第一話 川にいる! キになるカノジョとの出会い、そして転移へ……
しとしとしとしと。
いまボクは重たい雨雲に覆われて薄暗くなった通学路を例のカノジョとふたりで渡り歩いている。
「こんなタソガレドキにはさぁ、キタイしちゃうでしょ、ユーレイ」
そういって湿気を吸ってドンヨリとした髪のカタマリがコチラに振り返る。
獲物を見つけ出したハ虫類の目でボクを覗いている。
その口許は薄い微笑が浮かべられている。
「……オカルト、ニガテなんだからそーゆーフンイキにもっていくのやめてくれよ」
フキゲンを演じてなんとかこの場を納めないと。
ビビっている顔を隠すために雨ガッパをより深くかぶる。
「いやいやいやいや。トマルくん、オカルト部員なんだよね。オカルトニガテとかおかしいでしょ」
「オカルト見たり聴くのはスキだけど、オカルト体験するのはキライなんだよ」
「じゃあさ、わたしが急に無言でレインコート脱ぎ捨てたときにいってよ! そーゆーのがスキだと思ってこの霧隠多楽里がダンチョーの思いで雨に身を晒したんだよ。もうせーふくがベタベタだよ。……もしかしてセーフクが透けるの期待してたり。ホーントスケベだねぇ、トマルくんは。なんだベタベタでスケスケでベトベト期待しちゃったか」
たらりさんが演劇部顔負けの百面相と身ぶり手振りでボクにはほんとうにほんとうによくわからないことをまくし立てている。
「……ベツに、ベタベタでベトベトにベロベロしたがってなんかないよ。ただ──」
「きゃーっ、トマルくんのドヘンタぁイ。お巡りさーん、ここ、ここですよぉー。たおやかな女学生をサンザンつれ回したあげく雨具を奪い雨でせーふくがビチョビチョでピチピチになっているのをペロリと頂こうとしているヘンタイオトコの都丸鮎巳。ここにおりますぞぉーーーっ!」
唐突に両手でメガホンを作り大声で叫ぶ、目元をニヤニヤさせながら。
「ダメだってっ」
とっさにたらりさんの小さくてお上品なお口をボクの毛深い節くれだった手のひらでがっちりと押さえ込む。
ニヤニヤしていた目元が哀願するような上目遣いにあっという間に移行した。
うすぎたない格好をした二十代の男がうら若き女学生をカベに押しつけてゴツゴツした腕で口を塞いでいる。
この場を見られたら言い訳のしようがない。
いまボクは涙目の少女を襲っているのだ。
ふーはー、すーはー、ふーはー、すーはー。
あつい鼻息がボクの手の甲に吹いている。
たらりさんの形のいいくちびるからじんわりと熱が伝わってくる。
やわらかいほっぺもそれを握り締める右手も同じように硬直をはじめる。
こんな姿をみられたらただではすまない。
大声で叫んでいたから、通報をされているかも。
ボクはいま猛禽類の目になっている。
口内で溢れんばかりのヨダレをなんとか押し止めている。
なんだかカノジョの目がなにかをキタイをしているように見えてきた。
すっと手を離し、ボクの頭をカノジョのすぐそばに近づける。
カノジョのキュッと閉まったくちびるがゆるやかに締まりを失ない──
「バ、バ、バぁカッヤロー! なにやってんだよぉ、ゼーンゼンそんなフンイキじゃなかったでしょ。がっつきすぎ、がっつきすぎだよ。わたしだからよかったものの、他の子だったらケームショ行きだよっ。……怖かったよ、ホント」
真面目な顔をしてそう言い放つ。
紺色の制服のすそにくっきりと爪の痕が残されている。
恐怖の痕跡が、残っている。
ボクは社会経験だけではなく社会常識も欠如しているみたいだ。
恐怖に怯えた顔をナニかを求めている顔に誤認するなんてとんでもない馬鹿やろうだ、ボクは。
「キリガクレさん、ほんとうに申し訳ありませんでした」
申し訳なさすぎて適当な言葉が思いつかない。
ただひたすらに頭を下げる。
まともに謝れないなんて小学生未満だよ。
「償えるのならば、できること何だってします。だからどうか、何とぞお許しください」
「んもー、軽々しくそんなこと言っちゃダメだよ。ショーガクセイじゃないんだから。……でもいつだってココロはコドモのようにワカワカしくいなきゃだよね、うつくしさはソコに宿るんだから、よーしっ」
おもいっきり両腕を掲げて伸びをした。
