寡黙な旦那様が私を監禁するつもりらしい
「では」
「はい、旦那様。いってらっしゃいませ」
屋敷の正面玄関の前で、私の夫ディートフリート様の出仕の、毎朝恒例のお見送りをしている。
後ろへ撫でつけた焦げ茶色の髪と、深緑の瞳。上背は見上げるほど高く、私に比べて何もかも大作りで逞しい。でもちっとも威圧的には感じない。旦那様の立ち居振る舞いがすらりとゆるやかだからかもしれない。
「いつごろお戻りになりますか?」
「普段通りに」
「では夕食はご一緒できますか?」
「ああ」
旦那様は大変寡黙でいらっしゃる。
「……お出かけ前の口づけはなさいますか?」
期待通り、私のからかうような問いかけには僅かばかり目を丸くした。しかしすぐに、咳ばらいで誤魔化される。
「今日は少し冷える。早く邸内へ戻りなさい」
「はい。かしこまりました」
そうして旦那様は、さっさと馬車へ乗り込んで出発してしまった。
旦那様は我が国の宰相閣下で、国王陛下を始め皆から頼りにされる素晴らしいお方だ。私とは完全に政略結婚だけれど、誠実に接してもらえているし、寡黙な性格ながらも色々と気遣って言葉をかけて下さっている。
ただ、結婚して一年経つというのに、私とのかかわり方は非常に義務的というか、気は使われているけれど腫れ物に触るような、一般的かつ最低限の妻への対応方法を実践してくださっているような、そんな気がする。
(やっぱり、私のことは扱いに困っておられるわよね)
旦那様の爵位が伯爵であるのに対し、私の生家は辺境伯。爵位は上で、国防を担う政治的にも重要な家だ。旦那様より年若いという点は良かったかもしれないけれど、できたら遠慮しなくていい家格の下の家の娘を妻にしたかったのではないだろうか。毎日私に気を使って息が詰まるだろう。
一方の私は、旦那様の心の壁に遠慮しているものの、旦那様のことが大好きだ。実はこの婚姻、旦那様に一目惚れした私が父に頼み込んで実現したものなのだ。舞踏会で踊っている途中、足を挫いてうっかり転倒しかかった私を、隣で別の女性と踊っていた旦那様が腰を抱いて受け止めてくださった。私を片腕だけで支えた太い腕と、覗き込む凛々しいお顔。あぁ、好き。
(でも好きなのは私だけなのよね……)
◆
「アンナ奥様……」
そんなある日、旦那様の不在中、執事のセバスチャンが沈痛な面持ちで、私に話があると申し出てきた。
そうして重々しく告げられたのは、衝撃の事実だった。
「旦那様が、密かに監禁部屋を造り上げつつあります」
「か、監禁……!? 一体誰を」
「奥様です」
(私!?)
そういえば最近、夫婦の寝室を改装するために、一旦別の部屋を仮の寝室としており、邸内には職人が出入りしている。旦那様が手配をなさったので、そこでどんな方向性で改装が行われているか、私は認識していなかった。
――窓に嵌めるのは、ただの鉄格子では威圧感がある。形状や装飾を工夫するように。
――鎖の長さは部屋の中で不便が無いように調整してくれ。ただし、重量と強度も気をつけろ。……そのままでは肌当たりが心配だな。布か何かでくるんだほうがいいだろうか?
