不死なる少年 9
次で終わりと言ったな、あれは嘘だ。
……すみません、少しふざけました。
楽しんでいただければ幸いです。
「ん……」
深い眠りについていたリリアは不意に目を開ける。すると、そこがブレイブ邸の自らの部屋であることがわかった。
ゆっくりと首を回して見渡すと聖騎士団長としての政務をこなすためのデスク、ドレスや私服の入ったクローゼット、鎧立てに置かれて佇む純白の鎧と鞘に収められ立てかけられたいつも愛用しているバスターソードなど、実に質素で実用的なものばかりが目に移る。
しかしそれとは反対に、部屋のもう半分には真反対に色々なものが置いてあった。鏡台にぬいぐるみや、彼女の想い人である『彼』の故郷の東和国の人形、アクセサリーなど。いかにも女の子らしいものが置いてある。
他には天井からぶら下がるシャンデリア、小さなベランダへと続く壁一面を覆い尽くす大きなガラス扉などがある。その先の風景は灰色の雲と大粒の雨で覆い尽くされていた。どうやら今日は雨ならしい。
そうやってしばらく部屋を見渡していると、枕元に誰かが座っていることに気がついた。そちらを振り向いて……椅子に座り本を読むその姿に、思わずリリアは微笑む。
その男は、執事服を纏っていた。身長は190センチ近くあり、すらりとした手足にすっきりとした顔立ち。本に目線を落として無表情に読む姿はとても絵になっている。
ゼロ・ブレイブ。それが男の……リリアの専属執事であり、エレメティア王国侯爵であり、そして…彼女が誰よりも愛する者の名前であった。
しばらく布団の中でゼロのことをじーっと見ていると、ゼロは突然パタンと本を閉じる。そしてスッと自分を見ているリリアに目を向けた。
「おはよう、ゼロ♪」
「……おはようリリア。今紅茶を淹れる」
「うん」
座っていた椅子から立ち上がり、ゼロは枕元にある台に添えつけられていたティーポット……状態保存の魔法がかけられている……取ると、カップの中に注ぐ。ちなみに、この紅茶はゼロの特性ブレンドである。
そしてそれを上半身を起こして伸びをしたリリアに差し出した。リリアはニッコリと笑いながらソーサーからティーカップを持ち上げて口に運ぶ。
ゼロはリリアが湯気の立つ紅茶を飲むのをじっと見る。カップから口を離したリリアはゼロへ目を向けて一つ頷いた。ゼロは少しホッとする。そんなゼロにまたリリアは笑うのだった。
●◯●
ゼロが三年間にわたる修行を終え、東和国より帰還してからすでに5日が経った。その間、こうして二人の朝は始まっている。
リリアが起きるまでゼロが枕元にいて、起きれば目覚ましがわりの紅茶を淹れてそれをリリアが飲み、笑う。とても穏やかな朝だ。
こんな朝も、あの時少しでもゼロが遅れていれば実現しなかったかもしれない。それを考えると、あの時すぐに東和国を出立して良かったとゼロはリリアを見ながら思うのだった。
じつはゼロは死後一定時間以内ならば蘇生させることもできるのだが……まあ、そこは言わぬが花というやつだろう。
三年前と変わらない1日の始まり。しかして唯一違うのは……二人の、心の距離だろう。それを証明するように、二人の胸には水色の宝石をあしらった指輪が細い鎖でネックレス状につけられている。
無意識にゼロがそれを触ると、同じようにリリアが自分のものを服の上から触る。二人はハッとして少し恥ずかしそうに顔をそらす。
しかし、やがてリリアがゼロへ顔を向けなおし、目を閉じて小さく唇を突き出した。同じように顔を戻してそれを見たゼロは少し息がつまる。
が、すぐにリリアのしてほしいことを察して、少し頬を染めながらも、自分の顔をリリアの端正な顔へと近づけていく。
少しずつ二人の距離が近くなり、そして……
チュ…
「ん……えへへ」
「……ん」
唇を重ねた二人は、お互いの息がかかる距離で微笑みあった。とは言ってもリリアは幸せそうな満面の笑み、ゼロは少し照れくさそうな微笑と対照的ではあったが。
しばらくそうしており、もう一度しようか、と二人が思っていたところで……不意に視線を感じる。ハッとしてそちらを振り向けば、部屋の扉をあけてこちらを見ている少女がいた。
長い黒髪、小さな体躯、浅黒く焼けた艶のある肌。くりっとした大きな黒い両目に幼さの残る顔立ちながらも整った顔。その身にはメイド服を纏い、ジトッとした目を二人に向けている。