たらりさんの目がみるみる生気に満ち溢れていく。
どうやら許してもらえそうだ。
「それじゃあ、トマル二等兵。いまからシレイを申しつけるのでハイメイするよーに」
「ハー、了解いたしました。キリガクレ殿下」
「朕はいいカゲンこのうっとぉーーーしい雨にヘキエキしてきた。ゆえにこれより朕の右手に流れるドブ川に飛び込み川の神さまに雨を止めるようにとチンジョーして参れ」
笑顔でめちゃくちゃ言うな、この人。
人差し指で人に命じる所作がとてもシゼンだ。
それでは、
「不肖ながらこのトマルこれより川の主に陳情して参ります」
しかしオトコは言葉を曲げない。
一度、口から出たのなら取り消しはしない。
川と通学路を隔てる金網をいま、越えた。
サイは投げられた。
「ちょびーっと川に足をタッチするだけでいいからねー」
金網のむこうからカノジョのやる気を削ぐ声援が聴こえる。
だがこの名も知らぬ川恐れるに足らず。
その深さは膝下だと記憶しておる。
流れが速いが関係ない、一介のオトコ都丸鮎巳いざ川の深奥にいざ参る。
両手を頭の上に組み、助走してボクは川岸から飛び立った。
「アタマからぁっ、ちょ、ちょっとまってよ」
後ろから金網をよじ登る音が聴こえる。
川が真っ黒で目の前に。
ドボン。
両手が、顔面が水に勢いよく叩きつけられる。
ムチでひっぱたかれた痛みで身体が固くなる。
水中でゲホゲホ咳が止まらない。
鼻から水を吸ってしまったようだ。
川底に膝をつけようとしても止まらない。
ヌルヌル足元が滑って、身体が川の流れに持ってかれる。
マズイマズイマズイ。
た、たすけてぇ。
「うぅおおおぉぉおぉ、すぐいくよッ」
たらりさんが全速力で駆けてくる。
本気で助けに来てくれた。
ボクも川底に爪を立ててイチビョウでも踏ん張らなくては。
「もう少し耐えてッ」
ローラースケートさながらに川を駆け抜けている。
「もう少しッ」
だけどだけどチクショウ、爪がもうゲンカイだッ。
剥がれる剥がれる。
ハガレタ、ハナレタ。
身体がすさまじい勢いで水流に引っ張られる。
せっかく稼いだ距離があっと言う間に引き離される。
「この距離ならっ、これでもくらえぇえぇえぇッ」
たらりさんの右手から銀色の弾丸が放たれる。
グサッ、ビクンッッッ。
ボクの身体が上流から思い切り引っ張られる。
うぐぅ、となさけない声が漏らしてしまう。
銀色のナニかが肩から身体にミチミチとくいこんでいく。
肩甲骨が千切れてしまいそうだ。
「オーエスーオーエスっ」
な、なんだぁっ。
水面に立つたらりさんが金網と綱引きをしている。
中腰になってなんとか踏ん張っている。
よしっ、金網がくの字になっていまにも負けそうだ。
ボクには応援しかできない!
よーし、精一杯の大声で。
「がんばァれぇぇえぇっ、まけるゥなぁぁあぁっ、この調子でッ、いっけぇえぇえぇッッッ」
「オーエンしちゃァアァァだめえええぇぇえぇ! このままだァとぉぉおぉ、カナアミまで流されちゃうよッ。わたしたちぃぃいぃ、ゼンメツだよおおおぉおぉおぉッッッ」
「なぁんですとおおおぉぉおぉ」
雨に負けない大声をあげる。
頼むっ、ダレか気付け、ダレか気付いてくれっ。
どうすればいいんだ。
なにかできることはないのかっ。
それに痛い、肩に刺さった金具が神経に触れてるっ。
ビクンッビクンッしてるよっ。
「ロープを引っ張るんだよっ。肩のイタミをムシしてイッコクも早くロープを引くんだぁっ。カナアミがコワれるまえに川岸にあがるんだよぉーーーっ」
「うゥううおおおぉぉおぉォォオォッッッ。ぅおおおォォオォーーーえええぇぇえぇェェエェすすすゥゥウゥ。ゥウゥウゥヲヲォヲおおおぉぉおぉォオォォーーーーーーえええぇぇえぇェエェェエェェエェすすすぅぅうぅゥゥウゥ」
遠吠えを唸って二の腕をパンパンに腫らして、綱を
、引く。
痛くても痛くても奥歯を全力で噛み締めてボクは綱を、引くんだっ。
「ッ見えてきたよっッッ」
「こォれがァァァッ最後ォの一発だァァァ」
ようやくボクらは川岸にたどり着いた。
「……ゼェ、ゼェ」
全身がぐしょ濡れのたらりさんが膝をついて肩で息をしている。
償いとして川に飛び込んだのに助けられてしまった。
カノジョにはカンシャしてもしきれない。
