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晃、汽車に乗る

 昭和十九年三月、日本陸軍がインパール作戦を開始。

 昭和十九年四月、日本陸軍が大陸打通作戦開始。


 昭和十九年の春頃、晃は生まれて初めて汽車に乗った。

 母、父方の祖父、母方の祖父、兄、晃の五人で、出征を間近に控えた父と面会する為に、呉の軍港に向かったのだ。


 晃は、尋常小学校一年生の兄と向かい合わせで窓側の席に座り、初めて見る車窓からの景色に興奮し通しだった。


 途中、瀬戸内海に浮かぶ漁船を見掛けた。

 インターネットもテレビもない時代のことである。内陸部の農村に生まれた晃にとって、生まれて初めて見るその姿は、強く印象に残るものであった。



 延々と車窓からの景色を楽しんでいた晃だが、やがて車窓からの景色に飽き、兄と二人で何度も繰り返し窓を開閉して遊んだ。


 それにも飽きて、次は何をしようと兄と二人で考え始めた頃、木材に吊るされた筵が線路脇に並べられ、晃と兄の視界を遮った。


 晃と兄が不思議に思っていると、鉄道員がずかずかと晃達の席に近付いてきて、


「遮光幕を下ろせ」


 と、命令した。


 呉の軍港は海軍の重要拠点であり、数多の軍船が入港、停泊する。

 そのため、機密保持を目的として、汽車から軍港内部が見えないよう、筵と汽車の遮光幕で視界を遮っていた様である。



 呉の駅で汽車を降りると、一行は徒歩で軍港へと向かった。

 軍港に入ると広場があり、向かって右側にテントが張られており、そこが面会場になっていた。


 一行がテント張りの面会場で待っていると、水兵服の隊列が駆け足で面会場に向かってきた。

 その水兵服の隊列の中に父の姿があり、出征前と変わらぬおっとりとした顔で駆けていた。



 父がテントの中に入ってくると、大人達は軽く挨拶を交わした。

 間近で見る水兵服姿の父を見て、晃は思わず息を呑んだ。


 短い挨拶を終えると、母は持参した岡持の蓋を開け、父の好物のぼた餅を見せた。


「これ」

「おっ、ありがと」


 好物のぼた餅を見て、表情を変えず声だけ弾ませた父は、母から岡持を取り上げてテントの端まで行き、机の下に潜り込んだ。

 同僚への憚りがあったのか規則違反であったのか、父は机の下に隠れたまま、急いでぼた餅を食べた。


「美味かった。アヤ子のぼた餅は美味い」

「そうですか」


 最後の一個を咀嚼しながら、父はぶっきらぼうに褒めた。

 しかし、沈着にして決して料理好きではない母は、特には表情を変えず、一言だけで返事を済ませた。



 咀嚼していた最後のぼた餅を飲み込むと、父は二人の息子を引き連れて突堤を歩き、停泊している戦艦を指差した。


「あれが長門やで、よう見とけよ」


 この日の短い面会の中で、晃が覚えている父の言葉はこれだけだった。




 昭和十九年六月、日本海軍がマリアナ沖海戦で米海軍に大敗。

 昭和十九年七月、日本陸軍がインパール作戦放棄。サイパン島で日本軍が全滅。

 昭和十九年八月、対馬丸が米軍潜水艦の魚雷攻撃により沈没。学童七百人を含む千五百人が死亡。


 昭和十九年の晴れた秋の日、荷車を伴う部隊が街道を北に向かって、ザックザックと足音を揃えて行軍して行った。


「おぉー。兵隊さんの足跡」


 部隊が街道を北へ去った後、路面に残された軍靴の痕、その中でも特に鋲の痕を、晃はしゃがみ込んで飽きる事なくいつまでも見ていた。



「遺骨が戻ってくるでお迎えに行こか」


 道路でしゃがみ込んでいた晃の背後から、母が声を掛けた。


 この頃には「遺骨が戻ってくる」という言葉が珍しくなくなっていたのか、それが、出征した若者が戦地で亡くなり骨だけが戻ってきた事を意味する言葉なのだと、四歳児の晃でも理解出来ていた。



 晃は母に連れられ、隣町を通り過ぎ、隣町の外れを流れる川に架かる橋の上に立った。

 橋の上に立ちしばらくすると、下流の方から橋の方へと、川沿いの小道を歩いてくる人々が視界に入った。


 数人の世話役らしき人達を先頭に、白い布で包まれた箱を首から下げて大事そうに抱える三人が続き、その後ろを七、八人が歩いていた。


 誰も言葉を発せず、悲し気な表情で俯きながら、黙々と歩いていた。


 沈鬱な列は、母と晃が出迎える姿に気付かなかったのか、それとも挨拶をする気にもならないほど心が沈んでいたのか、声もかけず顔も上げず、すぐ目の前まで近づいて来て、そのまま横を通り過ぎた。


 白い布で包まれた箱の中に遺骨が入っている事は知っていた。

 落ち着きのない性格の晃ではあったが、この日ばかりは顔を引き締め直立不動で英霊を出迎え、黙々と歩く人達の列の後ろについて村まで戻った。




 昭和十九年十月、米軍が沖縄本島で空襲。レイテ島で日本軍と米軍が戦闘を開始。

 昭和十九年十一月、米軍が東京空襲開始。


 昭和十九年のある晴れた冬の日、晃が縁側で遊んでいると、大きな蝿ほどの大きさの影が四つ、南の空に見えた。


「あぁ飛んで行ったな」


 と、感想を持つ隙も無く、四つひと組の影が次から次へと何組も、南から東へ飛んで行った。


 何の影なのだろうと不思議に思い、晃は縁側を降りて表に出た。

 四つひと組の影は、南から東へと飛んで行くアメリカ軍の爆撃機であった。


 名古屋への空襲を終えて基地へ戻る途中なのであろう。ポンポンと高射砲の砲弾が爆ぜる上を悠然と飛んで行く。   

 その様を見ていると、四歳児でも自然と憎悪の感情を持ち、飛び去って行く姿を見送りながら歯噛みした。


「何がなんでも特攻隊!」


 爆撃機の群れを見送った後、晃は力んで家の中に入った。


「あきちゃん特攻隊に行くのかね」


 土間で遭遇した祖母に冷やかされ、晃はいつも通りに、口をへの字に曲げた。




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