魔法の小箱
連載している作品とは無関係のお話です。
前の街には居られなくなって、お店の場所を変えるのはこれで何度目だろう?
この身に掛けられた呪いを解くために、お店を開いてお客さまを待つ。
もしそのお客さまが“あたり”なら、呪いは解かれ、自由の身になる。
自由の身……
自由って何だったっけ?
そんなことを忘れてしまうぐらい長い長い刻を、呪いとともに過ごしている―-
〝チリン”とドアのベルが来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
「新しい店だね。何のお店?」
「喫茶店よ。昼間はね」
「ふーん。それじゃ、コーヒーもらおうかな」
「ごめんなさい、コーヒーは置いて無いの。私、コーヒーの香りって駄目なのよ」
「ええ? そうなのかい」
「その代わりに、ここには古今東西の珍しい紅茶があるのよ。それと甘いお菓子とケーキ。きっと満足してもらえると思うわ」
「うーん、それじゃ、キミのお勧めで良いや」
「本日のケーキセットとか、いかがかしら?」
「うん、それにしよう」
「かしこまりました」
ふと気が付くと、辺りは深夜。見知らぬ街の、街外れの空き地に立っていた。
ポケットに入っていた小箱を空けると、中にカードが入っている。
スペード、ハート、ダイヤ、クラブ。それぞれ13枚からなる、4組52枚のカード。
小箱からカードを取り出すと、小箱はたちまち大きく膨れ上がり、お店が出来る。
今度のお店は、紅茶とケーキのお店。
中に入ると私は、青いエプロンドレス姿の少女へと変わり、新しいお店の経営に必要な知識が、頭の中にイメージされる。
前の町では武器屋の青年だったし、その前は骨董屋の老婆。その前は古本屋の……どんな姿だったっけ?
まぁ、そんなことはどうでもいいわ。過ぎてしまった事に、私は興味なんかない。
それよりも飲食物を扱うお店ならば、たくさんお客様が来てくれそうね。
人は何か口に入れなければ死んでしまうから。
骨董屋の時なんて、3日に一度、お客さんが来ればいい方だった。
そして何か買って行ってくれるお客なんて、その半分もいなかったわ。
なんでもいいから、何か買ってくれないと、私は困るの。
だって対価を払ってくれるお客さんにしか、カードを引いてもらえないのだから……
注文をオーダー票に書き込む私の全身を、なめるように見て男が言う。
「ねぇ君、とてもかわいいね、名前は?」
軽そうな男。“はずれ”かなぁ?
「アリスよ」
頭の中に自然にイメージされた名前を答える。
本当の名前はとっくに忘れてしまった。
自分がどんな姿だったのかさえも。
「アリスちゃんか。どう? お近づきの印に、食事でも」
「サンドイッチとかの軽食なら、ここでも出せるわよ」
にっこりと微笑んで、遠まわしの拒否。
「それじゃ、お酒は飲める? 良い店知っているんだ」
「夜はパブになるの、飲みに来てね」
鈍い男。次はなんて誘う気かしら?
でもオーダーを取ったからには、テーブルに長居は無用。
何しろ店員は私一人。
カウンターの内側に戻ると、小さなポットに淹れたてのアールグレイ。ミルクの入った小さなカップと、暖められたティーカップ。そして小さな野いちごがのったミルフィーユ。
へぇ、あの人こういうのが好みなんだ。意外ね。
私は何もしなくても、お店に設定されたアイテムの中から、お客さまの好みに合わせた品が、自然に用意される。呪われた魔法のお店は、便利に出来ている。
だから私は、接客に専念出来る。
「お待たせしました。本日の当店お勧め、ケーキセットです」
「ありがとう」
「お客さま、カードを一枚、引いていただけませんか?」
ケーキセットのトレイには、一組のカードが載っていた。
これが“あたり”を見分ける、魔法のアイテム。
「クラブの2だ。なんかもらえるの?」
「残念、“はずれ”ね。またの機会を」
うふふ。予想通り、最低の男。
長くこんなことを続けていると、お客さまの良し悪しも、たいてい見分けがつくようになる。
でも、いままで一度も“あたり”に出会ったとことは無い。
私に掛けられた呪いを解く、“あたり”のお客さまには……。
翌日、目が覚めると、ギャルソンスーツ姿の若い青年になっていた。
今回はこういうパターンなのか。
店を開けると、昨日の“はずれ”の男が今日もやってきた。
「あれ? アリスちゃんは?」
「妹は今日はお休みです。コーヒー、いかがですか?」
夕方になると、近所の魔法学校の生徒たちがやってくる。
君達、魔法を使うときはご用心。
僕のような、呪われた人間を増やさないでくれよ。
さて、見習い魔法使いのお嬢さん。
このカードの中から一枚引いてごらん。
「ハートのクイーンだわ。何かもらえるのかしら?」
「ハートはクイーンが最上のカード。どんな意地悪なお願いでも、かなえますよ」
「それじゃ恋人になってくださらない? 私、男の人と付き合ったことが無いの」