ボクは、こんなときにかけるコトバはひとつしかない。
「キリガクレさん、ほんとうにありがとうございます。ボクにはどうすればこの恩に報いることができるかわかりません。だからナニかボクにできることを教えてください。できることならなんだって──」
「ストーーープ、そこまでだよ、トマルくん。同じアヤマチを繰り返そーとしているね。アヤマチてアラタメざる、これをアヤマチとゆーんだよ。禁止だよ禁止。もーお、ダメ。これ以上はおくちにチャックだからね」
小柄で華奢なからだを精一杯伸ばして、そして真っ白でなめらかなその手でボクのくちにフタをした。
冷たい手だ。
というより冷たすぎる。
顔も真っ白でぎこちなく笑みを浮かべている。
まさか低体温症になっているんじゃないか。
「キリガクレさん、スゴく冷たくなってるじゃないか。はやく身体を暖めないと」
すばやく回りを見渡す。
暖を起こせるものがない。
救急車呼ぶかっ。
しまったっ、スマホも充電がない。
メンドウくさがらずに昨日充電しておくんだった。
というか水没して壊れたか。
たらりさん、すごいフルえだしたぞ。
背負ってでもどこか暖かい場所に連れていかなくては。
「キリガクレさん、ボクの背に乗って」
「……ら、らいじょーぶらよぉ。そ、それより、バックあけて。てりゃ、かじかんじゃて」
そんなロレツが回っていないのに。
カノジョの肩からカバンを降ろす。
「カバンっ、開けたよ」
「そ、そこをやびゅって」
ホントにいいのか。
意識がモウロウとしているんじゃ。
「は、はやく」
なんとか声を絞り出している。
よし、さっさとやって、さっさと運ぼう。
カバンの底に手をかける。
ビリビリーーー、ボト。
こ、コレは。
「ひ、ひもをひいて」
ボクはカバンの底に隠されていた、駅弁のヒモを引き抜いた。
プシュー。
心地のよい熱気と美味しそうなニオイが重箱から飛び出してくる。
この甘っ辛いニオイはきっと、うな重だ。
山椒の香味も効いている。
「あ、あったかい」
たらりさんが駅弁の重箱にのしかかり一身にうま味溢れる湯気をあびている。
ご馳走が奪われないように全身で守っているみたいだ。
湯気からチラリともれる顔色は生気を取り戻している、もともと色白だからわかりにくいけど。
「キリガクレさん、ちょっと歩いてあの橋の下にいきません? ここだと肩の穴に水が貯まっちゃいそうだ」
落ち着いてくると虫歯のように肩にできたキズがズキンズキンと鼓動する。
神経まで到達してそうだ。
「あいやー、ごめんトマルくん。キンキュージタイだったから思いっきり振りかぶって肩にバシッといいタマ投げ込んじゃったね。いい投げっぷりだったでしょ。これでもオネーサン、ジャイロボーラーだから、そんじょそこらのコントロールとはウデが違うんだよね」
ほっそりとした上腕二頭筋をバシリと叩いている。
ジャイロボールって実在したっけ。
元気になったし、まぁいいかそんなこと。
「──それでね。九回裏にツーアウト満塁の場面でね。カントクがタイムを宣言したのよ。そのタイムが逆転のノロシってワケでね。このピッチャー兼代打の切り札であるわたしがね、バッターボックスに立って初球をキランと場外ホームラン。ここから十点差を追う大逆転劇が始まったのよね」
通学路からだいぶ離れた橋の下、ボクたちは身を寄せ合って重箱に箸をつついていた。
下着姿になって。
「キタイのエースは先発しなかったんだね」
「実はね、なんと稀代のエースのわたしはこのゲームの直前に、なんとアクシデントに見舞われたのだよ、トマルくん。その日の朝はきょうのような雨の降りしける見通しのワルい日でね。それにわたしはウンドーカイが楽しみで、ベェースゥボォーが楽しみで、ウカレてたんだよね。だから、その、そうシンゴームシしちゃっってね。はねられちゃた。それでホントーは行けなかったんだ。ウンドーカイもガッコーも。きょうはさ。わたしを見つけてくれてありがとう。死んでからもずっとあの交差点にいたんだ」
「それはタイヘンだったね」
「もぉー、やっぱりわたしのハナシ真剣に聴いてないでしょー。そこは怖くてキャーとかそんなのウソだろとかわたしのためにオトコ泣きしてくれるトコロでしょーが。そんなにミズギ姿が気になるの」