「……朝っぱらからお熱いのう? なんじゃ、ワシへの当てつけか? え? 兄上? 義姉上?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
「…まずそれ以前に、お前もノックをしろ」
「したぞ。じゃが見つめあっておって全く気がつかないのじゃから仕方がないであろう?」
「…む」
言葉に詰まるゼロと赤い顔で慌てふためくリリア。その二人を見て少女……ゼロの腹違いの妹、フィリオはニヤリと笑った。
ここに来て、二人は自分たちがまたからかわれていることに気がついた。ここ最近、彼女がこの屋敷に来てから状況は違うが同じようなことが何度もあった。
かつて魔王であり、魔族たちを率いていたフィリオ。彼女は自らの最後の肉親であるゼロを傷つけた人間たちを粛清していたが、やがてそれは魔王軍の一部の暴走により激化してしまった。
結局、神を除いて全ての存在の頂点に達したゼロの前で全てを暴かれ、今まで知らなかったとはいえ自らの唯一の妹を殺せるはずもないゼロの手により自らの魔族としての力の要である邪石を破壊され、魔王としての彼女は死んだ。
今はフィリオはゼロのことを愛しているといっても過言ではないほどのブラコンなため、リリアを殺そうとしたりもしたが…こうして、人間としてゼロの側にいる。
彼女のことに関して、ゼロはこの家の主人であるレオンに包み隠さず全てを話し、その上で彼女の保護を頼み込んだ。
レオンは最初は驚き、色々と考えていたものの結果的に元魔王とはいえ、自分の息子も同然であるゼロの血の繋がった家族を放置するのも、ということでメイドとして彼女をこの家に置くことを許可してくれた。
一体どこまで彼の懐は深いのか。かつて自分を拾ってくれたことを思い出しながら、ゼロは額を床に擦り付けて感謝した。
ほんの数年……実年齢はゼロの四つ下の18歳で、力が覚醒したのは11の時……で前魔王を打ち倒し、魔族たちをまとめ上げていただけあってフィリオの学習能力、意欲は非常に高くたった2日で全ての仕事を覚えた。
加えて、魔族特有の力や加護は消えたものの、フィリオの魔術師として、また魔闘士…魔法を使う拳士のこと……としての腕は相当なものであり、ことそれに関してはゼロに比肩する腕前を持っている。
そのため、今現在体が不安定な状態のリリアの護衛としてティティアナとともに護衛兼専属メイドとして配属されている。
なのでこうしてリリアの寝室にも来るのだが……まあ、基本リリアがあるところにはゼロがあり、こういう光景を見るのはもう見慣れたというものだ。
ちなみに、今はもうゼロが心の底からリリアを愛しているということを理解しているので、二人を見守るにとどまっている。未だブラコンは治ってはいないが、むしろ積極的にからかう勢いだ。
今日もいいものを見れたと言わんばかりフィリオは柔らかく微笑むと部屋に入り、テキパキと恥ずかしがって自棄飲みした空のカップを片付け、布団をひっぺがす。
フィリオが布団を綺麗にたたむと、ようやく復活したゼロが体の中の魔力を循環させてもともと高い身体能力を引き上げ、リリアをお姫様抱っこする。あることの影響で、リリアはまだ一人では立てない。
そのまま鏡台の前まで行き、クッションの椅子に座らせる。そうするとくしを手に取り、少し寝癖の付いているリリアの髪を直し始めた。
ゼロは相変わらずサラサラな髪をとかしながら、かつては金髪で、今は毛先に向かって黒みがかっているリリアの肩口で切り揃えられた髪を見る。これもまた、あることの影響だ。
やがて十分にとかすとフィリオが準備していた服に着替えさせてネックレスを首にかけ直し、そして後ろに控えていたフィリオから髪飾りを受け取ると髪の右側にセットする。これで終わりだ。
ひと通りの朝の準備を終えたので、ゼロは異空間を開きそこの中に保管してある機械じみた車椅子を取り出して部屋の床の上に置き、リリアを座らせる。すると低い音を立てて車椅子が起動した。
ゼロが後ろにある取っ手を持って進むとフィリオが扉を開け、部屋の外に出る。そのまま直行で食堂へと向かった。迷いないその足取りは、帰って来てからほんの数日なのに全くの不慣れさを感じさせない。
食堂に着くと、再度フィリオが扉を押し開く。すると雨のため外からの光が差し込まず、シャンデリアが照らす食堂の中にはすでにブレイブ家の面々が揃っていた。