「よろこんで。ただし、お店の中限定ですけどね」
「こんにちは、アリスちゃん」
「いらっしゃい、また来てくれたのね」
「アリスちゃんに会えるなら、毎日でも」
「うふふ。でも私の当番は一日おきなの」
「毎日お店に出てくれたら、毎日通うのに。それじゃまた、後でね」
「あら? お勧めケーキセット、食べて行ってくれないの?」
「夜も営業しているんだろ? 夜になったら、またくるね」
お店のお客様は、彼だけじゃない。
小さな男の子を連れたお母さん。ダイヤのジャック。そうね、子供は宝石だわ。
魔法学校の男子生徒。クラブの5。勉強、がんばってね。
大工の親方、スペードのキング。惜しい、後もうひと踏ん張りね。
夕方になると、いったんお店を準備中にして、夜の営業準備。
といっても、仕込みや調度品の交換は必要が無い。
全て魔法の箱がやってくれる。
私を呪う、魔法の小箱が。
私はフリルの付いたかわいいエプロンドレスから、胸元の開いたセクシーなドレスに着替える。
化粧も濃い目。イヤリングをつけて、ネックレスも子供っぽいのから、紅い宝石のペンダントトップのついたものに。
「いらっしゃいませ」
「ア、アリス……ちゃん? 見違えたよ。昼間とは別人のようだ。なんていうか、とても綺麗だよ」
うふふ、視線が私の胸元に釘付けね。
「ありがとうございます。何をお飲みになりますか?」
「バーボン。ストレートをシングルで」
「ではカードをどうぞ」
「またクラブの2だ……」
やっぱり、この男は見込みがなさそうね。
夜の営業は、大人の男性が中心。
一日の仕事の疲れを癒しに、或いは何かの期待をこめて、男たちがやってくる。
時には旅人姿の男も。
「お客さんは、どんなお仕事?」
「雇われ騎士、といえば聞こえは良いが、ただの傭兵さ。海をわたって隣の大陸へ行く途中なんだ」
スペードのジャック。私をこの店から、連れ出してくれないかしら?
「このラザニア、絶品だね。君が作ったのかい?」
「そうとも言えるし、違うともいえるわ」
「君は不思議なことを言う女性だね」
そう言いながら、私の手に触れる。
したいようにさせていると、私の手を握り締めて、こんなことを言う。
「ところで、この街に宿は無いかい?」
白々しい男。宿が決まっていないのなら、旅の荷物を抱えている筈でしょう?
いいわ、行きずりの恋も。
一組52枚のカード。
最強はスペードのエース。でもそれが“あたり”とは限らない。
だから私は、この男にも体を許す。
もしかしたらという、期待をこめて。
カウンターの女性客が、空のグラスをあおる。
「マダム、少し飲みすぎでは?」
「いいのよ、マスター。今夜は帰りたくないの」
ズボンのポケットから、懐中時計を出して時刻を確かめる。
夜の営業も閉店間近。
客は金持ちの若い未亡人が一人。ダイヤのクイーン。
伴侶を亡くしたばかりで、寂しいのだろう。
「でも確かに少し、飲みすぎたわ」
「では、店の奥で少し休まれてはいかがでしょう?」
「もう歩くことも出来ないわ、運んでくださる?」
僕は彼女を抱き上げ、店の奥にある部屋に運ぶ。
といっても、部屋はひとつだけ。
寝室のベッドに彼女を横たえると、腕を僕の首に回して引き寄せる。
「介抱してくださらないの?」
「では、失礼して……」
彼女の服を脱がせて、僕も上着を脱ぐ。
それを待っていたかのように、彼女は情熱的にキスをねだる。
「ねぇ、私と結婚してよ」
「僕は、呪われた男ですよ?」
「それでも良いわ。私も、呪われているみたいだから……」
気まぐれに体を許したくなるほど、捨て鉢になった彼女。
大丈夫。きっとそのうち運が向いて来るさ。
一日毎に変わる、私と僕。
昼は昼の顔、夜は夜の顔。
4つの自分を使い分けて、呪われたお店で客を待つ。
ひとつ所に長く居られないから、街から街へと姿かたちを変える。
呪いが解けて本当の自分に、ひとつになった自分に戻れる、その日まで。
私のお店に来る男性は、なぜかみんな私を求めたがっている。
僕のお店に来る女性は、なぜかみんな僕に求められたがっている。
クラブ、ダイヤ、ハート、スペード……沢山のカードたち。
一枚一枚個性はあるけれど、私が求めるカードはやってこない。
呪われた僕を解放してくれるカード、それが何なのかは、わからない。
だから私は気まぐれに、カードたちの望みをかなえる。
僕も、私も、カードたちも、望みがかなえば、それはきっと幸せになれるのだと信じて。
ある日の昼下がり。
ランチサービスの時間も終わりが近づく頃、客足も引いて、私は一人で暇を持て余していた。
そして“その時”は、突然にやってきた。
背の高い一人の男性が店に現れ、いつものようにカードを引いた。
「スペードのエース……」
「何か、もらえるのかい?」
「……私」
「え?」
どうしよう。スペードのエースは52枚のカードの中の最強のカード。
今までこのカードを引いた人はいなかった。
もしかしたら、この人が……?
