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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

秋津冴作品集

悪の華は最後に咲く

作者: 秋津冴

 とある広場に、常設されている処刑台があった。

 些末な作りがなされており、誰がどう見てもまともな建築物とは思えないほど、ぼろぼろのそれ。


 数段の階段とその上に厚さ数センチほどもある平板が這わされて、釘で要所を打ち付けただけのもの。


 誰かがその階段を登れば子供であっても床板はギシギシと悲鳴を上げて、もう長くはもたないことを示した。


 平らな踊り場の奥にはばってんの状態で二本の丸太が地面に深く根を生やしており、粗末な麦縄で何重にも巻かれている。


 その縄が解けたらどうなるかは、幼い子供にでもすぐに理解できそうなほどだった。


 大人の腹回りほどもある、この丸太。

 その対角線上の四隅には、どす黒い、錆色の赤が焼き付けたかのようにこびりついている。


 多分、それは水をぶっかけて流しても、どれほど丁寧に洗っても落ちないように思えた。


 その丸太には一人の人間が縛り付けられている。

 両手両足を極限まで伸ばした彼女は、いやに老いて見えた。


 本当は十二、三歳かもしれない。

 連日の拷問と、度重なる暴力と、与えられない睡眠と、それらによるストレスのせいか、彼女の顔には深い皺が幾つも刻まれている。


 年老いて干からびた老婆のようにやせ細り、しかし、その腰まである豊かな金髪が彼女が若いことを物語っていた。


 水が飲みたい。

 そう心が求める。


 言葉を発することを許さないように嵌められた口枷のせいで、思うように意思表示ができないでいた。


 ……もう三日になる。

 クラレンスはそう思い、望んでも手に入らないものがあるのだと、改めて足元に群がる人の群れに目をやった。


 そこには悪意があった。

 興味本位の視線もたくさん身体のそこかしこに突き刺さってきた。


 まだ若い自分の肉体が物珍しいのか、それとも好色に過ぎる男たちの好奇心が抑えきれないのか。


 かつては藍色の法衣をその身に纏い誰からも尊敬と畏敬の眼差しを受けたこの身が、いまでは単なるぼろ布同然、下着同然の恰好で衆目に晒されている。


 これを滑稽と言わずして、他に言葉が思いつかなった。

 偉大なる聖女様、とあれほど慕ってくれた民衆が、いまではころりと手のひらを変えて『悪魔に属した女』とこちらを責め立ててくるのだから、面白い。


 こちらに向かい深く垂れ下がっていた多くの頭は、高く育った麦穂のようにまっすぐに、でも風に吹かれたらそちちらになびくように、立っている。


 その風は、街を支配するある人物から生まれ出でていた。

 この街には領主がいる。


 領主が許可を出せば、月に一度。

 多くて二度ほど、罪人の処刑が行われた。


 処刑は人々の目に隠されることなく行われる。

 始まった頃は領主に対する恐怖の的だったこの制度も、長い月日をかけていくにつれ、市民の娯楽の一つと化してしまった。


 人は己の悲しみや怒り、憎しみといったものを、誰かの同様のそれを見て、楽しみへと変えることができる生き物だ。


 領主はそのことをよく熟知していて、作物の不作で日々の生活に困ったり、増える税金を払うことにも事欠く住民たちのストレスを、このやり方で発散させる方法を選んだ。


 お陰でどれほど飢えと税金に苦しむようになっても、処刑される罪人を目の前にしてしまえば人々のためこんだ不満はどうにか発散されて、領主に怒りの穂先を向けることは少ない。