一番奥にこの家の主人にして王国大公、レオン・ブレイブ、その後ろに控えるのはメイド長……年齢不詳……のアイン、その右隣には後ろに髪型以外はアインと瓜二つのメイド〝ツアイ〟を控えさせた美しい金髪の妙齢の美女、その隣にはガチガチに緊張しているテティ。
一つ分椅子のないスペースにリリアの乗る車椅子を進ませる。食卓に手の届くところで止めるとどこからともなく現れたティティアナが皿を置き、食器を食卓の上に揃えていく。
やがて全員の料理が運ばれてくると、朝食が始まった。握力も一時的に弱まっているリリアを車椅子から飛び出た小さな金属のアームが補助しながら料理を口に運ぶ。
しばしの無言の時が流れ、全員食べ終わり綺麗に乗っていたものがなくなった皿を使用人達が片付ける。
「んー、美味しかった! やっぱり我が家の料理に限るわよねぇ」
「そう言っていただき、使用人一同光栄の極みにございます、奥様」
「やだもーアインちゃんったら、旦那みたいに名前でもいいのよ?」
「いえ、そういうわけには」
そっけない態度のアインに美女がケラケラと笑う。その様子は楽しそうであり、全く断られたことに関して気にした様子はない。
今更だが、この美女はララ・ブレイブ。リリアの母親かつ先代聖騎士団長にしてレオンの妻、つまりこの家で彼に次ぐ権力者である。既に40は超えているはずだが、二十代半ばにしか見えない。
彼女は娘にその地位を譲って引退した後も国の政務に深く関わり、ほとんど家にいない。ゼロもあまり彼女とは面識がなかった。が、今回リリアが腹を貫通するような大怪我をしたと知って飛んで帰ってきたのだ。
家族至上主義の彼女は最近、片手間に政務をこなしながらこうしてほぼ家にいた。そして満足に動けないリリアの話し相手になっていたりする。
ところで……今更だがなぜ、あのリリアがこんな不自由極まりない生活をしているのか。それはあの時、ゼロが自らの血を飲ませたからだ。
ゼロは生まれつき全身の細胞が異常発達し、その結果不死身に近い再生能力と尋常ではない頭脳を持っている。修練を積む中でその細胞を操作できるようにもなったりもした。
さて。そんなゼロの血が、普通であるだろうか?その答えは否の一言でこと足りる。ではどう普通ではないか。その答えは、まあ少し複雑なのだが。
〝血の加護〟。ゼロに自分やゼロのような不死者の血の使い方を教えてくれた人物はそう呼んでいた。様々な制約や代償の果てに、死したものすら蘇らせる究極の呪法。
それを使ってゼロはリリアにかけられた邪剣の呪いを解き、致死の傷をいともたやすく修復した、かのように見えた。だが実際はかなり無茶をしている。
本来その再生力により、通常の人間よりもかなりゼロは長生きできる……はずだった。しかし血の加護はそれを与えた代償に使用者の寿命を削る。後何年生きられるのか…それはゼロにもわからない。
他にも、強制的に使用者と加護を与えられたものの魂を繋ぐ。これに関してはあまり気にしてはいなかったりする。むしろ二人とも願ったり叶ったり。
けれどそんなことより重要なのは……加護を与えられたものは、どれほどの年数効力が持続するかはわからないが不老長寿の存在となる。
これはある意味、彼女の人生を踏みにじる行為なのではないか。ゼロはそう思い悔やみ、悩んでいる。リリアは笑って許してくれたし今も気にしないように言っているが、おそらくゼロはこの先ずっと悩むことだろう。
それはともかくとして。そんな加護がすぐに体に馴染むはずもなく、かなり失血していたこともあってリリアはかなり弱っている。自分で歩くこともままならない。
なので家族総出でサポートをしていた。この車椅子にしたってゼロが師匠の一人に土下座して作ってもらった特注品である。こんな状態なのでジェムズからもしばらく療養を目的とした休暇が許可されていた。
とまあ、これが現状だ。ゼロは負担をかけていることを悔やんでいるが、しかしリリア本人はゼロといられる時間が増えて万々歳だったりする。
「それにしても、テティちゃんはほんっとーに可愛いわねもー!」
「むぎゅ……ぱ、パパ、助けて…」
「あらあら、ゼロちゃんがパパなら私はおばあちゃんね……ふふ、いいわぁ!いいわよテティちゃん!」
「パパぁ!」
ゼロか考え事をしている間に、ララに思い切り抱きしめられているテティがこちらに救いを懇願する目を向けてきていた。
ララはとても可愛い物好きで、背の高く大きなテティでもその可愛らしい仕草やら顔立ちやらでかなり気に入っており、こういう光景はもはや日常の一部と化していた。
