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本当は気づいておりました。

 

 

 

「蓮華ちゃん」

 厨房で事情を話して何か作ってもらう間、蓮華は一人外で待たされた。その背後から、聞き覚えのある声がする。

「沙耶?」

「あ、やっぱりだ。久しぶりぃ!」

 女官仲間の沙耶だった。暁貴の側仕えになってからは、一度も会う機会がなかった。

 久々に再会したためか、沙耶は嬉しそうに蓮華の隣へ歩み寄る。

「ビックリしちゃったのよ。まさか本当に殿下から気に入られちゃうなんて! そっちは、どう? 楽しい? 感想聞きたいな」

「え、ええ……まあ」

 暗い表情を見せまいと笑顔を貼り付けると、沙耶は大袈裟に蓮華の首に手を回して抱きついてきた。


 そのとき、フッと甘い香りが蓮華の鼻をかすめる。どこかで嗅いだことのある香りだが、思い出せない。


「蓮華ちゃん、どう? 暁貴殿下はお優しいの?」

 沙耶に問われて、蓮華は返答に困る。

「別に優しくもないけど……だからって、乱暴されてるわけじゃないし、微妙かも」

「なになぁに? その意味深な答え方! 聞かせて聞かせて!」

 沙耶は年頃の娘らしく、キャッキャッと頬を染めて蓮華の周りを飛び回った。

 自分にも、こんな可愛らしい仕草が出来ればいいのにと、蓮華は頭の隅で思考してしまう。

「暁貴殿下ってどんな方? 他の皇族の方ともお会いするの? わたし、他の友達に胡蝶殿下のサイン頼まれちゃったんだよぉ。蓮華ちゃん、お願い」

「胡蝶様は流石に、今は外国で後宮に帰って来ないし無理よ……秀明殿下には、お会いしたわ」

「じゃあ、秀明殿下でもいいわよ」

「誰でもいいんじゃないの、それ」

 こんな他愛もない会話をするのも久しぶりだ。

 前は少し冷めた気分で他の女官と接していたが、今はとても新鮮な感じがする。

「暁貴殿下は、そうね……意外としっかりした方よ。女癖の悪さは噂通りだけど……」

「え、そうなの? いつか他のご兄弟を出し抜いてやろうとか、そんな感じ? きゃあ、なんだか大衆小説の策士みたいね!」

「違う違う。なんて言えばいいのかしら」

 そう。違う。

 暁貴の振舞いは、確かに己の才能を隠すことに徹している。決して表舞台に上がらず、常に日陰にいようとしていた。


 暁貴は影の存在。

 では、光は――?


 答えは、もう見えている。蓮華は、もう気づいている。だが、見えない振りをしているに過ぎない。

 誰が影で、誰が光なのか。その答えは、もうわかっているのだ。


 適当に会話を続けていると、厨房から声がかかる。

 沙耶が代わりに厨房から膳を受け取り、蓮華に手渡した。

「じゃあね、蓮華ちゃん」

 沙耶は陽気に笑いながら、蓮華の肩を押す。その際に、再び嗅ぎ覚えのある甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 だが、今はその香りが煩わしく感じて、蓮華は顔をしかめた。

「もう、わかってるのに」

 どうして、こんなにも恐れているのだろう。

 蓮華が知りたくて仕方がなかったことは、すぐ傍で手に入る。




 † † † † † † †




 満たされているのが、不思議でならない。

 結局、手をつけそびれてしまった娘の背中を見送って、暁貴は扇子を広げた。

 部屋の傍に植えた桜の香りに誘われて、夜蝶が戯れるように飛んでくる。


 いつもなら、構わず抱いてしまう。恐らく、向こうも抵抗しなかっただろう。

 だが、そうしなくても良い気がした。

 抱き締めた温もりが、まだ身体に染みついている。刻み込まれた鼓動の速度が心地良い。


 誰でも良いはずなのに――誰でも良くなくなった?