「それは、うん」
濡れたままの衣服でいたらカゼをひくからって水着姿になるかよ、フツー。
そもそもなんで制服の下に水着を着込んでるんだよ。
それにオトコの前で服を脱ぐって恥ずかしくはないのか。
ボクは恥ずかしかった、脱いじゃったけれどもさ。
でもオトコとオンナは違うだろ。
それにボクはさっきキミのことを襲いかけたんだぞ。
怖くないのかよ。
ううう、スラリと痩せているのに女性的な丸みを保持しているカノジョの左足の、太ももの一部がボクの右目のスミに映る。
ちくしょう、身体もアツくて、顔面もアカくて、身体もカタくて、頭脳がマワラナイ。
ボクの右側に座るカノジョはなにをいま考えているんだ。
ボクに教えてくれよ。
「なんでキンチョーするかなー。トマルくんも海じゃこんなカチンコチンにならないでしょ。しかたないなぁ、ほらこの五円玉を見て、あなたはだんだん眠くなるー。眠くなるー。眠くなった? じゃあ催眠をかけるね、トマルくんはわたしとビキニを来てブリッジパラソルの下で浅い海を見ながらうな重を食べている。トマルくんはわたしとビキニを来てブリッジパラソルの下で浅い海を見ながらうな重を食べている。さん、にー、いち、はい」
パンっ。
たらりさんが両手をパチンと叩く。
たらりさんの小柄で引き締まった上半身が衝撃で少し震える。
透き通るほど白くなめらかな肌が振動で揺れている。
カノジョのからだのほんのわずかなやわらかな脂肪の存在が喚起される。
ほんとうにやわらかそうで。
「ちょ、ちょっとタンマ、ここは海水浴場、ヌーディストビーチじゃないよ。だからそーゆー目をするのはナシ、きんしだよ。でないともっかい催眠かけちゃうよ」
イカンイカンイカンイカン。
自分の肩の傷口に指をめり込ませる。
たらりさんがショードクして謹製のガーゼを貼ってくれたが仕方がない。
うぎぃ、ジンジンしてきたァ。
「いやソコまでしなくていいよっ」
たらりさんが左肩の傷口をほじる右指を引っこ抜く。
む、無警戒だ、たらりさん。
ボクの右手に座っているから、抱きついてボクの右指を引き抜こうとしている。
肌がほんのり暖かくて吸い付くようにしなやかでなによりやわらかくて。
ひ、必死にやっているから気付かないのに、シンパイしてくれているのに。
ううう、ボクってやつは、ボクってやつは。
「う、うが、うがががががががががぁぁぁァァァ」
「なんでガシガシがカソクしてるのよぉ」
たらりさんが怯えるような表情を浮かべながら傷口を掻きむしるボクを見ている。
ホンっトーにごめんなさい。
「もぉ、やめなさいってば」
顔をひきつらせながらボクの身体を飛び越えて、やわらかなムネと両手でボクの右の手首を固定して。
「痛たたた」
右わきでボクの身体を地面に押し倒す。
起き上がろうとしてもキッチリ極められてできない。
オトコなのに敵わない。
ココロでもチカラでも負けて情けなくなってきたな。
「トマルくんっ、そんなことしなくていいからねっ。そんなイタイことしなくていいからねっ。ちょーーーっとくらいスケベな目で見てもいいんだよ。ケンゼンな証だってば。まぁ、我らが聖ドラクロア生みたいにシューダンでプールを覗いて戦利品としてシタギをドロボーするのはどうかと思うけどね。三十人退学はショーゲキ的だったよね」
たらりさんがパニクりながら涙目でショーゲキ的な発言をしている。
お下劣な目で見てるの悟られちゃった。
恥ずかしい、ハズカシイ。
アナがあったらハイリタイ。
「実はボク、そのジケン知らないんだ」
「え、えー、ガッコー内はモチロン、このガック、このケン、このクニじゅうに四十九日で知れ渡ったガッコー始まって以来のゼンコクニュースだよ。海外リューガクに行ってたり?」
「それに近いかな。ボクは高校三年生から七年間ネットのセカイで暮らしてきたんだ。だからジョーシキとかこっちのリューギがわからないんだ」
「もしかして、聖ドラクロアの七不思議のひとつ、三年一組のソンザイしない三十番目の生徒って」
「そう、ボクだね」
え、ええええええええええええええええええええ。
たらりさんがきょう一番の大声を出した。
