父、復員する
昭和二十年八月六日、米軍が広島へ原子爆弾投下。
昭和二十年八月九日、米軍が長崎へ原子爆弾投下。
昭和二十年八月十五日正午頃、晃は蝉を捕まえようと思い、隣家の裏の小さな土手に生えている桑の老木に向かって歩いていた。
すると、桑の老木から細い道を隔てた位置にある家の窓から、奇妙な声が聞こえて来た。
晃は奇妙な声が気になり、道の向こうにある家の窓を小さな土手から覗いた。
そこにはどこかから疎開して来た一家三人、中年の女性と若い女性二人が見えた。
三人は、晃から見て左に並んで正座をし、項垂れながらラジオから聞こえてくる奇妙な声を聴いていた。
一番奥に座っている一番若い女性は、項垂れながらしくしくと泣いていた。
ラジオから聞こえてくる奇妙な声の主が発する難解な言葉は五歳の晃には聞き取れず、三人が何故項垂れているのか理解出来ないまま、その光景を不思議な思いで眺めていた。
次第に興味を失った晃は蝉捕りに戻ったが一匹も捕まえられず、蝉捕りにも飽きて近所を散歩してから家に戻った。
家に戻ると、表に出ていた母と遭遇した。
「戦争に負けたぞ」
母は短く晃に告げた。
情報通信の乏しい時代の田舎だけに、戦争に負けたからと言って「どうなる、どうする」ということも無く、玉音放送前後で生活が変わることはなかった。
戦争が終わり、晃の目の届く範囲内で変わったことと言えば、ジープやトラックを頻繁に見かける様になったことだ。
車内には常に、赤ら顔の大男が乗っており、村の子供達は恐怖すると共に、好奇心を抑えられずにいた。
「さっきアメリカの十輪トラックがたくさん通ってったな」
「わたし恐がかったもんで溝の中に隠れとったわ」
晃の家の前で子供達が集まって話していると、家の前の道路を二人乗りのジープが通り過ぎた。
助手席の男が子供達に気付き手を振ると、子供達は嬉しくて一生懸命に手を振り返した。
走り去るジープの後ろ姿を子供達が眺めていると、ジープは西の川の手前の竹藪の前で停車した。
停車したジープから二人の大男が降りた。
二人の大男はそそくさと竹藪にの前まで行き、並んで立った。
「しょんべしとるぞ」
子供達は二人の大男の立ち小便姿をじっと見つめた。
小便をし終わった二人の大男は、ジープに乗り込み走り去った。
「アメリカ人のしょんべ見に行こか」
あんな大きな体をしているのだから、自分達とは違う何かを出しているかも知れない。
そう期待した晃が他の子供達に声をかけ、一人で歩き出した。
「ん、行こか」
一人が興味無さげに返事をして晃に続き、他の子供達もそれに続いた。
子供達は竹藪に着き、その辺りを見渡したが、二人の大男が立ち小便をした跡には、雑草が濡れている以外には何も無かった。当然である。
「この服とお芋さん交換してまえんかね」
他に変わった事と言えば、バスに乗った名古屋市民が時々村に買い出しに来る様になった事だ。
買い出しと言っても、焼け出された彼らに物を買う銭など無く、売る側も銭など欲せず、物々交換が主であった。
村内のどの家も、戦中戦後の供出制度の煽りを受け、自家米を口にする機会など無かった。
豆や芋や麦も決して余裕があったわけではなかったが、それでも物々交換を断る家は皆無であった。
買い出しに来る名古屋市民は、子供服を持ってくる者が多く、子を持つ親として、子供を食わす為に必死になる姿を見れば、誰も断る事など出来なかったのだ。
「可哀想やでなぁ」
晃の母も頼まれれば断らず、交換に応じていた。
豆や芋と交換した衣服は、田舎では見掛けない、模様のついたものや色鮮やかなものばかりであった。
晃の父親が帰ってきたのは、終戦から二年が過ぎた昭和二十二年の晩秋頃の事で、早生まれの晃は小学二年生になっていた。
夕方、父と母の幼馴染である聾唖の男が家に駆け込んで来て、大声で騒ぎ始めた。
晃は家の裏で遊んでいたが、何の騒ぎかと思い家にの中に入った。
晃が家の中に入ると、晃を見た母が開口一番、
「お父ちゃんが帰って来るぞ」
と、言った。
晃は呆然としながら母と聾唖の男の顔を交互に見ていたが、やがて聾唖の男の足元に見慣れないリュックサックがあるのに気づいた。
母の話によると、聾唖の男が自転車に乗って職場から家まで帰ろうとした時に、駅から出てきた父を見つけたらしい。
聾唖の男は父に駆け寄り、リュックを預かり、いち早く家族に無事帰還の知らせを届けることを請け負ったのだという。
晃は、言葉を交わしていないにも関わらず会話を成立させている母と聾唖の男を、不思議な気持ちになりながら眺めていた。
聾唖の男が知らせを届けてくれてから、家族全員と聾唖の男は、父の帰りを土間で待ち続けた。
しばらくして、父が何も言わずに家の中に入ってきた。
「お帰りなさい」
母が父に声を掛けた。
「うん」
父は一言だけ返した。
父が不在の間に姉は思春期を迎え、兄は小学校低学年から高学年になり、祖母におんぶされてばかりだった晃は小学校に入学し、生まれたばかりだった弟は物心がついていた。
子供達にとって五年という時間はとても長く、見慣れない大人の男である父を見て、ただただ戸惑った。
少し休んだ後、父は風呂に入り戦争の垢を落とした。
「おい、春彦、一緒に入れ」
土間にある五右衛門風呂に浸かりながら、父が兄に命じた。
しかし、兄は聞こえないふりをしてやり過ごしてしまった。
「晃、来い」
長男が来ないので、父は命令相手を晃に変えた。
兄が命令を無視してしまった以上、自分は命令に従わざるを得ないと思い、晃は父と一緒に風呂に入った。
一緒に風呂に入っている大人が父であるという認識はあったものの、知らないおじさんと一緒に風呂に入っている様な不思議な感覚になり、晃は恥ずかしさを覚えた。
父は色々な話を聞かせてくれたのだろうが、晃の耳には何も残らなかった。
狭い五右衛門風呂に他人の様な父と一緒に入っているという違和感。
その違和感を受け止める事に、晃の神経は集中し切っていた。
六十世帯程の村で約六十人が出征し、二十八人の若者が戦死し、一人の少女が勤労奉仕中に亡くなった。
六十人という数字は、晃老人の幼少期の記憶なだけに、実に曖昧な数字ではあるのだが、晃老人の記憶が正解に近ければ、この村の戦没者は、日本全体の平均を上回る事になる。
この六十人という数字には、晃老人の父親は含まれていない。
適齢期を過ぎて召集された者は、晃老人の父親以外にはいなかったという記憶であるため、割愛した。