「お客さまは、何をなさっている方ですか?」
「軍人だよ。視察のために、この街に立ち寄ったんだ」
良く見ると羽織ったコートの下から、軍服と胸の徽章がのぞいていた。
「直ぐに、この街を離れてしまうの?」
「いや、数日は滞在する予定だ。近くに宿はあるかね?」
「うちに、泊まっていかれませんか? いえ、ぜひうちに泊まってください! お代はいりませんから!」
私はこの人の手を握って、訴えるように言った。
「そ、それは、そうしてもらえるなら、ありがたいが……」
「じゃぁ、今日はもう店じまいしなくちゃ。お客さまのお部屋の支度をしなくては。あ、その間に、お食事をお済ませください」
「あ、おい、君!……」
私は胸が高鳴っていた。
あの人こそ、私に掛けられた呪いを解いてくれる人だと、確信していた。
スペードのエース……52枚中最強のカード。
いえ、あの人にこそ、私の呪いを解いて欲しい。
部屋を準備するといっても、この建物は小さくて、店舗部分以外に部屋はひとつしかない。
でもひとつで十分。寝室がひとつあれば問題ない。
「お部屋の準備が出来ました」
「やぁ、手数を掛けるね。しかし、君の料理はうまかった」
「では、私も召し上がりませんか?」
「君……」
私は半ば強引に誘いを掛ける。
せっかくのチャンス。この機会を逃してはならない。
それに、私のお店に来るお客さまは、例外なく私を求めるはず。
だから、私が逆に求めても、それは同じことに違いない。
昼下がりの寝室。
彼は何かに憑かれるように、積極的になった。
カーテンを引いた薄暗がりのベッドに、私を運んで横たえる。
何度も繰り返した情事のはずなのに、まるで処女のように不安と期待が胸の中を渦巻いていく。
緊張した白い体に彼の指が触れると、体が赤く染まっていく。
呪いを解くには、“あたり”の人物とひとつになること。
私に呪いを掛けた魔法使いは、確かにそういっていた。
私たちは何度も愛し合った。
夜になっても二人の情欲は衰えることを知らず、気がついたら朝になっていた。
そして私は確信した。
朝になっても、私は少女の体のままだったから。
「今日は、店を開かなくて良いのかい?」
もう昼になるのに、店の扉は硬く閉ざしたまま。
窓のガラスにはカーテンが引かれ、外から中の様子をうかがうことは出来ない。
私は裸のまま、お店のキッチンからベッドに食事を運ぶ。
「ねぇ、これを食べたら……」
私は猫のように、彼の胸に頭を擦り付ける。
「……もう一度、私を食べて」
そして、私たちは飽くことなく求め合い、重なり合った。
彼は欲望を満たすために、私は呪いを解くために、互いに貪り続けた。
そして、何時からそうしていたのかを、忘れるほど愛し続けた日の朝。
彼は死んでいた。
彼は私と違って、普通の人間だった。
せっかくのスペードのエースを死なせてしまったのに、なぜか涙が出なかった。
私は死体を店の床下に隠し、翌日には何食わぬ顔で営業を再開した。
そしてランチの時間。
また一人、お客さまがやってきた。
「君はいつもこの店にいるのかい?」
「そうですけど、何か?」
「君の店に、軍人が来ただろう? 彼はどこへ行った?」
「さぁ? 知らないわ。とりあえず紅茶でもいかがですか? お話、良く聞かせてください」
私は知らん顔をして、紅茶にカードを添える。
そして、彼の引いたカードは……“JOKER"!?。
あ~あ、残念。
またこの街を去らなくてはならないわ。
カードからまばゆい光があふれ出し、男も、お店も、私の体も、白く溶けていく。
ふと気がつくと、また見知らぬ国の、見知らぬ街外れ。
「あら? この体……」
スカートのポケットから手鏡を取り出して確かめると、私の顔も体も、さっきの少女の姿のままだった。
これで呪いが解けたことに、なるのかしら?
それともまだ、呪いは続いているのかしら?
まぁ、いいわ。どうせすることは同じ。
カードの入った小箱を空け、お店を開いてお客さまを待つ。
引かれたカードの良し悪しで、気まぐれに肌を重ねれば、それで私はもう満足だわ。
この身とカードと小箱が朽ち果てる、その時まで。
(END)
少し前のボカロ曲に、インスパイアされました(汗)。
不思議系のお話は、もっと書いてみたいです。
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