ゼロは助けを求める我が子にすまない、とだけ呟くと車椅子を引いて食堂を後にする。後ろからの悲惨な悲鳴など聞こえない、聞こえないったら聞こえないのだ。
今日は雨なので、そのまま屋敷の中にある図書館へと向かった。渡り廊下を移動し、別館へと向かう。その道すがら見覚えのある老執事を見かけた。
「おや、リリアお嬢様にゼロではございませんか」
「あ、ダンテ。おはよう」
「……おはようございます、師匠」
そう、この老執事こそがゼロの最初の剣の師匠であり、〝剣人〟と呼ばれた王国最強の剣士、ダンテ=シンである。
今でこそ年老いているものの、現役時代から全くその腕前は衰えを見せていない。すらりとした体は老体であるのに洗礼されており、背筋はまっすぐ正している。
「ええ、おはようございますお二人とも。お嬢様、体調の方はいかがですか?」
「うん、ゼロがついてくれてるから大丈夫だよ」
「左様でございますか。なら私が心配する必要はございませんね。それではこれで……ゼロ、お嬢様をよろしく頼みますよ」
「……はい」
ゼロの耳元で少し楽しげに囁いたダンテは、そのまま本館の方へと戻っていったのだった。それを見送った二人は再度進み始める。
渡り廊下を通るとすぐに図書館につながる扉が現れた。それを押し開くと最奥が見えないほどの広大な図書館が現れる。ゼロの優に倍はある本棚にはぎっしりと本が詰まっていた。
これらはすべて、ブレイブ家が千年にわたって溜め込み続けたものである。ちなみに現在、この無数に等しい蔵書の数々をすべて完読しているのはゼロのみである。
司書に断りを入れて中に入ると、リリアの好きな本のある区画へ向かい、彼女が望むものをゼロが自分のものと一緒に取る。
そうするといくつかテーブルが設置されている場所へと向かい、そこで読み始めた。ゼロは椅子に座り本に目を落とし、その隣でリリアは車椅子からせり出た台座に置いた本のページをめくる。万能な車椅子である。
しばし、無音の時が流れた。だが気まずい雰囲気や落ち着きのない雰囲気はない。二人とも本を読むときは物静かになる性分だからである。
それに、二人は机の下で片手を繋ぎあっていた。それだけで二人には幸せな時間で、ただお互いがいるだけで満足なのだ。
「…ねえゼロ、何の本を読んでるの?」
しかしそれを、ふと顔を上げたリリアが破った。ゼロは目を上げて、手で隠されていた本の表紙を見せる。
そこには、霊薬や秘薬の詳細や調合方法について書かれている本のタイトルがあった。珍しいものを読むのだな、とリリアは一瞬思うがすぐにハッとする。
「……私のため?」
「…俺のせいで、今リリアはそんな不自由な暮らしをしてしまっている。だから少しでも早く回復する方法を、と考えた」
「…気にしなくていいって言ってるのに」
「…そういうわけにはいかない」
「…もう、相変わらず頑固だなぁ」
真顔で言い切るゼロに、リリアは苦笑する。そしてページを繰っていた本から手を離し……ゼロの頭を抱き寄せた。
少し困惑するゼロに、こういうのに耐性がないのも変わらないなと思いながらゆっくりと黒髪を撫でる。
「…私なら、本当に大丈夫だから。それにね、確かにちょっと不便だけど今の暮らしもなかなか悪くないよ?」
「……でも車椅子で、俺が手伝わないと歩くこともできないじゃないか」
心配そうに言うゼロに、リリアはくすりと笑い。
「その分ゼロと触れ合えるから、むしろ私にはご褒美だよ♪ それにこうして、一日中ゼロと一緒にいれる……だから、悪いことばかりじゃないんだよ」
「……そうなのか」
「うん、そうだ♪」
「…なら、わかった。ずっと支える」
「よろしくね……旦那様」
「! ……ああ」
しばしそのままだったものの、二人と同じように本を読んでいた司書が本を片付けに来て二人を見つけ、ニヤニヤと見る。
慌てて二人は離れてまた本を読み始めた。半分内容が入ってこないが、けれどそれがおかしくて。なんだか少し笑えてくるような気がした。
二人は顔を見合わせて微笑みあうと、司書が消えたのを見てまた手を重ねて本を読み始める。ごく自然に、それが当然のように。
いや、それこそが二人にとっては自然なことなのだ。なぜならリリア・ブレイブとゼロ・ブレイブは……ずっと一緒なのだから。
そうして、二人は1日を図書館で共に過ごしたのだった。
ーーゼロ・ブレイブは、平穏な日常を手に入れる。
感想をいただけると嬉しいです。