく。

胸の奥が空洞になるような感覚、頭は重く、視界は霞み、吐き気さえこみ上げてくる。

それでも、歯を食いしばり、意識だけは決して手放さなかった。


――そして、魔力の奔流が止まる。


目の前に、淡く輝く一本の長い“糸”が浮かんでいた。

それは膨大な魔力の塊が凝縮して生まれたもの。微かに空間を歪め、あたり一帯を神聖な光とも禍々しい光とも言える光で満たしている。

月明かりの中、その糸はまるで異世界の聖遺物のように見えた。



ここまで来た――。

六年間、毎日意識を失うまで魔力を注ぎ込み、たどり着いた光景が、いま目の前にある。


だが、まだ完成ではない。

この糸はただの“素材”に過ぎない。本能が告げる。ここからが真の試練だと。

この膨大な魔力の糸を、自らの理想の形へと編み上げなければならない。


魔力は確かに満ちていたが、今はもう枯渇寸前。

身を横たえ、意識を手放したい衝動に全身が軋む。

それでも、ここで倒れるわけにはいかない。

六年間、ただひたすらに、この瞬間を夢見てきたのだから。


僕は、わずかに残った気力をすべて掻き集め、魔力操作を開始した。


魔力枯渇を繰り返すうち、僕の体は魔力そのものに馴染み、相当の操作技術を手に入れていた。魔力の操作技術なら魔力量と同じで誰にも負けないというくらい。

だが、それでも、この規格外の糸を操るには、その操作技術を持っても至難の業。極限の集中力と神経をすり減らす1秒が永遠とも思える感覚。

それは、ただの「ぬいぐるみ」ではなく、世界に存在しない概念そのものを形づくる行為だった。


一本の線だった光の糸は、僕の意識に応じて形を変えていく。



丸い頭部、やわらかな胴体、愛らしい手足――。

ゆっくりと、しかし確実に、夢にまで見た“最高のぬいぐるみ”の姿が姿を現していく。


冷や汗が頬を伝い、指先が小刻みに震える。全身が鉛のように重い。

それでも、心はかつてないほど高揚していた。


もう少しだ。

あと、ほんの少しで――僕の『ぬいトピア』の第一歩が、現実となる。



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