3話 3年後
あれから、大体三年が経った。
僕は今、九歳。この三年間、いろいろなことを身につけた。魔法、言語、そしてもちろん、僕が持つ唯一無二のスキル「ぬいぬい」についても、深く理解することができた。本当だったら八歳になったらすぐにでも「ぬいトピア」のための活動を始めようと思っていたんだけど、ぬいぬいのスキルの応用を考えていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
例えば、大量のぬいぐるみを一気に作ってみたり、一個のぬいぐるみにどれだけの魔力を込めることができるか試してみたり……。そのたびに、魔力枯渇を起こして、数日は眠りにつくことになった。その回数は……まあ、数えるのはやめておこう。二、三回だったかもしれないし、もしかしたら三十回くらいだったかもしれない。でも、そのおかげで、魔力量はまたさらに増えた。さらに今では、魔力回復ポーションを飲まなくても、魔力が満タンになるまで1日もかからない速度の魔力回復速度を身につけた。もちろん、誰もそんなことを知らないけど。
だけど、一つだけ、どうしようもない問題がある。
身体能力だ。これが本当にまずい。今では、一応歩けるようにはなったけれど、重いものは持てないし、剣なんて少し持つだけで力尽きてしまう。身体強化(青)という、僕の属性に合った魔法を覚えて、身体能力を2倍にしても、ようやく普通に動ける程度だ。ちなみに身体強化の通常倍率は1.1倍らしい。2倍は僕の膨大な魔力と、高度な魔力操作技術のおかげだ。
とにかく本当に魔力枯渇をしていない(ほとんど)のに、身体能力が全然上がらないのだ。医者は「稀な症例」と首を傾げるばかり。僕はなんとなく覚った。この体は、魔力関係には飛びぬけた才能があるが、身体能力の才能は壊滅的でたとえ魔力枯渇を当分しないように気負つけてもあんまり身体能力が上がらないのではないかと。
そして現在、
朝からリア姉は、父と剣と魔法の稽古をしていた。それを見て、僕も真似して、剣を持って一度だけ振ってみた。すると、その一回で、僕の体力は完全に尽きてしまった。情けない。ということでリア姉に頼ることにしよう。「リア姉助けてー」
言った瞬間、背中がふわりと持ち上がる。リア姉の腕の中は、いつもひんやりしているのに、なぜか安心する温度だ。
「また倒れたの、ユラ」
「……剣、重い」
「当たり前でしょ。全く♪」
リア姉の冷静な声に、僕は小さく唸った。
ちなみに、僕が最高傑作と認めたアールは、肌身離さず一緒にいる。両手を使うような、今回のような剣を持つ時だって、頭に乗せ、魔力で固定して落ちないようにしている。
「身体強化を使えばいいじゃないか」と思うかもしれない。
だけど、母、父、そしてメイドたちの前では、魔法を使えないのだ。魔力枯渇を再び発症するんじゃないかと、本気で心配して、魔法を放つことを禁止されている。それも、涙目で止めてくるから、さすがに言うことを聞くしかない。
というか、みんな(リア姉以外)僕の魔力量が極端に少ないと思っている可能性が高い。
そのせいで僕はこんな噂されているんだよ。歴代最弱、最可愛な子と。魔力が極端に少なく、身体能力が壊滅的だと。
最弱という不名誉な称号はいらない。
けど最可愛♪みんなわかっているじゃん。
ちなみにリア姉は、歴代最強冷徹な子と噂されてる。この前なんてSランク冒険者の「灯」とやらのリーダーを容赦なく氷漬けにしたとか。
まあ、正直なところ、みんなの勘違いを正すことはできるけど、魔法を使うのは頭を使うので面倒くさいという理由が九割だ。もし僕が魔法好きだったらたとえどんなに止められても、自分のやりたいがままにするだろう。しかし、魔法は嫌いというよりは好きである部類だけど、ぬいぐるみのほうが圧倒的に大切だ。
それに。
「面倒くさい」
僕にとって、この言葉が、行動の基準となる。 すべては『ぬいトピア』のため。しかし、めんどくさいことはしたくない。この面倒くさいとは、ぬいトピアのために必ず必要と言うわけではないものを指す。面倒くさいことをいかに排除して、効率よく目標を達成するか。それが、僕の人生の一つのテーマなのだ。
勘違いしないで欲しいが、必要が有れば努力は惜しまない。ぬいぐるみ、夢のぬいトピアのためならば何でも、どんなにつらく難しくても努力はするが、それ以外についてはめんどくさいことはせず、好きなことだけをする。
リア姉に抱きかかえられたまま、僕は食堂へ運ばれていく。
冷たい空気と、香ばしい焼き立てのパンの匂いが混ざっていて、まだ少し眠たい頭が目を覚ます。
アールをぎゅっと抱きしめながら、僕は心の中でつぶやいた。
(今日も平和だ。たぶん)
テーブルの上には、リュリュとセリスがせっせと料理を並べていた。
リュリュはいつも通り、なぜか自分の皿を一番豪華に盛っている。
気づかれてないと思ってるのかもしれないけど、全員気づいてる。
