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1章 29話 母エリスと父アストルサイド2,

馬車に戻ったエリスと アストルは、ほっと息をついた。


「意外とすんなりいってよかったわね」


エリスが言うと、アストルは、複雑な表情で頷いた。


「ああ。だが、あのカーキという男……どうにも道化のように感じたな」


「そうね。大金である白金貨の追加の六枚も、まるで初めから分かっていたかのような素早さだったわ。それに、税が増えたことに関する怒りは本物だったようだけど、どちらかというと演技じみていたわ」


「ああ。表向きは何も怪しいところはない。だが、最後の慌てようは不自然だった。息子が問題を起こしただけという割には、あまりにも慌ただしかった。まるで、何かを隠しているようだった」


アストルは、そう言って、深くため息をついた。


「でも、気にしても仕方ないわ。書類上も、税も問題なかったのだから。あとは、国に報告するだけだわ」


「そうだな。それにしても、あのような人物にこの国の未来を任せていいものか……」


アストルは、そう言って、遠くの空を見つめる。


「今は、あの子たちの顔を見て、癒されるのが一番だわ」


エリスの言葉に、アストルは、フッと笑みを浮かべた。


「そうだな。早く、家に帰ろう」


馬車は、静かに走り出した。



馬車に揺られ、二人は静かに家路を急いでいた。そのとき、エリスの視線が、馬車の隅に転がっている一つの物体に止まった。


「……あら、アストル、あれを見て」


エリスが指差す先には、見覚えのある、真っ白なぬいぐるみが一つ転がっていた。それは、ユラが一番よく作っているぬいぐるみと、まったく同じものだった。


「ユラが作ったものかしら……? それとも、最近噂の……」


「エリス、どうした?」


アトラスが、不思議そうにエリスに尋ねる。


「いいえ。ただ、このぬいぐるみ……最近、エドナ商会で有名なぬいぐるみと、同じもののように見えるわ」


「ああ。エドナ商会のぬいぐるみか。そうだな。確かに最近急成長しているエドナ商会の看板商品のぬいぐるみだろうな。そういえば、ぬいぐるみについて最近、妙な噂を聞くようになったな」


アストルは、そう言って、言葉を続ける。


「なんでも、エドナ商会の者は、ぬいぐるみを信仰しているとか。それに、盗賊だろうと冒険者だろうと、なんでも襲う。『ぬいぐるみの魔王アール』と、『漆黒のメイド』も、有名だな」


「でも、エドナ商会のぬいぐるみと、『ぬいぐるみの魔王』が有名になる前から、ユラちゃんが、ぬいぐるみと言って作っていたわよね……。今まで、ぬいぐるみなんて、それまで聞いたこともなかったのに」


エリスは、そう言って、ぬいぐるみを手に取る。


「それに、その『ぬいぐるみの魔王』と、常に一緒にいるというメイド……もしかして、家のメイドのリュリュやセリスなのでは、と考えるも……」


アストルは、エリスの言葉に、呆れたような表情を浮かべた。


「まさか。うちの、あの可愛くてか弱いユラが、そんな圧倒的な強者で、悪辣非道な『ぬいぐるみの魔王』なわけがないだろう」


「そうよね……。それに、その『漆黒のメイド』は、とにかく発言が残念、ということだけど、リュリュはドジが残念だけど、発言は普通だし、セリスは考えられないから、まさかね」


エリスは、そう言って、自分に言い聞かせる。


「でも……リュリュが、最近、夜にいないのは気になるわ」


エリスの言葉に、アストルは、言葉を失った。馬車の中は、再び静けさに包まれた。




◇◇

ユラサイド


ユラはリュリュと並び、ぬいレイを通じて共有される映像を、息を詰めるような緊張感で見つめていた。


映し出されているのは、母エリスと父アストルがカーキの屋敷を去った直後の馬車の内部。厚手のカーテンに遮られた車内は薄暗く、沈黙だけが重く沈んでいる。


エリスは窓の外を見つめたまま、指先で手袋をゆっくりと撫でていた。その仕草は、考え事をしているときの癖だ。


「……ユラちゃん。ちょっとまずいんですけど……」


リュリュは映像から目を離さず、声を限界まで落として訴えた。青ざめた顔色は、夜の光よりもずっと白い。


「私、エリス様に疑われてます。たぶん、かなり」


「どの辺がそう思うの?」


「セリス様が言ってたじゃないですか。“ぬいぐるみの魔王”と常に一緒にいるメイド……もしかして、家のメイドのリュリュ?って」


「確かにそういってたね」


思い出す。


「ついでに、『漆黒のメイド』はとにかく発言が残念、とも」


「確かにそうも言ってましたけど、そんなことないです!」


リュリュは思わずこちらを向き、力説した。


「あの感覚が高まったときの発言こそ至高ですよ? あれを“残念”扱いするなんて、見る目がありません!」


(リュリュにとっては、厨二こそ完成形なのだろう。否定はしない。でも、第三者視点だと――まあ、うん。)


「いや、今はそこじゃないです!」


リュリュは我に返り、両腕を抱きしめる。


「疑われてるかどうかが重要なんです! どうしよう、ユラちゃん……」


(軽くあしらえる状況じゃないかも。)


僕自身も、少し前に疑いを向けられた。けれど、普段の僕は弱々しく、本体もほとんど表に出ていない。そのおかげで、疑念は最後まで形にならなかった。


「リュリュ、大丈夫だよ。たぶん」


「たぶんじゃだめです」


声が震える。


「ユラちゃんはまだ深く疑われてないですけど……エリス様、明らかに私を見てましたよね。最後の一言なんて、絶対。“今夜は控えたほうがいい”って……」


(一理はある。でも、――)


確かに想定外だった。助けた商人が、ここまで“ぬいぐるみ”を広め、信仰めいたものにまで育てるとは。


アールに憑依している僕がぬいぐるみの魔王と広く噂されているのは。


後で対策は考えたほうがいいだろう。


けれど。


(ノルト家の襲撃は、今夜じゃないと意味がない。そうしないと、被害が出るのは――僕だ。)


「リュリュ。そうだとしても、今日は絶対に動くよ」


「で、でも……」


「大丈夫。それに、いいことを教えてあげる」


不安そうな瞳がこちらを見る。


「いいこと……?」


「うん。ためになる話」


ユラは、嘘とも真実とも断言できない理屈を、“事実”として語る口調で続けた。


「人はね。“怪しいかもしれない相手”が、警戒して行動を変えた瞬間に、疑いを確信へ近づける」


「……!」


「急に夜の行動をやめたら、“やっぱり何かある”って思わせるだけ。だったら、いつも通り、発言がちょっと残念な漆黒のメイドを演じたほうがいい」


「発言が残念、は余計です!」


けれど、その声には、さっきよりも明らかに力が戻っていた。


「それにね、リュリュ」


間を置いてから、僕は付け足す。


「今日行く予定の屋敷、初めての貴族家だ。つまり――」


一瞬で理解したように、リュリュの表情が切り替わる。


「……お金がたくさん?」


「そう。リュリュにとって行くしかないでしょ?」


僕の言葉に、リュリュの不安は霧散した。


「確かに。疑いなど気にしている場合ではありませんね。お金のために」


(いつも思うけど本当に、現金なメイドだ。物で釣ると簡単に釣れる)


でも、その単純さが、今はありがたかった。


夜は、変更なくノルト家を襲撃することは確定した。

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