――彼女が健康のために日中庭園を散歩できるように、男性使用人が遭遇しない勤務表を作ってみたのだが、何か意見を貰えるか。
旦那様からセバスチャンへの、数々の指示や相談。旦那様、結構お話しになるのね。
「旦那様はなぜ私を監禁しようなどと……」
「他の男性と会わせたくないのです。私は旦那様を幼いころから見守ってまいりました。旦那様は大変すばらしい方です。……が、奥様のことになりますと、その愛情と嫉妬は海より深く、仮に監禁へ移行して奥様に世間の声が届かない状況が整えば、その後奥様の視界へうっかり入った男性はことごとく手にかけられるでしょう。奥様にさえ非難されなければ何も怖くないと思っておられるようです。恐れ入りますが、一度成敗されたほうがよいところまで来ております」
セバスチャンは自分の言葉に対し神妙に頷く。
「まあ……。旦那様は、それほど私のことを愛してくださっていたのね」
「さすが奥様。前向きでいらっしゃる」
私のことなど、妻だから一応丁寧に接してくれているだけだと思っていた。けれど、旦那様は私を愛してくださっていたのだ。監禁準備の衝撃よりそちらの嬉しさが勝って、私は天にも昇る気持ちになった。
「ですが、旦那様を安心させるためとはいえ、私も監禁されるのは抵抗感があるわ」
「ごもっともです」
「こうなったら、私もこれまで遠慮していましたが、精一杯旦那様に愛情をお伝えして、他の男性に目を向けることなどないと分かっていただきましょう」
「その意気です奥様」
私たちに足りないのは、対話と信頼だ。
「まず、私も同じぐらいの思いだとお伝えしなくてはなりません」
「どこかへご旅行でもなさいますか? 奥様が一緒にお出かけなさりたいと仰れば、喜んで休暇をもぎ取られるかと思いますが」
旦那様はお忙しい方だ。もう少し時間を取らず、日常的に実践できる方法が良い。
私はすぐにやるべきこと頭の中で組み立てた。これならいける。
「そうね、手始めにお互いの貞操帯を作りましょう」
「おく、さま……?」
油の足りない蝶番のようにぎぎっと不自然に首を傾げたセバスチャンへ、私は自信満々に微笑みかけた。
「職人を呼んでもらえるかしら」
◆
「旦那様、こちらをお持ちください」
「これは?」
「私たちの、『信頼の鍵』です」
全ての準備が整ったあと、私は書斎の机で書き物をしておられた旦那様に、一つの鍵をお渡しした。手に取った旦那様へ、私はにっこり微笑みかける。
「私の、今、身に着けている、貞操帯の鍵です」
「は?」
旦那様の手から鍵が滑り落ち、机の上を金属音と共に跳ねた。呆気にとられた表情の旦那様なんて、初めてお見かけする。
貞操帯とは、他人との性交を浮気と捉えた場合の、最強の浮気防止装置だ。色々と生活に支障はあるけれど、愛のためなら乗り越えられる。
「何を、いや、冗談はやめなさい」
「お確かめになりますか」
私が階段を上る時のようにスカートを摘まんで軽く持ち上げると、旦那様はガタンと椅子を押しのけ立ち上がった。
机の向こうへ回り込んで、旦那様に迫り寄る。
「旦那様、セバスチャンより聞きました。私の旦那様への思いが信用ならないから、私を監禁なさろうと準備を進めておられると……」
「それは――」
「よいのです」
私の貞節を疑う後ろめたさに、表情を曇らせ目を逸らす旦那様。憂う表情も素敵。
「ですが心配があるのです。今この時も、旦那様は私の貞節を不安に感じておられるのでしょう。旦那様をそのような不安な気持ちにしたまま、お部屋の準備が済むまでお待たせするには忍びないのです」
机の上に残されていた鍵を再度手に取り、旦那様の胸に手のひらごとそっと押し付ける。
「ですから、日中この鍵は、旦那様がお持ちください」
そのまま旦那様の胸に身を寄せると、鍵を受け取った旦那様は、反射的になのか、私をゆっくり抱き締めた。
「……いいのか?」
「はい。ただし――」
ぱちんと指を鳴らすと、執事のセバスチャンが颯爽と現れた。旦那様が慌てて私から離れる。
お腹でも痛いのか、額に脂汗を滲ますセバスチャンは、私の頼んでおいた物を机にごとりと置いて、言葉少なに去っていった。別に立ち会ってくれていても構わないのに。
「ただし、旦那様もこちらを身に着けていただきます。旦那様の貞操帯です。お出かけになる際は、その鍵を私にお預けください」
机の上に鎮座する、大事な部分を覆うための錠つきの器具。私のものと同様排泄はできるようになっているのだそうだ。セバスチャンはこれを禍々しいと表現していたけれど、そんなに怖いかしら。と旦那様を振り返れば、信じがたいものを見るような目をしていらっしゃった。
「私のことも、安心させてくださいますよね?」
