晃、機銃掃射を目撃する
昭和二十年春のある日の朝、縁側にいた母が大きな声で晃を読んだ。
「あきらぁ、こっちいりゃあ!」
何事かと思い急いで縁側に行くと、南の空の千切れ雲の間から、B-29の大群が整然と旋回運動を行なう姿が見えた。
千切れ雲の間に見えるB-29の機数を数えていると、綺麗な虹色の彩雲が晃の視界に流れ込んで来た。
彩雲は古来より瑞相とされている。
しかし、その瑞相が現れたこの日、名古屋城の主要な建物の数々が焼夷弾の直撃を受け焼失した。
昭和二十年四月、米軍が沖縄本島に上陸。坊ノ岬沖海戦で戦艦大和撃沈。
昭和二十年六月、米軍が沖縄占領。
昭和二十年初夏のある日、晃は母と共に、墓地裏の禿山の頂上から空襲を見た。
禿山から見た名古屋の上空は黒い煙に覆われ、それはまるで黒く大きな崖が現れたかのような有り様であった。
街並みが見えるわけではないものの、視界を遮るものがないため煙の全容が見え、あの煙のすぐ下に街があり、そこで人々が逃げ惑い焼かれているという、いつもの想像が現実味を帯びたものになった。
名古屋への空襲が回数を重ね、晃の住む農村にも多少の緊張感が生まれた。
漆喰の白壁の建物を持つ家は、白壁を黒く塗り替える様に町役場から命じられた。
また、土地に余裕がある田舎のことだけに、各戸で防空壕を造るようにも命じられた。
「ちゃんと掘ったるか役場の者が見にくるて言っとるで掘らなしゃあないな」
祖父はそう言いながら、庭の片隅、道路沿いの土手に穴を掘った。
新しい遊び場が増える。晃はそう期待しながら、祖父が作業する姿を眺めていた。
しかし、晃の期待は一日も経たない内に裏切られてしまった。
晃の祖父は気難しい性格ながらも人を喰ったようなところがあり、庭の片隅に四歳児すら入れない程度の穴を掘り、それだけで防空壕造りを済ませてしまった。
昭和二十年夏のある夜、西の夜空いっぱいが赤く明るく染まった。
村から見ると、まるで西の山の向こうまで火が迫っているかの様に見え、晃の祖父は慌てて家財道具を家から運び出し始めた。
「出てこい!早よせな焼け死ぬぞ!」
晃は既に眠りについていたが、早口で怒鳴る祖父に起こされ庭に出た。
庭に出た晃のそばでは、母が淡々と、気性の激しい慌て者の祖父を手伝っていた。
多くはない家財道具を運び終え、祖父が緊張感を漲らせながら西の山を睨みつけた。
母は何を考えているのか、落ち着き払った顔で黙ったまま、赤く明るく染まる西の夜空を見上げていた。
この夜の空襲により、愛知県一宮市では、三日三晩に渡って火災が続いた。
昭和二十年七月、米国が原子爆弾開発。ポツダム宣言発表。
昭和二十年の夏のいつ頃からか、村の寺に農耕隊が寝泊まりするようになっていた。
農耕隊、正式名称は農耕勤務隊か。
大戦末期に朝鮮半島から徴収され、日本各地で文字通り農耕に従事させられた朝鮮人部隊である。
朝、晃の家の前を日本人将校に率いられた農耕隊が列を組んで西へ向かい、夕方になると川で体を洗い、洗い終わると寺に戻って行った。
農耕隊が村に来て間もないある日、八歳になる晃の兄は近所の友人と共に川に行き、友人の家で飼われている牛に草を食べさせていた。
すると西の山から、空気を切り裂く様な爆音と共に、四つの黒い影が飛び出して来た。
米軍、グラマン戦闘機の編隊だ。
グラマンの編隊は、西の山から飛び出すなり機銃掃射を始めた。
