植物観察
ある朝、床板の木目の間から芽が生えているのを見つけた。
何の植物かは分からなかったが、ふたつの小さな葉をつけた芽が顔をだしていた。
そのときは、土もないところにも生えるのか、などと適当に流し、このまま成長するのだろうか、という好奇心から放っておくことにした。
あれから一週間、気が向いたらコップの水をかけてやっていたが、思ったよりも成長が早く、すでに三十センチを越えた。このままの速度で成長し続けたら、二ヶ月もすれば自分の身長も優に越えそうだ。枯れなければの話だが。
よくよく考えてみると、おかしい話だった。どこから養分を得ているのか、検討もつかない。というのも、植物の生えているのはまだ新しい一軒家の二階で、古い木造建築というわけでもないから根がはれるだけの隙間もないし、無機的なこの家では養分もなさそうだ。
それでも、好奇心には抗えず、枯れるまで、と育ててみることにした。
たまに水をやりつつ、一ヶ月が経過した。成長速度は衰えることなく、自分の胸のあたりまで成長した。植物は成長に従い、少しずつ太くなり、今のところ支えもなく天に向かってのびている。
ここは自分が寝るくらいの部屋だから問題がないが、あまり広い部屋ではないので、植物が大きくなりすぎたら切らなければならない。
この間、切れた電球を買いにホームセンターへ行った折り、野菜や花の種を売るコーナーで、液体の手頃な肥料を見つけた。植物の養分が何なのかわからずじまいだったが、好奇心で試してみたくなった。
液体肥料のボトルを開けて、中身を適量植物の根元にたらす。当然、すぐに何かが起こるわけでもないから、しばらく放置することにした。
肥料を与えてから二週間が経ったが、成長速度には多少の差はあれどあまり変化が見られなかった。植物はついに自分の身長を越え、天井まであと一メートルほどしかない。相変わらず成長と共に茎も直径を伸ばして、自立し、草というよりは木のようだ。
植物の様子がおかしくなったのはこのあたりからだった。
今までは、ただ天に向かって育っていたのが、まるで天井にぶつかるのを回避するかのように、横に伸び始めたのだ。しかも、おもしろいことに、湾曲した植物の先端が向いたのは、この部屋で一番大きな、ベランダへ通じる南向きの窓だった。
植物はそのまま窓に向けて伸びた。外に出たいのだろうか。確かに、これも他の植物と同じなら、日光の当たる外の方がいい。
しかし、窓にぶつかる手前まで伸びてから、植物は成長を止めた。天井にぶつかりそうになったときには曲がったのに、今回はそうではない。やはり、外に出たいのかもしれない。ただ、窓を開けたとして、そのまま成長を続けられても困る。なぜなら、ここは数多くの家々が立ち並ぶ住宅街だからだ。
どうやら、窓ガラスを割ってでも外に出ようという気はなさそうなので、そのままにしておく。
半年が経った。植物に変化はない。ベランダは使えないままだが、特に用はないので、窓はもう半年も空いていない。換気は東側の窓で事足りるし、洗濯物を干すのも庭で充分だった。
ほんの好奇心だった。窓を開けたとき、どうなるのかが気になった。まさか、すぐには伸びないだろうとは思いながらも、気がついたら手がのびていた。窓は半年開いていなかったからか、少し開けづらい。それでも勢いよく窓を開け放った。
植物が、待ち構えていたかのようにその身を震わせた。反射的に、外には出すまいと植物の先端をつかんで押し止めようとした。しっかりとつかんだのだが、植物の、急激な成長を押さえることはできず、そのまま外に押し出された。
植物はベランダを越え、住宅街の上空を斜め上に上っていく。ベランダで離せばよかった、と今更ながら後悔をする。植物につかまったまま共に上空にいるのだ。
なんとか植物の上にまたがり、しがみついたが、いつ振り落とされるやも知れない。首を斜め後ろにもたげると、肥大化した根がベランダからはみ出ているのが見えた。
植物はぐんぐんとのびていく。向かう先は遥か上空。太陽かと思いきや、白い昼間の月をめがけてのびていくらしい。
植物をつたって戻れないかとも考えたが、この速度と高度では、無理だ。
それにやはり、好奇心が勝る。植物の伸びるさきには何があるのか、なぜこの植物はそこへ向かうのか。
半年分とは思えない成長速度で、上に行けば行くほど速度が増す。養分は根から吸収していたのではなく、月がこの植物を育てていたのではと思い直す。
かなり上まで来た。酸素が薄い。もし、本当に月に向かっているのだとしたら、たどり着く前に死んでしまうだろう。
意識が朦朧として力が抜けた。意識が途切れる前に、何か赤いものが膨らむのが見えた。
意識が戻ったときは、心底驚いた。死んでいなかったのだから。
自分の身は何かに包まれているらしく、身動きがとれなかった。
ところが、再び意識は失われた。次に意識が戻ったときには、人間としての体の感覚が無かった。やはり死んでしまったのかと思ったが、だんだんと見えてくる景色にそうではないと実感させられる。
そこは、月の上だった。写真や映像でしか見たことのない場所が目の前にあった。その地平線の先には、青い星が見えた。
苦しくはないが、手を動かそうにも、足を動かそうにも感覚がない。身の内側から、何かがふつふつと沸いてくる。しばらくして、弾ける感じがした。
___赤い花が人間を包み、そのまま果実へと姿を変えながら月へと向かう。茎をぐんぐんと伸ばし、着地した。果実は月の上で熟し、茎から離れた。そのまま月を飛び立ち、地球へと向かう。大気圏にさしかかろうとしたところで、果実は弾け、地上に大量の種子を降らした。