旦那様の喉からは、ぐぅ、と弱り切った唸り声が漏れた。
◆
そうして日中、私は貞操帯を身に着けその鍵を旦那様にお渡しし、一方旦那様の貞操帯の鍵を持たせていただくことになった。
監禁部屋が完成するか、それか先に旦那様が私の思いを信じられるようになったら、お互い貞操帯の装着はやめましょう、と約束して。
「旦那様、いってらっしゃいませ。――ああ、こうしてしばらく離れることすらつらく感じてしまいます」
「アンナ……!」
朝のお見送りに際して、私は人目も憚らずに旦那様に抱き着いた。旦那様は狼狽し、けれど無理矢理引き剥がすこともできないようで、手を彷徨わせている。視界の端に映る使用人一同は、示し合わせたように明後日の方向を向いていた。
旦那様の腕がおずおずと私の背中に回された瞬間、私はさっと体を離す。
「申し訳ございません、引き止めてしまって……。今度こそ、いってらっしゃいませ」
「アンナ……」
「ご安心ください。……『信頼の鍵』は旦那様がお持ちでしょう?」
声を落として囁くと、旦那様の喉が動く。慣れさせてはいけない。お互いに貞操帯の存在を意識してもらわなくては。
旦那様はもの言いたげな表情を浮かべ、そして何かを耐えるように口をつぐんで馬車へ乗り込み出発なさった。
◆
またある休日。
休日でも四六時中一緒にいるわけではないので、もちろん日中は貞操帯を身に着けている。ただしこの時は、私は旦那様のいらっしゃる書斎を訪れていた。
「旦那様、お部屋の改装は順調ですか」
「ああ……、あとひと月ほどかかる」
旦那様は非常に苦しげなお顔をしている。もしかすると、椅子に腰かけた旦那様の膝の上に我が物顔で座る、私が重すぎるのかもしれない。
色々と試していってみると、旦那様は私の大概の行動を黙認して下さることがわかった。こうしてお行儀悪く膝に座っても、「少しでも旦那様のお傍に居たくて」と訴えると何も言わなくなる。
「そうだわ、旦那様」
「なんだろうか」
「私、旦那様がご在宅の休日は、お客様がいらっしゃる予定もなければ、口紅を塗るのを控えようかと思うのです」
「なぜだ?」
旦那様は、私が様々な攻撃をしかけていることに、感付いていらっしゃるだろう。その上で、あとひと月我慢すれば自分の望み通り監禁生活を始められると思っている。
でも私は、旦那様が目先の安心を取るために、貞操帯の装着を承知した時から勝利を確信していた。貞操帯の装着をやめるということは、旦那様が私を信頼すると認め宣言すること。そうなったら、監禁部屋の存在はその信頼を嘘だった翻すことに繋がるので、旦那様は改装を中止せざるを得ない。
「口紅をしていては、後で直さなくてはいけませんから、気軽にできないでしょう?」
「何を――」
旦那様の首へ抱き着くように腕を回し、顔を近づける。
「口づけですわ、ディートフリート様」
「……っ、アンナ」
今は口紅をつけているから、旦那様の唇に触れそうで触れないよう、息をふっと吹きかけた。
旦那様は呻いて顔を顰める。貞操帯は、男性の方はいやらしい気分になると、諸々の事情で痛みを伴うそうだ。
日中、旦那様が私のこういった愛情表現でいやらしい気分になったとしても、まだ私の思いが揺らがないことを信じてくださったわけではないので、外して差し上げられない。お慰めしたくてもできない。私もつらい。そして日中我慢していただいた分、外した夜に反動が来て私の体が大変なことになるけれど、旦那様の今後のためだから乗り越えられる。
という状況を今日までしばらく続けてきたのだけれど、旦那様からついに白旗があがった。
「アンナ……、君の愛情を疑ってすまなかった。枷などなくても、君が他の男へ目を向けるなどと、二度と疑わない。だから、もう、これを外してくれ……!」
静かな叫びを聞き届け、私は紐を通して首に下げていた鍵を、にっこり満面の笑みで取り出した。
「はい、旦那様。これからは胸の中に留めて煮詰まって監禁するだなんてお考えにならず、たくさん、言葉でも愛を尽くしてくださいね。私は旦那様のことが大好きですけれど、旦那様も愛を示してくださったら、もっと好きになりますから」
旦那様は自分の口で約束したからには、もう、信頼していないことと同義の監禁は強行しないだろう。約束は守る方だ。
完璧に浮気を防止する方法などなくて、お互いの愛情も必ずしも枷にはなり得ない。ただ、少なくとも、旦那様に必要なのは監禁部屋でも貞操帯でもないことは確かだ。信頼はこれから二人で積み上げていけばいい。
そうして私たちは、お互いの貞操帯を外して、夜を待たずに寝室へなだれ込んだのだった。
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