編隊が西の山から飛び出してきた時に聞こえた爆音よりも大きな爆発音を聞き、晃の兄とその友人は、牛を見捨ててすぐそばの丸木橋の下に逃げた。
大雨の度に流される頼りない丸木橋も、この時ばかりは頼もしく思えた。
五歳の晃はその時、十一歳になる姉と家の中にいた。
西から戦闘機の飛行音が聞こえたと思ったら、すぐさま機関砲の激しい射撃音が聞こえてきた。
「橋の下に走って逃げよ!早よしろ!」
痔の養生の為に縁側で寝そべっていた祖父が、寝そべったまま大声で怒鳴った。
祖父が掘った防空壕ではなく、道向こうにある、小川にかかる小さな鉄筋コンクリートの橋の下に避難しろと。
祖父が造った防空壕が全く役に立たない事を理解していた晃と姉は、祖父に命令されるや否や、小さな鉄筋コンクリートの橋の下まで一目散に走って逃げた。
晃と姉が橋の下まで逃げている僅かな間、四機の戦闘機が旋回しながら何度も南の小山にある小さな監視所に機銃掃射を行う姿が、道の向こうの竹藪の上に見えた。
避難しようとしてはいるものの、方向としては、晃と姉は戦闘機の方に向かって走っていた。
晃と姉が橋の下に避難していると、疎開してきている一家と、農耕隊の青年が三人避難してきた。
やがて機銃掃射が終わり、戦闘機が飛び去った後、日本軍の戦闘機が二機、低空飛行で米軍機を追って行く姿が見えた。
「いけー!」
「いけいけー!」
日本軍戦闘機の頼もしい姿を目の当たりにし、晃は興奮した。
農耕隊の青年達も、晃と同じ様に興奮した面持ちで応援していた。
一緒に日本軍戦闘機を応援している農耕隊の青年達の姿を見て、晃は心強く感じた。
日本陸軍の戦闘機が米軍戦闘機を追いかけ飛び去った後、晃と姉は家に戻った。
ちょうどその時、友人と牛の世話をしていた兄が戻って来た。
「アメリカの戦闘機がいきなり飛び出して来たもんでおそがかったわ。いさおの奴なんて牛を放かってーて自分だけ橋の下に逃げ込んどったわ」
晃の兄は、少しだけ見栄っ張りだった。
祖父は、晃と姉が避難する前と同じ姿で縁側に寝そべっていた。
一度目の米軍機による監視所襲撃から一週間ほど経ったとある日差しの強い日、麦わら帽子に生成色の襟無しシャツを着て、祖父が家の前の畑を耕していた。
晃はそんな祖父の姿を所在無げに眺めていた。
すると突然、道の向こうの竹藪から空気を裂くような炸裂音が聞こえてきた。晃は何事かと思い南にある桑畑の方を見た。
晃の視界の中で、四つの黒い影が西から東へと飛び去って行った。
米軍機が、またしても南の山の小さな監視所を襲撃しに来たのだ。
戦闘機も恐ろしかったが、祖父に怒鳴られるのが恐ろしく、晃は一目散に道向こうの小さな橋の下に向かって駆け出した。
「あき!早よ走れ!」
晃は、怒鳴られる前に駆け出したつもりだったが、駆け出すと同時に祖父に怒鳴られた。
一方、怒鳴った祖父はと言うと、晃に怒鳴つけた後も、畑の土を掘り返していた。
米軍機が去った後、晃は家に向かって歩き出した。
晃の家の方から、怒鳴り声が聞こえてきた。
「こんな時にそんな服着て畑やっとったら目立ってまうがや!」
「戦闘機がいつ来るかもわからんのにどうしようもなゃあがや!」
「ほいでも撃たれてまったらどうもならんがや!」
「こんな田舎の爺をいちいち狙うわけなゃやろが!」
家に着くと、生成色のシャツを着た隣人と祖父が怒鳴り合っていた。