眺める夜空の向こうには
火星の夜空は澄んでいる。手を伸ばせば届きそうに思えるくらいに。
かつては砂漠の惑星、しかし今ではテラフォーミングされ人類の生存・居住が可能。だけど北半球のかつてあった広大な平原はすっかり海面に覆われて今じゃ大海原となっている。人々が暮らすに適した陸地は南半球にあり、北半球は標高の高い高地帯ばかり。地球の高地のように空気が薄けりゃ気圧も低い。おまけに火星はまだ開発が進んでいないから大気汚染とは無縁ときた。なので宇宙船の乗組員に言わせるならば、火星の夜空は澄み切ってまるで宇宙にいるようなんだと。
俺はランドシップの甲板にマットを敷いて寝転び、そんな澄み切った夜空を見上げている。中天に広がる星座は地球で観るそれらと変わらない。今も俺の頭上には天の川が流れ、赤い蠍座のアンタレスがその先にある白鳥座のデネブを狙うかのように妖しく輝いている。
ここは火星の北半球。オリンポス山北側の麓、アルカディア海を臨む台地上。
地球連邦軍の予備役大尉である俺、御剣明はとある任務の成り行き上、こうして暇を持て余して一人星空観察の真っ最中だ。
所属は宇宙軍第869特殊任務群。この部隊はアステロイドベルト帯に駐留する外惑星系における緊急展開部隊で、地球人類の生存を脅かす地球外知的生命体からの侵略があった場合、一番最初にそれに対応する事になっている即応精鋭部隊なのだ。
とはいえ、精鋭部隊とは聞こえが良いものの、要は鉱山で鳥籠を持って先行させられる奴隷のような役割だ。
俺はその精鋭部隊の、更に群司令が直轄する特殊部隊(名前は特に無くて特務隊と呼ばれている)部隊長なんかになっている。
この特務隊は群司令直轄だけに群司令から良いように使われている。なので原隊が鳥籠を持つ鉱山奴隷であるならば、俺達特務隊はさながら鳥籠の中の小鳥みたいな役割という訳だ。
俺はそんな大それたポジションに付きたくなんか無かった。大学卒業したら少尉に任官し、2年間の軍務を無事に終わらせたら娑婆に戻って高校の歴史教師にでもなろうかなんて考えていたんだから。俺は士官学校出の正規士官じゃなくて、一般大学で奨学金目当てに予備士官養成課程を履修した単なるその他大勢いる予備士官の一人に過ぎないのだからな。
腕時計を見ると気温は7℃。気温は低いものの陽が落ちた18時ともなれば海辺なこの土地は夕凪となって風は無い。しかも着ている戦闘服は防寒機能も備えてあるから、寝転がってもそんなに寒さは感じない。
と、見上げた夜空にキラキラと光りながら航行する飛翔体が見える。人工衛星じゃないし宇宙ステーションでもない。特に後者は1か月前に敵の艦隊によって破壊されている。
友軍の艦隊でもない。地球連邦軍の火星駐留艦隊は民間人の脱出を援護して既に全滅している。
あれらは1か月前にこの火星に襲来し、図々しくもそのまま火星を制圧して居座っている異星人アムロイの艦艇だ。
俺が部隊長を務める特務隊は奴等の侵略行為によって合流するはずだった試験艦キャスパリーグとの通信が断絶し、もう一か月も合流予定地でこうして待機を続けていたりする。
幸いな事にアムロイの襲撃により放棄された様々な施設から食糧等を徴発したので食うには困っていないけど。
(ちっ、アム公どもめ、どうしてくれようか)
俺は一人心の中で侵略者に毒付くと、寝転んだまま手探りでズボンのポケットを漁る。そうして取り出したパイナップル味の飴を口に放り込むと、俺は飴を口内でモゴモゴさせて唾液に溶かし、溶け出した偽物っぽいパイナップルの味を一人堪能した。