 そのための犠牲者が必要だ。

 今回は、税金を緩和するべきだ、民衆の飢えを防ぐために城の蔵を解放して欲しいと叫んだ、聖女が……クラレンスがその標的になった。


 処刑人が、丸太に縛っていたの両手足を、極太の釘でもって打ちつける。

 これまで体感したものの中で、最も高い部類に位置するだろう痛みが、その金槌が振り下ろされるたびに腰の底を打ち据え、脳と首の合間を焼いていく。


 凍れる炎で、ざりっざりっと、神経を貫かれていく感じがした。

 四本の釘が肉体のおくまでめり込むと、ようやく処刑人はその腕を振り上げるのをやめた。


 金槌が視界から消え、クラレンスは食いしばり過ぎて欠けてしまった歯の合間から、魂を送り出すように背冷えのする恨み言を放った。


「呪いあれ」


 ……そう願った。

 耳元でささかれるどんな甘い言葉にも、意識を傾けることなく。


 ただ、それを願った。

 自分を縛り付けた誰かを恨んだ。この身を裂くような痛みを与えた誰かを呪った。


「呪いあれ」


 二度目にそう願ったとき、両頬に誰かの手が食い込んできた。

 痛みで口を開けてしまうと、頑強なその手は、意思に反して口を大きく縦に開かせる。


 このままではいけないと思い、閉じようとしてもそれは敵わなかった。

 あごを閉じる力よりも、その分厚くて無骨な手の握力は強く、握りしめる力でこちらの骨が折れそうなほどだった。


 耳の奥へ、骨の軋む音がミシ、ミシっと断続的に響いてくる。

 それに恐怖して無意識のうちに抵抗を止めてしまっていた。


 すると、その手は舌先を思いっきり掴んで外へ引き出そうとする。

 なぜか、鉛の味がするその指先は、無遠慮にぐるぐると舌先を絡めとっていく。

 丸めてさらに喉の奥から引き出そうとする。


「無理っ――っ! 引っ張らないで!」


 そんな悲鳴を上げたつもりだった。

 だけどそれは言葉にならないだろう。


 聞いていたそこにいた誰かたちには、無様な豚の嘶きのように聞こえたことだろう。

 ……無理もない。その当人ですらも耳に響いた自身の叫び声を、まるでそんなようだと理解したのだから。


 極限まで押し広げられた顎と口の中から、熱い、焼けるような痛みがじんわりと生まれていく。

 少女は――己の舌先が、金属製の鉗子のようなもの。


 ペンチのようなもので挟まれ、慈悲の心も無いままに捩じられて、千切れそうなようになるまで引き延ばされているのだと、自覚する。


「呪われてしまえ、お前たち、すべてが……」


 喉元から湧き上がるような痛みに意識が断続的に途切れる。

 悶絶してもおかしくないほどのそれを、器具で引き絞っている男は、たまに緩め、たまに勢いよく体重をかけて引きちぎろうとする。


 それは意識をもうろうとさせ、考える力を失わせる。

 少女は目を見開いて犯人をその瞳に映し出そうとした。


 涙がとめどなく溢れるその眼はもう、まともに光を見ることができないというのに。

 処刑人はその怪力でもぎとることもできただろう。


 しかし、『見せる』ことを優先したらしい。

 視界の隅に用意された簡易台に座り、処刑を楽しむ貴族連中に向かい、空いていた片方の手に大ぶりのナイフを取ると、おおげさにそれを示していた。


 ぐじぐじぐじぐじ、とナイフの先が咥内で肉を刻む。

 切り取られているのはもちろん、クラレンスの舌先で、それは根元からずっぱりと抉られて形を失った。


 勢いあまって左の頬が刃先で切り裂かれる。

 それでは勿体ないと思ったのか、処刑人は返す刀で、右の頬も奥歯の下からきれいに裂いてくれた。


 見事な口裂け女の完成に、その作業に魅入っていた人々から、拍手が起きた。

 それは最初は小さく、やがて黄金のメッキを施した皿にべちゃり、と舌先だったモノが置かれると、集まった庶民たちの狂喜すら煽り立て、喝采となって広場を大きく揺らした。


(潰れろ。こんな国など――悪意にその心を染めた民により、自ら滅んでしまえばいい)


