晃、遠い空に人の死を見る
昭和二十年になって三日経ち、晃は母と共に、同じ村内にある母の実家を訪ねた。
「おーい、あきちゃーん」
空から晃を呼ぶ声が聞こえた気がした。
何事だろうと晃が空を見上げると、再び晃を呼ぶ声が聞こえた。
「あきちゃん。どこ見とるの。こっちこっち」
声の主が、大きな蔵の二階の窓から顔を出し、手を振っていた。
村で一番の器量持ちとして評判の、母の末妹に当たる伯母の美しい笑顔がそこにあった。
伯母は晃に声を掛けると大急ぎで二階から走り降り、蔵から飛び出してきた。
「あきちゃん、姉さんがお父さんと話ししとる間、私と遊どろか」
母には、兄が一人と弟が二人、妹が二人いたが、母を含め、沈毅な性格の者が多かった。
しかし、末っ子である三女だけは落ち着きがなくて要領が良く、極めて明るくお調子者、思った事をすぐに口に出してしまう性格であった。
そんな性格だからか、この若い伯母は落ち着きのない晃のことを面白がり可愛がっていたし、晃も、いつでも相手をしてくれるこの伯母に懐いていた。
性格は合わなかった様だが、幼児の頃に世話をしてもらっていたからか、晃の母にはよく懐いており、晃の母も、自分とは随分性格が違うと思い持て余しながらも、愚痴をこぼす相手と言えばこの末妹であった。
晃が伯母を相手に庭で遊んでいると、聞き覚えのある嫌な轟音が聞こえてきた。
空を見上げると、またしてもB-29の大群が視界に飛び込んできた。
B-29の大群は高曇りの空の下を南から東へと、相変わらず悠然と飛んでいた。
高曇りの空だったせいか、B29の大群はいつもより低空を飛んでおり、今までに見た事がない程、機影が大きく見えた。
伯母に手を握られながら、表現し難い鬱屈した恐怖心と共に東の空を見上げていると、いつの間に回り込んだのか、晃の視界の右端下方から左斜め上に向かって日本軍の戦闘機が二機、B-29の大群に向かって上昇していった。
「いけーっ!」
たった二機でB29の大群に向かって上昇していく日本軍戦闘機の勇敢なその姿は、物心がついて数年の五歳児すら激しく興奮させた。
晃はいつの間にか伯母の手を離し、両手で握り拳を作っていた。
B-29の機銃掃射により前方を飛んでいた一機が撃墜された。
その直後、後方を飛んでいた一機が、数え切れない機数のB-29のうちの一機に体当たりをした。
日本軍の戦闘機が体当たりすると同時に、そのB-29からどっと黒い煙が出た。
黒い煙と炎に包まれながら、日本軍の戦闘機とB-29が同時に墜落していった。
「やった!伯母ちゃん!特攻した!」
姿こそ見えないものの、あの空で何人もの若者が死んだのは間違い無い。
興奮している晃とは違い、いつも明るい伯母の表情は暗かった。
落ち着いた性格ながら、他の兄弟と違って明るく優しい人柄だった、仲の良かった歳近い末兄が既に戦死している。
末兄の笑顔を思い出し、黒煙の中にいるであろう自分と同年代の若者の死に思いを馳せ、伯母の胸は締め付けられていた。
晃は晃で、体当たりした瞬間こそ日本軍の戦闘機の勇ましさに高揚したものの、煙に包まれながら墜落していく様を見ている内に、あの煙の中で人が死んでいるのかと思い、哀れな気持ちになっていた。
その哀れみは、日本軍の操縦士のみならず、B-29の搭乗員にも向けられていた。
「・・・あきちゃん、お父さんがあきちゃんたの為に草鞋作ってくれたで、貰いに行こか」
「・・・うん」
いつでもお調子者の二人も、この時ばかりは神妙な顔を並べて家の中に入った。
昭和二十年二月、日本軍と米軍が硫黄島で戦闘を開始。
昭和二十年三月、米軍による東京大空襲で十万人以上が死亡。
昭和二十年春のある夜、夕食を食べ終えた頃、家の外から唸るような爆音が聞こえてきた。
晃が家の外に出ると、南の夜空に、探照灯に照らされ銀色に光る爆撃機が一瞬見えた。
もっと良く見える場所、道向こうの桑畑まで行くと、近所の子供達が集まってきた。
夜の帳に姿を隠し、飛行音だけを響かせる。
ろくに姿が見えないからこそ、日中よりも飛行音の不気味さが際立つ。
ごく稀に探照灯に照らされ、気まぐれに銀色の機体を不気味に白く光らせる。
そうやって、そこにいる事を辛うじて知らしめる。
探照灯に照らされる度に見える銀色の機体が晃の脳に恐怖を刻み込む。
恐怖が刻み込まれる度に、遠く名古屋の空の下で人々が逃げ惑っているのかと想像し、晃は憎しみを持つ。
恐怖と憎しみが混ざり、晃は何とも言えない気持ちになった。
力みながら南の夜空を見上げ、探照灯が作る数々の光の柱を追っていると、晃の目に赤黒い火の玉が映った。
高射砲弾が、B-29の大群の中の一機に命中したのだ。
火の玉はゆっくりと落ち始め、やがて火の玉は二つに分かれ、二つに分かれた火の玉がまたそれぞれが二つに分かれ、分裂を繰り返して散らばりながら竹藪の影の向こうに消えて行った。
あの火の玉の中で人が焼かれているのだと思い、晃は経験の無い不気味さを感じた。