 馬鹿な。あの娘は、一時的に飼っているに過ぎない。

 餌を与え終えたら、きっと、向こうからいなくなる。そういう存在だ。


「どうかしている」

 深い息を吐きながら、自嘲めいた笑みを浮かべる。しかし、煮え切らなくて荒っぽく扇子を閉じてしまう。

 気持ちが落ち着かず、無意味に髪を掻いた。

 兄弟たちとは色の違う褐色の髪がサラリと指から零れる。

「殿下」

 庭でお庭番の忍が頭を垂れる。暁貴は落ち着かないまま、投げ遣りな視線を送った。

「九条の娘が女官と接触しておりましたので、報告を」

「わかった、下がれ」

 些細な報告に気を留めるほど、頭が回らない。それが余計に苛立ちに変わって、深い息を吐いた。


「誰でも良いくせに」


 誰でも良いはずだろう?

 苛立ちの根源を断ちたい。いつも以上に身体が冷たく感じて、沸々と胸を闇が覆っていく。平常心でいられない自分が愚かしく思えて、吐き気までした。

 もう一度……もう一度触れたら、何かわかるだろうか。


 苛立ちの正体が知りたくて、思わず障子を開けて廊下を覗き見てしまった。

 すると、思いがけず、廊下の向こうに蓮華の姿を見つけてしまう。

 暁貴はばつが悪くなって、頭を引っ込めた。だが、直後、逆に不自然な気がして余計に腹立たしくなった。

「遅かったな」

 夜食を盛った膳を差し出す蓮華を横目で見遣る。すると、先ほどのことを気にしてか、蓮華は暁貴と少しも視線を合わさずに俯いてしまった。

「一人で食べる飯は不味い」

 そそくさと部屋を出ようとする蓮華の手を掴んで、いつも通りを装う。

 いつも通りでなければならない。平常を保たなければいけないのだ。そうすれば、意味のわからない苛立ちもおさまるはずだった。

「口移しでないと、食べる気がしないな」

 箸で摘んだ魚を差し出しながら、暁貴はいつも通りの微笑を浮かべた。

 人を見下す、腹の黒い笑み。

 自分でもわかっている。恐らく、最高に意地の悪い顔をしているはずだ。この後、蓮華は軽く殴るか、苦言を吐くだろう。いつも通りだ。


「…………」


 しかし、蓮華はしばらく黙って暁貴を睨んだ後で、腰を少し前に浮かせる。

 あまりに予想外の行動を取られ、反応が遅れてしまった。

 蓮華の華奢な身体が素早く懐に飛び込み、箸を持った暁貴の右手を掴んだ。そして、そのまま箸を奪われてしまう。

 細く削られた箸の先端が、凶器のように振りあげられる。


 突然の出来事に暁貴は平静を欠いてしまう。

 だが、無意識のうちに身体が動き、力の弱すぎる娘の腕をねじ伏せる。暁貴は身体に叩きこむように覚えた動作を再現するように、蓮華の首を手で押さえこむ。


 身動きを取らないまま、永い時間が過ぎる。


「本当は気づいておりました。答えてください、暁貴殿下」


 妙に丁寧、いや、本来はこの方が普通か。蓮華が敢えて口調を変えていることに気づき、暁貴は眉を寄せた。


「どうして、母を殺したのですか? 秀明殿下に政は出来ません。少なくとも、裏側の仕事をされているのは、彼ではなく……殿下なのでしょう?」


 ああ、やはり、それか。


 九条と聞いて、すぐに九条悠馬の子だとわかった。

 十年前にエウル王国で死んだ――いや、エウルとの戦争を起こすために利用された文官の娘だ。

 あのときは、暁貴はまだ宮へ来たばかりで、事件には関与していない。だが、属州化したあとで調べると、薄暗い政の存在がまとわりついていた。

 エウルとの友好を望んでいた正妃の差し金で外交官として抜擢されたのは、九条悠馬(くじょうゆうま)浅野栄雅(あさのえいが)の二人だった。しかし、浅野栄雅はエウルとの戦争を望んだ一派と密かに繋がっており、九条悠馬を殺害したのだ。