「そんなに大声をだし──」
「きょうガッコーではじめてあったとき来年ニューガクにピッカピカの十五歳だっていってたの、ウソだったのっ」
さすがに十歳サバ読んだら気付くと思うんだけど。
ピカピカの中学生はこんなボロボロの浮浪者ファッションしないし。
それにしても腕挫腋固を極めたままだ、まだボクが自傷すると疑っているみたいだ。
これ以上追求されるとまた掻きむしっちゃうから正解だけどな。
「キモチはいつまでも若くいたいからさ。それにネットのセカイから戻ってきたキコクシジョってやつだしね。明るく輝いているあのカツドウ的なキコクシジョ」
「トーマルセンパイのいたサーバーはどーせニホンのサーバーでしょ。海外いけてないよ」
するどい突き付けをくらった。
たらりさん、サーバーを知っていたなんて。
つややかな黒髪が腰まであるガイコクのコトバなんか気にしない大和撫子だと思っていたのに。
人は見かけによらないってことか。
それにトマルくんからトマルセンパイに格下げされたな。
センパイのイントネーション、すごーくイヤな感じだったし。
見下げすぎて一回転しちゃったような。
「トマルくんでいいよ。ボクはキミよりコドモっぽいからね。オトコなのに甘えてばっかりだし」
いつの間にかひざまくらの体勢に移行してたからね。
よこしまな欲求がこのひざまくらからはぜんぜん生じない。
包み込んでくれるようなやわらかさからはやさしさしか感じない。
どこまでも堕ちてしまいそうだ。
そんなボクに対等なトマルも、尊敬と軽蔑の入り乱れたトマルセンパイは似合わない。
「えへへへ、トマルくんはホンっトーにかっわいーねぇ。顔はゴツいけど、ココロはまぁだまだミジュクだねー。どうしてきょうはガッコーにシュッキンなさったんでちゅかぁ」
ついにトマルちゃんまでいったか。
そのゆるみきったココロをショーゲキ的な発言でドキュンと射ぬいてコッパミジンにしてやるさ。
「キミにアイにきた」
沈黙がながれる。
「……わたしに、アイに」
「そう……キミに」
「怖いよっ! あったこともない人にキミに会いにきたっていわれてもただただ怖いだけだよ! わたし、トマルくんとのセッテン思い付かないよ。さすがにジョーシキ忘れすぎっ! そーゆーときはジブンの立場になって考えるの知らない妙齢のオネーサンから来ちゃった♪っていわれてもえっなんで、なんでってなるでしょ!」
ま、またやらかしてしまった。
個人的にはナゾのミステリアスお姉さまはアリだけど、言いたいことはよくわかる。
というか他人のキモチを推し量るチカラが衰え過ぎてないか、ジブン?
たらりさんの白粉を塗ったような卵形の顔がポッと紅くなるって想定してたジブンが恥ずかしい。
にやにやしながら優しい手つきで恥ずかしさで紅くなった顔を撫でるのやめてくれよ。
「会いにきた理由はその、この写真を見てくれよ、キリガクレさんだろ」
コピー機で印刷した写真をたらりさんに見せる。
この川のライブカメラの映像を現像したものだ。
いっしょに水没したジーパンのポッケに入れていたのに奇跡的にブジだった逸品だ。
「んー、これたしかにわたしだね。ガッコーのせーふく着てるし、このガッコーに腰までのロングヘアーはわたししかいないし」
やっぱりキリガクレさんだったのか、だったらなんで。
「真夜中に腰まで川に浸かってにやにやしながらライブカメラ見てるんだい」
偶然だった。
サバンナのライブカメラに影響されてたまたま学校の近くのライブカメラを眺めていた。
いややっぱりウソ。
学校に未練があるからその近辺のライブカメラを観ていた。
そして見つけてしまった。
はじめは人形でも使ったイタズラだと思った。
誰も見てないようなライブカメラにイタズラしてどうするんだって思ってみてた。
人形じゃなかった。
車が来ると近づいていくんだ。
水深が膝下までしかないのに腰まで浸かって普通に歩いているんだ。
そして川にいるカノジョはボクがライブカメラで観ていることを知っている。
ライブカメラをつけるまでカノジョはずっと通学路を向いている。
でもライブカメラをつけた後ボクをみてニヤニヤ笑っている。
ボクがライブカメラをつけた後この橋の中央につけられたカメラの方を向く。
