閑話 旧神話1 六千年の記憶
オリンピック投稿です。
旧神1
我らは神、世界の意志にして世界であったもの。
その長であったもの。
しかし我らは滅びた。
負けたのだ。
我らを追い込んだ邪神は封印した
しかし出来たのは封印だけ。
それも世界と完全に一体化し、つまり神性を対価に世界となる事で邪神を封印したのだ。
邪神を封印すると言う事に特化した世界となる事で。
我らにはそれしか出来なかった。
邪神を消滅させる事も、生身で邪神を封印する事も出来なかった。
その時すでに我らは地上に干渉する肉体を喪い、我らが英雄も我らをその身に降ろす余力を喪っていた。
封印出来たのが奇跡と言える有様であった。
世界と一体化した封印は、邪神を封印する為だけに創造した世界は、半永久的に持続する。
何故ならばそれは固定された世界であるからだ。
空は空を維持する為のコストを必要としないし、海も海を維持する為のコストを必要としない。それと同じ理屈だ。
しかしその封印にも限界があった。
世界として成り立つ封印は、世界故に自由が効かない。
動かせないのだ。
空に風が吹くように、海に波が立つように、多少変動させる事は可能だがそれしか出来ない。
何より、神性と共に世界に還った神々にはそれすら出来無い。
そこで最も力を持った我々神々の長は、遺った僅かな神性を一つの神性として束ねる事で神性を保ち、邪神を監視する事にした。
最大限、封印の力を運用出来るように。
原悪1
我は原悪。
全ての悪の根源。
神にして概念。
原初の悪にして、悪の源。
我は敗れた。
憎き神々に封印され、今日まで到る。
が、神々は我を封印するにあたり、根源の地に還った。
根源と一体化する事により、我を封じ込める地を根源を素にして創造したのだ。
大地でも海でも空でも無く、我を封じ込めると言う概念が形を持った新たな創造物を神々は創り出した。
それにより、自らが世界に還っても、半永久的に我を封じ込める事に成功したと言う訳だ。
しかし世界に還った事でこの封印を強化する事の出来ぬ神々と違い、全ての悪は我に還る。
つまり我は力を取り戻す。
神々の長の意志は未だに遺り、我を監視しているようだが、完全に我が力を取り戻せば問題ない。
現に、以前は意識すら動かぬ状態であったが、力は戻り、自由に動けるようになった。
が、それは抗体を身につけたのと同じ現象。
エネルギー的には、封印直後よりも断然減っている。浄化され続けていた為だ。
しかし、意識を取り戻した事で、この忌まわしき封印から身を守る事に成功した。
霊峰から絶え間なく流れる聖水も、結界を張った我には効果が無い。
後は目覚めていると神々の長に勘付かれないよう力の回復に努めれば、何れ復活出来るだろう。
我は、少しでも早く復活する為、再び眠りに就いた。
次に目覚めるのは、復活の時、人類消滅の時だ。
旧神2
封印されてなお、邪神の力は凄まじい。
邪神を封印する為だけの世界と化した霊峰フィーデルからは、絶え間なく邪神に聖水が流れ込んでいるが、邪神の邪気は炎となり、聖水を冒している。
その蒸気は封印に圧力を与えている。
仕方なく、汚染された聖水を外に流す水脈を創った。
これでこの大陸は汚染されてしまうだろうが、今更だ。既に邪神によって大陸の大部分が汚染されている。
生き残った人々も避難済み。
この地は未来永劫、人の立ち入れぬ土地と化してしまうかも知れないが、邪神に復活されたら残りの大陸が汚染されるどころか、生き残った我が子らすらも滅ぼされてしまう。
背に腹は変えられない。
そうしてこの大陸は、邪神の邪気が水脈より漏れ、大地は元よりも汚染。
強力な魔物が出現し始め、人の近寄れぬ人外魔境となった。
しかしある日、聖水の汚染は緩やかになった。
邪神の邪気の炎が弱まったのだ。
邪神の力を大幅に削ぐことに成功したのだろうか?
一時は水脈から排出される聖水の量が減ったが、次第に水量は回復している。
封印自体に悪影響は見られない。
一先ずは、様子見としよう。
それから何年経ったか、大陸は徐々に浄化された。
水脈から汚染水では無く、聖水が流れるようになったからだ。
まだ汚染水が無くなった訳でも無いが、浄化される範囲の方が広い。
汚染され尽くした地域の中に、浄化された土地が生まれるようになった。
そしてそれから更に幾年幾千年もの歳月が流れたか、ついにこの大陸に人が戻ってきた。
人の時の流れは速い。
止まったような我らの時間からすれば瞬く間に、発展を遂げてゆく。
初めの頃は船を着ける場を確保するのにも苦労していたのが、今では見渡すのも苦労するほど広い範囲、整備された広大な港が生まれ、人の流れが止まる事は無い。
人にとって恐ろしい筈の魔獣が跋扈する大地を不断の努力で切り拓き、街は日に日に大きくなる一方。
今の人類は我らがまだ地上にいる頃の人類よりも未熟ではあったが、その分逞しかった。
文明の円熟度は我らが寄り添っていた時代、直接我らが手を貸していた時代の方が高い。文字通り、神の域であったのだから。例えば建造物で言うと、かつての神殿は即ち神の家、それに相応しいものであった。
しかし規模と多様性は神代と比べ物にならない程、現代が上回っていた。神代の子らよりも間違うが、それだけ前にも進んでいた。
人類は、我らの庇護下より飛び立ったのだ。
神の時代は終わり、人の時代だ。
きっと、我らが滅んだ直後から人は我らから巣立っていたのだろう。
それを数千年の時を経て今更ながら実感した。
歓喜に値するが、何故か寂しくもある不思議な気分だ。
神性を強引に束ねた反動でどうにかなっているのだろうか?
中途半端なので、近い内に次話を投稿します。
その後は本編4周年時に投稿する予定です。