 その後は単純な話で、九条の死をエウル側の否であるとして、強引に戦争まで持ち込んだ。

 結果、エウルは破れて瑞穂の属州となった。


「そのようなことは、どうでもいいのです。わたくしが聞きたいのは、どうして母が死ななければならなかったか」

 蓮華は感情を押し殺した声で暁貴の言葉を待っている。

 暁貴は奥歯を噛み、蓮華を押さえる腕に力を入れた。

 このままへし折ることも容易い細い頸だ。頸動脈からは、血の巡りを示す拍動と熱すぎるほどの熱が感じ取れる。

影連(かげつら)がお前たちに会っただろう。実に聡い男だと思うぞ。真実に辿りついても動かず、ただ主の不利益にならないよう、沈黙を守っている。胡蝶の命があれば、そちらに従うかもしれんがな」

「だから、わたくしが知りたいのは」


「お前の母親は違った」


 言葉を遮ると、蓮華はピクリと身体を震わせた。

 暁貴は首にかけていた力を緩めてやる。蓮華は、もう抵抗することを辞めていた。

「恐らく、影連が見ていた遺品から、なにか悟ったのだろうな。そのまま、九条悠馬を殺害した浅野家に乗り込んで捕えられた」

 蓮華の顔が凍りつくのがわかった。

 嘘だと言いたげに、首を横に振っている。震える唇からは、なんの声も発しない。いや、発することが出来ないのか。


「お前と同じだ」


 蓮華は暁貴の言葉を否定しようと、必死に口を震わせていた。暁貴は、そんな彼女を嘲笑うように、唇の端を吊り上げる。

「十年経っていたが、流石に不味い事態だ。俺が指示して、家と一緒に燃やさせた」

 単純な話だ。

 昔に行われた政に文句をつけて、わざわざ死に来た女の話。そして、その女の復讐をするために来た娘が、目の前にいる。

「俺も秀も、十年前の件には関与していない。まだそれほど政に参加していなかったからな。それなのに、後処理を擦り付ける浅野の図々しさには迷惑したよ。だが、立場上、面倒事は処理しておかねばなるまい?」

 元々苛立っていたせいなのか、それとも、元の性格の悪さが滲み出ているのか。暁貴は、この場に不適切な笑みを絶やさぬまま蓮華を見下ろした。


「なら、どうして……」


 小さな唇が暁貴に疑問を突き刺す。夜の闇に同調するような蓮華の黒眸が、暁貴を捕えて離さない。


「どうして、あたしを殺してくれないの?」


 それが疑問ではなく、懇願だと気づいて、暁貴は腕から完全に力を抜いてしまう。

 束縛から解放されて、蓮華はすぐに身を起こした。そして、暁貴から距離を取るように数歩下がる。


「どうして?」


 問われて、暁貴は初めて閉口した。先ほどまで、饒舌に現実を語っていた自分が何処へ行ってしまったのか、わからなくなる。

 いや、答えはあるのだ。だが、それを語ることは赦されないのではないかという疑念が過る。

 気がつくと、部屋に降り立った忍が蓮華の背後で短刀を身構えていた。自分の指示があれば、いつでも蓮華を殺すだろう。

「殿下、ご指示を」

 抑揚に乏しい声で、忍が指示を仰ぐ。蓮華も背後の存在に気づいて、息を呑んでいた。


 暁貴は何も言えないまま、蓮華を見据え続ける。

 蓮華は訴えている。自分がなにを望んでいるのか。そして、暁貴に強要している。

 彼女の表情を見て、暁貴の胸中に苛立ちが募り、沸々と何かが湧き上がる。


「……良い、下がれ」


 微かな声で命じると、忍が眉を寄せた。

「しかし、殿下」

「下がれと言っている!」

 吐き捨てるように叫ぶと、ようやく、銀を湛える刃が下ろされる。束縛から解放されて、蓮華はゆっくりと暁貴に視線を落とした。


「……いつまで、あたしを弄ぶ気なのよ」


 冷たい視線がぶつかる。

 黒々とした眼光から読み取れた感情は哀しみと、失望。

 早足で部屋を去っていく蓮華の背中も見ずに、暁貴は黙って項垂れた。

「くそッ……!」


 どうかしている。

 

 

 

 名前が一字しか違わないので補足です。

 今作で名前が出てくる浅野さんは「浅野栄雅」さん。他シリーズで登場する胡蝶の従者は「浅野楓雅」さん。

 虎蝶姫でチラッと書かれていますが、栄雅は楓雅の父親です。

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