「……リュリュ、それ、あなたの分が一番多いわね」
母――エリス・アルヴェインが、冷ややかに言った。
声のトーンが、いつもの半分くらいの温度。これが一番怖い。
「ひ、ひえっ!? き、気のせいです!」
リュリュが皿を後ろに隠そうとした瞬間、母の指先が軽く動く。
次の瞬間、皿がぴたりと空中で静止した。まるで見えない糸に吊られたみたいに。
「……野菜、抜いたでしょう」
「ぎゃっ! なんで分かるんですか!?」
「見ればわかるわ」
「うぅ……エリス様の目は本当に怖いです……!」
「何か、言ったかしら?」
「何も言ってないです。」
(リュリュ。朝から騒がしい……)
僕は心の中で小さくため息をついた。でも、リュリュはこの家の平和の象徴だ。ドジで、甘くて、いつも母さんに怒られている。けど、誰よりも明るい。怒られても、三秒後にはけろっとしているからすごいと思う。
「ふん。まったく、朝からドジばかりだな」
低く響く声がして、父――アストル・アルヴェインが入ってきた。
背が高く、筋肉質。けれどその右手には、包帯がぐるぐると巻かれている。
その包帯は、普通に怪我したから使っているようだけど、なぜか巻き方のせいで厨二に見えてしまう。
「……また、リアにやられたの?」と母。
「やられたんじゃない。訓練だ!」
「訓練で右手を凍らされるのは“やられた”って言うのよ」
リア姉は何も言わず、ただ静かに父が隣に座るのを一目見る。
表情一つ変えず、無言。
(父、また勝てなかったんだね。うん、勝てるわけないと思うけど。もはや、リア姉の訓練というより父の訓練な気もする)
セリスが父の前にスープを置く。
「アストル様、お加減はいかがでしょう?」
「問題ない! リアとの稽古は、毎日が命懸けだが、それでこそだ!」
「……お加減、悪そうに見えますが」
「気のせいだ!」
(いや、完全に痛そうなんだけど……)
父は豪快に笑って、スプーンを握る手を震わせていた。
うん、これがアルヴェイン家の日常。朝から騒がしいけど、嫌いじゃない。
なんというかこういう雰囲気は暖かい。
みんなが席に着き、朝食が始まる。
僕は相変わらずリア姉の膝の上。リア姉は、無表情でパンをちぎって僕の口に運んでくれる。
母さんがそれを見て、少しだけ眉を寄せた。
「リア、自分でも食べなさい。ユラはもう自分で食べられるでしょ?」
「……でも、ユラが可愛い」
「理由になってないわ」
「私が食べさせたいの」
「……リア、あなたが当主になったら国民が苦労するわね」
「……そんなの知らない」
母は頭を抱える。
「そういえばユラ、昨日の音は何だったの?」
母が唐突に尋ねてくる。
背筋が凍る。僕はスープを飲みかけて、少しむせた。
「え、えっと……あれは……」
(どうしよう、そういえば昨日、こっそりと部屋で魔法の練習をして、うっかり失敗してすごい音が鳴ったんだよね。氷属性の結界を作ろうとして、自分の部屋に結界を。でも、少し眠くなってうとうとしてたら失敗したやつ。
というか、たとえ、うとうとしていたとはいえ、氷で結界を張るということ自体が性能も悪いのに難易度が高いせいで失敗したのだ。いや、そんなことを考えている場合じゃない。僕が勝手に魔法を使ったばれると怒られるだけじゃなく心配されるしどうにかしないと)
僕は言い訳を言おうとすると、
リア姉が先に口を開く。
「私が氷の訓練をしていたの」
(!?リア姉がかばってくれた。)
「嘘」
「……ほんと」
母さんはしばらくリア姉をじっと見つめ、やがて小さくため息をついた。
「はぁ……あなたたち二人、隠しごとが下手ね」
(完全に見抜かれてる……!)
母さんは微笑んで、僕の頭を撫でた。
「でも、元気そうで何よりだわ。」
「うん。スープ、おいしい」
「そう。それはセリスが作ったのよ」
「お口に合って何よりです、ユラ様」
セリスは丁寧にお辞儀をする。
その動きがあまりにも完璧で、リュリュが隣でこっそり真似しているのが見えた。
(リュリュ、今それ真似してるのバレてるよ)
そのとき、母さんがふとアールを見た。
アールのぬいぐるみは、僕の腕の中で静かに抱かれている。
「……そういえば前から思っていたのだけどそのぬいぐるみ。妙に魔力を感じる気がするのだけど」
冷ややかな声。
僕は慌ててアールを抱きしめ直した。
「き、気のせいだよ」
「そう? なんだか……生きているみたいな……」
母の視線が鋭くなる。
リア姉が、静かに手をかざす。
「母。ユラをいじめないで。アールちゃんは、可愛いぬいぐるみ」
その目が、一瞬だけこちらに向く。
ほんの僅かに笑った気がした。
(リア姉……助かった)
食卓の喧騒は、やがて静かな温もりに変わっていく。
父は水魔法で紅茶を温め直し、母は書類を手に取り、リア姉は僕の髪を指で梳いている。
セリスは新しいスープを配り、リュリュはその隙にまた自分の皿にベーコンを増やそうとして――
「リュリュ」
「ひっ!?」
母さんの一言で、静寂が戻る。