はじめてのオカルト体験で怖かった。
いつももう二度と観ないと決めてからライブカメラを閉じる。
でもあのニヤニヤと笑う真っ白で整った顔、小柄で引き締まった身体、ほんのりとふくらんだ女性特有のそれらが忘れられなかった。
だからなんとなくいくキモチの失せた学校まで足を運んだ。
そしてきょうキミを見つけたんだ。
「でもさ、わたしきょうが人生初だよ。トマルくんのキュージョではじめてこの川に入ったもん。そもそもさすがのわたしもマヨナカに川にはねぇ、怖いじゃん。それでさ、トマルくん。この写真、マジ?」
たすけてぇ、たすけてぇ、たすけてぇ、たすけてぇ。
ボクたちの正面でドボンと髪の長い女性が浮かび上がってくる。
いつものあのしまらないニヤニヤした顔で助けを求めている。
やっとわかった気がする。
あのニヤけた顔は水でふやけてしまったせいなのだ。
もともとはたらりさんと同じ笑ったり泣いたりできる顔だったのだ。
川のカノジョはいま助けを求めているんだ。
ならボクにできることはひとつしかない。
「いま、助けるからっ」
カノジョに向かって走り出す。
ずっと観てるだけだったけどきょうは違う。
「さぁ、掴まってっ」
ボクは手を差し出した。
カノジョがなめらかな両手でボクの手をつかむ。
カノジョの指がボクの右腕に食い込む。
すごいチカラだ。
それだけ助けをずっと求めていたんだね。
「はやく上がってっ! オカシイよっ。さっきまでそんなヒトいなかったじゃん。キューに出てきたんだよ。ヤバイってば」
返事をするヨユーもない。
川がカノジョを引きずり込もうとしている。
流れがはやくて踏ん張りが効かない。
「川がカノジョを引きずっているんだ。ボクにモリを撃ち込んでいっしょに引き上げてくれっ」
「なにいってるの、いってることオカシイよ、いまトマルくんが川に引きずられているんだよ。あのヒト笑っているんだよ」
うぐっ、なんだかんだいいながらモリを撃ち込んでくれた。
それに思いっきり引っ張ってくれる。
ありがとう。
「もうちょっとだからな、ガンバってくれよ」
川のカノジョを元気付ける。
陶器のように固い指が皮膚を突き破り血が垂れる。
まだたすけてぇといってる。
よっぽど怖かったんだな。
なんだよ、まだ川底にカノジョがもうひとりいるじゃないか。
「ほら、キミも足に掴まって」
ざぶん。
カノジョにつかまれたからか、ボクはバランスを崩した。
横倒しになって川下に流されていく。
たらりさんも倒れている。
ボクが倒れたせいだ、ごめんなさい。
でも声がでない。
水中のカノジョたちがボクを見てニヤニヤ笑っている。
息ができなくて頭がアツい。
ガブガブ濁った水を飲み込んでしまう。
グツグツ頭が煮たってズキズキと激痛が走る。
たらりさんが目をつぶりお守りを握りしめながら川に飲み込まれている。
何人ものカノジョに囲まれながらそれを眺めていた。
「疾」
たらりさんの声が聞こえた。
真っ暗だった川底が真っ白に光り輝いた。
すぐにまた暗くなったが今度は闇だ。
なにも見えやしない。
とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう。
かなり水深が深くなった。
全身が水に浸かっている。
だけどお湯だからぬくたくて心地がいいなぁ。
いつのまにお湯になったのだろう。
だれがお湯を沸かしてくれたのだろう。
ゴクラク、ゴクラク、ハァと息を吐く。
どこからか息がボクに吹き込まれている。
だれが息を吹き入れているのだろう。
コツンと、ダレかがボクの頭に優しくふれた。
手を伸ばしふれ合う。
この肌さわりは、たらりさんだ。
なめらかでやわらかさをもつ人間のモノだ。
カノジョがボクの手を握りしめる。
細かくブルブルと震えている。
真っ暗でボクにはなにも見えないが、たらりさんにはなには見えているのだろうか。
いまボクはココロ安らぐ水流に流されながらそんなことを考えている。
ブックマークと評価を入れて貰えたらうれしいです。
評価は後書き欄の真下にある"ポイントを入れて作者を応援しましょう!"から五番目の星を押して貰えたらスゴくハッピーです。
ぜひぜひよろしくお願いします。