 その怒号のような唸り声を耳にして、クラレンスはまだ機能している片方の目で天を仰ぎ見た。


 もう枯れただろうと思っていたその瞳からは、痛みに耐えれず涙が永遠に沸いて出ていた。


 ぼんやりと霞んだ視界の奥に、自分がこれまで守り維持してきた結界が……神から管理を任されたそれがうっすらと丸い輪郭を示している。


 青い空との境界線に、朱色の薄い光がぼうっと絶えず輝いている。


 あれが、結界だ。

 魔を払い、瘴気を浄化し、悪意のある何者かをこの国に寄せ付けない。


 それを維持するために、もうどれくらいだろう。

 物心ついたときから、自分を指導してくれた大神官にそうしなければならないと教わった時から、十年以上の時間をかけてクラレンスは結界を守ってきた。


 彼女は孫のようにかわいがってくれた彼は、もういない。

 昨年、領主の交替と共に王都へと召喚されて、この田舎から都会に戻っていった。


(助けを求めても往復で二ヶ月かかる。もはや誰も私を救うことはできないだろう)


 そんな予感めいたものがクラレンスの心から、希望という名の光を少しずつ奪っていく。


 燃え尽きようとするろうそくのかけらは、それだけでは燃えることができない。

 必ず新しいろうそくに火を付け替えなければならないからだ。


 だけどもう、神が人々のために用意してくれたあの結界を維持するための、代替えのろうそくとなるべき人物は、どこにもいない。


(私が死ねばあれは消えてなくなるだろう)


 そう理解する。

 そうなったとき、王都に住む彼は、先の短い寿命をまっとうできるだろうか。


 この王国が周りの色んな種族に蹂躙される日もそう遠くはない気がした。

 神の結界があるということは、その土地になにがしかの特別なものがあるということだ。


 魔族に渡したくないもの、他の国々に扱わせたくないもの、他の神々の信徒に与えたくないもの。


 そのどれもがここに眠っていることを、クラレンスは知っている。

 自分が死ねばそのすべては崩壊してしまうことも――知っている。


(けれど、どうでもいいのかもしれない。主は助けを寄越さない。私はもう、役立たずだ。神に見捨てられた、ただの厄介者)


 諦めどころか逆に役立たずでごめんなさいと、地に這いつくばり、神に許しを請いたい気分で胸がいっぱいになる。


 そのことだけを考えていれば、全身の駆け巡る痛みから、どうにか感情をそらすことができた。


 その痛みもやがては薄れゆき神経が何もかも途切れてしまい、最後には単なる肉の塊として処分されることだろう。


 それもまた神を裏切った役立たずの最後としてふさわしい末路のようにも思えた。


 ただ一つ。

 どうしても割り切れないことがある。


 目の前にいる人々のことだ。

 聖女様と慕ってくれた。


 あなたがいてくれるから我々は救われると何度も言われた。

 この街を見捨てないやってほしいと誰からもせがまれた。


 だからこそ、王都に戻れという神殿の命を先延ばしにすることで、この土地を長く見続けようと努力してきたのに。


 その全ては無駄の一言に尽きる。

 だからこそ思うのだ。


(お前たちはすべて悪意のもとに滅びるがいい)


 そう思うのだ。

 そして願ってしまう。


 神に対して最後の願いを、心から解き放つ。

 それは――自分を裏切った彼らを許す言葉ではなく。


 彼らの心に狂気のような、謀反のような、他人を許すことができない清廉潔白な心を肥大化させ、少しでも正しい道を誤れば。


 ほんの少しでも間違いを起こしたら、それだけで処刑されるような。

 そんな人を許すことのできない、悪の華を咲かせるように、と。


 クラレンスはそう願い、そっと静かに目を閉じる。

 そして、聖女の首は使い古されたのこぎりの刃でもって、ゆっくりとそぎ落とされていき――地面にぼとり、と落ちた。




 それから四年。

 首の落ちた地面から咲いた真紅のバラのような色合いを持つその花たちは、人々の心に向かい、小さく小さく毒を吐き出していく。


 正気を失い、太陽の光を眩しいと感じることすらも恐れるように、誰かの視線をまっすぐに認めることすらも出来なくなった、市民たちは、ゆっくりとその毒に犯されていく。


 貧しさと孤独と税を払えない場合に与えられる罰の重さに誰かが過敏になると、誰かの心がすぐそれを認めて過剰に反応する。

 そうして小さな波が何度も何度も岸壁に打ち付けられ、大きな波へと変化するように。


 人々が悪の華をその心に咲かせて、国そのものを消滅させた。

 最後に聖女の願いがかなえられたのだ。


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